第31話 非情

     ◆


 医者の元へ戻ると、医者は座り込んでミツの脈を取っているようだった。

 こちらを振り向き、首を振る。

「意識が戻らない。毒が何なのかわからないからだ」

「申し訳ありません」

「謝る必要はない。出来る限りの事はしたのだろう?」

 そうですが、と答えるが、うまく声に力が入らなかった。

 ミツだと気づくのがもう少し早ければ、そしてもっと思考が巡っていれば、それであの陰謀は不発のままで終わりだったのだ。

 ミツを捕まえることも、ノヤに液体を飲ませないことも、選択できた。

 しかしあの時のラクという剣士の言葉を疑えなかった。

 卑怯な行いをしないように誓いを立てる。

 そんな話は聞いたことがない。まったくのデタラメ、創作なんだろう。

 ただしあの時のノヤには、ヒロテツに対して卑怯な手段で勝ちを拾った過去があった。あれがなければ、ノヤは堂々と、卑怯なことなどするつもりはない、誓いを立てる必要もないと、言い返すことができた。

 それなのに、あのヒロテツとの一度の決闘がノヤを縛り付け、非合理な相手の策略に乗せられる結果を生んだ。

「お前さんの名前は?」

 思考に沈んでいると、医者が声をかけてくる。

 医者に名乗っていなかったのか。それもそうか、初めて会った時から一週間も過ぎていない。

「スマと申します。そちらは?」

「キジというものだよ。ミツは当分、目覚めないだろうから、この部屋に置いておくことにする。その様子ではどこかの御仁がこの娘を狙っているのかな」

「オリカミ家の、マサジ様が」

 あのドラ息子か、とキジが顔をしかめる。

「あんな若造は放っておけ。ミツに対して、責任を果たすことを考えろ」

「責任、ですか」

「このままここに放っておくのか?」

 旅を続けたいのです、と言える雰囲気ではなかった。

 そこまでの責任をキジも望んではいないだろうが、ミツが生きていく術を作る程度には、手を尽くさないと道理に反するだろう。

 ミツが例え、あの瞬間に死んだ方が良かったと思ったとしても。

 医者の元を辞して、自然と足は女郎屋の菱屋の方へ向いた。玄関口の用心棒も客引きもほとんど素通りさせてくれる。

 上がり込み、表ではない建物、遊女が普段の生活をする裏側にある小さな建物の座敷の一つで、シユはすうすうと眠っていた。

 そのすぐ横に膝をついて座り、思わず息が漏れた。

 彼女にも、兄が切られたという事実を伝えないといけない。それも、正々堂々と渡り合ったのではなく、卑怯な手段で暗殺されたことを。

 この事実をシユはどう受け止めるだろう。

 似たような場面は旅の途中で何回かあった。

 相手をどうしてでも殺そうとする者もいれば、驚きから呆然とする者、正気を失ったように泣き出す者、暴れる者もいる。

 人の数だけ答えがあるのが、親しいものの命を奪われた者の態度なのだ。

 夕日が部屋を染めて、小さな声を出してシユが起き上がった。こちらを見て、にっこりと笑みを浮かべるが、何かに気づいたらしい。

「不穏な顔をしているわね、スマ様。何かありましたか? いえ、何がありました?」

 心を決めて、冷静に、ノヤが死んだことを告げた。

 キセルの用意をしていたシユの手が一瞬だけ、止まる。だがすぐに動きを再開した。

「本当のことですよね、それは」

「嘘をつく理由がないですね。その場に立ち会ったのです」

「相手はどんな剣士でした?」

 言葉を選んでも、事実が変わるわけではない。

 相手の剣士は平凡な剣士だったが、その剣士を切る前に毒が体の自由を奪い、相手を切った直後を暗殺者に殺された。

 胡乱げにシユがこちらを見る。

「暗殺者?」

「ヒロテツ殿の家族の、タルサカ殿とミツ殿です。暗殺ではなく、手の込んだ敵討ち、と取るべきかもしれませんね」

「ミツ殿……、どこかで聞いたような……」

 それはハカリが女郎屋に連れ込んだからだろう、というと、そうそう、とシユが何度か頷く。

「あの若い娘がそうなのね。でも、別のところでも聞いたわ。あれは、オリカミ屋敷でですね」

「オリカミ屋敷?」

「マサジ様があの娘の名前を口にしました。よく聞こえませんでしたし、ハカリ様が彼女をマサジ様のところへ連れてくる手はずだった、みたいなやりとりだったかもしれません」

 何かが引っかかった。

 マサジがミツを知っている。そのマサジとミツは、それぞれにノヤを殺そうと考えていた。

 二人が協力することがあるだろうか。

 タルサカとミツは無名とはいえ、剣士を雇ったし、毒を用意した。

 マサジと兄妹の両者が繋がれば、いくつかの問題は解消される。金銭の問題や、毒の入手手段がだ。

 では、ノヤの道場へ後からマサジがやってきたのは、何か裏があるのか。

 ノヤの死を確認する必要はあっただろう。自分に剣術を教える立場でもある。しかしもし想像の通りなら、それは師の亡骸に手をあわせる以上に、タルサカとミツのことを知りたかった、その顛末を知りたかったから、道場へやってきたのだ。

 あの場を預かると宣言したのも、そのためか。

 つまりミツは自分を売って、ノヤを殺すことに成功したことになる。

「女が結局は、問題ということかもしれないわねぇ」

 平然とキセルを口元にあてがいながら、シユが言う。雨戸を開けに行き、そこにはオリカミ屋敷とはまた違う中庭があった。

「ノヤ殿の死に何も感じないのですか、シユ殿は」

「悲しいわね。しかしもう、私とは遠く離れて生きていた人ですから、血は繋がっていても他人です。そんなことを思う私は、非情ですか?」

「非情で、冷酷だと思います」

 そう応じると、ピクリと肩を揺らし、シユがこちらを見る。その能面のような顔に、しかし、と言葉を向けた。

「しかし、それが人間の本質かと存じます。人間は、そういう不可思議なものです」

 こちらを見据えてから、かすかにシユの唇の両端が持ち上がった。

「面白いお方」

 頭を下げると、シユが煙を吐き出す呼気の音が聞こえた。

 紫煙はあっという間に、溶けて消えたことだろう。



(続く)

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