第6話 新入生歓迎会と季節外れの台風

「戦線布告ね・・・・・」綾佳さんの呟く声が聞こえ、僕の脳裏に留まっていた。

「ああ、今日のバンドでボーカルやる衣装なんだ。どうだ、少しは女っぽいか。演奏が済んだら、父の所に行くつもりなんだが。」幸子が気恥ずかしそうに言った。

「それで、そんな格好してみたのか。」僕は少しはにかんだ幸子の顔を見ていた。

「とってもお似合いよ。何だが女形の薫さんと並んで居ると姉妹みたい。」綾佳さんはいつもの笑顔でさりげなく対応していた。

「それで、頼みが・・・」と小声で話しかけて来た。この時点で幸子の頼みと言うのは、察しは付いていた。

「一緒に来いて言うのは今日は無理だぞ、午後の部門も有るし、屋内ステージの取りも有るから。」

「んーじゃーそれまで待つから、」

「それじゃーまた夜に成ってしまうぞ。それに、こんど一緒に行ったら、こっちがもっと男らしい格好で来いて言われそうだし。」それ以上に、これは幸子自身の問題なんだ、向き合わねば成らない現実なんだからと言いたかった。綾佳さんはさりげなく、席を外していてくれていたので

「お前、あれから何とも無いか?」

「ふーん、何が?」僕はさらに声を潜めて

「だから、何の準備も無かったからさ、あの夜は・・・妊娠とか・・・」

「ほう、そうだな。・・・お前女形してるくせに、女の体の事何も知らんのだな。」

「当たり前だろう、俺は男だ。」

「一週間や二週間で分かるわけ無いだろうが。心配するな、出来てたら、一人で生むから、お前に迷惑はかけないよ。」

「馬場か、責任位ちゃんと取れるからな。分かったらちゃんと伝えろよ。」むかついたので、つい声が大きく成っていた。たぶん物陰で聞いていたらしかった綾佳さんの吹き出す笑い声が微かに聞こえた。

「有り難う、心配してくれて、嬉しいよ。」そう言いながら、抱き寄ってきた。

「おい、人目が有るだろうが。」

「良いだろう、もう寝た仲なんだから。」何だかまた、誤解を招きそうな光景を、僕は第三者の目で見ていた。何故なら、その時の僕は、完全な女装をしていたからだった。

結局、渋々一人で行くことにした幸子が、演奏しに向かって行ってから、綾佳さんが戻って来た。

「大丈夫そうですね。」

「ええ?」

「早い人だと、そう言う行為をした直後からつわりが始まる人も居ますのよ。」

「はあ・・・」

「女なら大体わかりますわ。」

「へえーそうなんですか。」

「ええ、経験者ですから。」

「まさか、実は、子供が居るなんて言わないで下さいね。」

「そうだったらどうします・・・。冗談ですよ。本当に薫さんをからかうと面白いですわ。」

僕は少しほっとした様な、何処かに筋肉痛が残った後の様な気分で、ステージに向かった。

屋外での幸子のバンド演奏も僕の軽音楽部との共催のトランペット演奏も好評を博したので、午後からの屋内ステージに向けて準備に取りかかり初めていると、ジョナさんがやって来た。彼は?どう見ても妖艶でグラマラスなまるでヘレン・メリルのCDのジャケット様な姿だったが。

「薫ちゃん、次は和服よね。手伝おうかしら?」

「有り難う御座います、助かります。」

「最近の女は和服の着付けも出来ないんだからね。」ジョナさんは、綾佳さん達の方をチラッと見た。屋内ステージで、ジョナさんは、ジャズを歌い、僕は演歌を熱唱した。この時点、観客の一年の間では、プロを呼んだのかとか、有りもしない芸術学部のキャラだとかと言う話題になっていたらしい。僕らの後に数組のグループの演奏が会ったあと、最後のステージに僕はあの舞を舞った。それは、後から雪乃に聞いた話なのだが、その舞を見た学生の中に数人、失神者が出たらしかった。雪乃曰く、神がかった様に綺麗だったとかで、ステージが終わった後の楽屋に真っ先に駆け込んで来たのは、雪乃だった。

「やっぱりお兄ちゃん凄い、大好き!」そう言って飛びついて来たのを皮切りに、数人の学生が傾れ込んで来た。僕はステージの疲れもあり、雪乃に押し倒される様な格好のまま意識が遠のいていた。気がつくと目の前に雪乃の顔があって、医務室らしき所にいた。

「キスしたら目が覚めるかなと思って・・・ホントに目が覚めた!」

「何したって?」

「ああ、何でもない。大丈夫?」

「うん、さすがに疲れたな・・・・」何だか、久しぶりに見る雪乃の顔に

「ああ、あの時は叩いて悪かったな。」

「うん、もう良いよ。私も感情的に成りすぎてたから。それより綾佳さんにひっぱたかれたんだって。鼻血までだしてさ。」

「綾佳さん達は?」

「後片付けで走り回ってるよ。」

「そうか、あの人には何だかんだと迷惑を掛けちゃってるな。」

僕は、忙しく走り回っているだろう綾佳さんの姿を思い起こしていた。

歓迎会イベントが終了して、一段落して、何時もの平穏な学生生活が戻って来て欲しかったのだが、なかなかそうは問屋が卸さないと言うか簡単では無かった。あの事件以来、周知の事実と成ってしまった幸子との関係で、やはり雪乃と一悶着あった末、綾佳さんが救済案を出してくれて一応の沈静化に至っていた。僕の要請で、燃料電池システムの床暖房設備の工事に入っていた公孫樹の家の工事が終わり、三芳姉妹が引っ越すに当たり、今度は雪乃があの家の世話になる事になった。ただし、家のメンテナンスと称して、週に一回は僕が泊まると言う事が条件である。こちらの長屋の方は、外見上は雪乃が居なくなった程度で大きな変化は無いように見えたが、時折僕の部屋には、雪乃の変わりに幸子がいた。僕が寝ている間にベットに潜り込んでくる状況は、雪乃と変わりなかったが、気がつくと幸子の素肌の温もりが伝わって来ていた。雪乃より一回り小柄で、胸の発育が極端に違う幸子とでは、当然違和感があった。

「やっぱり雪乃ちゃんじゃないと落ち着かないか?」幸子は、僕の手の平にすっぽり収まってしまっている自分の胸を見て訊いた。

「だから、雪乃の胸なんか触った事ねーて!」

「そうか、なんだか気の毒だな。」

「何がだ…。 まあ、小さい頃の雪乃を思い出すけどな、幸子を抱いていると。それから、潜りこんでくる時は、パジャマ位着てくれ、心臓に悪いし、なんの準備も無しにそういう行為に走りたく無いし、前回は大丈夫だったけど、またあんなドキドキを味わうのは御免だから。」

「そうか、母からは早く子供を作れと言われているが。」

「まだお互いに学生の身なんだから、自重する所は自重しようよ。第一まだ俺一人じゃ食わしていけないし。」

「それより、親父さんとの面会は、如何だったんだ。」

幸子は猫の様にまとわりつきながら

「これが夢だったんだよな。お前たち兄弟が羨ましくて、私は所詮他人だったからな。私は姉っぽく、こう言う風に薫を抱きたかったんだ。」それは綾佳さんがしてくれた、と言うか母がまだ僕らが小さな頃にしてくれた抱き方を真似た様な感じで、僕の顔を幸子の胸で抱擁したのだが、なにせボリュームが無いため直ぐにおでこが幸子の肋にぶつかって痛かった。結局、じゃれる様に纏わり付いていたがやがて疲れたのか僕の腕の中で静かになった。幸子の体はあの時の様にきゃしゃで、か細い物だった。暫く頭を撫でていると、

「気持ち良いな、薫にこうして抱かれていると何もされなくてもいってしまいそうだ。」

そう言いながら、半分眠りについて行くようだったが、

「ふんーん、お前飲んできたな。」

「ああ、少し・・・なーに景気付けだよ・・・」その時、僕はああやられたなと思った。取りあえず、脱ぎ散らかしていた、幸子のパジャマを集めて、完全に軟体化する前に着せようと思い体を起こすと

「薫のすきーにして良いぞ。」

「ああ、そのうちすきにさせて貰うよ。」パジャマを何とか着せて、ベットの端に寄せようと思ったが既に遅かった。スライムの様に成った体は掴み処がなく、僕のベットの真ん中を占領していた。仕方なく、押し入れから寝袋でも出そうかと思ったが、そう言えば雪乃の部屋にまだ布団ぐらい有るだろうと思い、探しにいった。

「彼奴、直ぐ帰ってくるつもりで、持って行かなかったんだ。」

面倒なので、雪乃のベットにそのまま潜り込むと、何時しか寝入っていた。朝方、白みかけた窓の光で目が覚めたので、自分の部屋に戻って見ると、幸子も戻ったらしく、すでに居なかった。僕の家出の原因となった、あの事件依頼、幸子との仲は、両家の公認事項とされたらしく、気を利かしたのか、回しすぎたのかは知らないが、爺ちゃんが幸子の部屋と僕の部屋を廊下で繋げてしまっていた。今まで外を回らなければ行き来出来なかった、二人の距離を少しでも縮めてくれるつもりだったのだろうが、当然な事に雪乃は猛反対した。しかし、幸子の妊娠騒動までささやかれた時点で、彼女の抵抗は空しく玉砕した。そんな経緯と綾佳さんからの誘いもあり、雪乃は家を出る決心をしたらしい。

幸子の様子を見るため、彼女の部屋に行くと、まだ寝ていた。

「珍しいな、この部屋に来るなんて。」

「珍しいも何も、初めて入ったぞ。」その部屋は、僕が想像していた所謂女の子的な部屋とはかけ離れてた感じがした。幸子の部屋と言うより僕の部屋に近かった。

「忘れ物だ。お前のパンツ。」

「おう、そうか履いてなかったっけ。どうだ続きするか。」そう言いながら、足を伸ばして来たのでそのまま幸子のあしを掴んだ拍子に、パジャマのズボンがずれた。

「なあ、履いてなかったろ。」結局成り行きに任せてしまった自分の意志の弱さを嘆くしかなかった。  

まだ少女のような股間から流れる液体を見て、しまった、またやってしまったと思い慌ててティシュで拭き取った。暫く放心状態であった幸子が僕の様子に気づき

「心配するな、安全日だ。」と言った。

「安息日?」

「だから、安全日だよ。妊娠し難い時期の事だよ。薫は女の外見はよく知っているのに、体の事は何も知らないんだな。少しは勉強しろよ。」

「誰から教わるんだよ…」

「私は、母から…」そう言いかけて言葉を切った。

「私だって、ちゃんと考えて行動してるんだから、薫に迷惑を掛けないように。」内心こうなってしまっていること事態がすごく迷惑な気がしていた。もう少し、普通の男と女、外見上は普通じゃ無いかもしれないが、の関係で、所謂学生ぽく過ごしたいと言う願望は有った。幸子の説明で、気が抜けて彼女の上に覆いかぶさるようにして、キスをしていた。

「また、するか?」

「お前、元気だな。」

「ああ、やっと女の喜びが分かって来たところだからな。」

結局、そんな行為をグタグタと昼近くまで続けていた。おばさんも爺ちゃんも知ってか知らずか、すでに出かけていて、台所には、おばさんが用意してくれてあった朝食がすっかり冷めたまま残っていた。僕らはそれらを温め直してからテーブルに着いた。

「幸子は、今日は講義無いのか?」

「うん、どうでもいいのが一つ在るけど…薫は?」

「俺は、無い。今日は、あの家でのお仕事の日なんだ、だから今晩は向うへ泊まるから。」

「雪乃ちゃん、いや綾佳さんのところか…残念だな、今晩も続きをしようと思っていたのに。」

「何の続きだよ!まったく…」幸子がテーブルの下の足を絡ませてくるのが分かった。

「ところで、親父さんの方はどうなったんだよ?」僕の問いに、むーと膨れたような表情で

「後で話す。と言うかまた同行して欲しいんだ。薫の都合のいい日でいいから。」

「うーん、まあ、聞きたい事も有るし、都合を付けるよ。」

「そうか、有難う。」僕の今日の行動に少しすねていたような幸子の顔に笑顔が戻った。

公孫樹の家に行く準備と、雪乃からの頼まれ物を探してから、僕らの変てこな同棲生活と、一挙に越えてしまった高いハードルを後ろに見ながら、僕は家を出た。

メイストーム後には本当に季節外れの台風がやって来ていた、雨はさほどでも無かったが風が強くなり始めて、台風の接近を暗示させる状況の中、僕は、公孫樹の家へと向かっていた。雪乃が越してから十日程経っていたが、居心地が良いのか文句も言わずお世話に成っている様子だった。台風の風とは思えない冷たい風と雨が降り初めて、地下鉄の駅を出た僕に吹き掛かって来ていた。公園通りを早足で渡り、近道のため一寸した林を突っ切ると目指す建物が見えて来た。遠目で見ると、明かりが消えている居るように見えたが、またトラブルかなと思いながら、門まで来ると問題なく開いた。さらに玄関でセキュリティーIDボードに暗唱番号を入れようとしたら、ドアがかってに開いた。(一寸ヤバイかも)と思いながらリビングの方へ進んで見ると、部屋の電気が灯り、手探りで事態を善処しようとしている三人の姿、綾佳さんはソファーの下を覗き込み、雪乃は壁に貼り付いて移動しようとしている姿と、キッチンの戸棚に頭を突っ込んでいる葵さんの姿があった。一同に僕の顔を見るなり

「ああ、良かった。」歓喜とも安堵とも付かない声を上げていた。

「どうしたんですか?」

「それが、停電何だけど、訳分からないのよ。ちゃんとジャグジーは動くのに、照明は消えちゃうし。いきなりコーヒーメーカーは作動し出すし。」三人はすがり付く様に僕の側にやって来て、それぞれに、愚痴を言い出した。

「超常現象ですかね!」僕は一寸脅かそうかと思い言ってみると

「叔父の幽霊の仕業?」葵さんが口火切ると

「お姉ちゃん止めて・・・」綾佳さんが静止した。

「大丈夫ですよ。」僕はみんなを安心させるため、笑顔を作って話し始めた。

「たぶんの制御装置のエラーでしょう。一寸心配だったんで、新しいサーバーを持って来ましたから。ああ、それとお土産です。」僕は、例の金鍔を出した。僕がシステムを設定し直している間に、綾佳さんと雪乃がお茶を入れてくれていた。台風が近づいているこんな時に、停電だの機能障害だのと言うのは遠慮願いたいと思いながら、OSをアップグレードする事を考えていた。

「葵さん、この家ってネットと繋がりますか?」僕が訊くと

「この間言われたので、業者に調べて頂いたら既に大口の回線が導入されているとの事でしたよ。」と綾佳さんが説明してくれた。僕が金鍔を食べながらお茶をしている所に、綾佳さんがその説明書を持って来てくれた。

「ふんーん、企業並の大口回線ですね。所で、この経費は誰が払ってるんですか?」

「叔父の遺産から支出されているんだ。」

「ええ、誰も使っていないのに?」

「まあー、こう言っちゃ何だが、そんな費用は微々たるもんさ、叔父は幾つか特許を持っていて未だにその使用料が振り込まれてきている。今でも、財産自体は増え続けているんだぞ。」

「その財産て、誰が相続して居るんですか?まさか葵さん?」

「一部は、母だ。それがこの家て分けかな。でも、大半はある人物に相続される様になっているらしい。」

「ある人物て?」

「それが分からないんだ。特定の条件を満たすまで公表されない様になっている。」

「まさか隠し子とか?」幸子の事でも思い浮かべたのか、雪乃が口を挟んだ。

「叔父は、生涯独身だったんだ。身持ちも堅かったからそれは無いと思う。」

「私達が小さい頃に、この家に住んでいた時は、前に言ってたと思うが、その頃此所は面白かったぞ。」

「面白い?」

「ああ、取っ替え引っ替え色々な客が来て暫く滞在していくんだ。その中の一人にS国の王室関係者がいてな、おかげで綾佳が、ストックホルムへいく事に成ったんだが。」

「ええ、それてもしかしてラブロマンスですか?」雪乃が目を丸くして訊いてきた。

「お姉ちゃんたら・・・」綾佳さんが軽く牽制を掛けたが

「S国王子の甥に当たる人物に、綾佳が見初められてな、十八に成ったら結婚するはずだったんだが、こいつが振っちまったんだ。」

「ええ、なんでー!」雪乃の声に

「あの国の王室一族の仕来りで、外国人は正妻に成れないんだ。それに、あの国のあっち方面の考えはかなり大人でな、婚前交渉なんて当たり前て・・・うん、ここにも該当者がいたか、薫君?」いきなり話題を振られて、面食らっていると

「経験者ですわね、お互いに!」綾佳さんがあっけらかんとして言った言葉に、雪乃がさらに目を丸くして

「さすがに綾佳さん、大人ですね。」僕は、火の粉を被らないようにと、システムチェックへ行こうとして腰を浮かした途端に

「その後どんな具合かな、薫君の同棲生活は?」葵さんの突っ込みが始まった。

「同棲生活て、幸子とは昔から一つ屋根の下ですからね。」僕は少し開き直って

「早く子供が欲しいて言ってました。」

「おうー大胆な、でも薫君の子供なら生んでみたいな!」

「ええ、私もですわ。」

「えー、みんなずるい、お兄ちゃんは私のお兄ちゃんなんだから!」雪乃が僕にしがみつくのを見て、みんな笑い出した。それを起に、みんなそれぞれの仕事を始めた、雪乃と綾佳さんは夕食の支度、葵さんは、資料の整理らしく、僕は、サーバー接続のアップと。

システムボックスを確認していくと、ネット回線の端末が見つかり、パソコンに繋いで確認した。ケーブルを引き回すのも面倒なので、自前の無線システムと繋げて使うことにして、みんなのパソコンを無線LANでネットワーク化してインターネット環境をすこしは快適にしておいた。

「おお、有り難う、ここの所ネットが使えなくて不便にしてたんだ。」葵さんの言葉だったが、機械音痴の葵さんにとって恐らくそれは綾佳さんの状況を示して居るのだろうと察していた。食卓への配膳が終わった雪乃に、専用のパソコンを渡すと、

「これくれるの?何、賄賂?」

「要らないなら持って帰るけど!」

「ああー、要ります。お兄様。」綾佳さんがクスクス笑いながら、スープを盛りつけていた。

「葵さん、この家って、地下室か何かってありますか?」

「地下室は無かったが、少し離れた所に変電所みたいなコンクリートの小屋があったはずだか。それがどうかしたか?」

「以前から一寸気になっていたんですが、行き先不明の配線があるんで何処かに通じてないかなと思って。」明日にでも、その小屋とやらを探りに行こうと考えていた。

「毎回、店の残り物で悪いが、食べてくれ。」相変わらず、豪華なメニューが用意されていた。

「ご飯が美味しくて、つい食べ過ぎちゃって・・・だから最近、地下鉄の駅を一つ手前にして歩いてるんだ。」

雪乃が幸せそうに喋り出していた。我が家では、がさつな兄を筆等に男気の多い環境でしかなかった、唯一母だけが、彼女のより所だったが、その存在も無くなってしまった今、雪乃としては、優しい姉の様な三芳姉妹の温もりはきっと有難いものだったのだろう。夕食が済み一息つくと

「さて、ジャグジーに入るぞ。」葵さんが号令の様に宣言した。

「ええ、直ったんですか?」

「おう、床暖房工事のついでに直してもらったぞ、しかもヴァージョンアップしてな。だからみんなで入ろう!」

「僕は後からで結構です。ああ、お先にどうぞ。」僕は、ネットからサーバーのアップヴァージョン版をダウロードし始めていた。

「それは、付き合いが悪いと言う物だろう!」

「でも雪乃も居るし・・・」

「えー、小さい頃は二人で一緒にお風呂入ったじゃないの!」

「それは、小さい頃の話だろうが、第一恥ずかしくないのか?」

「別に、お兄ちゃんとなら平気だよ。」

結局、三人に押し切られた様な状況で、初めての公孫樹の家でのジャグジーに入った。葵さんの言う通りグレードアップしたジャグジーには、大きな天窓が付けられ、開放すると露天風呂さながらの状況となり、テレビやステレオまで備え付けられていた。湯船はマンションの物より一回り大きく、泡風呂以外にジェット水流のマッサージ機能が付いていて、リラックス出来るよう工夫されていた。雪乃は僕に貼り付く用に隣に寄って来て

「お兄ちゃんと一緒に入るのって何年ぶりかな?家の風呂じゃ、狭くて入りたくても入れないものね。」

「ああ、かんな婆ちゃんの所以来かな。」

「ああ、そうだね、あそこは広いものね。」

三芳姉妹が、興味深そうな眼差しで僕らの話を聞いていたので

「母方の、祖母です。まだ現役の巫女で、あの土地では、北のかんなぎ、かんなぎと言うのは、所謂巫女さんの事なんですが、その昔は、男女問わす神職を営む人をかんなぎ、て言ってたそうなんですが、五、六年前までは沖縄に南のかんなぎと言われる巫女さんが居たんですが、その方が亡くなられてからは、婆ちゃんが唯一のかんなぎなんです。ぼくらは小さい頃からかんな婆ちゃんて呼んでましたけど。」

「朱鷺神社の総代の方か?」

「うーん、そう言われればそう言う立場の人かもしれませんね。海が好きだった母が唯一連れてってくれた山が、婆ちゃんの所だったんですが・・・」

「その母上も朱鷺神社の巫女さんだったんだろう?」

「ええ、巫女なのは事実なんですが、何故か、それを捨ててまで、親父と一緒に成った訳なんですが・・・婆ちゃんと喧嘩したて訳でも無さそうだし、」

「結局、そのかんなぎの後を継ぐ者が居ない訳だな。」

「本来なら、僕か、雪乃て事に成るんでしょうが、僕らはそのための教育を受けていないので、無理なんです。」

「教育?」

「ええ、三歳位から始まるらしいんですが、書物による知識から始まって、滝行や山渡りそれと舞やらとかなり厳しい修行の様なものらしいです。」

雪乃の拙い説明と、僕の断片的な記憶の話でその夜は更けていった。


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