第40話 心の支え

「嘘よ!」


 ゴスロリの子が叫んだ。


 ハッと我に返り、声を出すなという指令を破ったことを悔やんでいる様子だが、こうなったら一緒とばかりにまくしたててくる。


「合成なんでしょ、その音声。そりゃあ、あたしはクズよ。それは認める。でもあの人は、あたしたちを救うために愛の鞭を振るっているだけで……」

 彼女の口から出た言葉が黒い靄となり、彼女の服をさらにゴシックに彩る。

 

 やはりそうか。

 彼女はパイドパイパーにじかに会って、気の塊を植え付けられている。まだ高校生くらいだというのに。


 どこかのカフェで、彼女とパイドパイパーが話しているのが霊視できる。


 完璧な笑顔とやさしい声で彼女を全肯定し、心酔させている。そして駅まで彼女を送ったときに、改札を通ろうとするのを呼び止め、何が起こったかも分からないようなすばやさで、パイドパイパーが口づけをする。


 もちろん彼女にとっては初めてのことだ。

 驚いて硬直している彼女の背中をそっと押し、改札を通させる。とびきりの笑顔で手を振り、また連絡すると言うパイドパイパー。


「そうよね。嘘だったらよかったのに。パイドパイパーはすごくやさしかったでしょう。話を聞いてくれて、駅まで送ってくれて、そして……。改札を通ってからも、ずっと見送ってくれた。あなたは三回振り返ったけど、三回とも彼はそこにいて、手を振ってくれた」


 どうして知っているの? という顔で、ゴスロリの子が涙混じりに見つめてくる。


「私もパイドパイパーと同じで、霊感というのかな、普通の人に見えないものが見えるの。強い感情とか記憶とかも」


 いつきの後ろで由良が、ゴスロリの子の黒い靄を少しずつ祓っていく。これしきで彼女のわだかまりが取れるとは思わないが、少しでも冷静になって欲しい。


「勝手に見てごめんなさい。でも、あんな男のために、これ以上誰も死んで欲しくないの。こんな方法で死んでも幽世かくりよへ行ける確証はないし、幽世かくりよがいいところだという保証もない」


 いつきは、今度はテディベアのような上着を着た女の子の方を向く。彼女も、自分のものではない小さな気の塊を持っている。


「あなたもでしょう? カフェで励ましてくれたときに、パイドパイパーは当たり前のように手を握って、あなたのことを肯定してくれた。それから……」


 テディベア上着の子がぼろぼろと泣き出す。

 ゴスロリの子がそれを見て「もうやだ、やめて!」と叫ぶ。


「パイドパイパーは、幽世かくりよの大神を祀る神官でも、すごい人でも何でもない。ただの俗物なの。あなたたちが命がけで信頼するには足りない相手なの」


「だとしても!」

 黒いレースの袖で涙を拭いながら、ゴスロリの子が叫ぶ。


「あたしたちには行くところも帰るところもないの。居場所があれば、最初からこんなことしてない……」


 彼女は振り向いて、後ろの五人を見た。

 諦めの表情を浮かべる者、沈痛な面持ちの者。身辺整理をして、遺書も書いて、それなりの覚悟でここへ来ているだけに、希死念慮から離れられないようだ。


「待って!」

 まだ他の子たちに押さえつけられたまま、康博が声を張り上げる。


「決めつけないで欲しいんだ。もしかしたら、ここにいてもいいよってあなたたちに言ってくれる人がいるのに、見えていないだけかもしれないし」

 しかし、五人の反応は、裏切り者に対するそれのように冷ややかだ。


「僕も、濡れ衣を着せられて、世界が足元から崩れたように感じた。死ぬ以外の逃げ道を考えつかなかった。でも今は」


「うるさい! 自分が勝ち組だからってマウンティングしないで。どうせあたしたちには、そんな人いないから」

 ゴスロリの子が吐き捨てるように言い、他の四人がうなずく。


「そんなことないぞ!」


 いつきの後ろで、中嶋がウィッグを取って叫ぶ。教師だけに、車が通る騒音に負けないくらいの声量がある。


「マ太郎! いや、正木くん! 先生はずっと心配してたぞ」


 紺色のコートの男子──マ太郎が、驚いて息を呑み、つかんでいた康博の肩を放す。


「朝の五時前に散歩してるのを、ずっと見に行ってた。薄暗い中を一人で出歩いて、変質者に襲われないか心配だったし、何より、変なことに巻き込まれているようだったから」


 マ太郎が、驚きと戸惑いをない交ぜにした表情で、中嶋を見ている。


「この世界は確かに嫌なこともいっぱいあるし、理不尽なことだらけだ。君が幽世かくりよに惹かれるのもわかる。でもな」

 中嶋が言葉を切って息を吸い込む。


「君は私に『幽世かくりよはいいところなのか』と聞きに来た。それは、パイドパイパーの言うことに確証が持てないからであり、本能レベルで君自身が迷っていた証拠だろう。本当にこの世がつらすぎるなら、迷うことなく幽世かくりよへ行くはずなんだから」


 マ太郎が視線をそらす。


「君はまだ、この世に好きなところや楽しいと思うことがあるはずだ。それらをすべて放棄して幽世かくりよへ行くのを、迷う程度には。……別に、飼い猫のことでも、おいしいもののことでも、続きが読みたいマンガのことでも、何でもいいんだ。先生だって、中学生のときにいじめられて死にたいって思っていたが、好きなアニメが気になって、来週までは我慢しよう、もう一週間だけ、やっぱり最終回まで、ってどんどん期限を延ばしてこの歳まできた」


 マ太郎を筆頭に、五人が勢いを削がれたように目を伏せる。


「君らにだって、あるだろう? そういうちょっとした心の支えが」


 中嶋の言葉がちゃんと届いている。

 由良たちがずっと大祓詞おおはらえのことばを唱え続けて、彼らにまとわりついていた悪い気を祓ってくれているのもあるだろう。


 あともう一息、少しでも黒い塊をほぐして取り、あいた穴を埋めなくては。いつきも彼らに話しかけた。

「中嶋くんの言う通り、ちょっとしたことでいいの。……えっとセラフィムさん」


 眼鏡の女の子が、アカウント名を知っていることに戸惑ったように顔をあげる。コアなファンが付いているロックバンドが脳裏に浮かんだ。


「大天使様のライブ、行きたかったんじゃないの? せっかくのチケット」

 そう言うと、彼女は無言で首を横に振った。


「ライブよりも大事なことがあるから? ……どうしても行きたくて、食事代も削ってお金貯めて、ファンクラブに入って、やっと抽選当たったのに」


 彼女の目が揺らぐ。ねっとりとまとわりついていた黒いものも、霧状にほぐれやすくなっている。


「何回も落選して、ようやく手に入れたんだから、行こうよライブ。それから考えても遅くないよ。ね?」


 首を振っていた彼女は動きを止め、唇を噛んでうつむいた。


「それから、不知火さん」

 キャスケット帽の子がこちらを見る。

 康博の手を持ってはいるが、彼自身がまったく抵抗していないので、あまり強くつかんでいない。


「猫ちゃん、よく寝てたから黙って出てきたでしょ」

 キャスケット帽の下から、上目遣いにこちらを見てくる。


「出かける前にいつもモフモフするのに。今日はまだモフモフされてないから、あなたのこと探してるよ」


 康博をつかんでいた不知火の手が離れる。それでも声を出さないように歯を食いしばっている。


「やめなさいよ!」

 ゴスロリの子が叫んだ。


「あたしたちが未練を持ってようと、誰にも必要とされない、平凡以下の無価値な人間である限り、この世にはいられないの! 放っておいて!」

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