第10話 期限は二週間

 パイドパイパーから突きつけられた期限は二週間。


 受けて立つといつきは言っていないが、奴はアヤナに何か仕掛けてくるだろう。


「だって、他にどうしようも」


 由良の大きな溜め息が聞こえる。

「だいたい、守るべきアヤナって子の素性もわからないのに、どうするの。またそいつが現れたら、あんたどうやって立ち向かうつもりなのよ」


 由良に早口でまくしたてられる。返す言葉もない。


「……どうしよう、由良」

 思わず吐いた弱音に、電話の向こうで、再び由良の溜め息がした。


「まずはアヤナちゃんを探してしかるべきケアをする。それからこの男を見つける。二人とも、居住地区は穂積教本院の近く、遠くても電車か車で三時間以内だろうから、人海戦術で行こう。同期に声かけるけど、いいよね?」


 実家の神社を継ぐから転居しないことと、姉御として畏れられつつも頼られていたのとで、由良は同窓会の幹事を任されており、全員の連絡先を知っている。


「うん。お願いしていい?」

「オッケー。鈴ちゃんも巻き込んどいてよ。あの子、SNS関係強いでしょ。それと」


 由良が言葉を切る。

「あんた、今のままじゃ太刀打ちできないよ。わかってるよね」


 口調が厳しくなった。

 パイドパイパーは能力者だ。ほんの少し「見える」だけのいつきでは、かなわない。


「いつき。……『目』を完全に開く気はない?」


 すめらぎ學院大学神道学科に入学して、最初に由良に会った日のことを思い出す。


 他の生徒たちに気後れすることなく話していた由良が、まっすぐこちらに向かってきた。そして、いつきの額に人差し指で触れ、小声でささやいたのだ。


『君は第三の目があるのか。でも、どうしてふさいでいるんだ?』


 心の目のフィルターをはずすまでもなくわかった。彼女はとてつもなく強い霊力を持っている、と。


 京都の有名な神社の跡取りである由良は、霊力を培うための英才教育を受けていた。

 三人いる兄弟は、物心づいたときから霊山へ連れて行かれ、気の流れの読み方、護身法、あやかしへの対処の仕方などをみっちり仕込まれたという。

 もっとも霊力の強い由良が、兄たちを押しのけて跡取りに指名されたそうだ。


 対するいつきは、人外のものにちょっかいを出されるのが怖くて、普段は見なくて済むよう自ら目をふさいでしまった。護身法も、気の練り方も知らない。


「前から言ってるけど、その目は開けたり閉じたりしているんじゃなくて、見えないって暗示をかけてるだけだから、遅かれ早かれ無理矢理開きっぱなしになるよ。そのときになって慌てるより、今、開いておくほうが」


「やだ!」


 反射的に答える。見えてしまったら、殺されるかもしれない。


 いつきの母は、心筋梗塞で亡くなった。

 学校から帰ってきた小学一年生のいつきは、参道で母が倒れているのを見つけた。


 横たわる母の両脇に、真っ白な紙をお面のようにつけた、鈍色にびいろの衣冠姿の者が二人いた。


『玉の緒は』

『取った』

『足らなくて難儀した』

『これで予定通りだ』


 しゃべっているのに、白い紙の面は微動だにしなかった。


 これは悪いものだ。


 そう直感した。よくないものは神様を怖れるから、参道にはほぼ入ってこられない。ということは、これらは悪いだけでなく、かなり強い。


『何だあいつは』


 紙の面がこちらを向く。凹凸も陰影もないのっぺりとした白色に、おぞましさを感じた。


『人間だ』

『見られたか』


 見えていることを知られたら、きっと殺される。目をふさがなくては。ふさぐんだ! 何も見ていない!


 ふ、と視界が揺らぎ、異形の者たちが見えなくなった。

 目の前には、玉砂利に横たわる母だけがいる。


『お母さん!』


 いつきは母の元へと駆け寄った。揺すっても反応がない。


 どこか遠いところで、『見えていないようだ』『予定は一人だ、捨て置け』と聞こえた気がした。


 その後の記憶は曖昧だが、救急車で運ばれたものの母はすでに絶命していた。


 いまだにあれらの正体はわからない。けれども、母は殺されたのだ、と思っている。あれらが見えてしまったために。


 この話は、由良にもしたことがない。

 母の死について、何かつらい事実を知ってしまうのが怖いから。


 いつきは極力明るい声でごまかした。

「うすぼんやりとなら見えるし、相手の気を読み取って頭の中にイメージも作れるし、ちょっとだけなら聞こえるし。これだけできれば何とかなるよ。目なんか開かなくても、平気平気!」


 突然、右手の甲に激痛が走った。

「あいたっ!」


「ほーら、どこが見えてるんだ」


 感覚を研ぎ澄ませてみる。

 右手の甲に、猫の毛のようなふわっとした感触がある。が、何も見えない。

 心の目のフィルターをはずして見ても、ほんの少し空間がゆがんでいる気がするだけだ。


「これでどうかな」


 ピントがぼやけていた映像がフォーカスされていくように、何もなかったはずの空間に銀色のかたまりが現れ、手足やしっぽ、毛の一本一本まで見えるようになる。

 由良の使いである、銀狐のくだだ。


 ケーン、と狐が鳴く。

 たとえ見えなくても、人外の者の気配は感じるはずなのに、まったく気づけなかった。


「あのさ、いつき。フィルターさえはずせばいつでも見えると思って油断してるでしょ」


 銀狐が、自分のしっぽを追ってぐるぐる回り出した。虎がバターになるように、狐の輪郭がぼやけて、にゅるっとした円状になる。

 あわてて目を凝らしたが、もはや狐は見えなくなった。


「使わない筋肉は衰えるのと同じで、あんたの霊視力はかなり落ちてるよ。一般の人よりは強いって程度。私から言わせると、全然役に立たない」


 この力のせいで苦労してきたというのに、いざというとき力を発揮できないのなら、本当に役立たずだ。


「でも、もともと持っている第三の目がかなり強いから、開いて少し鍛えれば即戦力になる。だから」


 目を開きたくない。

 けれども、アヤナやパイドパイパーの顔を思い出し、いつきは声を振り絞るように答えた。


「わかった」


「オッケー。じゃあ、あとで基礎訓練法を書いて送るから。必ず毎日してよ」

「了解。ありがと」


 電話を切る。

 由良とつながっていた気が切断され、とたんに不安になってくる。


 パイドパイパーに口づけされた感触がよみがえり、思わず唇をこする。


 正直、関わらなければよかった、と思う。


 そうすれば、こんな思いをせずに済んだ。被害を受けたのは自分なのに、なぜ罪悪感を持たなければならないのか。


 同時に、あんな男を野放しにしてはいけない、とも思う。


 アヤナはまだ高校生だ。親身になって悩みを聞いてもらい、あのやさしげな声で励まされ、実際に会ってキスでもされたら、気持ちを奪われてしまうだろう。


 そうなったら、彼の言うことを何でも聞くようになってしまう。彼の思想、言動をトレースし、それが自分の意志だと信じ込み、自殺を英雄的行動だと思いこんだまま最後の一線を越えるだろう。


「それはだめ! 絶対だめ!」


 タイムリミットは二週間。


 パイドパイパーは、アヤナを重点的に絡め取りにくるだろう。


 自分の部屋でうずくまっていたいつきは、廊下に出て妹の部屋の扉をノックした。「どうぞー」と間延びした声がする。


 扉を開けると、鈴は勉強机に向かっていた。

「どした、お姉ちゃん」

 いつきは有無をいわさず中に入った。


「落ち込んでたみたいだけど、大丈夫?」


 何かあったことは、鈴も察しているらしい。


「落ち込んでる。でも、それ以上に怒ってる。だから、協力して」

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