第13話 樹洞――魔女の子、求めるは光

 シュネーを見送ったハナは、暗闇のなかに一人佇んでした。彼女の背中を、家の窓越しに差すオレンジ色の明かりがぼんやりと照らしている。明確な光といえばそればかりで、夜空には星空が広がるが、森は圧倒的な暗闇となってハナを取り囲んでいた。

(家に戻らなきゃ)

 夜の森は危険だ。それに、いまのハナは安住の我が家の温かな空気と光のなかで、寂寞が募る心を慰めたかった。

 しかし、ハナが踵を返しかけたとき、湖のほうからきらりと光るものが見えて、思わず足が止まる。

「あれは、浮き島?」

 夜の湖は、夜空の月や星のわずかな光を波に写し、ちゃぷちゃぷと小さな水音を立てている。桟橋に舫う小舟の軋む音が、時折混ざった。

 普段なら夜には見えなくなる浮き島に、青白い光が灯っていた。こんもりした島影が中心から発光して、黒いシルエットとなって湖の中央に浮かび上がっている。

「星の子だわ」

 ハナは直感した。古木の翁の元に預けてから、まだそれほど日が経っていないはずだが、なにかあったのだろうか。空へ飛び立とうとしているようにも思えたが、それにしては星の子の光はあやふやで、弱すぎる。ハナが以前に見た、星の子が空へ打ち上がる瞬間は、まるで太陽が地上へ降りてきたかのような、直視できないほど強い光が周囲一面を染め上げたのだ。あの光に比べれば、まだあの星の子はさほど力を蓄えられてはいないように見える。

「なにかあったのかなぁ……行ってみよう、ムニン」

 ハナはいったん家へとって返し、手提げのランプを持ち出して家の鍵を閉めると、肩に留まるムニンを伴って桟橋のほうへ向かった。

「人魚ってどこで眠るのかしら? 水の底のほうで寝ていてくれたら、星の子に気付かないでいてくれそうだけど……」

 あの人魚の女性が、いつまでこの湖に滞在しているのかもハナはよくわからない。ハナになにも言わずに、湖底から海へ通じる道を海へ帰ってしまっているとも限らないのだ。それはそれで人魚にとっては良いような、でもハナにとっては寂しいような、複雑な気持ちではあるが。

 それよりも、いまは星の子だ。

 ハナはランプの明かりを頼りに舫い綱を解くと、星の子の光を頼りに浮き島へ向かう。夜の湖へ漕ぎ出すと、広大な海に一人放り出されたように感じる。普段は見えている岸辺が見えず、夜空と地上の暗闇の境界すらも溶け合って、自分の姿もその空間へ溶け出してしまいそうだ。

 暗闇は怖い。闇の中では、ランプの明かりと星の子の導く光が、かけがえもなく大切なものだった。

 ムニンは相変わらず舳先にとまり、見えているのかいないのか、ハナに背を向けて湖の進行方向を眺めている。カラスは夜目が利かないはずだが、彼女はカラスという生物である以前に魔女の使い魔なので、そちらの性質が優先されるはずだった。使い魔としてどこまでの能力を持っているのか、ムニンが喋れないので完全に把握しようもないが、恐らく夜目は多少利くのだろうとハナは思っている。もしくは、それに準ずる感覚器官でなにかを知覚しているのかもしれない。

 櫂が水面を撫でて上がる水音と、小さな波が小舟の胴を叩くぽん、ぽんという鈍い音が、夜の静寂のなかでハナの耳を支配する。



 浮き島に上陸したハナは、ランプを掲げて森の中へ分け入っていく。前方上空から、まるで招くように青白い光がハナのほうへ差し込んでいるおかげで、高い水草のあいだを潜るのにも、足元の木の根を避けるのにも苦労せずに歩を進められた。

 ほどなく、古木の翁の前に辿り着いたハナは、その見事な枝振りの老木の上のほうに、星の子の光源を見つける。

「長老、夜分に失礼します」

 ハナは古木の翁に挨拶するが、返答はない。夜は木々も眠ってしまうのだ。

 星の子は枝のあいだに留まって輝いている。少しでも空に近い方へ向かいたいという本能があるのか、はたまた、仲間の浮かぶ夜空を眺めようと思い立ったのか。

「ねえ、大丈夫?」

 試しに声をかけてみるが、当然のように星の子は語らない。

 ハナは古木の翁の幹に腰かけて、一時間ほどじっと星の子を観察してみた。ムニンに傍まで寄ってもらって異常がないかも見てもらったが、彼女の所見では「異常なし」だった。

 時刻は深夜を過ぎている。一時間を過ぎたあたりで、ハナは次第に眠気を堪えられなくなってきた。

「今夜のところは、きっと大丈夫だよね」

 自分を納得させるように呟き、眠い目を擦りながら立ち上がると、吸い寄せられるように古木の翁の胴体に空いたうろの中へ入り込む。星の子がしばらくそこにいたのだろうか、洞のなかにはほんのりと温かな熱が籠もっていた。

 ハナは風が直接当たらない奥のほうを選んで腰をおろし、ランプを地面に置く。

「暖めて」

 ハナはランプに短く命じて、ローブのフードで頭を覆ってから体を横たえた。ランプに体を向けて、胎児のように丸くなる。フード越しに乾いた落ち葉のかさかさと鳴る音と土の匂いがする。

 ハナを追ってきたムニンが入り口のほうから滑り込んできて、ハナの心臓に近い地面に静かに舞い降りる。ぴょんと一歩跳ねてハナに近付くと、ぴたりと身を寄せる。

 そんなムニンに、ハナは「ふふふ」と微笑んだ。

「昔を思い出すねぇ、ムニン。今年はなんだか、いつもよりずっと昔のことを考えてる気がするよ。歳を取ったのかな?」

 こうした静けさに包まれた場所で、ムニンと身を寄せ合って過ごしたことがあった。思い出しても無味乾燥な虚ろな日々の思い出なのに、妙に胸に残って離れないのは、あの日々が、いまのハナの始まりだからだろうか。

 あの、すべてが崩れ去った廃墟の荒野は、世界の終焉の姿であり、始まったばかりのまだなにも芽吹かない原野そのものだった。

 ハナはかつてその場所を、ムニンと一緒にあてどもなく進んでいた。

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