第7話 対面

     ◆


 翌日、旅籠の一階で他の客に混ざって食事を食べ、身支度を整えて外へ出た。イチキの町はすでに日々が始まり、人々が通りを行き来している。店では客引きが賑やかな声をあげている。

 何かを買って行くべきかと思ったが、何も知らない相手に何が喜ばれるかはわからない。

 それでも、と目に付いた菓子屋で豆大福を買った。

 通りから脇道へ入り、さらに先へ進み、路地を抜けるとそこに低い生垣がある。

 その向こうに長屋が見えた。

 生垣に沿って進むと目の前を子供が数人、走り抜けていく。それと入れ違いになるように、長屋の群れの中に進んでいった。

 朽木と呼ばれる男性の本当の名前はわからない。

 ちょうど通りかかった長屋の引き戸が開き、中年女性が出てくる。質素な着物を着ていた。

「失礼ですが」

 そう声をかけて、人を探しているのですが、と口にする前に女性が口を開いた。

「あの人斬りはあそこよ。あの丸に金の字の家。死なないといいわね」

 バタバタと女性は横をすり抜け、井戸の方へ行くようだ。

 その女性が指差した方を見ると確かに、引き戸の障子に丸に囲まれた金の字が描かれているのが見えた。

 その前に立ち、少し躊躇ったのは、朽木と呼ばれる男性にあるいは恐怖心と警戒心が呼び起こされているからかもしれない。

 一度、意識して呼吸した。

「ごめんください」

 そう声をかけると、へい、と声がした。女性の声だ。まだ幼いような響きがある。

 戸が開くと、若い女性が出てきた。丸い目でこちらを見て、すぐにその視線が腰のあたりを見たのがわかった。剣を確認したのだ。

 途端、女性の表情が変わるのを見て、しかし彼女が口を開く前に手に持っている包みを持ち上げてみせる。

「血生臭い話ではありません。お話をしたいだけです」

 そんなことを口走る剣士が意外なんだろう、目を怒らせようとした表情を急停止させ、女性はまだ疑り深そうにこちらを見ている。

「入ってもらいなさい」

 部屋の奥からそんな声がした。はっきりした声だけれど、長い歳月を感じさせるどっしりとした響き、声のしわがれの奥にある。

 女性がちらっと背後を振り返り、ため息を吐いた。諦めというより、呆れているような息の吐き方だ。そしてすっと道を開けた。女性はどうにか表情から険を消そうと努力しているように見受けられた。

「中へどうぞ。私は仕事に行かなくてはいけないので、お構いもできませんが」

「突然の訪問、かたじけなく思います」

「兄が今、出かけていますが、すぐに帰ってくると思います。お侍さん、お名前は?」

 ああ、そう、名乗ってすらいなかった。

「スマと申します」

「私はミツと申します。それでは」

 ちょうど出かけるところだったのだろう、女性は玄関口にあった小さな包みを手に取り、駆け出していった。

 長屋のその部屋の中に入ると、方角の関係だろう、中は日が差さずに薄暗い。それでも傘張り職人の典型的な道具があるし、上等そうな和紙の束も見えた。

「こちらへどうぞ」

 そう言っているのは玄関のある部屋の、その奥にある狭い部屋のさらに向こう、裏庭に面した縁側に腰掛けている男性だ。背中を向けていて、まだ顔は見えない。髪の毛には白いものが混じっているようだ。

 失礼します、と断って土間から上がり、ゆっくりと畳を踏んで室内に進む。他人の家なので、やや気が引けるが、相手が動こうとしない。

 縁側のすぐそばで、膝をついたが、まだ相手は振り向きもしない。

 小さい後頭部を見ながら、名乗ることにした。

「スマと申します。朽木様という剣士の話を聞き、ここに参りました」

「朽木というのは、今の私のこと」

 そう言って振り返った顔を見て、さすがに息を飲んでしまった。

 その顔には無数の浅い切り傷があり、深い傷が顎に一筋と左頬から額に一筋、走っている。左目がやや濁って見えた。

 顔を覆うそれらの大小の傷跡が、まるで皺のようにも見え、年齢以上に年老いて見せるように感じた。

 朽木、つまり朽ちる木のような外見、というところから来た名前か。

「お名前をおうかがいしてよろしいですか?」

「ヒロテツ。しかしその名で呼ぶものは家族くらいです」

 見た目の剣呑さと裏腹に、男は嬉しそうに穏やかな口調でそう言った。

「そちらの包みは?」

 ヒロテツの方からそう促してくるので、やっと豆大福のことに意識が向いた。

「何も持参しないのは失礼と思い、菓子を持って参りました」

「それは良い。茶も出せなくて申し訳ないが、いただくとしよう。息子が帰ってくるまで待つ必要もあるまい。こちらに座りなさい」

 そういって縁側の自分の横を叩かれたので、一度、頭を下げてからそこへ膝を進め、腰を下ろす。

 広げた包みから豆大福を手に取るヒロテツの手の動きはややおかしい。おそらく肘のあたりを怪我したのだろうと推測できた。力もあまりこもっているようではない。

 その上、不自然な動きのその腕は、彼の右腕だった。

 誰が決めたのかは知らないが、剣術では右腕が重要になる。起源がわからないものの、大抵の剣術が右腕を中心に構築されている。剣を腰の左に差すことも理由かもしれない。

 この前提から左利きのものは右利きに矯正するほどなのだ。

 ただし二刀流などで、わざと右手に短刀を持ち、左手に長剣を持つような、変則的な流派もある。

 とにかく、一般的な剣術の範疇で考えれば、ヒロテツの腕の不自由さは剣士として致命的に見える。

 特に会話もないまま、並んで豆大福を食べた。

「どちらから来られたのかな、スマ殿は。どうやら長い旅の途中のようだ」

「わかるのですか?」

「言葉に不思議な訛りがある。以前、似たような口調の男を切ったことがある。北から来たと言っていたな」

 切ったことがある、などと大抵の人間は口にしないが、この男性の低い声には、不思議と違和感がない。

 その雰囲気や気配、言葉の響きに、説得力がある。

 手を血で汚した人間の、不可思議な説得力だ。

「確かに、北から参りましたが……」

 そこまで言ったところで、背後で引き戸が開く音がして、誰何する声が上がった。

「誰だ! そこで何をしている!」

 若い男の声だ。ミツの兄だろう。

 礼儀と思って縁側に座る姿勢から、振り返って正座をして頭を下げた。

「何をしている!」

 相手は怒鳴りながら駆け寄ってくると、そのまま襟首を掴んで持ち上げてきた。

 そこにはどこかヒロテツと似たところのある風貌の若者の顔があり、眉間には皺が寄り、歯をむき出しにしている。顔どころか首まで怒りで赤く染まっていた。

「落ち着きなさい、タルサカ。お話をしに参られた方だ」

 そうヒロテツが小さな声で言うと、若者は自分の父親を睨みつけ、こちらを射殺さんばかりに視線で串刺しにしてから、やっと襟首を放した。

「スマと申します」

「俺はタルサカというものだ。失礼した」

 やっと冷静さが戻った若者に、初老の男が笑いを含んだ声をかける。

「大福をもらったよ。お前もいただきなさい」

 はい、とまだどこか強張った声で返事をして、タルサカが腰を下ろし、意外に様になる綺麗な姿勢で、こちらに頭を下げてから、豆大福に手を伸ばした。

 この親子には不思議なものがある、と思いながら、しかし二人がなかなか会話をしないので、こちらとしても、黙っている形になった。

「本当に父を切りに来たのではないのですか?」

 やっとタルサカが声を発したが、縁側と大福には不釣り合いな、物騒な内容だった。



(続く)

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