第21話 帰り道――旅人、空へ還る

 ハナが目を覚ますと、そこは家のベッドではなかった。薄暗く、けれど空気は暖かい。

 まだ寝たりないのか、逆に寝過ぎたせいなのか、異様に頭がぼんやりと重たかった。瞼を擦りながら身を起こすと、膝の上に僅かな重さを感じる。見下ろすと、ハナの顔をじっと見上げる金の瞳と目が合った。ムニンはハナと目が合うと「大丈夫?」と問うように首を傾げる。

 ハナは「大丈夫だよ」と言う代わりに、ムニンの首の後ろを指先でわしゃわしゃと掻いた。

「おはよう、ムニン」

 段々と意識が覚醒してくる。頭が冴えて霞んでいた視界も開けてくると、そこは知らない場所ではなかった。

 地面に敷き詰められた乾いた落ち葉、壁と天井を形作っている太く複雑な木の幹。ここは、『浮き島』の古木の翁の洞のなかだった。そして、洞の出入り口からは青白い強烈な輝きが差し込んでいる。この世のものとは思えないないような、圧倒的な光だった。

 ハナは傍らの箒を掴んで立ち上がり、よろめく体を箒を杖にして支えながら、光のほうへ向かう。洞の外はまるで光の洪水が起こっているようで、視界がすべて白一色に染まってなにも見えない。ハナは古木の翁の体に身を寄せ、語りかけた。

「長老、星の子は?」

 いまが夜だったら長老は眠ってしまっているだろうかとも思ったが、これほど強い光に当てられて眠れる生き物などいないだろうと思い直す。案の定、古木の翁は応えてくれた。

『わしらの上空におるよ』

 古木の翁は「ほほほ」と朗らかに笑った。

『力強き生命じゃ。自然に抗わず順応しながらも、本来の核を失わずにおった。我らが母、願いの惑星ほしは、遠き惑星の声を聞き届けたのだ。……この子は、飛ぶぞ』

 そう翁は言った。翁の言葉の半分以上はハナにはわからない。しかし、「飛ぶ」と聞いてハナの顔はさっと青褪めた。慌てて古木の翁に言う。

「それなら、もっと高台へ導かなければ。ここでは危険すぎます」

 ハナは夢に見たロケット打ち上げの場面を思い出した。物体を地上から軌道上に投げ入れるとき、その打ち上げにどれほどの爆発的な力が必要か。

 あのとき見た「クッカ」は、それ本体ではなく打ち上げのためのロケットを使っていた。

 恐らくだが、星の子を包む光は星の子本体のものではなく、あのロケットのようなものなのだろう。この世界に不時着する星の子は、落下するまでのどこかの過程であの光の膜を纏う。その光が時間を増すごとに力を蓄えると、あのロケットと同じ役割を果たすようになるのかもしれない。そして、星の子の核である本体が、外の世界へ帰ろうと望むとき、その光は再び外世界へ飛び立つための力となる。星の子は再び空へ舞い上がることができるのだ。

 ハナは頭上を振り仰いだ。

「クッカ」

 圧倒的な光が目を灼いて、その姿を見ることはもはやできない。それでも、自分と同じ由来を持ったその名を呼んだ。「彼女」が待ち望んでいるとしても、いまここで飛び立たせるわけにはいかない。

 しかし、古木の翁が重々しく言った。

『行け、魔女の子よ』

 「でも」とハナは首を横に振る。

 星の子が打ち上がる力は、不時着したときの比ではないのだ。その衝撃を打ち消す緩衝帯となるには、湖は狭すぎる。せめて、「秋の門」があった、あの小高い丘の上なら……。

『時間は残されてはおらぬ。おぬしの速さなら、まだ充分逃げ切れるじゃろうて』

「わたし一人に逃げろとでも」

『わしらには走れる足がないからのう』

 こんなときだというのに翁は「ほほほ」と笑うことをやめない。

 古木の翁は、ハナの親も同然だ。北辺の森の調停者となったハナを長きに渡って見守り、時には導いてくれた。ハナよりも長生きで、いまやハナが頼ることのできる数少ない相手なのに、ここで見捨てて逃げるなどどうしてできようか。

 しかし、古木の翁はハナの考えなど見透かしたように語る。

『案ずるな、わしらは皆、森じゃ。その一部を欠こうとも、全体が残るなら、わしらにはなにも恐ろしいことはない。いつか森のなかから、わしももう一度生まれよう』

 ハナは、光でほとんど視界が利かないなか、それでも周囲を見回した。森の歴史を見守り続けた古木の翁、彼を取り囲む、浮き島に育った若々しい樹木たち。

 ハナは意を決して、翁に深く頭を垂れた。

『また会おう、ハナ』

「……はい」

 ハナは頷き、踵を返して走り出した。頬を涙が後ろに向かって伝い流れていく。浮き島は勝手知ったる庭のようなものだ。高い水草をくぐって入り江のあるほうへ駆け抜け、手にした箒に最小限の動作で跨がる。

 ハナの耳の奥で、夢で聞いた六十秒から始まるカウントダウンが木霊していた。

「行くよ、ムニン」

 箒はハナが跨がるかどうかのタイミングで浮き上がり、湖の上空へ勢いよく飛び出していく。ハナの焦る気持ちが箒の速度をぐんぐん上げていって、その速さに振り落とされそうだった。

 浮き島からある程度距離を取ったところで、進路を前方から上空へ向ける。森を見渡せるほど高くまで上昇すると、湖の中央にこんもりと椀型の森を作る浮き島の上空に、燦然と輝く星が見て取れた。それはもう「星の子」と呼べるような小さな光ではない。果てしない暗闇が覆う外世界を果敢に進む、使命を帯びた旅人の姿だ。

 上空は快晴。秋の澄み渡る空は色の薄い水色をして凪いでいる。打ち上げには絶好の日和だ。

 ハナは、夢で聞いた言葉を思い出す。息を大きく吸い込んだ。

「Good Luck, Cucca!(さようなら、クッカ!)」

 それから、光に背を向けて、村のある方角へ全速力で飛ぶ。いつ打ち上がるかもしれないクッカを前に、のうのうとしていることはできなかった。



 ハナが箒に跨がり、常になく急いでやって来たことで村はいよいよ騒然とした。森から溢れてくる光は一体なんなのかと不安がる村人に、星の子がこれから打ち上がることを説明する。大きな音がしたりいつにない風が吹いてくるかもしれないが、村にまでは大きな影響がないだろうことをしっかり言い含めると、村人たちはかなり落ち着きを取り戻した。

「星の子が外の世界へ帰るところなんて、一生に一度見られるかどうかよ。皆も見ていると良いわ」

 ハナがそう言い、興味を示した者たちで村の広場にこぞって繰り出す。

 皆で森のあるほうの空を見上げたそのとき、ドォン、と地を揺るがすほどの音が響き渡り、村人たちが悲鳴を上げた。

「大丈夫だよ。見ていて」

 ハナは不安がる村人に穏やかに告げて、空を指差した。

 森の木々の垣根の向こうから、昼の空の下でもなお明るい青白い流星が飛んでいた。緩やかに弧を描きながら、空の高い場所を目指して空を泳ぐように進む。

 やがてその光が青空の彼方に見えなくなるまで、人々は言葉をなくして空を仰いでいた。

 ハナも人々に囲まれて空を見上げながら、胸のなかで、いまは遠いクッカへ呼びかける。

「あなたの帰路が、つつがなくあるように」

 と。

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