第19話 カクテル――パラレルワールド・ファンタジー

「ハナ起きて! 遅刻しちゃう!」

 眠るハナの上に、怒ったような焦ったような声降ってくる。

「うんむぅ……あとごふぅんー」

「あと五分で家を出ないと遅刻なのよ!」

 ハナは声を遮るように、そして電灯の明るい光から逃れるように、掛け布団を掴んで頭まで持ち上げる。しかし、すぐにその布団を無慈悲に剥ぎ取ろうとする手が伸びてきて、ハナは意地でも布団を取り上げられまいと布団を掴む手に力を籠める。

「まったく……仕方ない。行きなさい、ムニン!」

 声が高らかに命じた。「カァ」と鳴く声と、ばさばさという羽音がして、なにかが枕の上、ハナの頭の近くに着地する。頭と布団のあいだの隙間をがさがさと探る音が聞こえて、直後――、

「っいいいいでででででっ!!!!!」

 片耳で電撃のような痛みが走った。耳たぶに洗濯ばさみでも挟んだかのような圧迫感が不快で、首を振って振り払おうとするが、引き攣れたようにより一層痛むだけだった。

 ハナはとうとう痛みに耐えきれず、がばりと上半身を起こした。ばさばさと耳元で煩い羽音がして、涙で滲む視界を黒い影が横切っていく。

 黒い鳥は、天井から吊り下げた止まり木に着地すると、ハナのほうを向いて「カァ」と短く鳴く。

「む~に~ん~~~」

 ハナは呪詛のような低音で黒い鳥を呼び、恨めしげにその姿を見上げた。

 ムニンはハナのペットだ。昔、巣から落ちて路上でぴぃぴぃ鳴いているところを拾って、その日から一緒に暮している。それがどうして、ハナ以外の人間の命令を忠実に聞き、挙句にハナを痛い目に合わせるのか。

 しかし、黒い鳥との睨み合いも長くは続かず、その視界に麗しい少女の顔が割り込んできた。

 桃色の髪を編み込んでお洒落なハーフアップヘアを作り、唇にはほんのり紅を塗っている。身に纏う衣装は地味な濃紺のセーラー服なのに、彼女からは華やかなオーラが漂っていた。そんな、破格に可愛い少女が、鬼のような形相でハナを睨んでいた。ハナが瞬間的に見惚れていた矢先、彼女の口ががばりと大きく開く。

「三十秒で支度なさい!」

 吠えるように命じられて、ハナは「ひぃ!」と引き攣った声を上げてただちにベッドを飛び出してクローゼットに向かった。

「せ、せめて三分間は待ってよぉー」

「そんな贅沢な時間があるわけないでしょう!」

「はひぃぃぃ」

 ハナは寝間着から脱皮して制服を雑に着込み、ばたばたと洗面所へ行って顔を洗い口をゆすぐ。タオルで顔を拭くと、目の前に突き出された鞄を受け取る。

「よし、行くわよ!」

「了解なりぃ」

 玄関で二人してローファーを履いて家を飛び出す。

「ムニン、行ってくるねー!」

 出際にハナが寝室のほうへ呼びかけると、「カァ」とやる気のなさそうな声が返ってきた。

 玄関の鍵をしっかりかけ、家の前の狭い路地を抜けて大通りへ出ると、ちょうどスクールバスがやって来た。

「はぁ、なんとか間に合ったぁ」

「それ、あんたが言うセリフ?」

 横でシュネーが怒ったように突っ込んだ。シュネーが起こしていなければハナは毎日遅刻確定だろう。

 空いた席に二人並んで体を滑り込ませると、車体がエンジン音を上げて走り出す。車窓の景色は、隙間なく家が立ち並ぶ住宅街。時折、家と家の隙間にコンパクトに公園が収まっている。遠くには団地の四角い巨大建造物が見えて、典型的なベッドタウンという風情だ。

 これだけ人がみっちり集まって住んでいれば、子供のための学校も地区内にたくさんあるのだが、ハナとシュネーは進学の際に学区外の進学校を選んだ。家から遠いので、スクールバス通学だ。

 窓辺の座席でハナがぼんやりと車窓の風景を眺めていると、不意に髪を触られた。毎度慣れっこなので、ハナは特に反応しない。窓に反射して映るハナの背後で、シュネーがハナの髪に櫛をあてていた。ハナの長く白い髪を、愛おしむようにくしけずってくれる。

「今日、体育あるからアップにしちゃおうか。いつものお下げだと走ったりするので大変でしょ?」

「うーん、そうかもー」

「りょーかい」

 ハナの適当な返事を適当な相槌で返し、シュネーは手元に集中しはじめた。

 クラスでハナが友人に言われる「可愛い」の九割はシュネーのお陰だと、ハナは思っている。寝癖だらけの髪も、三十分あまりの通学時間のあいだにさらさらに梳かれて、その日のヘアスタイルが見事に完成する。

 今日はアップスタイルで、太い三つ編みが側頭部から後ろでまとめたお団子へ流れていくところが最高に可愛い。シュネーの腕前は、本職のスタイリストにだって劣らないだろう。

「おっけー」

 最後に花飾りの付いたピンを右目の横に挿して、シュネーがハナの肩をぽんと叩いた。

「んー、ありがと!」

「どういたしまして」

 ちょうど、バスが校門をくぐって停車場に到着する頃だった。

「シュネーは今日部活あるの?」

「ううん。今日はクラスの子とハナマル堂に行くつもり。新しい参考書買って、晩ごはんも食べて帰るよ」

 ハナとシュネーはクラスが違う。シュネーはハナのいる基礎コースではなく、有名校への進学を目指す特進コースだ。見目麗しく頭脳も明晰、さらに手先も器用で、友の寝癖だらけの髪を可愛くアレンジする心意気も持っている、シュネーこそ、まさに「才媛」と呼ぶに相応しい。

「そっかー。あのね、放課後にエトちゃんたちとカクテル飲みに行こうかって話してて……」

「あぁ、わたしはパス」

 ハナの切り出した話題を、シュネーはにべもなく断った。

「エトワールってことは、あの陰気な奴も来るんでしょ? エトワールの影みたいなの。わたしあいつ駄目なのよね」

「ルシルちゃん、そんなに悪い子じゃないよ?」

「良い悪いじゃなくて、相性の問題。じゃあ、今日はお互いに遅くなるのね」

 「それじゃ、わたしはここで」と、シュネーはハナの返事も聞かずに、特進コースのクラスの下駄箱へ向かって行った。ルシルの話題になると、いつもシュネーは聞く耳を持ってくれない。

「ルシルちゃん、ほんとに良い子なんだけどなぁ……」

「わたしがどうかした?」

「うわぁ!」

 不意に後ろから声をかけられ、ハナは悲鳴を上げながらその場で飛び上がった。振り返ると、不機嫌な顔のルシルと、苦笑いしたエトワールがそこにいる。ルシルは黒髪を頭の横でお団子にまとめ、前髪は長く、その隙間から険のある目つきが睨んでいる。

「あなたまだあの嫌味な高飛車女と付き合ってるの? やめたほうがいいんじゃない? あんなエリート意識の塊みたいなやつ」

「ちょっとルシル」

 シュネーに対して嫌悪をあからさまにするルシルを、エトワールが非難を込めて呼ぶ。しかし、ルシルはエトワールを見もしない。シュネーがルシルを嫌いなのと同じくらい、ルシルもシュネーのことが嫌いなようだ。

「えへへ、でも可愛いから。わたしのなかでは優勝」

 しかし、ハナは堂々とシュネーへの指示を表明する。シュネーもルシルもハナの大切な友達だが、どちらか一人を選べと言われれば、ハナは問答無用でシュネーを選ぶ。例えそれが片思いかもしれなくても。

 ルシルが呆れたようにため息をついた。その間隙を突いて、エトワールがすかさず話題を変える。

「今日の髪型も可愛いね」

「ありがとう。今日もシュネーのおかげだよ」

 ハナの言葉に、エトワールはおっとりと微笑む。顔を囲む艶やかな金色の髪が、その笑顔に後光のように光を添えている。その笑顔に接すると誰もが思わず笑みを返したくなるような、優しさを伝播させる力が彼女にはある、とハナは思う。

 昨日教室で分かれてから今朝再会するまでの他愛もない出来事を互いに喋りながら、靴を履き替えて教室へ向かった。教室でぱらぱらと「おはよう」と声をかけられるのに答えながら席に着く。三人の席は隣接していて、机に鞄を置くと三人はまた顔を突き合せてお喋りを続ける。

「二人とも、今日行くんだよね?」

 確認するように、ルシルが切り出した。

「勿論! ルシルも行くでしょう?」

 エトワールが答える。

「ええ、今日こそは捕まえたいやつがいるの」

「わぁ、ルシルちゃん積極的!」

 意気込むルシルに、ハナは「きゃあ」と歓声を上げた。

「エトちゃんも? 狙ってるやついるの?」

「そうねぇ……こないだ青いレアそうなのいたじゃない? あれ、いいなぁ、と思ってて」

「そういえばいたわね。でもあれ、競争率高そうじゃない?」

「だからこそやりがいがあるんじゃなくて?」

 エトワールはルシルに対して挑発的に言う。

「どっちが早く、今日の成果を上げられるか、競争しよっか?」

「はいはい、勝手にして」

 ルシルは勝負を受けるとも受けないないとも言わずはぐらかしたが、それは彼女にとって承諾のサインだ。エトワールが「やった」と小さくガッツポーズする。

「……ハナは、今日も本命狙いだよね」

「あったりまえ! 今日という今日は捕まえてやるんだから!」

 意気込むハナに、ルシルもエトワールも苦笑で応じる。

「何回目かな? ハナの挑戦」

「んー、初めて行ったときからずっとだし……五回目くらい?」

「今日で七回目」

「あはは。それだけハナが一途ってことだよね。確かにあのピンク色のやつ、綺麗だし」

「そうそう」

 ハナがエトワールに向かって頷くと、ルシルが「ふん」と鼻を鳴らした。

「あの高飛車女に似てるからでしょ」

「もうー、ルシルちゃんったらぁ」

 ハナが言い返そうとしたところで、ホームルームのチャイムが鳴って、教室内を移動する生徒のざわめきが大きくなる。ほどなく担任教師が教室の前のドアを開け、学校の一日が始まった。




 放課後、部活へ向かうクラスメイトたちが早々に教室を後にするなか、ハナたちはのんびりと荷物をまとめて席を立った。

「カマセンの抜き打ちテスト、ほんっと酷い~!」

「ハナ、数学苦手だもんね。昨日の授業も寝てたし」

「仮にも進学校で授業中寝る方が悪いでしょう……」

「お願い! 今度勉強手伝って! 今度の期末まじでやばそう」

 ハナは二人に向かって手を合わせる。対するエトワールとルシルは、互いに顔を見合わせ、無言のままに何事かを打ち合わせるとまたハナに視線を戻した。エトワールが口を開く。

「じゃあ、今日、ピンク色のあの子を見事ゲットできたら、ハナのために特別授業してあげるね」

「うっ……」

 突き付けられた条件に、ハナは思わず呻き声を上げる。

「それって、テスト勉強より難しいんじゃ……」

「でも、今日だってそのために行くんでしょう? だったら、どっちも成果を上げなきゃ」

「追い詰められたほうが、ハナもやる気になるんじゃない?」

 応援されているか貶されているのか、ハナは微妙な気持ちで頷く。だが、いままでの六戦全敗の敗因は、中途半端な気持ちで臨んでいたからかもしれない。だったら今回は、本気になるのに良い機会だ。

「よぉし、頑張るぞー!」

 ハナはやる気を籠めて、拳を天井へ向かって高く突き上げた。




 ハナたちは学校からスクールバスで最寄り駅まで出た。都会的な街並みに夜が来て、ネオンが一気に花開く。ビルの白い壁に大きく映し出された女性が高級ブランドのドレスを翻したり、家族がチキンを頬張ったり、また別なビルの壁面には、雪の結晶が舞う幻想的な風景が広がる。

 仕事帰りのスーツ姿の人たち、着飾ってデートに繰り出す大人な人たち、賑やかな家族連れなど、行き交う様々な人に紛れて、制服姿のハナたちは明るい目抜き通りを進んでいく。

「もうすぐクリスマスかぁ」

「まだ一ヶ月以上も先じゃない」

「クリスマスは、クリスマスを待つことも含めてクリスマスだから」

 冷たい空気も、三人が寄り添うとへっちゃらだ。ハナは、だからいまの季節が好きだった。身を寄せ合って、誰かと一緒にいるということを実感できる。

「着いた」

 ルシルが小さな声で言った。

 入り口を明るく照らす店が大半を占めるなか、その店は気を付けていなければ見逃しそうなほど暗く、間口も狭かった。重厚な木造風の扉を開けてなかへ入ると、壁面に蝋燭風の電灯を灯した狭い階段が地下へ続く。階段を降り、カウベルの付いた扉を開けると、突然、音が洪水のように溢れてきた。

 それは様々な鳥の鳴き声だった。スズメのように甲高く短い鳴き声から、フクロウのように低く長いトーンの鳴き声まで、いろんな音が混ざり合って坩堝と化している。

 そしてなにより目を奪うのは、森林のようなやや薄暗い照明のなかを、色とりどりの鳥たちが飛び交っていることだった。広大な室内全体に張り巡らせた枝状のオブジェの至る所に、オーナメントのようにとまる極彩色の鳥たち。

 室内は二つに仕切られており、手前はいまハナたちが鳥と共にいる場所、ガラスで仕切られた奥側が、バーカウンターや客席のあるエリアになっている。

 ここが、カクテルの美味しいお店だった。

「いらっしゃい、また来たのね」

 バーテンダーの衣装に身を包んだ女性が、三人の元へやって来る。紫色の髪をポニーテールにした三十歳前後に見えるこの女性が、この店の店主だ。

 店主はハナの顔を見て、艶っぽい笑みを浮かべる。

「今日こそは、あなたの腕に舞い降りてきてくれるといいわね」

 それから「ごゆっくり」と三人に告げて、店主は奥の部屋へ去って行った。ハナたちは鞄をクロークに預け、鳥たちが賑やかに会話する頭上を見上げる。

 鳥といっても、これらの鳥は本物ではない。「カクテル」と呼ばれる人造の鳥たちで、捕まえた鳥によって奥で提供されるドリンクが変わるという、エンターテインメントの色合いの強い店だった。勿論、どんな鳥を捕まえても、ハナたち未成年に提供されるのはノンアルコールカクテルのみだ。

「なにかレンタルする?」

 部屋の隅の箱を物色しながら、ルシルが訊ねた。箱のなかには虫取り網や麻酔銃、鳥の好む果物などが料金箱と共に並べられている。ルシルは麻酔銃を選んで料金箱に小銭を入れ、エトワールは虫取り網を手に取る。ハナはいつも、果物を選んでいた。

「銃を使えば難易度下がるのに……」

 ルシルはカクテルを飲むことよりも、銃で鳥を射止める瞬間が大好きなようで、腕前もこれまでの六回でめきめきと上達している。

「鳥を傷つけるなんて、やっぱり怖いじゃない」

 言い返したのはハナではなくエトワールだった。彼女の選んだ虫取り編みは当たり判定が広く、鳥によってはちょっと掠っただけで諦めて網のなかに転がってきてくれる。初心者向けのアイテムとも言える。

「ハナは、鳥と仲良くなりたいんだよね?」

 一方、果物は難しく根気がいる。果物を上げるために鳥に呼びかけて警戒を解いていかなければいけないし、油断していると狙ったのとは違う鳥が手に飛び込んできてしまうこともある。それでも、鳥と長い時間を戯れたいという「カクテル」ファンのあいだでは、強い人気のあるアイテムだった。

 ハナは、天井を走る枝を見回して、いつものピンク色の鳥を探す。その鳥は、ハナのすぐ頭上にいた。鳥のほうでもハナの存在をちゃんと認識しているのか、じっと彼女を見下ろしている。

「ルシル、今朝の話、忘れてないよね?」

「さあ? 勝手にしてって言ったよね?」

 エトワールとルシルが早くも目から火花を散らす。

「それじゃ、奥に集合で。頑張ってね、ハナ」

 エトワールはそう言って、獲物をロックオンした肉食獣のように素早くその場から動き出した。ルシルもハナに軽く手を上げてから、地面を這うように走り出す。

 ハナはその場に留まって、頭上の鳥と対面した。

「こんばんは。元気?」

 鳥はその場を離れず、首をもたげてハナのほうへ興味を示している。

 本来の鳥は声でコミュニケーションを取る生き物で、この「カクテル」にもそんな鳥の本能はコンセプトとして刻まれている。つまり、ハナから相手の鳥へ語りかけたぶんだけ、鳥のなかでハナに対する理解が生まれるのだ。

 しかし、先日店主から聞いた話では、このピンク色の鳥は、声によるコミュニケーションの難易度が相当高く設定されているらしい。そもそも、ルシルやエトワールのように、「カクテル」を狩りの対象とする人が圧倒的に多いのが現状で、声によって時間をかけてコミュニケーションを取るという方法は、どちらかというとマニアックな遊びに当たる。マニアックな分、このやり方は全体的に難易度が高いのだという。

 それならそれでもいい、とハナは思った。餌になるリンゴやレーズンを両手の平に捧げ持って、ハナは鳥に語りかける。ここ最近あった出来事、嬉しかったこと、悲しかったこと。

「今日もシュネーがとっても可愛かったよ。わたしはいっつも怒らせてばっかりだけど、怒った顔をいっぱい見られるのは、特権かなぁ」

 シュネーとは、いまの学校へ入ったのを機に一緒に暮らし始めた。その頃は、まだまったくの他人だった。シュネーはあの頃から可愛くて頭も良くて、見た目も学力もハナの羨望の的だったけれど、「可愛い」と言うとハナを睨んで、それから無言で顔を背けた。可愛いことと頭の良いことを、それを嫉妬する人たちにたくさん、たくさんからかわれて来たことを教えてくれたのは、一緒に住み始めた春から時を経て、夏休みに入った頃だったと思う。

『頭のいい女は鼻持ちならない、その顔で教師に媚びを売って成績を水増ししてるんだろうって、誰もわたしの努力を評価しない。わたしはわたしのこと、大嫌いだわ』

 シュネーが努力家で、毎日机に齧り付いて勉強していることをハナは知っている。外見を揶揄されながらも、年頃の子らしく肌や髪の手入れを怠らないところも好きだった。シュネーは自分のことを嫌いと言いながら、自分の目指す自身の理想像を決して崩さず邁進する。そんなふうに、逆境のなかで立ち止まらず進み続ける彼女は、本人がどれだけ否定しても美しいと思う。

 このピンク色の鳥を初めて見たとき、あの頃のシュネーに似ているなと思ったのだ。他者に対して頑なに心を閉ざした姿、それでも凜と美しい佇まいが知らずに人を引き寄せてしまう。

 あれから一年半、ルシルがシュネーを「高飛車」と評するようになったことを、ハナは内心で少し喜んでいた。高飛車でなにが悪い、とも思う。高圧的とも思える態度は、彼女が自分の努力を自信として発露できるようになった証左だ。顔を俯け、恐れの混じる視線で相手を見上げて睨むよりも、真っ直ぐ顔を上げて、相手を少し見下すくらいのほうがシュネーには相応しい。

「どんな態度でいたって、シュネーがとっても優しいことに変わりはないんだから」

 ハナが口から言葉となって溢れるままに語っていたそのとき、鳥がぱっと翼を広げた。淡いピンク色をした羽が、誰かさんの髪がなびくように見えた。

 そしてハナがはっと気が付くと、ハナが憧れ続けたピンク色の鳥は、ハナの手の平に足を乗せて、その手から果物を啄んでいた。

「わっ」

 歓声を上げそうになって、鳥を驚かせるといけないと思い直して慌てて声を喉の奥に引っ込める。しかし、そんな心配は無用だった。

 あるだけの果物を食べきった鳥は、体をきゅっと丸めると、どういう原理なのか小さな丸い小瓶にその姿を変えてしまった。なかに赤色に近い濃いピンクの液体が詰まった小瓶がハナの手の上で揺れる。

「え、やったの? わたし」

 ハナはぱちぱちと目を瞬かせながら小瓶を指先で拾い上げ、目の前に翳した。しばらくぼんやりしていたが、これで終わりではないと気が付いて、慌てて隣の部屋へ移動すると、バーカウンターへ早足で向かう。カウンターの奥で、紫髪の店主が迎えてくれた。

「見てたわよ、おめでとう。あの子、警戒心がすごく強くて、まだ餌で釣って捕まえた人はいなかったんだけど、あなたの熱意が伝わったのね」

 「小瓶をお預かりします」と言われ、ハナは震える手で「カクテル」の小瓶を店主の手に載せた。店主は小瓶の閉ざすコルクを開けると、シェイカーのなかにピンク色の液体を垂らす。シェイカーのなかにはあとなにが入っているのか、ハナにはまったくわからない。

「ハナ!」

「ついにゲットしたのね」

 後ろからエトワールとルシルがやって来て、ハナを挟むように両側に立った。その手には既に成果物のグラスを持っている。エトワールはタンブラーに鮮やかな青い色が南国の海を醸し出し、ルシルは繊細なカクテルグラスにチョコレート色の液体と白いホイップクリームの二層が美しい。

「おめでとう。これで心置きなく乾杯できるわね」

「ハナの分ももう一羽狩れるかなって、今日も楽しみにしてたんだけど」

 両側から二人が賑やかに話しかけてくるが、ハナはぎこちなく頷いて応じることしかできなかった。七回目の正直が、まだ胸に染みこんでくる途中のようだった。

 店主がシェイカーを鮮やかな手さばきで振り出すと、カラカラと氷の鳴るような音が聞こえた。シェイクが終わり、シェイカーから注がれた液体は、小瓶に入っていた透明に近い色ではなく、白く濁った色に変わっていた。

「はい、お待たせしました」

「あ、ありがとうございます」

「ピンク・レディー」

「はい?」

「その『カクテル』の名前ですよ」

 店主が、口紅を引いた口元をすっと横に広げた。

「良かったですね」

 そして、ハナがその言葉の意味を訊ねる前に、店主は別の客に呼ばれて花たちの前から去って行った。目の前には、細い脚の優美な佇まいのカクテルグラスが、控えめな照明をスポットライトのように浴びて艶々と輝いている。

「ね、乾杯しよう」

 エトワールが言って、二人がそれぞれのカクテルをカウンターの上に置く。ハナが自分のカクテルを手元に引き寄せると、三つのカクテルグラスが三つ並んだ。

「あ、写真撮っていい?」

「そうだ、忘れてた」

 スカートのポケットから携帯端末を取り出す二人に合わせるように、ハナも手を動かして自分の携帯端末を開いた。写真を撮るふりをして、メーラーを起動する。送信履歴の一番上は、いつも決まってシュネーだ。

 画面をフリップして短く文字を入力し、間髪入れず送信ボタンを押して端末を仕舞い込む。

『明日、なに食べたい?』

 三人で賑やかに乾杯して口に含んだカクテルは、柑橘の甘く爽やかな香りがして、それからほんの少し、ほろ苦かった。

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