10.決戦領域

「あー重かった。で、分捕り品は私のだからね」


 伊乃は肩に担いでいた高麗兵を降ろす。

 いささか乱暴な降ろし方であったが、高麗兵は沈黙している。

 捕虜となり、自分の運命については諦めの中にいるようであった。


 虎猿、伊乃、破戒の三人が国府に到着した。

 早朝というには、やや遅い時間であった。

 白粉を含んだかのような冬の日差しが射している。


「守護代殿と話がしたいのだが」


 破戒が言った。


        ◇◇◇◇◇◇


 対馬守護代・宗助国は殺意、殺気の詰まった袋のようなものだった。

 しかも、袋はあちらこちら破れ濃厚な殺意が常に流れ出している。

 それがこの齢を重ねた武篇の自然体であった。

 虎猿は流れ出す宗助国の気の色を見ていた。

 それは、人の佇まい、雰囲気を視覚情報としてみることが出来る「共感覚」とでも言う物であった。 


 宗助国は獰猛な笑みを浮かべながら虎猿を見やった。

 六尺を超える破格の肉体。

 剣呑な鉄の塊のような男――

 虎猿は闇の色をもってそこに立っていた。

 白くなった髭の下の口が動いた。


「分捕ってきたかよ」

「大宰府に送る」

「船か?」

「ああ、それに人だ」


 虎猿は佐須浦で捕らえた高麗兵を大宰府に送りたいと言った。

 そのための船と船を操る者を求めた。

 大宰府は九州における鎌倉政権の出先機関だ。


「ふん、よかろうさ。それは手配しよう」

「――」

「ところでよ」


 宗助国の大きな眼球がゆるりと動く。

 虎猿の眼窩の底の双眸は闇色のままだった。

 視線が絡む。

 今、ここで殺し合いが始まっても不思議ではない空気となっている。

 宗助国の凶悪な獣性が、虎猿の冷たい闇に呼応しているかのようだった。 


「佐須浦の様子はどうであった?」

「どうとは?」

「船よ、奴らの船は動いておったか」


 虎猿は首を回し、後ろの伊乃を一瞥する。


 宗助国も視線を伊乃に移した。

 歩き巫女姿の伊乃は二五~六貫九〇キロ以上の男を抱え、山道を歩いてきたという。

 虎猿以上に得体がしれぬと、思った。

 しかし――

 美麗である。整った顔。すらりと伸びた手足。

 が、胸の膨らみが一切感じられない。

 まだ、女として成熟する前なのかと宗助国は思った。

 

「動いてなかったね。水汲みしてたし、動く気はないんじゃないかな」

「動かぬかよ」

「昨日の段階では、動いていないというだけ。その後は知らないよ」


 宗助国は手で顎髭をいじりながら沈思する。

 今は動いていない。

 が、この先も動かないということがあるかどうかは分からない。

 結論は早くださなければならない。


(であれば、やはり国府は捨てるか――)


 宗助国は決断した。

 

「山へ入る」


 山の中にはいくつかの拠点――

 野戦陣地、物資集積所として使える場所がいくつかあった。

 広葉樹林帯に包まれた山岳はそのような地に困らなかった。

 金田城もあったが、佐須浦、国府間の想定戦場から大きく離れている。

 今の段階では有効活用はできそうになかった。


「近くの百姓どもを集めい、兵糧、まぐさを運ばせよ」


 山岳において蒙古・高麗軍を迎撃する作戦方針が決定した。


        ◇◇◇◇◇◇


 佐須浦には蒙古・高麗軍司令部となるパオが設営されていた。

 遊牧民であるモンゴル人の使用するテントである。

「船の損傷が多いのだな――」



 日本侵攻軍の司令官・キントが言った。

 金方慶きんほうけい洪茶丘こうちゃきゅう劉復享りゅうふうりょうの各軍指揮官が参加している。


 キントと言う男については謎が多い。

 現時点でも史料が少なく重要な作戦に参加してた実績が無い。

 蒙古帝国の最優先事項であった南宋攻略に起用されず、日本侵攻作戦に起用されたことなどから二流、三流の人物であったとする説もある。

 しかし、無能な人間を外洋航行しての上陸作戦という難易度の高い作戦に起用するだろうか?

 実際、蒙古軍は中世最強といわれた南宋の水軍に苦戦し、渡河作戦に難渋していた経験がある。

 日本攻略の難易度は高いことは認識して当然であろう。

 日本側の抵抗、戦力以前に兵站の維持が困難なのだ。

 史料に名を残してない点をもって無能と決め付けることはできない。


 どのような戦争においても「知られざる名将」は存在する。

 先の対米戦争でも、一般の知名度はいまひとつながらビルマ方面でインド独立を影で支援した牟田口 廉也大将(戦後昇進)のような存在もある。


「どうにも高麗の船の造りは雑すぎますな」   

  

 洪茶丘が苦々しげに言った。

 ちらりと高麗の老兵・金方慶を一瞥する。爬虫類のような嫌な目であった。


(無茶な要求なのだ。疲弊した高麗に九〇〇隻もの船を造るなど――)

 

 金方慶の胸の内がささくれてくる。

 が、その思いを言葉にするほど、彼は愚かではなかった。


「水の補給は近くの河川で行っております。今のところ倭兵の妨害はございませぬが、警戒するのことしたことはないでしょう」


 そもそも、対馬上陸戦は水の補給、船舶の修繕、兵の休養と実線訓練が目的だ。

 その中でも水の補給は最重要である。

 また、対馬そのものの占領は実施しない方針となっている。


「倭兵は再びやってくるか?」


 キントは聞いた。

 一番まずいのは、橋頭堡への攻撃だった。

 負けることはないと思う。

 が、攻撃が防衛線を突破され海岸線まで及んだ場合、非常にやっかいなことになる。

 結果として戦闘に勝利しても補給、修繕作業を阻害されては、その後の予定が狂う。

 日程は「占い」で決定されたものであり、現代人の目からみれば非合理極まりないものであったが、非合理を信じる時代のくびきの中にいる彼らにとっては大きな問題だった。


 対馬からは一〇日後に出航する。

 その間で補給、修繕を済ませ、兵たちは休養と実戦経験をつませる。


「倭の国府にはまだまだ村もあるとのこと。倭人の捕虜より聞いております」


 洪茶丘は媚を売るような言葉でキントに言った。


「ほう、まだまだ戦ができるわけだな」


 女真族の将軍・劉復享は言った。服の上からでも分かる太い腕、鋼のような筋肉を搭載した男であった。

 凶暴性がその身から溢れ出してきているかのような雰囲気だ。


「倭の地は森も山も多いと聞く。そのような地形を経験するのは意味があろう」


 キントは言った。佐須浦から陸路を使用し反対側の海岸にある厳原の国府に攻め入る意思を示す。


「倭の捕虜を先頭にたて、案内させましょう。盾にも使えるかと」


 洪茶丘が言った。

 キントは静かに頷いた。


(敵国の森に兵を突入させるのか? ろくに地形も分からぬと言うのに……)


 故郷高麗の山ではあり得ない鬱蒼とした緑に包まれた倭の山。

 こんな地形を経験したことはない。

 なにやら、山から怪物が出て兵をさらって言ったという噂まで流れている。

 ただ踏み込むだけでも躊躇する兵がいるなか、敵が待ち伏せ《アンブッシュ》しているかもしれない場所に踏み込むのは愚作に思えた。

 

(兵の訓練よりも損耗の方が問題だ。訓練相手など…… 奴らは危険すぎる)


 上陸時、尖兵として抽出された高麗兵の損害は多かった。

 高麗兵の殆どは、貧民を徴用し、にわか兵に仕立てている者だ。

 このような地での倭兵相手の実戦経験など死ねというのと同じようなものだった。

 集団による矢の一斉投射が行える広い場所での戦闘以外は論外である。

 金方慶は、聞き及んでいる上陸戦の結果からこのような結論に至っていた。

 山での戦闘では数の優位が生かせない。

 数の優位を生かすならば――


「戦船をもって、倭の国府近くに上陸。行軍の後、急襲した方が効果的では?」


 金方慶は言った。

 一気に大量の抜都魯バートルを使用し敵を間合いを空けた戦闘をすべきだと思った。

 そのためには、国府に近く敵の抵抗の薄いと思われる場所に上陸。

 行軍により国府を急襲。決戦を強いる方が森に兵をばら撒くよりよい。

 

「高麗の船が粗製乱造でなければ、それも可能でしたな」

抜都魯バートルで陸伝いに移動すれば――」


 洪茶丘の言葉に怒りを覚えつつ、金方慶は道理を説いた。

 倭兵の地で、倭兵相手に兵の分散が避けられない戦いを何故望むのか?


「貴殿のいうことも分かるが、金方慶将軍」

 

 キントが静かな、そして重い声で言った。


「陸で行こうではないか。敵も数を減らしているだろう。船を動かし無駄に作戦を複雑にする必要はあるまい」

「はっ」


 最高司令官であるキントの心が決まっているのでは、どうしようもない。


(こいつら、海が怖いのではないか――)


 そのような思いも浮かんでくる。

 そもそも、この戦争の作戦目的はなになのか?と、金方慶は疑問に思う。

 九州に侵攻し、大宰府を占領。その後九州全土を占領する。

 倭を蒙古帝国の版図に加えることまでは望んでいないのであろう。

 今のところはだ。

 目下、最優先とされている南宋の交易を遮断すること。

 特に、戦略物資である硫黄(火薬の原料)、材木が南宋に持ち込まれるのを防ぐこと。

 倭が南宋に付いて軍事行動を起こすことを防ぐこと。

 最終的な目的はこんなところであろう。


(こんな調子で九州で倭と戦えるのか?)


 金方慶は暗い思いを抱いていた。

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