003 ヒュドラと呼ばれる少女

 ミーティングが終わった後にレイチェルも退出し、カーレルとフェルトのみが残された。


「フェルト隊長」


 カーレルは自身の命を救ってくれた隊長へと改めて向き直る。ヒュドラルギュロスを率いる人物であり、同時にこの街のでもある少女。


 だが、カーレルがフェルトの権能によってあの場を永らえたことは、紛れもない事実だ。感謝こそすれ、拒絶することはない。


「カーレルさんはわたしより年上ですので敬語は不要です。わたしのこともフェルトと呼び捨てにしてください」


 確かに事前資料ではフェルトの年齢は一七となっており、一九のカーレルよりは年下だ。


「ですが」

「カーレルさん」

「……わかった。これでいいか、フェルト」

「はい、それでお願いします。カーレルさん」

「……そっちは変えてくれないんだな」


 少女は「えーとですね」と顎に指を当てて上を向く。爛々と輝く紺碧の瞳を楽しげに揺らし、何かを思いついたように軽く手を叩き、


「はい、わたしはこの話し方に慣れていますので」

「……納得いかない」


 明らかにその場で考えつきましたという言葉に、小さく肩を落とす。


 マイペースを保ち、掴みどころのない話し方をするフェルト。これまでの人生で、カーレルはこのようなタイプの人間とは関わりはない。完全に会話の主導権を握られてしまった。


「ふふっ、そうですか」


 悪戯が成功しましたといったように目を細めるフェルトは小さく咳払いし、


「カーレルさんはあのときのことを、どこまで覚えていますか?」

「……助けられたときのことなら、ほとんど意識を失っていて、全然覚えていないんだ。オレは何か変なことを言っていたのか?」

「……いえ、特にそのようなことは……」


 微かに目を逸らし、自身の唇へと指を当てるフェルト。


 意図を図り切れないカーレルを他所に少女は小さく頭を振り、


「改めまして、この部隊には慣れましたか?」

「……君は存外に意地が悪いな。さっきのやりとりを見て慣れたと思うか?」

「いえ全然」

「じゃあ聞くなよ……」


 なお大きく項垂れるカーレルへと、少し困ったような笑顔を見せたフェルトは、


「それにしても、カーレルさんはわたしたちへの偏見があまりないように感じられますね」


 ヒュドラルギュロスの評判は、主に悪い方で有名だ。


 特に当たりが強いのは、華々しい戦果を面白く思わないアルギュロスからの視線。ランディたちの反発も、元を辿ればそこへと繋がる根の深い問題だった。


 少女の疑問に、カーレルは前髪を弄って考えるそぶりを見せ、


「それは副長の影響もあるし、君に命を助けてもらった恩もあるからな。それに……」

「それに?」

「……いや、何でもない」


 曖昧に誤魔化したカーレルは、幼少期の記憶を思い返す。ほんのひとときのみ関わった、とある少女との大切な想い出。それをきっかけに、むやみやたらと他者を蔑むことを避けるようになっていたのだ。


 フェルトは「そうですか」と仔細を追求せず、


「ヒュドラルギュロスが――いいえ、わたしヒュドラが人々からよく思われていないのは理解しています。実際わたしは〈元奏術げんそうじゅつ〉の才能があったからこそを免れた訳ですから」


 本来蒼銀竜ヒュドラとは、フェルト個人の特異体質を指す異名である。そんな『特異点』とされた少女は、稀有な才能を示した。


 この世界の根源物質たる元素に干渉し、事象として顕現させる術式体系――元奏術。人が体内に持つ〈元奏核げんそうかく〉を触媒として発動する術式である。フェルトは、街で右に出るものがいないほどの元奏術師だった。


 高度な術式を容易に紡ぐ制御能力と、莫大な体内元素保有量。出向いた戦線で多大な戦果を残し、同時に畏怖されたという戦場の支配者。


 特異点を以てフォボスを制す。伝承に登場する毒水竜になぞらえて、やがて少女につけられた渾名が、蒼銀竜ヒュドラ


 ヒュドラルギュロスは、そんなフェルトを中心とした独立部隊であった。


「ですが、この先は同じ部隊の仲間として戦っていくことになります。あの子たちも悪い子ではありません。元々の確執は承知していますが、なるべく早めに解消してください」

「……それは隊長としての命令か?」

「いえ、同じ部隊に所属する仲間としてのお願いです」

「……了解」


 そもそも今は、こちらが歩み寄りの姿勢を見せても向こうから拒絶されるという状況だ。難しい課題だと頭を抱えるカーレルに、


「あら、この様子では期待できませんね」


 フェルトが楽し気な面持ちで、渾名の通りしれっと毒をく。


「じゃあどうすればいいんだよ」


 調子を乱されて唸るこちらを他所に、金髪の少女はあらあらと嬉しそうに笑う。


 ペースに呑まれっぱなしの状況に辟易したカーレルは話題を切り替えるべく、


「はぁ、とにかく基本的なことを確認させてもらいたい。この部隊の編成は?」


 部隊に編入されるにあたって、一通りの資料には目を通してはいる。だが関わりの薄かったカーレルは噂話以上にここの多くを知っている訳ではない。確認ついでに隊長本人の口から話を聞いておけば間違いないだろう。


「はい。まずわたしが後方から術で攻撃しつつ、部隊全体の指揮を執ります」

「妥当だな。全体指揮は任せたぞ、隊長」


 先程のやり取りで、仲間ふたりから歓迎されていないことは容易に想像できる。ここは素直にフェルトの指揮下に入るのが賢明だ。


「はい、任されました。その分カーレルさんは前で暴れてください」

「ああ、そっちは任された」

「となりますと、カーレルさんと前衛を務めるのは槍使いのランディです」

「……一気に不安になってきたんだが」


 この部屋に入った折、最初に睨みつけてきた少年。向けられる瞳には、カーレルに――アルギュロスに対する激しい怒りが滲んでいた。


「まぁまぁ、そこは徐々に、ですね。もうひとりの女の子――レイチェルは装備の特性上、近距離から中距離、場合によっては長距離での戦闘に対応できます」

「〈元奏杖エーテルスタッフ〉だったか。最近運用され始めたという」

「はい。近接、射撃とオールラウンドな使い方ができる〈元奏機関げんそうきかん〉の武器です」


 元素を取り込んで起動する、術式を組み込まれた駆動機関――元奏機関。水を生成し、火を起こし、乗り物の動力や照明にも応用される技術だ。古代技術を解析応用されたそれらは日常に欠かせない要因となっている。


 元奏杖はその一種で、長距離・近距離対応の術式が組み込まれた兵装だった。


「今までは実物を見る機会がなかったからな。本番でじっくり見物させてもらうさ」

「はい。それとあの子は人一倍アルギュロスの隊員を嫌っています。後ろから撃たれないように気をつけてください」

「……一応聞いておくけど、冗談だよな?」

「ふふふ」

「……しっかり部下の舵取りをお願いします、隊長」


 この先生き残ることができるのだろうかと、カーレルの内心に不安が押し寄せてきた。


 そんなこちらの心情などお構いなしに、フェルトがのほほんとした態度で、


「ともかくカーレルさん。これからよろしくお願いしますね」

「ああ、こちらこそよろしく頼む」


 ようやく再起動したカーレルは、苦笑を浮かべたままフェルトと握手を交わし合い、


「……ホントに頼みます」

「あらあら」

「……不安しかない」


 ちょっと早まったかと微かな後悔を抱くのだった。

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