第29話 平和な日常は





 将来の約束をされてしまった。

 たぶんすぐに忘れられるものだとは分かっていても、俺の胸はしばらく温かいままだったぐらい嬉しかった。



 栄太の休みが終わり帰ってしまった後、この関係は終わってしまうと思っていた。

 しかし予想外なことに、しばらくして俺のポストに手紙があった。

 差出人は栄太で、そこには小学生らしい味のある字で、一緒に遊んだことに対するお礼が書かれていた。


「律儀だな」


 母親に言われて書かされたのだろうか。

 その光景を予想すると、自然と笑ってしまった。


 さらには手紙の最後に、大きく強く書かれた言葉には、驚きと共に小さく吹き出した。


『ぜったいひしょにするからまってろ!』


「……そんなに言ってくれるなら待ってみようか」


 本気で信じてしまいたいと思うぐらいには、俺は優しさに飢えていたのかもしれない。


 手紙は大事に箱の中にしまい込み、すぐに取り出せて、でも汚れないようにタンスの上に置いておいた。

 その箱を視界に入れる度に、顔がほころんでしまうので、一人暮らしで良かったと本気で思った。





 村の人達に優しくされ、俺の生活は順調だった。

 透真様のことを忘れる時間も増えていた。


 このまま、ここに骨を埋めてしまおうか。

 そう考えてしまうぐらい、俺の気持ちは変わっていった。




 それが良くなかったのだろうか。


 数日後、俺の元に焦った様子の守から連絡が来た。


「すまん! バレた!」


 たった6文字の言葉でも、俺の血の気を引かせるには十分だった。


「……何が、バレたんだ……?」


 声が震えてしまい、俺はそれを必死に抑える。

 しかし受話器を持つ手も震えていて、慌てて両手で持つ。


 受話器の向こうは、しばらく何も聞こえ無かった。

 それだけでもう、良くない状況だということを察してしまう。


「守。責めているつもりは無いんだ。ただ今置かれている状況を確認したいから、正直に答えて欲しい。どのぐらい危機的なんだ?」


 ここは焦っている場合じゃない。

 俺は冷静になるように努めながら、状況を確認するために尋ねる。


「そうだな。楽観的に言っても最悪だ。たぶん死人が出る」


「……そうか」


 それは俺の予想の中でも、一番最悪の状況だ。

 大げさに言っているわけではないと分かり、俺は頭が段々と痛くなってくるのを感じた。


「それで、透真様はどうしている?」


 バレたというのが、どこまでの範囲だったとしても、透真様は動くはずだ。

 守はすぐに連絡をしてくれただろうから、まだ間に合うかもしれない。


 微かな望みをかけて、俺は守の言葉を待った。


「俺のところに来たのは、10分ぐらい前だ。その時には、全て知っていた。どうやって知ったのかは分からないけどな」


 全てを知っていた。

 それは、本当に最悪だ。


「妹のこともか」


「ああ」


「俺のこともか」


「ああ」


 守の言った通り、完全にバレている。


「それじゃあ、俺を裁きに来るんだな」


 妹のことも、それを隠そうとしていた俺のこともバレているのだ。

 透真様の怒りは想像に固くない。


「いや、そういう感じじゃ……」


 守は何かを言いかけていたのだが、俺がそれを聞くことは出来なかった。

 俺が切ったわけじゃない。無理やり電話が切れた。


「……来た」


 俺は警戒心を強め、息を潜める。

 守のところから10分しか経っていないのに、もうここまで来てしまったのか。

 そこに本気具合を感じてしまい、こめかみから汗が伝うのを感じた。


 ここで彼に会うのは無理だ。

 話をするつもりは全くなく、俺は逃げることしか考えていなかった。



 地の利は、こちらにある。

 入り口は一つじゃないから、上手く出来れば逃げられるはずだ。


 俺は意識を集中させて、そして微かな物音も聞き逃さないようにする。

 ここが田舎で良かった。

 無駄な音が少なく、聞き取りやすい。



 余計なことを考えないように、目を閉じる。

 これでも、少し前までは鍛えていたのだ。

 彼のことを巻くぐらいは、何とか出来るだろう。


 呼吸を最低限に、周りに集中していれば身じろぐ音が耳に入った。

 そっちか。

 俺はそちらから距離の一番遠い入り口へと行くために、ゆっくりと後ろへと下がる。


 こちらの出方を窺っているのか、それともタイミングを見計らっているのか、まだ中へと入ってくる様子はない。


 運のいいことに、手が届く距離に財布があるので、家から出て遠くに逃げることも可能だ。

 しかし今のところの予定としては、近くの山に隠れるつもりである。


 さすがに体勢を立て直したい。

 このまま逃げたら、たぶんすぐに捕まる。

 捕まったら、どうなるか分からない。


 守の言った通り、死人が出る可能性が高い。

 それはさすがに避けたかった。


「……逃げなくては」


 吐息のような声で自分の中で合図を出すと、俺は音を立てないギリギリで走り出した。

 とにかく逃げたことを悟られず、出来る限り遠くへ。


 扉を静かに開けて、外へと飛び出した。

 そして誰かに体を受け止められる。


 反射的に投げ飛ばそうとするが、知っている香りに体が固まったように動かなくなってしまった。



 嘘だ。どうして。

 頭の中には、その言葉がぐるぐると駆け巡る。

 しかし、答えなんて出るわけが無かった。


「と、うま……さま」


 信じられない気持ちで、絞り出すように呼んだ名前に、俺を抱きしめる力が強くなった。




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