第13話 書状

     ◆


 医者はタルサカの傷を縫合し、軟膏を塗った布を当てて縛り付けた。

 銭を払って薬を受け取り、そのまま外へ出た。すでに昼をだいぶ過ぎて、太陽が低くなっていた。長屋へ帰るタルサカと並んで歩き出した。

「先ほどは何をしたのですか?」

 ハカリの剣を彼が受けた時の話らしい。

「スマ殿が何かをしたはずだ」

「石を投げました。礫のようなものです」

「あの時、剣の筋が変わった。あれがなければ、私の命はなかったと思いますが」

 投げた小石はハカリの手首に当たったのだ。その痛みと衝撃でハカリの剣が鈍り、結果としてタルサカは軽傷で済んだ。

「本当は昏倒させたかったのですが、その余地がなかった」

 礫を投げる訓練は故郷で繰り返しやっていた。動物を捕まえるのにも使えるからだ。

 それでもただの小石に人を失神させるような打撃力を持たせるには、それなりの姿勢と予備動作が必要になる。あの時、その姿勢を作って体を動かすことをしていれば、その前にハカリの一撃がタルサカを殺してしまっただろう。

 だから威力を犠牲にして、一番早い動きで小石を投擲した。

「スマ殿は何でもできるのですね」

「環境に恵まれたからでしょう。それより、ハカリ殿は何故、ミツ殿を?」

 今はそれが一番の興味の対象だった。

 あのハカリの様子は常軌を逸している。

 タルサカが苦々しげな顔になるのを横目に見た。

「茶屋で見初めたと言って、嫁にもらいたいと言っているのです。しかしミツにその気がなく、色々と言い訳をしてはぐらかしていたのですが、ある時、ミツがとんでもないことを口走ってしまいまして」

「とんでもないこと?」

「父よりも強い剣士になら嫁いでもいい、などと、言ってしまったのです」

 それは、と思わず、衝動的に苦笑いしてしまった。

 ヒロテツの剣術を実際に見ていないが、十七人も切った熟練の剣士より、実績を持つ剣士はそうはいないだろう。

「どうやらハカリ殿は、そのミツ殿の相手になる、と勘違いされたのですね。彼の仲間がやってきて、刀を抜いたのですよ。どうしたらいいでしょう」

 こちらから確認すると、申し訳ないのですが、とタルサカが前置きした。

「イチキの街を出て行かれるのが、よろしいかと思います。情けないいざこざに巻き込んでしまい、お詫びのしようもありません」

「いえ、旅の途上ではよくあることです」

 しかし、すぐにイチキを出立することができない事情が、長屋で待ち構えていた。

「決闘……?」

 長屋の縁側で、ヒロテツからの声を聞いて、タルサカが眉をひそめているのが見ずとも、玄関でもわかった。タルサカがこちらを振り返り、それから父の方へもう一度、向き直った。

「ノヤ殿がなぜ、そのようなことを?」

「剣術の完成のため、とか書状にはあったな。これだ」

 差し出された書状を受け取り、タルサカがため息を吐く。こちらには背中しか見えないが、タルサカの苦悩ははっきりしている。

「無駄な殺生はしないでください、父上。もはや乱世ではありません」

「乱世はまだ続いているのだろう。あるいは私という亡霊が、それを繋いでいるのかもしれない」

 淡々とそう言ってから、ヒロテツが縁側から身を捻ってこちらを見た。

「スマ殿。将棋の続きをしよう。決着をつけたいものだ」

 一礼して上がり込み、書状を繰り返し読んでいるタルサカの横を抜け、縁側に座り込んだ。もう一度、タルサカがため息をつき、「仕事をします」と言って書状をそっと文机において傘の骨組みに和紙を貼る作業を始めた。

「勝てると思うかな、私が」

 小さな声でヒロテツが確認してくる。将棋ではなく、ノヤに勝てるか、ということだろう。

「なかなかの使い手です。木刀を向け合いましたが、容易ではないかと」

「私が死んだ後、息子と娘を頼めるかな」

 これには思わず息を飲んでしまった。

「ただの旅の剣士ですから、何もお約束出来ません」

 そう応じると、忍笑いが傷だらけの顔の男から漏れる。

「それもそうか。世間はこのように、生きにくいものだな。そもそも生きやすければ、このようなことにもならない」

 まさにそうだろう。

 人が命をかける場面というものは、自然な生き方とは何かが違う。

 命が終わる場面が寿命であることが、きっと自然なのだろう。それなのに、今の世間では剣を持つ者がおり、そして命を奪われる者がいる。

 しかし剣を持つ者がいる限り、こちらも剣を持たなければ、無為に自分や周囲の誰かが命を奪われてしまう。

 全員が一度に剣を捨てれば、何かが変わるだろうか。

 ただし、剣によって生きているもの、生活を営んでいるものもいる。

 それこそが、生きやすい社会、をはるか遠くに追いやっている根本的な事実なんだろう。

「死ぬつもりですか?」

 こちらから言葉を向けてみると、かもしれない、と低い声がした。

「いつも死ぬつもりで、敵に向かっているよ。違うかな、若い方」

 からかうような口調の奥に、本心が見えた気がする。

 彼の剣は、死を覚悟するところから始まるのだ。

「決闘はいつです?」

「三日後、オリカミ屋敷の正門前にて、とあった」

「なぜそんな場所で?」

「オリカミ様が見たいのでしょう。そしてこの老いぼれが死ぬところを、はっきりとさせたいのでしょうな」

 自分の屋敷の前で人が死ぬのが見たいとは、腐りきった性根である。

「見物していてください。私の剣を見る機会も、そうないでしょうから」

 勝つ自信があるようでもないが、そう嬉しそうに言いながら、ヒロテツがまず一手、指す。

 少し考え、こちらが一手を指す。

 厳しいな、とヒロテツが呟き、顎を撫で、唸った。将棋はまだ始まったばかりだ。厳しいといったのは、別のことか。

 とにかく、三日間は、この街を出られないことになった。



(続く)

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