<第4章> 歪む大捜査線

「ったく、一体どうなってやがる」


 刑事たちの溜まり場と化した北署の屋上で鬼無刑事がタバコに火を付けた。隣に立つ男木刑事は風に乗ってこちらまで漂ってくる紫煙に眉根を寄せている。いや、彼は今朝から始終苦悶の表情を浮かべていた。その元凶は――


「藤塚荘司……」


 男木刑事は右手にもつ空き缶を握りつぶした。


「まさかこちらの提出した証拠を逆に利用するとは、まるで合気道だな」

「まさか鬼無さんも彼の言うことを真に受けているんですか? あんなのただの方便です」

「けれど確かに俺らは一本取られた。そして捜査は振り出しに戻ったんだ。大した頭脳だよ。姉に勝るとも劣らずって言ったところか」


 鬼無刑事は携帯灰皿にタバコの先を押し付けて火を消した。


「まだです。次こそ有無を言わぬ証拠を突きつけてやりますよ」

「おい、目標が逸れているぞ。俺たちの仕事は犯人逮捕だ。高校生との知恵比べじゃない」


 鬼無刑事は部下の熱意こそ尊敬はしているが、その負けず嫌いな性格が時に仇とならないか常に心配をしている。

 警察官である自分たちの使命は、町の治安を守ることだ。

 ならば――


「昨日の敵は今日の友ってか……」

「まさか、藤塚荘司に捜査の協力を依頼するんですか?」


 男木刑事が驚きの表情を浮かべた。


「協力じゃない、助言だ。捜査の主導権はあくまでこちらが握る」

「そんなの言葉の違いにすぎませんよ」


 彼らにとっては自分たちの論理を否定され、その挙句に捜査会議の末席に加わるなど屈辱以上の何者でもない。

 けれど、もはや背に腹は変えられないところまで事態は進んでいた。


「上が早くホシを上げろと言って来やがった。どうやら昼間の記者会見が効いているようだな」


 学校側が開いた記者会見でヨット部の休部が正式に発表された。

 当然、殺人事件が起きたのだから当たり前の対応だ。しかしマスコミは大会1週間前に下されたこの処分に対し、高校生を擁護する姿勢を見せ始めた。

 そしてその皺寄せが犯人を未だ逮捕できない警察に回って来たというわけだ。


「わかりました、僕は鬼無さんの判断に従います」


 男木刑事が折れた。


「ただし、あくまで彼はアドバイザーです。こちらが手綱を握っておかないと、藤塚綾歌のようになりますよ」

「わかっているよ。には絶対にしない」


 「なら良いです」と言って、男木刑事は先に庁舎の中へ戻っていく。

 その背中を見送ると、胸ポケットからタバコの箱を取り出し、もう一本火をつけた。ゆっくりと煙を吐き出す。

 味なんて分からない。

 けれど今の彼にとってはそれが至福のひとときであった。

 元々、子供が産まれるタイミングで一度禁煙に成功したのが、昨年離婚が成立して独り身に戻ってから、徐々に本数が増え始めていった。


「そういえば、タバコの依存性はニコチンによるものだったか。ニコチン、ニコチンねぇ」


 再びフィルターに口をつけてゆっくりと煙を吸い込む。

 その時、ズボンのポケットの中でスマホが震えた。


「はい、鬼無」

『あぁ、お疲れ様です』


 電話口から朗らかな声が聞こえる。

 すぐに相手が四国通信社の十川記者だと悟った。


「じゃあな」

『ちょっ、ちょっ、ちょっ! まだ何も話してないでしょう!』


 騒がしい声に、耳がキンキンする。


「お前には何も喋らんぞ」

『分かっていますよ』

「じゃあ、何の用だ」

 イライラからか、爪の先で手すりを小刻みに打鍵する鬼無刑事。

 カン、カン、カン……と金属音が響いた。


『藤塚荘司のことです』

「どいつもこいつも藤塚、藤塚……」


 鬼無刑事が愚痴をこぼす。

 部下の手前冷静な態度を示していたが、彼もまた藤塚荘司に対するやりきれない気持ちを抱えている。


『どうやら犯人を絞り込んだみたいですよ』

「なんだと!?」


 十川記者からもたらされた思わぬ新情報に、咥えていたタバコが地面に落下した。


『これから視聴覚室で関係者に話を伺うようです』

「おいおい。どう言うことだ。事件の概要はまだ公表されていないはずだろう」


 彼は通話をしながら、革靴のつま先で落ちたタバコの火を消すと律儀に携帯用灰皿に仕舞う。


『それが、どうやら五十嵐美波の証言がきっかけらしくて――』


 十川記者は新聞部の部室で彼が展開した推理を一通り説明した。

 鬼無刑事は確かに筋が通っていると納得すると同時に、またしても彼に先を越されたことにひどく鬱憤を募らせた。


「なるほどな。それでお前はどうしてそんなことを俺たちに教えるんだ?」

『藤塚荘司自身から刑事さんたちにと頼まれたんです。それで代わりにあることを教えて欲しいと』

「何を知りたいんだ?」


 通話口から聞こえる十川記者の言葉に鬼無刑事は首を捻った。


「そんなことを知って、何になる?」

『さぁ、凡人には全く』

「まぁいい、直接行って確かめる」


 鬼無刑事は断りの挨拶もないまま通話を切った。

 右手にもつスマホが震えている。

 その震源は着信のバイブではなく、自分の右腕そのものだった。

 藤塚荘司は明らかに自分たちよりも事件の核心に近づいている。

 しかも事件の概要しかまだ公表されていないのに、だ。

 そのことが彼の中で簡単には言葉にできない感情を掻き立てた。


「あいつら、姉弟揃って何者なんだ……」


 鬼無刑事は我に返ると、急いで男木刑事を呼びに庁舎の中へ戻った。

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