部長

 夕暮れの交差点。

 麗は植え込みを囲うように設けられたベンチに座り、様々な感情や思考が渦巻く雑踏を眺めていた。


 つい先日までは一刻も早く家に返って絵を仕上げようと息巻いていたというのに、今やつま先は帰路とは真反対の方を向いている。

 そしてベンチから立ち上がったかと思うと麗はそのまま歩みを進めた。



                *


 萌咲と碧唯のアルバイト先。

 萌咲は暖簾を潜り精一杯の声で碧唯に助けを求めていた。


「碧唯ちょっと助けてっ!本が落ちるっ!! 」


「もう、だからいっぺんに持ってくなって言ったのに……ほら、半分持ってくよ」


「ありがと、さっすが碧唯!」


 礼を言う萌咲に碧唯は満更でもない表情を浮かべ、本で出来た塔の半分を平積みしていく。


「どういたしまして、もう半分はバックヤードで良いかも」


「りょーかいっ!……あ、懐かしー!」


 店奥から懐かしむ声が聞こえ、それにつられ碧唯も暖簾を潜る。


「どうしたの? 」


「碧唯、見てこれ! あたし達が中学の時部活で使ってた資料!」


 手招きをして急かす萌咲などつゆ知らず、碧唯はゆっくりと歩みを進める。


「あー、それね。懐かしいよね、昔は何となく見てたけど今見ると凄く勉強になる」


「その反応からするに碧唯ってばこの資料がうちにあるの知ってたの? 」


「うん、少し前からね」


「なーんだ、あたし一人だけ騒いじゃってバカみたいじゃん……」


 萌咲は頬を膨らませ不貞腐れる。


「もー、今度一緒に駅前のクレープ食べに行こ、だから機嫌直して! ね? 」


「……しょうがないなぁ」


 すると萌咲の頬は突如として緩み嬉しそうな笑みを溢した。そんな萌咲を面倒くさいとも思いながらも、それと同時に愛らしさすら碧唯は感じていた。


「うむ、相変わらずだな二人は……」


 売り場から聞こえる声に碧唯と萌咲はすかさず駆けていく。


「いらっしゃませ! って部長……」


 そこに立っていたのは部長だった。だが、以前来店した時と比べ今は薄っすらと疲れの表情が見える。


「やぁ、和泉殿。それに髪色は明るくなったが北邑殿だろう?久しいな」


「はい、お久しぶりです部長! 」


「うむ。元気そうで何より」


 どこか常識を纏った控えめな抑揚に何を悟ったか、碧唯は部長の瞳をじっと見つめ声を上げる。


「無理しないで良いですよ」


 碧唯の口から出た抽象的な一言に部長はホッと小さくため息をつき剱持麗へと戻る。


「……ありがとう、和泉さん」


「え……」


 碧唯からある程度の概要は聞いてはいたが、あまりの麗の豹変ぶりに萌咲は驚きを隠せずにいた。


「いえ、それより今日はどうされたんですか? 」


「たまたま通り掛かったから立ち寄っただけだけど……ごめん、忙しかったかな? 」


 麗が申し訳なさそうに眉を歪めると、萌咲が口を開く。


「全然大丈夫ですよ! 暇すぎて碧唯と駄弁りながら絵描いたりしてますから! 」


「言い方……でもまぁ、間違いではないです。私の画力じゃ絵の一枚もロクに完成させられないのでいつも萌咲と一緒に展示用の絵を描いてるんです」


「展示用? じゃあそこのコピックのコーナーに飾られてるのがそうなんだ」


 そう言うと麗は左後ろを向き、クリアファイルに入れられた絵をまじまじと見つめる。


「はい……あはは、プロのイラストレーターさんに見られてるって思うと何だか恥ずかしいですね」


 麗のイラストを見る視線に耐え切れず碧唯は咄嗟に萌咲の後ろに隠れた。


「ちょっ……そんなに恥ずかしい? 」


 首を小さく縦に振りながらいつになく萎縮する碧唯。そんな彼女の姿を可愛いと思いつつも、萌咲は碧唯に託されたバトンを受け取り、絵の詳細について語り始めた。


「そのバーチャルシンガーの絵、線は碧唯で、塗りはあたしがやったんです! 」


「やっぱりそうなんだ、ふたりは昔からこのキャラが好きだったもんね。……うん、和泉さんが描くしなやかで芯の通った力強い線。北邑さんが塗る激しくて鮮烈な色使い。昔と変わらない、それどころか昔よりも表現の仕方が上手くなってる……私なんかすぐ抜かされちゃうんだろうなぁ」


「そ、そんな謙遜しないで下さい! 萌咲はともかく私はまだまだです……強いて言うなら何度も描いてきたキャラだから楽しく、上手く描けたんだと思います」


「楽しくか……そうだったな」


 照れくさそうに笑う碧唯。今も昔も変わらない純粋に絵を楽しんでいる者が見せる笑顔だった。


 今やそんな笑顔が懐かしくて、これから彼女らが歩むかもしれない未来を想うと悲しくて胸が張り裂けそうになる。それと同時に何も知らずに呑気に笑う碧唯がどこか憎らしくも思い、そんな事で憎く思う自分が酷く可笑しく思えた。


 そしてわざとらしく口角を上げ、高らかに笑って見せた。


「……ははは……ふははははは!!そうかそうか、”好きこそものの上手なれ”とはよく言ったものだ!! 」


「ぶ、部長!? 」


「どうしたんですか!? 」


 再び訪れた豹変に碧唯と萌咲は戸惑っている。


「安心いや、確信したのさっ!君たちならAIにも負けぬ素晴らしいイラストレーターになれるとな!! いやはや、未来は明るいなっ!!」


「何言ってるんですか、部長だってその中に含まれる程上手いじゃないですか! 」


「……そうだな、私もその内の一人だったな! ま、この私が編み出した素晴らしい画法は誰にも盗ませぬし真似出来ぬさっ!!だから君たちもこの調子で唯一無二の素晴らしい絵をこれからも描き続けていきたまへ!! 」


「部長…… 」


「では、私は多忙の為これで失礼する。さらばだ! 」


「あっ、部長! 」


 その場を去ろうと階段を下りる部長を碧唯は呼び止める。


「”有象無象になるな、自分を卑下せず誇れ”……ちゃんと覚えてますよ」


 その言葉を聞き、部長はニヤリと笑いながら階段を下って行った。

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