第二十一話 〜エランド〜

 あちこちに猫の視線を感じながら、ロンはひたすらサヴァナシティを歩き回った。

 行くあてなど無かった。

 とにかく店から離れられれば良かった。


 途中で装甲バスとすれ違う。

 車道と歩道の区別もない通りを、我が物顔で通り過ぎていくそのバスには、外の世界から来たと思しき観光客がびっしりと乗っている。

 ロンはそのバスを蹴り飛ばしたい衝動に駆られたが、先頭の席にジャガーの獣面を被った警備員が座っていたのですぐに諦めた。 


 現在は、獅子長の権限により高い入国料と入国制限がかけられている。

 おかげでやってくるのは富裕者ばかりなのだが、それでもロンにとって、いけ好かない相手であることに変わりはないのだった。


 当て所なく歩き回っていると、やがて都市の中央部、セントラルコロシアムの周囲に広がる更地へと出る。

 ここにはかつて、先代獅子長の宮殿があった場所だ。


 先代は持てる力のすべてを、己の欲望を満たすために使った野蛮な人物だった。

 まともな市政を行う気はまるでなく、外の世界とサヴァナをつなぐゲートにも一切の制限をかけなかった。

 そして獅子長自身は、酒と女に溺れる享楽の日々を送ったのだ。


 その結果、外の世界から大量の貧民、悪人、暴力組織が流入し、サヴァナシティは闇市場によって潤う暗黒都市へと変貌した。

 郊外の空き地には芥子の花が揺れ、都市のあちこちに魔窟が出来た。

 人間がペットのように市場で売られ、闘技場では日常的に殺戮ショーが行われるようになった。

 凶悪事件も急増し、どこまでも悪化していく住環境に耐えられなくなった住民達が、次々とゲートをくぐって外の世界へと逃げて出していった。


 だがそれでも、人口増加はとどまることを知らなかった。

 出て行く以上の人間が都市に流入し、直径15kmの狭い円形の土地に200万を超える人間が暮らすようになった。


 人口増加とともに水の需要も増えた。

 サヴァナシティでは、金の山羊の願いのために、水道管の敷設が出来なくなっている。

 そのため、水は郊外の湖から運んでくるか、獅子長の神通力によって降雨をもたらしてもらう意外に入手する術が無い。


 都市の各地には昔から水組合があり、獅子長はその水組合に多額の上納金を支払わせることで私腹を肥やしていた。

 これが唯一、先代が行っていた獅子長としての仕事だったと言えよう。


 だが、数十年にわたって横暴の限りを尽くした獅子長も、若き戦士によって倒された。

 ジョーは獅子長の宮殿を地中に埋めると、その跡地にセントラルコロシアムを建て始めた。


 さらに、その周辺を居住禁止区域に指定した。

 その理由は公にはされていないが、恐らくは彼自身の美意識に基づく措置であろう。


「……ふん」


 ロンはその更地を見て鼻をならした。

 何のためにこのような景観を作ったのか。

 その意図を見定めるように、しばしコロシアムとその周囲を眺める。


 所々に芝が植え込まれ、いかにも公園らしい雰囲気が醸成されつつある。

 それはまさしく、ゴミゴミとした都市の中に切り開かれたサヴァナのミニチュアと言えよう。


 この景観になんらかのメッセージがこめられているとすれば、それは『野生を忘れるな』ということではないか。

 獅子は、都市を楽園と勘違いして怠けている住民達に、獣の獰猛さを取り戻すよう、奨励しているのかもしれない――。

 ロンはそのような結論に落ち着くと、再び公園の歩行路を歩き始めた。


 少し歩いた先にベンチが並んでいた。

 ロンはその一つに腰を下ろす。

 近くの木立の影を、一匹のネコが通り過ぎていく。


 どこまで行っても監視カメラはついてくる。

 ロンは座ったままもう一度コロシアムの方を向いて、そこに広がる芝地を眺めた。


 そしてふと思った。

 ここなら好きなだけ暴れられそうだ。

 もしかすると、そのためにここは更地にしてあるのかもしれない――。


「……!?」


 そこまでロンが思い至ったその時、背筋に鋭い悪寒が走った。

 飛び上がるようにベンチから離れ、殺気が飛んできた方角を向いて身構える。


――ドドドドドドドド!


 するとその先から、巨大なカモシカのような生物が突っ込んできたのだ。


「ちいっ!」


 頭からまっすぐ上に生えたドリルのような長い角。

 頭を地面に擦り付けるほど低くさげ、その角を前方に向けて突っ込んでくるその生物を、ロンはかろうじて回避する。

 そしてそのまま、草むらの上を転がる。


「もう来やがったか!」


 タイミングから考えて、ヤマネコ婦人が手配してきた刺客に違いなかった。

 敵はその巨体に見合わぬ俊敏な動きでターンすると、再び角を突き出し、突進する。


――ズドドドドドドド!


 ロンは敵の全容を見極める。

 その姿はウシの仲間か、もしくはそれ以上の大きさがある。


 ただし、その動きの俊敏さはカモシカに近いものだった。

 臀部と肩部に積載された大量の筋肉。

 それらに接続された四本の足で力強く大地を蹴り、全身を波のように躍動させて驚異的な加速をする。


 長い角の生えた頭部はそれでいて小さく軽量で、故に左右への展開も容易であるらしい。

 まさに生きた誘導弾頭。

 広い視野角を持つ二つの瞳が、殺戮の遺志とともにロンを照準していた。


 直ちに獣人形態をとり、その突撃をギリギリまで引き付け――回避。


「ぐうっ!?」


 だが、すかさず横に振られた角の先端に、大腿部をさらわれた。

 その凄まじい運動力を受けて、ロンの身体は反転。

 そのまま地面に叩きつけられる。


「――はっ!」


 だが辛うじて受身を取り、その弾みで後方に飛び跳ねる。

 再び立ち上がって構えると、一撃を受けた右足に痛みが走った。


「くっ……あれは」


 険しい表情で、転身してくる敵を睨む。

 あまり見かけることのないその獣の名を、ロンは記憶の片隅から引っ張り出す。


「エランドか……!」

「いかにも、私はエランドだ」


 男はそう言ってロンに向き直り、人の形態に変化した。

 エランドは戦闘力指数260を誇る、草食系の上位種だ。


「アウロラが世話になったようだな」


 光立つような白スーツ。

 磨き上げられた革靴に、手首に光る金時計。

 一見して高い地位にいる人物と見て取れる。


 長い角が生えた面長の獣面。

 それを被った男の口から出てきたのは、まるで聞き覚えの無い名前だった。


「誰だよそりゃあ」

「君の前では別の名前なのかな? しかしあの女は間違いなくアウロラだ」


 エランド男はそう言うと、さも忌々しそうな表情で睨んできた。


「ああ……そういうことか」


 ロンはその一言で状況を理解した。アウロラとはカプラの別名なのだ。

 そもそも、カプラなどという名前自体が作り物めいている。

 以前在籍していた店の名を明かせないことからも、後ろ暗い事情を抱えていることはわかっていた。


 今自分の目の前に立つ男こそが、まさにそれなのだ。

 そうロンは確信する。


「何か勘違いしてるんじゃねえか?」

「どういうことかな?」


 男はロンに近づきつつ、ゴキリと首を鳴らす。


「俺はその、アウロラっていう女をたまたま助けることにはなっちまったが、それ以上のことは何もねえんだ」

「ふふふ……。君とアウロラの関係はヤマネコ婦人から聞いているよ。だが、私が気に食わないのはそういうことではない……」


 ボキボキと指を鳴らす。


「重要なのは、アウロラが既に私のことを何とも思っていないことだ」

「は?」


 何だそれは――。

 ただの女に振られた腹いせか。


「そして今は、君という見知らぬ男と行動をともにしている」

「…………」


 やはりあの女は助けるべきではなかった。

 今になってロンの胸に、確かな悔いが生じる。


「やれやれ……」


 だが、今となってはどうにもならない。

 男の怒りは収まりそうにない。


「あの女に会ってから、毎日が厄日だぜ」

「……はははっ!」


 蔑むような哄笑ととに、男は鋭く足を踏み出した。

 あわせてロンはサイドステップ。


「安心しろ、それも今日で終わりだ!」


 ブウンッ! と、強烈な右ストレートが吹き抜けていった。

 続いて左フック。

 ロンは上体をそらしてそれをかわすと、そのまま後ろに飛び跳ねる。


「俺が何をしたってんだ……!」


 結局は醜い男の嫉妬かと、ロンはうんざりしながら叫んだ。

 間髪いれずに男が踏み込んでくる。

 その鋭いフットワークで、一瞬にしてロンとの距離をゼロにする。


 ロンはひたすら後ろに下がった。

 遮るもののない更地の上では、無限に逃げ続けられる。


 逃げる、逃げる、ひたすら逃げる。

 逃げている限りは負けではない――。


「いい大人が、女の一人や二人でいきり立つんじゃねえ!」

「私は、私の誇りを傷つけた者をけして許さない!」


 ロンのバックステップを超える速度での踏み込み。

 渾身のアッパーがロンの喉元めがけて突き上げられる。


 かわしきれない――。


 そう判断したロンは、この時初めてガードを作った。


――ズゴオ!!


「うおっ!?」


 両腕によるクロスガードをも突き抜けた衝撃が、ロンの脳髄を揺さぶった。

 その威力で全身が1m以上も宙に浮き、錐揉み状に回転しつつ、顔面から地面に落ちていく。

 すかさず手をついて立ち上がろうとするが――。


「……ぐえっ!?」


 その前に、背中を踏みつけられてしまった。

 男はしゃがみ込むと、ロンの獣面を掴んで持ち上げる。


「……薄汚い男だ」


 冷え切った声で言う。


「アウロラは何故こんな男に入れ込んだ……。そして何故、私の店を出て行った……」


 そりゃあ頬っぺたに毛がフサフサ生えたからだよ――。


 そう言ってやりたい気持ちを抑えつつ、ロンは横目でシカ顔の紳士を睨んだ。

 そしてふと、その獣面に心当たりがあると思った。


「あんた……まさか」


 サヴァナシティでも特に高い料金を取ることで知られる高級クラブ。

 キングタワーの職員が特に贔屓にしているその店の支配人が、確か一風変わったシカ面であると聞く――。


「クラブ『フェニックス』総支配人……エランドのルーリックとは私のことだ」

「んな……!」


 ロンは目を見開いた。

 自分にとっては雲の上にも等しいハイクラスな人物だ。

 そしてそんな人物の、恐らくは愛人だったのであろう女が、すなわちカプラなのだろう。


「へヘっ……。どうりで素性を明かしたくないわけだ」


 『フェニックス』などという単語を出されたら、知っている者なら身構えずにはいられない。

 その店名を告げられていれば、ロンもマスターも、必死になって元の店に戻るようカプラを諭していただろう。

 キングタワーが御用達にするほどの店である。

 イノシシやオオカミの一匹くらい、簡単に闇に葬り去れる。


「……でも全然知らなかったんだ」

「そんなことは関係ない」

「襲われていたところを助けてやったんだぜ?」

「私は君が息をしていること自体が不愉快なのだ」


 ああ、こりゃダメだ――。

 ロンは本能的に思った。

 相手は自分のことを、気に入った女の肌に吸い付いた蛭くらいにしか考えていない。


 ルーリックに頭を持ち上げられながら、ロンはヤマネコ婦人を心底呪った。

 こうなったら全力で逃げるしかないが、恐らくどこまでも追ってくるのだろう。


「あ、あの女は、今は別の男と一緒にいるんだぜ……? 放っておいていいのかよ」


 正直すまないとは思いつつ、マスターの存在を仄めかしてみるが。


「手を回してないとでも思ったか?」


 あっさりとそう返される。

 思わずヒュウと口笛を鳴らすロン。

 あっちもこっちも、絶体絶命――。


「お前だけは、この私が直々に処刑しなければ気が済まなかったのでね」

「そうかい……そいつは参ったな!」


 もうこうなったらやるしかない。

 いま目の前にいる敵を倒す意外に活路はないのだ。


 ロンは覚悟を決めた。

 そして。


――ウオオオオオオオオオーーン!


 決戦の咆哮をあげる――。

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