032 覚醒の飛竜

 立ち昇る蒼光が、暗雲差し込める荒地を鮮やかに照らし出す。絶望に支配された戦場で、人々の心に活力を湧かせる希望へのかけはし


 そんな空の下、無軌道な光の軌跡が幾度も衝突し、弾き合い、鎬を削る。カーレルの剣と竜の爪が幾重にも交錯、スパークが巻き起こり互いを押しやる。


 全身に無数の裂傷を負ったカーレルは荒い息を吐くが、それは相手も同じ。牙の半数はへし折り、片目は先程の攻防で潰した。


 しかし相手には高い再生能力が備わっている。なお獰猛に、苛烈に戦場を駆ける偉力は健在だ。


 フォボスを踏み潰し、アルギュロスの隊員を蹂躙してゆく。放置すれば、それだけで甚大な被害が発生することは明白。


 ヒュドラルギュロスの隊員として、元アルギュロスの隊員として――


「お前の存在は、看過できないな」


 言葉の意味を理解した訳ではないだろう。しかしそれを契機として、かの存在は再動する。


 地を這う獣のように俊敏に駆け抜ける駆竜、追尾するカーレルが蒼い閃光と化した。


 刃と爪牙を交えながら、以前の戦闘をつぶさに思い返す。


 部隊のエースと持て囃されて調子に乗った挙句、殺されかけた。無意識のうちに高くなっていた鼻をへし折られたのだ。


 フェルトがいなければ、カーレルは今この場にいなかっただろう。挙句の果て、方々に心配や迷惑をかけ、上司には落第者扱いされる始末。


 もう二度と、無様な姿を仲間たちに見せる訳にはいかない。今の己には、背中を追ってくる若人たちがいるのだから。


 そのために過去の自身を乗り越える、因縁に決着をつける必要があるのだ。


「お前はオレが、この場で必ず仕留める」


 固く自身へと刻み込んだ誓約。主の意思に呼応するかのように、カーレルの剣がより深い蒼に染まってゆく。


 乱れた呼吸を整えて剣を下段に構え、低い姿勢で近接。


 駆竜が強靭な四肢を撓め、跳躍する。落下の勢いを上乗せした前肢が地盤を砕き、放射線状にめくり上げた。


 破砕音が轟き、粉塵が爆風さながらに舞い上がる。だが、その下にカーレルの姿はない。


 隆起し、浮き上がった岩盤を足場に駆竜の直上を取り、


「これでっ!」


 裂帛の咆哮に、斬撃が重なった。


 竜角が突き上げられ、蒼剣との間に擦過光。弾かれた勢いを利用したカーレルは身を翻して地面に着地。竜の首筋に三連撃を放つ。


 しかし最後の一撃が牙に咥えられ、剣を基点にカーレルが――投げ飛ばされた。


 咄嗟に獲物を手放したものの間に合わず、受け身が取れない。


「――か、はっ」


 背中から大地に叩きつけられ、臓腑の空気を強制的に排出させられ――同時に喀血。


 辛うじて起こした満身創痍のカーレルに、濃い影が振り下ろされる。膝を突いたまま咄嗟に腕を交差させ、押しつぶしにかかる前肢を受け止めた。


 だが質量差は如何ともし難く、じりじりと体勢を潰されてゆく。横合いから竜の首が覗きこむように、哀れな弱者を睥睨する。


 ピキリ、と微かだが決定的な破壊の音が聞こえ、



 ――奪い取られたカーレルの剣が、噛み砕かれた。


 

 破片と成り果て、荒れた大地に蒼鋼が散る。落下の衝撃で残った柄が跳ね、カーレルの足元に転がった。


 獲物を失った敵対者目がけ、竜がゆっくりと咢を近づける。口腔にはチロチロと明滅する煉獄の蒼焔。


 半ば陥没した地面に埋まり、カーレルに逃げ場はない。まさに、絶対絶命の危機だった。


「――ふっ、ははは」


 しかしその中で、カーレルの口元には小さな笑みが浮かんでいた。


 ランディやレイチェルに命を大切にしろと焚きつけたばかりだ。そんな自分が、性懲りもなくまた危機に陥っている現状はさぞ滑稽に映るだろう。


 戦場に立ち昇った光の柱。確証はない。だがあの光は、ランディとレイチェルが引き起こした現象だ、と。そう、なんとなくだが理解していた。


 思えば彼らと交流した時間は短い。


 初対面の頃から食ってかかってきた、蒼銀竜の眷属たち。しかし共に過ごすうちに人となりを理解し、歩み寄ることができた。


 そして――フェルト。特異な生い立ちから蒼銀竜ヒュドラと疎まれ、しかし街を守るために戦い続けた少女。


 強大な力を持っているとはいえ、フェルトは一人の女の子でしかない。華奢な己の中に、大きな重荷を抱え続けてきた少女。


 語らった夜に、その過去を、境遇を、受け止めると誓った。感情の箍を外させたのは、外ならぬカーレル自身ではないか。


「本当に、オレは約束だらけだな」


 浮かんだ笑いが苦笑に転じる。


 中でも己が最も渇望する、エメラルドの瞳の少女との再会。あの瞳をもう一度見つめたい、あの眼差しに――もう一度見つめられたい。


 人生の半分以上を費やしてなお、果たせてない宿願。であれば、こんな処で、倒される訳にはいかない。


「こっちはいっぱい背負っているんだ。こんな処で、やられてやる訳にはいかないんだよ」


 血に濡れた呟きが漏れる。震える拳を固く握りしめ、爪が食い込んで血が溢れ出す。


 高まる感情に呼応し、体内のヒュドラ因子が活性化。カーレルの血が、どこまでも深く鮮烈な蒼に輝き出した。


 折れていた膝が、軋みを上げつつも力を取り戻す。


 徐々に、徐々に腕を押し返して腰を上げてゆく。変化を察知した駆竜が圧力を高め、残った瞳でカーレルを睨み返す。


 拮抗の後、気を図ったカーレルが横合いに身を投げた。


 足元に転がる剣の柄を手に取り、竜の拘束を脱出。迫る爪を寸でのところで躱し、砕けた刀身に己が血を振りかける。のしかかってくる敵の体躯を蹴り飛ばして側方に逃れ、地面に手をついた。


 屹と視線を上げ、半身のまま右腕を駆竜へ向けて伸ばす。柄頭を宙に向け、砕けた刀身が地を向く。


 掌から滴った血が柄を伝い――



「飛翔せよ――〈ファーレイク〉っ!」



 蒼刃と化す。


 レイチェルの元奏杖アンフィス同様に、実体を持たない元奏の刃。蒼く輝く刀身は、緩やかに反り返る細身の片刃剣だった。


「……なるほどな」


 切っ先を上へと転じたカーレルは、得心した。以前に聞いた、武器に名前をつけると愛着が湧くと言う少年の言葉を思い出す。


 正直、話を聞いた当初は半信半疑だった。だが今は、この武器が文字通り自分の一部であるかのように感じられる。


 心強い相棒を一閃し、異形の動きを見据え。


 悪戯な突風が吹き抜け、それを契機に両者が再激突した。


 投擲岩盤とブレスの弾雨を掻い潜り、迎撃し、カーレルの進撃は稲妻の如く。応じきれない攻撃が体を擦過。コートが襤褸となり果て、全身に裂傷が刻まれる。


 だがそれを代償に駆竜と距離を詰め、


「――流舞蒼輪りゅうぶそうりん!!」


 元奏の刃が四度閃く。


 突き出された敵の右腕を半ばまで断ち切り、左腕に深い裂傷を刻む。絶叫を上げたフォボスが左腕を振り抜き、カーレルを轢き潰しにかかる。


 斬光が交差し、敵の鋭い爪がカーレルの肩口を深く抉った。それを代償にカウンターで左腕を断斬した刃は指揮棒タクトのように翻り、


「はぁっ!」


 駆竜の真下から、刃光が立ち昇った。


 噛み砕かれた刀身――竜の刃は、。カーレルの血を浴びた鋼はより深い蒼に染まり、それ自体が発光する。


 剣片から、元奏の刃が展開。カーレルの剣筋に添うように、剣片がひとりでに宙へと舞い上がった。


 砕けた刃が連なって形を変えてゆき、


「――竜飛蒼閃りゅうひそうせん!」


 駆竜へと無秩序に殺到。想定外の衝撃を受け、巨躯が恐れたように戦慄く。


 カーレルの脳裏に、進化した相棒の使い方が直感的に浮かんだ。自身の思い通りに空を駆ける、九頭の刃。


 その名は――


「――〈蒼竜爪オニュクス〉、だな」


 虚空を一閃。展開した刃が蒼の粒子を散らし、夜闇に縦横の蒼閃を刻む。


 残っていた異形の右腕が脱落し、バランスを崩して地に伏せる。苦し紛れのドラゴンブレスが拡散状態で放出されるも、


「――蒼竜爪オニュクスっ!」


 飛翔する斬撃が間に割り込み、その悉くを斬り散らす。強度を高めた剣片を自在に操り、放たれる閃光を防御したのだ。


 竜が無理やり藻掻こうとするものの、カーレルがそれを阻む。


 竜爪が飛翔し、反転。空高々と雷光の尾を曳いた剣片が降り注ぎ、駆竜を大地へと縫い止めた。


 藻掻く竜の隻眼に、カーレルの姿が迫る。無理な体勢で迎撃する竜角。応じる真っ向からの斬撃。


 届いた刃は――カーレルのものだ。


 切っ先が竜の頭部を半ばまで断ち割り、角撃がその眼前で止まる。



 刹那の静寂。


 

 身を翻し、薙ぎ払われた蒼竜剣ファーレイクが弧を描き。斬断されて高々と舞った、竜の首。


 頭部を喪った体躯が身じろいで大地に頽れ、端から塵と解け始めた。


「……なんとか約束は守れたか」


 強敵の最期を看取ったカーレルは詰めていた息を吐き出し、顔を顰めた。その場に蹲り、膝を突く。


 全身に負った裂傷に打撲、軽くない火傷、極めつけは肩口を深く抉られているのだ。前回同様、ヒュドラの因子がなければすでに命を落としていただろう。


 周囲に展開していた蒼竜爪オニュクスを近くへと呼び戻す。砕けた剣片が連なって刀身を成した。試しに意識を集中させると、再び剣片と分かれて周囲を飛び回る。

 幾度か繰り返して感覚を掴み、


「……便利だな」


 中・長距離の攻撃手段を持たなかったカーレルにとって、使い勝手のいい変化だ。慣れてくると、もっと多彩な戦い方ができるようになるかもしれない。


 そんなとき、竜の遺骸に変化が訪れた。斬り飛ばしたフォボスの竜角、それがひと際大きな光を放ち出したのだ。


「……なんだ?」


 警戒するカーレルを尻目に変化は明確なものとなる。竜角が粒子と転じ――ファーレイクに吸収され始めたのだ。


「おい、ちょっとっ!?」


 カーレルが困惑の声を上げる。刀身を引き離しても、粒子は吸いついて離れない。


 やがて竜角が全て相棒ファーレイクへと吸い込まれ、同時に竜の体躯が風へと還る。蒼竜剣の刀身が一回り厚くなり、より洗礼された形へと変化していた。


 残されたのは呆然とした表情を浮かべるカーレルのみだ。


 今まで体験したことのない、珍事。ハッと我に返り、周囲を素早く見渡す。


 他の目撃者は皆無。しばらく悶々と逡巡し、


「……戦利品と思って、何も見なかったことにしよう」


 カーレルは考えるのを投げ出したのだった。

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