第二十九話 〜獣達の棲家〜

 サヴァナシティは狭い。

 噂が広まるのはあっという間。

 しかも娯楽に乏しいため、長いあいだ繰り返し話題にされる。


 最近開設された民営の放送局が、ルーリックが獣面を失った件と、それに付随する金の山羊のニュースを取り上げると、その翌日には『インスタントMEN』に大量の野次馬が押し寄せてきた。


 腰抜け野郎の店。

 あそこでメシを食うと勃起不全になる。

 同性愛者御用達――。


 半分は妬みの混じった罵詈雑言が、しばらく市中の酒場を賑わせた。


 ロンもマスターも当然店には戻れなかったが、幸いヤマネコ婦人の機嫌がよく、しばし猫館の世話に与れることになった。

 猫館は『館』であるため、どのような力を持ってしても破壊できない。

 部屋に入り、内側から鍵をかければ、そこは一切の危険から解き放たれた空間だ。


 そこで二人は、数年ぶりに獣面をすっぽりと脱いで洗濯した。

 久方ぶりに素顔をざぶざぶと洗い、熱いタオルで良く蒸らし、たっぷりと泡をつけて髭を剃る。

 それは、何物にも変えがたい一時だった。


 ルーリックから奪ったエランド面は、ひとまず猫館の金庫に保管した。

 それからというもの、ロンはひたすらベッドで眠りこけ、ミーヤは看護の真似事をし、マスターは日がなニ階のテラスで煙草をふかし続けた。


 カプラがその後どうなったかについては一切の情報がなかった。

 ヤマネコ婦人も、追加の調査を行わなかった。

 都市内に目立った動きがないということは、恐らくはまだ使われていないのだろう。


 そのようにして、時は無為に過ぎ去っていった。



 * * *



「いい加減仕事に行くにゃ! ロン!」

「……うあー」


 腑抜けた顔で起き上がる。

 サヴァナ世界では傷が癒えるのも早い。

 全身に負っていた大怪我も、3日と経たずに治ってしまった。

 しかしながらロンは、その後もずるずると居座り続け、ひたすら惰眠をむさぼっていた。


「……おっさんは?」

「もう店に戻って頑張ってるにゃ! いつまでもへこんでないでシャキっとするにゃ!」


 ミーヤは黒のエプロンドレスを着ていた。

 いつまでもダラダラしているロンを叱りつつ、朝食のサンドウィッチをベッドサイドのテーブルに置く。

 ロンは気だるそうに起き上がると、用意された食事に手を伸ばした。


「別に、へこんでなんかないぜ」


 半分ほど口に押し込んでもぐもぐと咀嚼する。


「どう見ても、ふられて寝込んでるようにしか見えないにゃ」

「ちげーよ。外に出ると色んなのに難癖つけられるんだ……それもこれもみんな」


 ヤマネコのせいだ――。

 そう言おうとして、ロンは口を噤む。


「ちっ……」


 そして、やり場のない怒りに苛まれる。


「ヤマネコさまは、ミーヤ達をあるべき方向に導いてくれたんだにゃ。これだけ世話になっておいて、逆恨みなんかしたら許さないのにゃー!」


 と言ってミーヤは、シャキンッとその爪を光らせた。


「……ありがたくて欠伸が止まらねえよ」


 朝食を全て口に押し込み立ち上がる。

 そして一つ大きく、伸びをする。


「んじゃ、ちょっくら店の様子でも見てくるか」

「にゃむ。気をつけて行ってらっしゃい!」

「んむ……?」


 どことなく奇妙な言い回し。

 ロンはムズムズと、尻のあたりが落ち着かない。


「お前は俺のオカンか……?」

「ちがうにゃっ」


 チッチと目の前で指を振る。


「お嫁さんにゃー、あうっ!?」


 ロンは指先でミーヤの頭を弾くと、そのまま部屋を後にする。



 * * *



 店の壁には、びっしりとスプレーによる悪戯書きがされていた。


「……ひでえなこりゃ」 


 洗い落とすことはもちろん出来ない。

 塗装するにも費用がかさむので、結局は放置しておくしかない。

 卑猥な絵と文字で埋め尽くされた壁面を、2、3度足で蹴り崩してから店内に入っていく。


 4卓あったテーブル席のうち、2つが消えて無くなっていた。

 店に来た誰かが盗んでいったのか、マスターがムシャクシャして壊したのか。

 とにかく随分と風通しが良くなった店内を進んで、カウンター席の裏側に入る。


 タンクに入っている水は残り少なかった。

 袋麺の備蓄も殆どないようだ。

 調理台の上には、萎びたチクワがそのまま放置されている。


 ついでにシャワー室も覗いてみる。

 ここは特に変わりがなく、壁は相変わらず朽ちている。

 粗末な仕切り戸もガタガタと軋んで、どこまでも使用者の要求を拒んでいる。


 続いてニ階に上がる。

 猫館の一室とは比べ物にならない狭さと汚れようだ。

 まさに家畜小屋と呼ぶにふさわしい。

 窓にはめられた鉄格子が、そのみすぼらしさをさらに強調している。


 その鉄格子を部屋の入り口から眺めていると、ふとデートに誘われた時のことが思い出された。

 黄緑色のふさふさとした羽が生えた獣面。

 変てこな歌を歌う鳥が、あの鉄格子から顔を出して言った。


 私をどかへ連れてって――。


 思いがけずロンは、隣の部屋の様子が気になった。

 元は物置として使っていた部屋で、大したものは置いてない。

 スペアの椅子と予備の毛布、あとはマスターが趣味で集めたガラクタくらいのものなのだが。


「むうう……」


 横に3歩踏み出すと、もうその部屋の前だった。

 ロンは、少しばかりその部屋に入ることを躊躇した。

 僅かな間、知らない女を泊めていただけで、その部屋が持っている意味合いが随分と変わっていたのだ。


 扉もないので、既に部屋の中は丸見え。

 以前見たときより、かなり片付いているようだ。

 ガラクタ類は綺麗にまとめられ、空いたスペースには、机と椅子が置かれている。


 寝床にしていた床の上には、まるで鳥の巣のように紙切れが敷き詰められている。

 カプラはその上で、毛布に包まって眠っていたのだ。


 こんな所で過ごした数日は、果たして本当に、面白いものだったのだろうか?

 そんな疑問を抱きつつ、ロンは足を踏み入れる。

 そしてしゃがみ込み、床に散らばっている紙切れの一枚を指でつまんだ。


 少しでも寝心地を良くするための工夫。

 それでも寝床は硬くて冷たかったはずだ。

 視線を上げた先の壁際には、彼女が使っていたと思しき毛布が、きちんと畳んで置かれている。

 さらにその下には、最初に会った時に着ていたドレスの余り布が敷かれている。


 ロンは立ち上がると、カプラが弾いていたギターを手に取った。

 これもマスターの私物だが、彼がこれを弾いているところは見たことがない。

 手入れもされておらず、弦は所々錆びている。


――ピーン。


 一つ弾いて鳴らしてみると、それでもそこそこ良い音が鳴った。

 不意に、カプラが客達の前で演奏していた時の音が、耳によみがえる。

 大体いつも夜の8時ごろに始まるから、夜勤の仕事に就いているロンにとっては、それが目覚ましのようになっていたのだ。


「…………」


 気付くとロンは目を瞑っていた。

 客達がはやしたてる声、ギターの音。

 そしてカカポの歌声――。


 ここにいるだけで、否応なくそれらのことが思い起こされてしまう。


「ロン?」

「ふがっ!?」


 突然声をかけられてロンはビクッと飛び上がった。

 振り返るとマスターがいた。


「び、びっくりさせんな……!」

「ぶひっ、帰ってきてたんだね。傷はもういいの?」

「ああ……ミーヤに追い出されちまったよ」


 ギターを置いて部屋を出る。

 何となくイノシシがニヤニヤしているが、出来るだけ眼を合わさないようにする。


「どうするんだよ、この店」

「さあね、客も全然来ないんだ。ここはもうダメかもしれない」

「ふーん……」


 短いやりとりを済ませて、ロンは自室へと戻った。

 そして硬いソファーに腰を下ろし、まんじりともせず今後のことを考えた。


 近いうちに引っ越すことになるだろう。

 サヴァナにおいて住居を得る方法は単純明快。

 空き家に居座るか、力づくで奪い取るか。


 しかし頻繁にスラム潰しをやっているせいで、都市は難民で溢れかえっている。

 土地や住居をめぐる争いも激しくなっているから、イノシシ面を持つマスターでも、そう簡単に見つけられないだろう。


 いざとなればロンも手を貸さない訳ではないが、出来れば荒事はしたくなかった。

 それで後々、厄介な復讐を受けることも多いからだ。


 となると後は、サヴァナの有力者を頼るしかない。

 ある程度金を積めば、手持ちの物件を貸してくれることもある。

 ただし、サヴァナは法律に守られている都市ではないので、常に貸主の気まぐれに脅えなければならないが。


「……結局」


 全ては力なのだ。

 力こそが、唯一サヴァナの民を自由にしてくれる。

 その当たり前の真理へと至ったロンは、奪い取ったエランド面を考慮に入れることにした。


 ポケットの中から金庫の鍵を取り出す。

 猫館の住民は、ネコ以外の獣面には興味がないので、こうして超が付くほどの貴重品であるエランド面の保管を頼めている。

 あれほどのクラスの獣面となると、そもそも売却することさえままならない。


 このエランド面を使って、手っ取り早く新しい棲家を手に入れる。

 圧倒的な力で弱者から奪い取る――という方法を除いてだ。

 それにはどんな方法が良いだろうかと、ロンはいつになく頭を捻った。


 そしてあれこれと考えた末に。


「エランドってのは……」


 ある奇策を思いついた。


「ウシの親戚だよな……」


 それは、オオカミとしての誇りを全てかなぐり捨てる策だった。

 ロンは一瞬、自分の頭がおかしくなったかと思う。

 余りに突飛なアイデアなので、一度マスターと相談してみようかとも考えたが――。


「……いや」


 やめておくことにした。

 これは純粋に、ロン自身の問題なのだ。


 俺はもうここでは暮らしたくない。

 卑猥な落書きをされ、酷いレッテルを貼られ、見も知らぬ連中が定期的に嫌がらせにやってくる。

 そして、心の平穏を脅かす記憶までもが染み付いてしまっている――。


 マスターの意志とは関係なく、ロンはこの場所を離れなければならなかった。


「……ふふ」


 やがてロンは、一人納得して立ち上がった。

 そして鍵をちゃらちゃらと回しつつ、住み慣れた部屋を後にする。

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