第3話 落葉

 朝食の片付けと洗濯、ひととおりの掃除を終えてジリアンが買い物に出る頃、ノエルは畑もしくは庭をいじって過ごす。それから昼食、書斎で読書か昼寝ののち夕方の散歩、夕食をごく軽く摂って、寝室へ去る。

 天気が良い日には、落ち葉掃除を手伝ってくれることもあった。鮮やかに紅葉した楓の葉を取り上げ、矯めつ眇めつしては「これは栞にしましょう」と弾む足取りで去ってゆくときもあれば、天啓を得たかのごとくに重々しく「ひとつ提案なのですが、焼き芋をするのはどうでしょうか……」と芋の在庫を尋ねるときもある。

 気の良い雇用主、快適な職場環境。最高の職場に見えて、凶悪な落とし穴が控えているに違いないと、自ら不安の藪をつついて落ち着きをなくすのはジリアンの悪癖である。わかっていても止められないが、口に出せるようになったのは進歩であろう。

「ノエル、あの、差し支えなければで構わないのですけど、僕の前任者について伺ってもいいですか。誰かいらっしゃったんですよね?」

「前任者? ミセス・マロウですか?」

「マロウさん……。そのかたはどうして辞められたんですか? 他にもっと好条件のところに移られた?」

 いやいや、とかれは手を振った。豊かな尾があわせて揺れる。

「娘さんが里帰りして来られるんだそうです。お孫さんが生まれるんですよ」

「そうですか。それは……いい話で、良かった。あっ、いえ、ノエルが何かしたとか、そういう意味ではなくて」

「ジリアン」

 ノエルの呼びかけは昼下がりの陽射しのようにふわふわしていた。やわらかな目尻の皺と、白髪の交じる金の髪、まるい声。ジリアンの両親とはまったく異なる雰囲気を纏うかれは、ほうきの先で落ち葉の山をつついた。

「きみは、ものごとを重く悪い方に受け止めるきらいがあるようです。それが駄目だとは言いませんよ、慎重なのは性格でしょうから。それでも私は、ひとりの年長者として、きみがここで心安く働けるなら何よりだと思っているんです。大学を辞めたと話してくれましたね。誰にも言えないことも、自分に言い訳しなければならないこともあるでしょうが、いつか、そういったものにうまく折り合いをつけられるようになればいいですね。もちろん、きみがそうなりたいと望むなら、ですが」

「……はい」

「こんな片田舎の、個人の求人に目を留めてくれてありがとう。きみは私のことを知らなかったでしょう? 電話でも履歴書でも、音楽に関して一言も触れていませんでしたからね。今だから言いますが、それが採用の決め手だったんですよ」

「マエストロ・アイアソンを知っている人ではいけなかった……?」

 ノエルは深く頷いた。

 名声がもたらす栄光と充実の裏側にある繁忙、嫉妬、羨望。音楽の世界を知らぬジリアンは想像するばかりだが、音楽家として活動していた頃のノエルは今のノエルではなかったのだろう。団員、教え子、愛好者、ファンコミュニティ、多くの目のなかで、皆が期待するマエストロでなくてはならなかったのだろう。

「ですから、ノエルと呼んでください。私について検索したり、ネット上のコンテンツを参照するのは構いませんが、できれば……私を見てもらえればうれしいですね」

 はい。ゆるい吐息がしぜんとこぼれた。

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