黒松坂の地縛霊

来冬 邦子

通学路、振り返ると、ホラ、そこにいる


 いつもの塾の帰り道。春先とはいえ夜風は冷たかった。


 自転車でバス通りまで来たら工事中で通れなくて、仕方ないから黒松坂を通って帰ることにした。黒松坂は細くてくねくね曲がった古い道だった。坂の中腹に樹齢何十年とかいう松の巨木が、その名の通りに幹に黒く焼け焦げた痕をとどめたまま、ねじくれた姿でそびえ立っている。この松が道を塞いでいるから車は通れない。この坂、実は御近所でも有名な心霊スポットなんだ。通学路に指定されているにもかかわらず、昼間はともかく、夜には誰も通らない。


 わたしはため息をついて坂下から松の黒々としたシルエットを見上げた。わたしの家は坂の上。目の前には急勾配の登り坂。辺りが妙に静まりかえっているのは、生け垣をめぐらした古い家が多くて、木立が家から漏れる明かりも人声も吸収しているからだった。道の端にぽつりぽつりと立つレトロな街灯は、いかにも心細い明かりをともしている。


 覚悟を決めたわたしは自転車を押して坂を登りはじめた。何も考えるまい。今晩のおかずのことだけ考えようと思えば思うほど、黒松坂にまつわる怪談を思い出してしまう。例えば街灯の明かりが誰か吹き消したように一斉に消えるとか。ああ、イヤだ、イヤだ。


「ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ……」


 何気なしに街灯の数を数えていたら、恐ろしいことに人影が見えた。

 四つ目の街灯の柱に背をもたせて坊主頭の男の子が佇んでいた。薄汚れた開襟シャツにゆるゆるの半ズボンをズボン吊りでとめている。年はわたしと同じくらいだが、なんだか全体にレトロな感じがする。男の子は顔をうつむけたまま上目遣いにわたしを見た。


 チラリと目を走らせたところ、足もある。影もある。しかしオバケの可能性の捨てきれない相手に話しかける隙を与えず、わたしはフルパワーで自転車を押して道を急いだ。


 ところが。五つ目の街灯の下にまた男の子がいる。

 さっきとまったく同じ姿で。


 振り返ると四番目の街灯の下には誰もいない。でも誰もわたしを追い抜いて行かなかったのに? わたしは敢えて思考を停止して必死に自転車を押した。それなのに恐れていた通り、六つ目の街灯の下にもその子がいた。手が震えてハンドルが滑り、自転車が派手な音を立てて倒れた。 すると男の子が顔を上げた。


 目が奇数だったらどうしようかと思っていたが、目も眉毛も二つで口は一つ。瞳の綺麗な美少年だった。


「こんばんは」


その子が言った。優しい声だった。


「こんばんは」


 わたしが応えると、その子が頬を赤らめた。


「僕が見えるんだね」


 ――何を言い出すの。こいつ。


「やだあ!」


 なんとしても冗談にしたくて、あたしは虚しい笑い声を立てた。


「見えると変なの?」


 その子は真面目な顔でうなずいた。


「ここで九百九十九人に声をかけたけど、僕が見えた人は君がはじめてなんだ」


キリ番は嬉しいけど、それ以前に膝がガクガク震えてとまらない。


「ゴメン。わたし、急ぐから」 


 自転車を起こしてペダルに足を掛けようとすると、男の子が「待って」とハンドル

に掛けた手が半透明だった。


「頼みがあるんだよ」


「ダメ。イヤ。そこ、どいて!」


「僕、地縛霊なんだ」


 すっころんだ自転車がまた派手な音を立てた。


「じ、じ、じ?」


 足に力が入らない。


「逃げないんだね」


 男の子が嬉しそうに頬笑んだ。


 逃げないんじゃない。逃げられないんだ!

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