第4話 それができねえ奴は一昨日来いッ!

「……疲れたのだ……」

「そりゃ疲れるだろ。あんな不良たち相手にすりゃぁさ」

 げんなりと肩を落とす佳代と、そんな彼の隣を歩きながら空を見上げるきざし。春風がアイボリーブラックのふわふわ髪とグロッシーブラックの髪を揺らして吹き過ぎてゆく。駅とは反対方向、佳代の家がある方向に歩いていく二人の背後に、幾つかの足音が重なって響く。

「――ッ!」

 刺すような気配が首筋を掠め、兆は思わず振り返った。佳代を守るように片手を伸ばし、三白眼に宿る視線を強める。その視線の先には、二高の制服を纏った数人の男子生徒。ニタニタと下卑た笑みを浮かべる彼らの視線の先にいるのは、兆ではなく――。


「なんだ? 僕に何か用なのだ?」

「能天気かッ! 佳代逃げろ、あいつらの狙いは多分お前だッ!」

「てめえは黙ってろよキザッシー。キミには用なんてねーの」

 一段のリーダー格と思われるプリン頭の男子生徒が、下卑た笑みを浮かべながらバキバキと指を鳴らす。サッと拳を構える兆を制止するように片手を伸ばし、佳代は静かに口を開く。

「落ち着くのだ、兆。すぐ喧嘩に持ち込むんな。まずは平和的解決を図るのだ」

「それができりゃ苦労はしねーよッ!」

「それで何の用なのだ? 話なら聞くぞ」

「だから佳代ッ!」

 兆の制止も聞かずに不良たちに一歩近づく佳代。対し、リーダー格のプリン頭はニヤリと笑みを深め、片手を差し出す。

「……?」

「お前、クラスほぼ全員に焼肉奢れるくらいには金あるんだよな? 今オレたち金なくてさー、ちょーっとお小遣い欲しいわけ」

「ふむ。いくらだ?」

「んー、ざっと1万?」

「はぁ!?」

 提示された金額に、兆は思わず絶叫した。下町のビル群の隙間に叫び声が木霊する。彼は佳代の制止を振り切り、一歩前に出た。

「ふざけんな! そんな大金、高校生から巻き上げようっつったって……そんなこと許されるわけねえだろ!」

「許されたらどーすんだよ。調子乗ってる編入生にはヤキ入れてやんねぇと。見た感じ、不良絶対辞めさせるマンっぽいし?」

 困ったように両腕を広げ、プリン頭はニヤニヤと下卑た笑みを浮かべる。そして空気が流れるように、何気なく言い放った。

の目に触れる前に、大人しくさせなきゃなんねえよなぁ?」


 ――ぶちり、と何かが切れる音がしたような気がした。


「……じゃねえ」

「ん? 何言ってるか聞こえないなー」

「ふざけんじゃねえッ!!」

 声帯がびりびりと震える。佳代の制止を振り切って駆け出し、兆はプリン頭の頬骨を全力で殴り飛ばした。どこかの商店の閉じたシャッターに背中が当たり、派手な音が響く。呆然としたような視線が彼を貫く中、彼は三白眼を大きく見開いて叫んだ。

「圭史さんを馬鹿にすんじゃねえ! あの人は正義の不良だ、そんな下らねえ理由で佳代をボコすわけねぇだろ! テメェらも『ライドラ』のメンバーなら、チームのリーダーを信じるくらいしやがれ! それができねえ奴は一昨日来いッ!」

「……や、や、やったなテメェッ!」

 プリン頭の絶叫が裏返る。彼はシャッターを揺らして立ち上がり、兆に向かって走り出した。同時に周囲の不良たちも兆を取り囲み――しかし、兆の三白眼がギラリと光る。彼は紺色のスラックスに包まれた脚を伸ばし、勢いよく廻脚を放つ。まず一人を薙ぎ倒し、彼の脚を掴んで――何度か反動をつけたのち、勢いよく彼の身体をぶん回した。最早武器と化した不良に薙ぎ払われ、竜巻のように空を薙ぐ音が響く。春の空に悲鳴が響き渡り、次々と不良が地を舐めていく。

「ジャ……ジャイアントスイング、だと……!?」

「これがキザッシースイング……一人への攻撃を起点に放つ集団戦専用の破壊力ばつ牛ンのコンボ……流石は『ライドラ』で中堅に上がるくらいの実力はあるぜ……」

「はっ。一昨日来やがれ……行くぞ、佳代」

「えっ、きっ、兆!」

 ようやく我に返ったように彼の後を追う佳代、そのままドラムロールの如き足取りで兆の前に回り込み、どこか嘆くように口を開く。

「何故なのだ……何故、あんなことをしたのだッ!?」

「だってそうだろ!?」

 どこか涙が滲むような声に、佳代ははっと目を見開いた。三白眼を泣きそうに細め、彼は土砂降りの雨のような声を響かせる。

「憧れの人を、誤解されて……侮辱されて……許せねえよ。俺は……」

「……」

 だからって、と言おうとして、喉がひくついた。兆の声はどこか泣きそうに震えていて、その目元はひどく辛そうに歪んでいて。だけど――否、だからこそ放っておくわけにはいかなくて、佳代はそっと言葉を投げかける。

「……話なら、聞くぞ」

「うるせぇよ……ちょっと、一人にさせてくれよ」

 そう言い放ち、兆は足早にその場を去ってゆく。最後に見えた横顔は唇を噛みしめていて……アーモンド形の瞳を揺らしながら、佳代はその後ろ姿を眺めることしかできなかった。



「……ただいま」

 返事なんて期待しないまま、ぼそりと声をかける。ボロアパートの一室は今日も暗い。玄関の電気をぱちりと点け、深く溜め息を吐く。春のくせに風がひどく冷たく感じて、兆は無言でドアを閉めた。靴を脱ぎ、ダイニングに入る。テーブルに置かれた五百円玉を見つめ、唇を噛みしめた。ひどく散らかった部屋、開けっ放しの冷蔵庫。その中を覗き込むと、例によってビールでいっぱい。夕食はいつもの五百円玉。

「……本当、やめてくれよ。親父……」

 思わず呟きを漏らし、兆は冷蔵庫の扉を乱雑に閉めた。バタンッと派手な音が響く。わかっている……父が自分を愛してくれていないだなんて。母の連れ子である自分を、母が死んでしまった今は、もう。

 ……先程誰かを殴り飛ばした拳が、じんじんと痛む。



「ただいまなのだ……」

「あぁ、お帰り」

 リビングに通じる扉を開けると、アイボリーブラックのフェザーマッシュ頭が振り向いた。ソファに座ったまま顔だけを動かし、佳代とよく似たアーモンド形の瞳が瞬く。佳代よりも大人びた顔立ちをした青年の隣に腰を下ろし、彼は深く溜め息を吐く。

「……しゅん兄。なんというか、どうすればいいのかさっぱりわからないのだ」

 佳代の脳裏を満たすのは、唇を噛みしめた兆の横顔。顔を伏せる佳代に、舜と呼ばれた青年はふっと目を閉じる。

「……何があったんだ?」

「兆が……不良になってたのだ。人を殴るような奴になってしまっていたのだ。しかも、いつまでもウジウジしているような気概のない奴になってしまっていたのだ……あんなかっこ悪い兆の姿なんて、見たくなかったのだ。辛いのだ……どうすればいいのか、わからないのだ」

 大きな感情を絞り出すような声に、舜はそっと目を開いた。弟の方に視線を向け、静かに口を開く。

「今は迷っていい。時間はまだあるからな。……ただ、後悔しない選択をしろよ」

「……舜兄……」

 舜の声はどこか神託のように響いて、佳代はゆっくりと顔を上げる。脳裏に幼馴染のかつての笑顔を描き、口を開いた。その表情が太陽のような笑顔に満たされ、舜はふっと微笑む。

「……僕は兆に、昔みたいに笑ってほしいのだ。そのために……兆を縛っている何かから、解放してやるのだ!」

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