変態ボーダーライン

藤野すその

どうして、そんなにエロゲが好きなの?

「君、テニスに興味ない!?」

「軽音楽サークル! 三時からここでライブします!」

「うちは初心者でも大丈夫だよ!」

「明日飲み会あるからどう? 来るだけでもいいから」


 あちこちから声を掛けられる。噂には聞いていたが、入学式を抜けた途端にこの勧誘合戦だ。油断すればそれこそ引きずり込まれそうな熱気だ。僕の手は瞬く間にビラで埋まった。断るより先に手の上に載せられるのだからたまったものではない。

 捨てようにも捨てられず、かといって鞄にしまうには邪魔過ぎる。さてどうしたものかと思いながら歩いているとさらに量が増える。一体僕にどうしろというのだろう。


「だけど今日から僕も大学生だ」


 大学といえば人生の夏休み。うっとおしい受験勉強を超えて、ようやく楽しいキャンパスライフが始まる。

 右を向けば音楽が聞こえてきたり、左を向けば運動部の大きな呼び込みの声が届く。中には実演と評してパフォーマンスを行う場所もある。あちこちから聞こえてくる声は楽しそうなものばかりだ。この空気を味わうために勉強していたと考えると苦労もひとしおである。

 僕は手元のビラに目を落とす。大量の束の中から一枚のビラを抜き取った。


「文芸部……」


 僕はこの部活にとても興味を持っていた。恥ずかしながら作家志望である僕にとって、文芸部というのは一種の憧れだ。

 この大学には文学部があるし、図書館の蔵書も高校とは段違いだ。それに暇な時間も多く取れる。つまり、作家志望にとって天国のような環境だ。


「いやまあ、僕が目指すのはラノベ作家だけど……」


 笑いたくば笑え。この僕、橋上友樹は真面目な純文学など書く気はない。最近の若者らしく、ライトな物を書くのだ。


「真面目人ばっかだったら入るのやめとこ」


 自分は空気を読むことに定評のある男だと自負している。流石に真面目に研究している人間の中でラノベを書く気力は無い。成績優秀な文学部の集まりでないことを願おう。できれば不良でない程度の不真面目な人間であると助かる、僕のような。

 というわけでとっとと文芸部を見学したい所なのだが、一つ問題があり、今まさにそれに直面している。


「これどこなんだろう……」


 印刷が掠れているせいで場所がよく見えないのだ。こんな物を配らずにきちんと修正してくれと思ったのだが、まあ色々と事情があったのだろう。それに難癖をつけても事態が好転するわけでもない。


「何棟の四階なんだこれ」


 西か東か。この大学の人間なら知っているだろうか。とにかく適当な人、新入生ではなさそうな人に訊こう。スーツを着ているのはまず新入生だろうからそれ以外の……。


「あ、すみません。これってどこか分かりますかね」

「ん? 文芸部? ああ、西だよ。この道をまっすぐいったら分かれ道があるからそこを右行ったらすぐだよ」


 適当な上級生らしき人に声を掛けるとすぐに教えてくれた。なんとありがたい。二、三人に声を掛けることも想定していたため、少し拍子抜けだ。

 ジェスチャーで親切にも教えてくれた人にお礼を言い、言われた通りの道を歩く。ああ、楽しみだ。ついに始まった大学生活、楽しいものになるのだろうか。


「にしても変わり者だなあの新入生。うちの文芸部なんて」


 そしてこの時、僕は気づくべきだったのだ。文芸部という、言ってしまえば地味で目立たない部活の場所を、彼が当たり前のように知っていたことを。つまり学内では有名であるということを。

 であれば、僕の大学生活はもう少しまともになっていただろう。だがしかし後悔先に立たず、人が未来を知るのは不可能であり、今この瞬間に僕は地獄への一歩を踏み出したのであった。




 言われた通りの西棟へ。入学式当日ということもあって、ほとんど人はいない。廊下に自分の足音だけが反響する。心地いい、と表現するのは変だろうか。


「大学って広いな。うちの高校と大違いだ」


 あちこちを見渡しても綺麗で、やはり研究機関として高校とはまったくの別物なのだろう。人も設備も段違いだ。ぼろかった母校とは違う。


「……っとここか」


 目的の場所はすぐ見つかった。四階の角部屋、誰も来ないような隅っこが文芸部の場所だった。プレートには「文芸部」と書かれており、ここ間違いないことを示している。


「緊張するなあ……」


 中に明かりがついているので、誰もいないで肩透かしということもないだろう。ネクタイを締め直し、息を整える。そして扉をノックした。


「…………ん?」


 反応が返ってこない。明かりの消し忘れで実際は誰もいないとかだろうか。それは困る。ドアノブを回してみると鍵はかかっていないようだった。


「失礼しまーす……」


 入ってみることにしよう。ゆっくりと扉を開けていくと中に二、三人いることが分かった。机に座り、何か本を読んでいるようだ。文芸部としての活動だろうか。


(集中していて聞こえなかったのか? だったら悪いことしたかな――)

「こんなんじゃちんこ起ちません!」


 勢いよく扉を閉めた。そして回れ右。

 よし帰るか! 部屋の中でエロ本を床に叩き付けている人間は見なかったことにしよう。さーて今日は軽音楽サークルでも見に行こうかな! 文芸部? ゴミ箱に捨てたぜ!


「入部希望ですね。ようこそ、自由に見学してください」


 ガシっと後ろから肩を掴まれる。ゆっくりと後ろを振り向くと『絶対逃がさない』という目で僕を睨んで来る一人の女性。

 ――こいつ、殺る気だ! 反射的に振り払おうとしたところを更に強く掴まれる。どんな握力してるんだ。現代の若者は運動能力が低くなっているというのは嘘じゃないか。


「やめろ離せ! こんな変な部活にいられるか!」

「大丈夫大丈夫! お気楽なサークルだから! 飲み会行こう! 新入生はお金出さなくていいから! 先輩が優しく教えてくれるから!」


 怪しすぎる! 一度入ると蟻地獄が如く脱出できないのが目に見える。何とかして振り払おうとするがうまくいかない。ついには関節まで取ろうとしてくる。


「入部は強制じゃないし! 気に入らなきゃ帰ってもいいから!」

「それが人の腰に抱き付いて言う言葉か!?」


 ご丁寧に指を僕のベルトにひっかけている。絶対帰す気が無いのが丸分かりだ。なんだ!? この部屋の中では自称霊能力者が壺でも売っているのか!? だとしたら意地でも逃げなくては!


「離してくれ! 用事を思い出したんだ!」

「分かってる分かってる! 大丈夫だから! うん分かってる! 分かってるから! 分かってる!」


 絶対一ミリたりとも分かってねえ! 本当に僕の言いたいことを理解しているのなら、こんな風に引きずり込もうとはしないはずだ。


「……そこの二人、何をやっているんだ?」


 そこに一人の女性が通りがかった。長い黒髪を優雅に流している。先輩だろうか。綺麗な人だと素直に思った。背筋がピンと伸びているため身長が高く見える。思わず息を呑んで一目惚れ――と思ったが目がやばい。不審者を見るような目でこちらを見てくる。残念ながら不審者は僕じゃない。こっちの変な女だ。


「あ、部長! この人が私に無理やり迫って来て! 私怖かったです!」

「なんで流れるように嘘つくの!?」


 部長と呼ばれた彼女は上から下まで僕を眺めると、一つ溜息を吐いた。その行為すら大人びた仕草に見える、という分析をかませるほど残念ながら僕には余裕がない。


「……ま、ほどほどにな」

「何が!?」


 彼女は僕たちを無視して部室に入って行った。まさか見捨てられるとは思わなかった。いや、この部活の人間ということは同類なのか?


「分かった! 分かったから! 体験入部するから!」


 ついに僕は降伏した。もはやこれ以上の抵抗は無意味である。このまま廊下で奇異の視線に晒されるぐらいなら、妥協して言うことに従うことにしよう。


「よし! 若者は何事もチャレンジするのが大事ですよ」


 ここまでしておいて何がチャレンジだ。チャレンジは諦めという意味じゃないぞ。

 ニコニコと笑う彼女の前でネクタイを直す。この笑顔を最初から見せられれば喜んで体験入部もしただろうに……。大きく溜息を吐いて乱れた服装を整える。


「……入部はしませんからね」

「分かってますって」


 にこにこと笑いながら彼女は僕の肩を叩く。本当に、最初からこの笑顔であれば、何ら問題なかっただろうに。なぜエロ本を床に投げつけていたんだ。

 古びた扉を彼女が空け、僕がその後に続く。ま、体験入部程度なら問題ない。適当にやって終わらそう。


「新入部員一人ゲットです!」

「実は人の話聞いてないだろ!」


 分かってると返事をしたのは何だったんだ! 全然分かってないじゃないか。


「ちょっとー先輩には敬語使ってよー」

「やかましいわ!」


 中に入ると既に三人の人がいた。一人は先ほどすれ違った女性……部長と呼ばれていたからにはこのサークルの部長だろうか。長い黒髪が年上っぽさを出している。座っているからよく分からないがスタイルも良いのだろう。美人という言葉を体現したような人だ。

 そしてその横にはエロ漫画が積まれていた。ついでにエロゲらしきものも。机の上には所狭しと肌色の絵が積み重なっている。


(帰りてぇ……)


 ここまで楽しくなさそうなサークルもないだろう。やばそうな匂いがプンプンしている。


「一日目から新入部員とは珍しい。なぜこのサークルに?」

「彼、このサークルの理念に共感したそうで。ぜひ入らせてくれとのことです」

「……本当か?」

「何一つ合ってないことさえ除けば合ってます」


 そりゃそうだ、という顔をして彼女は苦笑いした。よかった、この人は常識的そうだ。とりあえず一時的にではあるが横に置いてあるエロ本からは目を背ける。

 残りの二人は男、なのだろう。推測なのは片方がこちらに背を向けたままだからだ。髪の短さや背中から分かる体つきから男だと考えるしかない。


「……ふーん」


 一人はパソコンの画面の反射でこちらを一瞥するだけで、それ以外は何もしなかった。不愛想といえばそれまでだが、それにしたってもう少し興味を持ってくれてもいいと思う。

 もう片方は完全な男だと分かる。縦にも横に恰幅の良い眼鏡の男。相撲取り、いやアメリカのコメディ映画の警官がこんな感じだろうか。席を立つとどしんどしんと足音を立てて僕に近づいてきた。


「新入部員でござるか! 実によいでござる!これからよろしく!」


 めっちゃ特徴的だなこの人! 語尾が特徴的すぎるだろ。しかも見た目忍者でも侍でもないから困る。ニコニコと朗らかに笑い、僕の手を握ってぶんぶんと振った。


「皆さん、とりあえず自己紹介しましょうよ。自己紹介!」

「む、確かに名乗らないのは無礼でござるな。では拙者から」


 ごほんと一つ咳き込むと、落語家のように饒舌に話し始めた。


「好きな物はメイドでござる、嫌いな物はメイド服を着た女でござる。よろしく。メイドといっても一口で様々あり、クラシカルなメイドから最近のゴスロリと混ぜた物まで様々でござる。前者はヴィクトリアンメイド、後者はフレンチメイドと呼ばれることが多いでござる。しかし真のメイド好きはメイド服が好きなのではなく、メイドの持つその雰囲気が好きなのでござる。雇い主と雇われの関係、お坊ちゃんと世話をしてくれる女性、仕事に生きる貴族と家の中で生きるメイド。そういった対比関係が大事なのでござる。あ、名前は大場勝義でござる。『大』きな『場』所の『勝』利の『義』理と覚えてほしいでござる」


 よく回る舌から繰り出されたのは性癖だった。僕の脳は数秒停止し、空気を求める魚のように口をぱくぱくさせるのが限界だった。

 メイド? 何? 何だ? 自己紹介、名前、学部や学科は? 言いたいことが色々あるが言葉が出てこない。


「……メイドが好きなんですか?」

「もちろん」


 違う、言いたいのはそんなことじゃない。もっとこう、根幹に迫る何かなのだ。僕の脳味噌を出会って五秒でスパークさせた理由なのだ。


「なぜ名前より先に性癖を……?」

「自己紹介だからでござるが? ちなみにメイド服という存在には意味があるでござる。メイド服は十九世紀に生まれたと言われているでござる。当時、高貴な人間、それも貴婦人に軽々しく声を掛けるのは失礼と呼ばれた時代だったでござる。だからこそ服装を統一することで女中と貴婦人の区別をつけたでござる。また地方の貧しい貴族は古着を着ることもあったでござる。故に区別をつけやすくするために特徴的な服を――」


 なんで僕が間違っているみたいな言い方をされねばならないのか。性癖は隠す者ではないのか。色々言いたいことはあるが、雪崩のようにメイドの良さを語られては口を挟むタイミングも無い。とりあえず次の人に目を向けよう。


「……好きな物はロリ。嫌いな物は背の低いだけの女。あと貧乳とロリを一緒にする奴。まったくの別物を一緒の分類に入れるな、検索しづらいだろ。以上」

「水田次郎さんです。クールキャラぶってるけどただのロリコンのコミュ障ですよ。仲良くしてあげてください」

「……それだと俺が危険な奴みたいだ」

「安心安全人畜無害なロリコンさんなので大丈夫です。ちょっと人とコミュニケーション取れないだけですから。ぜひ次郎さんと下の名前を読んであげてください」

「……俺はコミュ障じゃない」

「ロリコンなのは否定しないんですね……。まあその、よろしくお願いします」

「……………………あ、よろしく」

「今のは初対面の人に挨拶されて言葉が出なかっただけで、不機嫌なわけではないですからね」


 その脚注が無かったら僕は何も思わなかっただろうに。援護射撃をやり切ったと言わんばかりの顔をしているが、実際はただの誤射であることは黙っておこう。でなければ俯いて涙をこらえているこの先輩がかわいそうだ。


「私は山野井歌子です。好きな物は姉と妹。嫌いな物は血のつながっていない姉と妹です。何も義妹や義姉が悪いと言っているわけではありません。ただ血のつながった人間との恋愛との忌避感、躊躇いが姉ものや妹ものでは重要なのです。近親との恋愛が多くの文化ではタブーではありますが、同時に寛容な文化を育んだ場所もあります。世界規模で未だ家族との婚姻、近しい存在との血が混じることを忌避することが多いです。しかし古代エジプトなどでは血を濃くするために――」


 長い。この人も長い。そしてその全てが耳から抜けていく。この長文、聞く意味がないと判断し、脳が自動的に翻訳を拒否した。駄目だ。今すぐ帰りたい。僕は服を引きちぎってでもこの部屋に入るべきではなかったのだ。


「あ、それと私は呼び捨てにしてください。親友に敬語使われると距離が離れているみたいで嫌なんです。年齢とか気にしなくていいですから」

「勝手に親友にされてる!?」


 F1カー並みの速度で人間関係を縮めてくる。まだ出会って数分、名前を知って十秒である。


「人間出会ったその日からソウルブラザーですよ。というか私ずっと最年少だったから敬語使わるのって慣れてないんです。ぜひぜひ!」

「えーと、じゃあ山野井。よろしく?」

「歌子でいいですよ!」


 曲がりなりにも高校時代運動部に属していた人間としては、年上に敬語を使わないのはしっくりこない。だがしかし、現代日本ではグローバル化が進んでいるらしい。なら年上を下の名前で、それも敬語を使わないのも良いのだろう。


「ユーアーベストソウルフレンド! ビコーズ、アイムソーリーザットユーユーズザケイゴ!(あなたは最高の魂の友です! なぜなら私はあなたがケイゴを使うことを残念に思うからです!)」

「歌子殿! うちの偏差値がバレるでござるよ!」


 訂正。グローバル社会はまだ遠そうである。


「そしてボクがここの部長の柳田香苗だ。性癖としては……そうだな。ケモナーが多少入っているね。嫌いなのは耳と尻尾を付けただけの女。間違って欲しくないのだが猫耳だの犬耳だのを生やした程度ではケモノではない。ケモナーにおいて大事なのは人間との差を際立たせることだ。生活様式も文化も違うヒロインに対し、その壁を超えて愛し愛される。肉体に依存しない愛というのが大事なんだ。分かったかい?」

「はい、そうですね」


 適当に相槌を打ったがまったく分かっていない。雪崩れ込んでくる情報量で頭がパンクしないようにシャットアウトするのに精一杯だ。


「この四人が文芸部のメンバー全員だ。覚えたかい?」


 僕は記憶力に自信がある。その気になれば四人分の名前と顔を覚えることなど――。


(どうしよ)


 性癖カミングアウトのインパクトが強すぎて、そこしか覚えてない。ござるメイド好きがえーと誰だっけ? 無口なロリコンが次郎で? 僕を引きずり込んだ近親好きが歌子、そしてボクっ子ケモナーが部長で、名前……。


「……どうしたもんかなぁ」


 これでは僕がまったくの礼儀知らず、記憶能力なしだと思われてしまう。しかし僕の記憶を全て吹き飛ばすほどのインパクトを残した相手が悪いのではないだろうか。そんな責任転嫁を心の中で考える。


「なんだ、覚えられないのか」

「いや、性癖は覚えました。名前も多分……」


 嫌でも覚えてしまった、という方が正確かもしれない。僕の脳髄に焼き鏝よろしく押し付けられてしまったのだ。


「人の名前より性癖を先に覚えるとは……変な人間だな君は」

「あなたたちには負けると思います。ええ、本当に……」


 好きで覚えたわけではない。脳がコンピューターよろしく整理できるなら、今すぐにでも消去したい事項だ。何が楽しくて初対面の人間の性癖を知らねばならないのか。


「ここ、文芸部ですよね? 変態部とかじゃないですよね」

「……なんだその部活」

「楽しそうでござるが、拙者は変態じゃないから入れないでござるな」


 入れるよ、それこそ間違いなく。


「うちは間違いなく文芸部だよ。活動の合間合間に趣味としてゲームを作成している。あ、訂正。ゲームの合間合間に活動している」

「文芸部じゃないじゃないですか!」


 しかも嫌な予感がプンプンする。積まれたエロ漫画、よく見れば棚には怪しげなタイトルのDVDやらなんやらが詰め込まれている。

 ここまで見れば鈍い僕でも分かる。ゲーム制作、そしてこの大量のアダルト資料。


「ゲームとは……その……」

「エロゲーだよ!」

「……イエーイ!」

「ちょっとは隠せよ!」


 自信満々に叫ぶ部員たちを見て頭痛がしてくる。恥じらいというものがないのか?


「古くから文学に限らず多くの媒体で描かれてきた性という題材を研究し、現代的な手法で作品を製造する。そして解析することで古代から現代にいたるまで性の変化というものについて議論するんだ。人間の三大欲求というものがある通り、性というのは心理学、社会学に通づる物があり、また娼婦は最古の職業という言葉があるように、歴史において人々の生活の移り具合の指標ともなる。そんなことを研究する部活だ」

「嘘くせえっすね……」

「つまりエロゲーを作ってる」


 結局のところその一言である。文芸部とはなんぞや。文芸とはなんぞや。


「ま、ゆっくり話をしようじゃないか新入生……コーヒーでいいね?」

「はぁ……」


 できればコーヒーなんていらないから早く帰りたいのだが。ここで帰ろうにも扉の前には歌子がニコニコと笑って門番代わりをしている。


「次郎。コーヒー二つ頼む」

「……なんで俺が」

「客に飲み物を渡すのは当然だろう? そして君が今一番ポットに近い位置にいる。うだうだ言わずに入れたまえ」

「……味に文句言うなよ」

「言うよ。当たり前だろう。人の口に入る物になんで文句言われないと思うんだい? さて、新入生。君にも自己紹介をお願いする」

「あ、はい。橋上友樹です。文学部の一年です」


 よろしくお願いしますと頭を下げる。できればあまりよろしくしたくはないのだが、礼儀は礼儀である。顔を上げると、部長は僕の顔をじっと見つめていた。


「あの……何か変でしたか?」

「性癖は?」

「いや、それはちょっと……」

「シャイだね」

「普通です」


 自己紹介で性癖を晒す人間などこの世に――いや、眼の前に四人いた。あれ、僕の方がこの場では少数派? おかしくない?


「歌子、書けた?」

「はい書けました。橋上智樹ってこれであってます?」


 歌子が僕に紙を見せてきた。そこには橋上智樹と僕の名前が確認のために書かれていた。


「あ、ともの字は友達の友です。よく間違われるんですけど」

「間違えてました。いけないいけない」


 歌子が二重線で消し、正しい文字を書く。間違えられることが多いのが僕の名前だ。早めに訂正しておこう。


「あれ? 今の紙、上に入部届って書いてませんでした?」

「………………いや、そんなことないよ?」

「言いがかりはよしてくれ。ほら、コーヒーが来たよ」


 無言で次郎という先輩がカップを置いてくれた。いただきますとお礼を言ってから口を付ける。コーヒーの味は普通だった。美味くもなくまずくもない。


「セバスチャン次郎、今日の豆は?」

「……コーヒー豆だが?」

「クビだセバスチャン。明日からハロワに行きたまえ」


 こうして目の前で一人の退職者が生まれた。至極どうでもいい。首を宣告されたセバスチャンは肩を落とし、さめざめと泣いていた。


「さて、もう一度うちの部活を紹介しよう」


 彼女はスティックシュガーを五本ほど取ると、コーヒーの中に躊躇いなく入れた。それはもはやコーヒーじゃなくて砂糖水だろうと思ったが、あまりにカップを美しく口元へ運ぶので気品があった。


「君の推理通り、うちは文芸部という名のエロゲ制作部だ。よく分かったなホームズ」


 ここがまともな部活でないことはちょっと視線を動かすだけで分かる。埋め尽くさんばかりのアダルトな存在が嫌でも目に入ってくるんだから。アダルトショップだってもう少し自重しているんじゃないだろうか。テレビカメラが入ったら画面の九割はモザイクで埋め尽くされるだろう。


「だーかーらー! ぶっかけは顔にやるべきでござる! 見栄えもいいし、キャラクターの顔を汚すという背徳感も得られるでござる! 髪にも飛んで一石二鳥!」

「……腹、へそだ。精液が人の腹というキャンバスに飛ぶ。胸と腰の間を埋め尽くす! 子宮を皮膚の上から攻める! 征服感を得るにはこれしかない!」

「人ではなく服に行うべきです! 制服、スク水、ドレス。そういった何かしらの象徴を汚す! 取れない汚れと臭いを染みつけることに意味があるんです!」


 訂正。目に入れるまでもなく耳にも入ってくる。


「うちはちょっと変わり者が多くてね。ま、気にしないでくれたまえ」


 ちょっと? 全部の間違いだろう。けれども部長は変人が当たり前だと言わんばかりの表情でコーヒーを飲んでいる。


「さて、この部活ではエロゲを作っているのだが、それぞれの役職も紹介しておこう。それなら名前も覚えやすいだろう? まずそっちのメイドのガーターベルトに執念を燃やしているのが原画兼彩色の大場勝義だ」

「よろしくでござる。ガーターベルトを開発したのはエッフェルゆえ、中世ファンタジーで出てくるのは萎えるのでやめてほしいでござる。中世ファンタジーやスチームパンクなどでは当時の文化や風習から生まれるエロもあるので、設定の細かさは大事でござるよ」

「そっちのロリの脇腹に情熱を注いでいる方がプログラミング兼スクリプト兼演出の水田次郎」

「……聖書曰く、女性は男の肋骨から作られたそうだから、俺が肋骨に興奮するのは自然の摂理だ。ちなみにちんこの骨から作られたという説もある」

「で、そこのエクセルにゲームごとの実妹・義妹をまとめてるのが声優兼WEB管理の山野井歌子だ」

「なぜゲーム会社は……ッ実妹と義妹が別物だと分かってくれないんですか……ッ! あ、何度も言いますけど私に関しては敬語使わなくてもおーけーですよ。なんかむず痒いので」


 大丈夫かなこのメンバー。いや、多分大丈夫じゃない。なんか全員目が血走っている。


「そしてボクがシナリオライター兼リーダーの柳田香苗だ。射精はとりあえず外に出してCGを埋める派。ついでに部長」

「あなた女! 射精できないでしょ!」

「女だって男に感情移入できるさ。その逆も然り。よく女主人公は感情移入できないから売れないなんていう奴がいるが、ありゃ間違いだね。ボクは男だろうがオカマだろうがオークだろうが触手だろうが感情移入できるし」

「それはそうですけど……」


 …………ん? 触手? 


「あ、一応言っておくけどボクふたなりじゃないよ」

「帰ります!」

「せっかくの貴重な部員が!?」


 こんなアホな空間にこれ以上居たら頭が茹だりそうだ。とっとと家に帰って寝たい。今日見た物は全て忘れることにしよう。記憶容量の無駄だ。

 大きく溜息を吐いて席を立つ。無意味に時間を浪費してしまった。早く家に帰って引っ越しの荷ほどきでもしよう。馬鹿だ、こいつら。


「なんだ帰るのか。一緒にゲーム作らないかい? 楽しいよ?」

「詐欺だ! ビラにはちゃんとした文学作品を書いているって書いてあったじゃないか!」


 僕がビラを見せつけるように取り出すと、部長さんはニコニコと笑った。


「頭から信用する君が悪い。パッケージ詐欺や宣伝詐欺などよくあることじゃないか」

「なんで僕が悪いみたいな言い方されなきゃいけないんですかね」


 そもそもビラにつられて新入生がやってくるのは当たり前だろう。そこに詐欺を書く方が問題だろうに。


「そもそも嘘は吐いていない。きっちり作品は作っているし、研究もしている。楽しくワイワイもやっているさ。まあ媒体はエロゲだけど。ほら、ほらほら」

「やめてください! なんで顔に押し付けてくるんですか!」


 肌色のパッケージを僕の顔に塗りたくるように押し付けてくる。嫌がらせか? 新人いじめなのか? これが世に聞く運動部特有の可愛がりというやつなのか? ここ文芸部だぞ。

 どうにか手を振り払い、席を立つ。なんだこの部活は。碌でも無さ過ぎる。


「くだらないですよ……まったく」

「作品にくだらないも何もあるものか。あるのはつまらないか面白いかだけだ。そしてそれは中身を見ずには絶対に分からない。どこの世界に樽を見てワインの味が分かる人間がいる?」


 言っていることは立派だ。言っていることだけは、ではあるが。積み上がっているのがエロ本ではなく専門書だったらまだ言い訳も効いただろうに。


「外側がR18なんですけど」


 これさえなければの話ではある。片手に肌色のパッケージ持ったままでは格好がつかない。


「そんなこともある。些細な問題だ」


 そんなことがあるから大問題なんだよ。僕がそう主張しても彼女はどこ吹く風である。暖簾に腕押し、柳に風。とにかく何を言っても無駄だ。


「とにかく帰ります。僕、ここに入部するつもりないんで」

「今日はこの入部届にサインするだけでいいですよ。じゃあお疲れさまでした!」

「聞けよ人の話!」


 さっきからこの娘は聞こえた言葉を自分の都合のよいように曲解する機能でもついているのか!? 


「帰ります!」


 扉に手をかけ、大きな音を立てて開ける。もう二度とここには来ないし、近寄る気もない。僕の大学生活にこれは不要だ。今日あったことは悪い夢として忘れよう。


「まあ待て。君、作家志望だろ」

「……なぜそれを?」


 扉を開く手が止まる。どうして僕のことを知っている? 決して口に出していないはずだ。自分の名前ぐらいしか個人情報は出していない。ではなぜ?


「これでも君よりは長生きなんだ。それなりに人は見てきているのさ」


 切れ長の目が僕を射る。その目が瞬きもせずに僕の髪から爪先までを舐めるように分析する。レントゲンを撮られている気分だ。ほぼ反射的に僕の重心が後ろにかかった。


「入って来たとき、目線が本棚、そしてボクたちの机の上、特に手元に移った。それは無意識にボクらが何か作品を作っていないかを見たわけだ。自分の同類を見つけようとした動きだね。ふーむ作家志望……純文学じゃないな。SFかミステリー方面……でもない。かといって恋愛小説は違う。となると、ラノベ方向かな」

「んな!?」

「ポーカーフェイスが下手だね。自分から答えを言っているようなもんじゃないか」


 心の中で舌打ちする。顔に出さないことを覚えなくては。というか表情一つから心の中を見抜くなんてこの人何者だ?

 僕を見透かした当の本人はコーヒーをゆっくりと飲みつつ、ほっと一息を吐いた。


「ラノベ作家が夢とかなかなかアレだね君」

「あなたに言われたくない!」


 エロゲを大学で制作している人間に言われる筋合いはない。


「マジ……? ラノベ作家志望……?」

「ええ……。それはないでござるよ……」


 男二人がひそひそ話を始める。視線をわざとらしくこちらにちらちらと向ける動きは、明らかにこちらを挑発している。


「大学生ならそろそろ現実見た方がいいですよ?」

「何!? なんなの!? 僕が悪いの!?」


 ラノベ作家なんて夢が大っぴらに言えることではないのは分かっているが、ここまで言われることでもないだろう。今どきのオタクの夢としてはありふれているだろうに。


「ま、十代の若者の夢としては十分だ。今どき夢は適当な仕事に適当な家庭、なんてことも珍しくない時代に、何かしら夢を持っているというのはそれだけで素晴らしいことだと思うね。この部活においては立派な夢だよ」

「ちなみに拙者の夢は南の島で褐色ロリメイドに囲まれて喫茶店を開くことでござる。やはりエロゲ主人公たるもの、働くのは喫茶店か洋菓子店でござる」


 多分その夢は一生どころか人生百回繰り返しても叶わないと思う。


「エロゲだか何だか知りませんが、僕は帰ります。こういう物に興味は無いので」

「じゃあ興味を持てばいいんです!」

「……持て」


 頭痛くなってきた。興味を持つ、という動詞は命令形にできるのか? 不可能だろうに。


「二人とも、新入生を虐めるな。橋上君も帰ってくれて構わない。だけれどボクから一言だけ」


 部長はこほんと一度咳ばらいをし、僕を真っ直ぐに見つめた。


「エロなんてものは下劣なもんだ。それは合っている。ここにいる人間は頭がどうにかした奴らだ。だけどね、ただふざけているわけじゃない。真面目に、心の底から真剣にふざけているのさ。ふざけるためなら苦しいこともやるし、妥協も一切しない」


 見ると部員全員が頷いている。皆、目が真剣で、決して冗談ではないことが分かる。


「ボクらはいつだって本気だ。君も本気でふざけたいのなら、いつでも歓迎するよ」


 そう言うと部長は机の引き出しを開け、何かを取り出した。


「ボクたちのおふざけの結晶だ。持って行きたまえ」


 下手で投げ渡されたのは一つのUSBメモリだ。


「電子機器に初めて触れた老人ホームの人間じゃないんだ。説明は不要だろう?」

「そりゃまあ」

「やってから考えることだ。何事もね。案ずるより産むが易しさ」


 つまりこの中にゲームが入っているということだろう。僕はそのUSBメモリをポケットに仕舞い込む。


「電話番号だけ教えてくれ。それぐらいはいいだろう?」

「まあそれぐらいなら……」


 それだけでここから帰してくれるなら安いモノだ。とっとと帰りたい。


「ではまた。できればゲームの感想を聞かせてもらえると助かる」


 電話番号を伝えると部長さんは軽く頭を下げた。こういうところはまともなんだなぁと思った。それ以外はアレなのだけれど。


「また会えることを願っているよ。贅沢を言えば同志にもなって欲しいけれどね」


 そう言って彼女は微笑み、ゆっくりと僕に手を振った。これだけ変態性を見せられてなおそれを綺麗だと思ったのだから、自分もどうかしていると心の中で溜息を吐いた。

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