第28話 整理

     ◆


 シユが女郎屋へ戻るというので、そこまでついていったが、店の前で別れるはずが「お風呂に入りなさいね」と言われて、風呂もいいかもしれないと心変わりした。

 女郎屋で女を買わずに風呂に入る男も珍しいらしく、夜の仕事を終えた遊女からも、気を抜いている用心棒の剣士達からも、好奇の目を向けられてしまった。

 温まって、下女に案内された部屋にいると、やはり風呂に入ったらしいシユがやってきた。今までで一番質素な、地味な着物を着ている。

「これはお耳に入れておくべきだと思うのですが」

 下女がお茶を置いて去って行ってから、シユが少し声を小さくした。

「マサジ様が、リイ殿にノヤ殿を切らせる相談をしています」

「え? 本当ですか」

「昨夜、そのようなやり取りがありました。ハカリ殿が切られた責任を取らせるとか」

「よくわかりません。ハカリ殿を切ったのは私です。そのことをマサジ様は知らないのですか?」

 ええ、ええ、とシユが苦笑いする。

「マサジ様は、まだ下手人をご存知ありません。もしご存知なら、昨夜、スマ殿を見たときに仲間をけしかけていますよ」

「マサエイ様はご存知でした」

「親子でも同じことを知っているわけではないのですね」

 わけがわからない。ノヤとの決闘を止めたのはマサジだった。

 整理しましょう、とこちらから促すと、無言でシユが頷く。

「マサジ様は、ハカリ殿が何者かに殺され、オリカミ家に泥を塗った、その責任のようなものハカリ殿と同門のノヤ殿に向けようとしている。そういうことですね。しかしハカリ殿とマサジ様にどのような関係が」

「ハカリ様はマサジ様に女をあてがうことで、銭を受け取っていましたからね。それくらい、親しい間柄ということ」

 今までそこに考えが至らないのは、不覚だった。

 そもそも、ハカリと親しいシユが、ああしてマサジに平然と声をかけられているのだ。ハカリとマサジの間に女を介した関係があると考えるのがまっとうな考えからの結論だったはず。

 迂闊。そうとしか言いようがない。

 ただそうなってしまうと、自分の立場の危うさにも気付かざるをえない。

「そうなると、マサジ様はことが明るみに出た時、もしやハカリ殿を殺してシユ殿を奪った、と思われるのではないですか?」

「ありそうなことですね。今、お気づきになるとは、スマ様も賢くていらっしゃる」

 なんてことだ。

 嬉しそうに笑うシユを睨みつけ、ため息が口から漏れていた。

「冗談じゃないですよ、シユ殿。余計な問題を背負いこみたくない」

「でももう、私と同衾したでしょう」

 反論できないのが悔しいが、事実は事実だ。

「大丈夫ですよ、スマ様。私の口は堅いですからね」

 頼みますよ、としか言えない。こういうのが弱みを握られるというのだろう。

「私は今日は仕事をせずに休みますが、スマ様はどうされるのかしら?」

「気になる方がいるので、そちらを訪ねます。シユ殿は、この店を出ないように。ハカリ殿の仲間が何かを画策するかもしれませんから」

「マサジ様の不興を買うことをするでしょうか」

「わかりません。わかっていれば、対処できますが、わからないからこそ用心するのです」

 含蓄がありますね、とシユは笑っていたが、店にいることを約束してくれた。

 本当は少しは眠りたかったが、風呂に入ったからか、気力は回復していた。

 外へ出て、周囲をさりげなく気にしながら、街を横切り、長屋の群れのある区画へ行く。生垣の横を抜けた。もう線香の匂いもしない。

 タルサカとミツが暮らす部屋の前の引き戸を叩き、声をかける。

 返事がない。

 反射的に血の匂いがしないか確認したが、するわけもない。

 引き戸を開けてみた。中は薄暗く、縁側の方の雨戸が閉まっているようだ。人がいる気配はない。タルサカとミツはどこへ行ったのだろう? 揃って出掛けたのだろうか。

「あんた、二人の知り合いかい?」

 声をかけられたので、そちらを見ると長屋の住人らしい初老の女性が何かのかごを手に立っている。

「タルサカ殿とミツ殿を訪ねてきたのですが、どちらかへ出かけているのですか?」

「ここは引き払ったよ」

 引き払った?

「いつのことでしょうか」

「昨日だよ。例の人斬りが殺されて、さすがに周りの目が気になったんだろうねぇ。夜逃げみたいなものさ」

 女性の言葉は、知っている兄妹二人の雰囲気とは相容れない。

 タルサカもミツも、ヒロテツをどこか認めている雰囲気だった。決して自分の父親を卑下したり、恥ずかしく思っていた様子はない。それは二人からも、あの部屋の空気からも、感じ取れたことだ。

「どちらへ行ったか、ご存知ではないのですよね」

「当たり前さ。あんな人斬りの子供とは、関わり合いになりたくないね」

 息を吸うような音で笑いながら、女性が離れていく。

 こうなってしまうと、タルサカとミツを追う手段がない。

 そんな状態こそが、タルサカとミツの望んだ形なんだろう。二人はひっそりと姿を消し、次に姿を現わすときは、目的を達する時なのだ。

 ノヤを暗殺する可能性が、ぐんと高まったのを感じた。

 正々堂々と殺すわけではない、闇討ちにするのではないか。力量で劣る人間が、自分より強い人間に勝つには、そうしなくては勝てないから、これは当然の発想だ。

 ではどこで刃を抜くのだろうか。

 すでにタルサカとミツの兄妹を追いかける手段がない。それならノヤのところへ行くべきか。ノヤが油断するとは思えないが、何気ない瞬間に気を緩めるのを、待っているかもしれない。何かの影からノヤを見張るタルサカの姿が想像された。

 長屋を離れて、ノヤの道場へ向かうことにする。

 足早に路地を抜け、通りに出る。

 不安からか、足は自然と駆け足になった。

 道場が見えてくる。今までのように中を覗いている町人も見える。異変は起きていないようだ。

 道場の中に入ると、門人たちに稽古をしていたノヤが気づき、やや驚いている。

 安堵して頭を下げると、ノヤがこちらへやってきた。



(続く)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る