第22話 覚悟

     ◆


 夕日が差す頃、長屋へ行ってみた。

 線香の匂いが漂い、ヒロテツたちが生活していた部屋に入ると、真っ先に棺が見え、その次にこちらを振り向いたタルサカとミツが目に入る。

 二人ともが平伏するように頭を下げた。

「そのようなことはしないでください」

 そう声をかける自分が落ち着き払っていて、どこか自分の姿が滑稽だ。

 命の取り合いを目撃し、また実際に他人の命を奪って、それが平然としているのでは、まるで何かを演じているようだ。

 剣士という生き物は、こういうチグハグなものなのかもしれない。

「タルサカ殿、楽な姿勢を取ってください、怪我に障ります」

 タルサカが緩慢に姿勢を戻し、こちらへ、と示すので上がり込んで、棺の中を確認してみた。

 穏やかな表情でヒロテツが目を閉じている。血の匂いが漂い、つい数日前のことだというのに、腐臭さえも感じられた。

 それからタルサカがヒロテツを葬ることについて話したが、銭がないので共同墓地のようなところへ埋めるという。棺さえも借り物で、埋めるのは死体だけらしい。

 それでは故人を偲ぶものがないようだが、位牌は作るとも言っていた。

 そんな話をしている間、ミツはじっと座っていた。一言も口をきかず、俯いている。

「ミツ」タルサカが妹に声をかけた。「お礼を言いなさい。お前を救ってくださった方だ」

 しかしミツは無言で、身じろぎもしなかった。

「ミツ、何かお礼を言いなさい」

 そう兄にもう一度、促されて、やっとミツは顔を上げた。

 真っ青で、しかし瞳には強い指弾の色があった。

「あのような残酷なことを、なぜしたのですか。あのような、なぶるようなことを」

 タルサカが息を飲む横で、ミツは怯えもなくまっすぐにこちらを見ている。

 その視線には批判の色しかないが、それが当然。

「怒りに支配された、と言えば、信じてもらえますか?」

「私のみっともない姿に、ですか?」

「それもあるでしょう。それよりは、自分の愚かさ、至らなさにも、怒りを感じました。何事も起こらぬうちに、あなたを救うことができたのではないか。そう思いました」

 ミツの怒りは、消えないようだった。

「これでも女です。覚悟は常にしています」

「それでは、こちらの方が未熟だったということでしょう。あなたを見くびったことは、謝罪します。ですが、それはこちらの怒りとはまた別のこと」

「あなた自身が鬼だということと、そういうのですね」

 鬼か。

「剣を持つとは、鬼になることかもしれません。ヒロテツ殿も、そうではありませんでしたか? ミツ殿」

 ミツは返事をせず、じっとこちらを見ている。

 その瞬きをしない瞳に涙が滲み、スッとひとすじ、頬へ溢れる。

「父も鬼だったかもしれません。人でいてくれれば良かったのに……」

「ミツ殿には、おそらくわかりますまい」

「分かりたくもないです、剣を取る人の気持ちなど」

 スッと立ち上がり、ミツは棺の横を抜け、縁側の方に小走りで去っていった。

 ミツが喋っている間、黙っていたタルサカが、ススッとこちらににじり寄った。そして二人だけに聞こえる小声で言った。

「ノヤを、切ろうと思っています」

 思わず目を細めてしまうが、タルサカは冗談を言っているようでも、ふざけているようでもない。真剣で、切実な瞳だ。

「父の及ばなかった相手を、私に切れないことは、私自身がよく知っています。それでも挑むべきだと感じています」

「それは命を捨てるのと同義です。おやめになった方がいい、タルサカ殿」

 タルサカは少しも動じなかった。それは危険な兆候だ。

「タルサカ殿、ミツ殿のことを考えてください。ミツ殿を一人にするつもりですか?」

「あれでもヒロテツの娘ですから、覚悟もできるし、生きていく力もあるでしょう」

「覚悟はそのように都合のいいものではありません。父と兄を立て続けに失う悲しみや苦しみを、ミツ殿に強いるつもりですか」

 その言葉は明らかにタルサカが返り討ちにあうことを前提としているが、タルサカにはそれは気にならないようだった。

「タルサカ殿。生き延びることです。剣だけが人の道ではありません」

「これでも、ヒロテツの血筋なのですよ」

「血筋など、何の意味もない」

「私には意味がある」

 どうやらもうタルサカを翻意させるのは難しいと悟らざるをえなかった。

 ノヤに頼んで、タルサカを殺さずに収められるだろうか。

 しかし、気にかかることもある。タルサカはおそらく、ノヤがヒロテツに卑怯な手段を用いたことを聞き及んでいる。それならタルサカがノヤに卑怯な手段を講じない理由がない。

 暗殺などしないと思うが、それに近いことはしそうだった。

 タルサカをジッと見据えると、彼は少し表情を緩め、「食事を召し上がりますか?」と言った。その先ほどとの落差に、逆に彼の覚悟、まさに悲壮な覚悟が見て取れて、さりげない言葉で丁寧に断った。

 長屋を出て、ジッと立ち尽くして、考えた。

 課題は三つ。ハカリの仲間が、狙ってくる可能性がある。それとは別に、ノヤとの密約を受けるかどうか、決める必要がある。そしてタルサカを守らなくてはいけない。

 いつまでも立ち尽くしていても仕方がないので、旅籠へ戻ることにした。

 大通りに出て進んでいく。誰にも尾行はされていない。監視もされていない。

 旅籠に無事にたどり着いて中に入ると、一階の座敷で大勢が食事をしている。

 空いている席はあるか、と見ていると、宿のものが近づいてきた。

「お客様がお待ちですが、スマ様のお知り合いだと伺っております」

「客? 覚えがありませんが、名前を聞いていますか」

「へぇ。シユという名前の遊女でございます」

 遊女か……。

 部屋に食事を運べるか確認すると、できるという。二人分ですか? と聞かれたので、少し考えて二人分を頼んだ。

 階段で二階に上がり、部屋のふすまを開くと、タバコの匂いが漂った。

 外が見えるところに座り込んで、派手な着物の女がキセルをくわえていた。



(続く)

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