第三話 〜遭遇〜

 ロンの仕事は、サヴァナシティ郊外にある農園の夜警である。


「ふあ〜あ」


 夜の8時に起き出して、あくびを噛み殺しつつ夜道を行く。

 サヴァナ世界の辺縁にある農園まで約5km。普通に歩けば一時間はかかる。


 だが、オオカミの獣面を持つロンにとっては、大した距離ではなかった。

 彼はその気になれば、時速30km(100mを12秒)の速度で一日中走り回れる。

 数km程度の道ならひとっ走りだ。


「うあー、だり……」


 しかし眠い。昼間にミーヤを追い回したせいだろう。

 サボりたい気持ちは山々だったが、そんなことをすれば雇い主にどんな仕置きをされるかわからない。

 ロンは人気の無い道を走りつつ、オオカミ面を叩いて眠気を払った。


――オオーン。


 何処いずこから、遠吠えが響いてくる。

 見上げた夜空には、体を小さく丸めた不死鳥の姿。

 月明かりに浮かぶ高層建築は、フェンリル、エルフ、オーガの3棟。

 さらにその奥にそびえるのが、獅子長の本拠地たるキングタワー。


 富と権力の象徴たるそれら高層建築は、獅子長ジョーによる都市開発の要だ。

 この先6棟が建造される見込みであり、いずれもその高層階は、外からやってきた資産家達の住居として使われる。

 サヴァナ市民の羨望を集めて止まないオブジェである。


「……くだらねえ」


 だが、ロンはそう吐き捨てると、切れかけたネオンの光る場末へと目を戻した。

 金も権力も、彼にとってはさしたる意味をもたない。

 野生の狼がそうであるように、必要以上の獲物を得ようとは思わないのだ。


 持たなければ狙われることはない。

 それは、出来るだけ穏便に暮らしたいという性根の現れでもあろう。


 安酒に酔ったコウモリ達をよそ目に、ロンは夜道をひた走る。



 * * *



 郊外に近づくにつれ、建物の様相はますます粗末なものになっていく。

 廃材で作られた掘っ建て小屋の群れ。

 通りらしきものは一応あるが、生き物のように入り組んで秩序がない。


 目的地の農園は、この低層スラムを抜けた先にある。

 農園の近くには湖があり、その水面は、サヴァナ世界の辺縁を彩る光壁まで続いている。

 あともう少し行けば、辺りの様子はガラリと変わる。


 今日も遅刻せずに済んだぜ――。

 そうロンが胸を撫で下ろそうとした、その時のことだった。


――いやあー!


 にわかに悲鳴が響いてきたのだ。

 どうやら付近に、狼藉を働いている者達がいるらしい。


「……ふんっ」


 だがロンは、さしたる感慨もない。

 ここサヴァナにおいて、婦女暴行は普遍的に見られる行為。

 何故こんな場所に女がやってくるのかと首を傾げるロンだったから、今の声にも特段の注意を払わなかった。


――はなしてー!


 故に、躊躇なく無視して走る。

 ここでは基本、自分の身は自分で守らなければならない。

 男も女も関係ない。


 それは、サヴァナにおける真理に他ならないのだが――。 


「!?」


 その者達はまさに、ロンの行く先を塞いでいたのだった。

 網目のように張り巡らされた街路において、これはあまりにも不運な偶然。


「おいおい、妙な獣面だと思ったら」

「そういうことか!」


 下卑た笑みとともに女に迫るは、二人のハイエナ面。

 あばら家の壁に女を押し付け、しきりに何かを叫んでる。

 時速30kmの速度で巡航していたロンは、そこに突如として現れる形になった。


「やべっ!」


 慌てて進路を変える。

 しかし道幅は狭く、そのまま近くの小屋の壁に激突してしまう。


――ドシンッ!


「うがっ!?」


 交通事故でも起きたような衝突音。

 トタンの壁をベッコリとへこませ、ロンはその場に倒れ込んだ。

 小屋には明らかに面無が暮らしていたが、誰もが恐怖に身をすくめている。


「……んだてめえ」


 ハイエナの一人が、不機嫌そうに近づいてくる。

 胴回りにたっぷりと肉をつけた大男。

 サイズの合っていない黒ジャンバーは、ファスナーを閉じることも出来ないらしい。


 その獣面はどう贔屓目に見ても不恰好で、目と口の部分にだけ穴が開いて全体的に黒ずんでいる。

 被っている男の風体ともあいまって、いかにも悪漢めいた雰囲気を醸している。


「オオカミ野朗が、驚かせやがって」

「さては今の話、聞いてやがったな?」


 明らかに苛立っている男達は、ロンを見下ろし拳を鳴らした。

 こんな夜更けに貧民街をうろついていたということは、せいぜい面無相手の略奪行為に励んでいたのだろう。

 ロンとしては、関わりたくない相手のトップ5に入る相手だ。


「なんのことだよ……俺はただの通りすがりだ」


 動揺を見せないように立ち上がり、速やかに離脱の体勢を取る。

 ハイエナの戦闘力指数は160。

 オオカミのような持久力はないが、瞬間的な速度とパワーでは一回り以上も凌駕する。


「仲間でも呼ばれちゃかなわねえ。こちとら一生に一度の獲物を見つけたところだ」

「だからなんのことだ!」


 むしろそっちからベラベラと喋ってくるではないか……。

 男たちの頭の悪さに腹が立つ。


 ハイエナは本来、仲間同士で助け合い、巧みな狩りを行って獲物を得る賢い動物だ。

 しかし、被っている獣面の種類と本人の性質とが一致するわけではない。


「……勘弁してくれ、俺はこれから仕事なんだ」


 中腰になり、ジリジリと後ずさる。

 騒ぎの中心となっている女は、その腕をハイエナ男に握られている。

 推測される年齢は二十歳前後。

 いかにも面無らしくボロ布を被っているが、その下に見える服は、意外と仕立ての良さそうなベージュ色のドレス――。

 

「……ん?」


 ロンは思わず夜目を凝らした。

 見たことのない獣面だ。

 月明かりに照らされて、その輪郭がひっそりと浮び上がる。


 それは鮮やかな萌黄色の羽で覆われた、恐らくは鳥類の獣面だった。

 良く言えば美しいが、悪く言えば目立つものだ。


 あんな奇妙な獣面、どうして手に入れた?

 一体何のために?


 即座にそんな疑問が浮ぶが。


「どこ見てんだゴラァ!」


 その思考を遮るように、男の一人がロンに手を伸ばしてきた。


「うおっと!」


 ロンはその手を払いのけると、鋭い身のこなしで距離を取った。

 そしてすぐに逃げ出す体勢を取る。


 関わりあっても良いことはない。

 ここはさっさとずらるに限る――。


「いぎゃー!?」

「あ?」


 だがそこで、男の一人が叫び声をあげた。

 どうやら女が、その踵で思いっきり足を踏み抜いたらしい。

 唖然として見ていると、女が一直線に駆けて来た。


「おねがい! オオカミさん! 私を助けて!」

「んなっ!?」


 そしてロンの背中にすがりつき、デニムの上着をしっかりと掴んできたのだった。

 これでは、逃げられるものも逃げられない。


「お、おい馬鹿! 離せ!」

「いや! 私、こんなので死にたくない!」


 確かに、獣面をかぶった男二人に乱暴されれば、間違いなく死に至るだろう――。


 だがこのままでは、自分が先に殺られてしまう。

 ロンは、背中にしがみついている女を振りほどきにかかった。


「離れろっての!」


 手を後ろにまわしてその服を掴み、右へ左へと揺する。

 だが女は、それこそ命がけでしがみついている。

 まるで一体化したようにはがれない。


「よう兄ちゃん、どうやらあんたもここまでのようだな」

「ぐへへ、そのオオカミ面も結構いい金になるんだよなぁ……!」


 二人の男は、その顔を欲望に爛れさせて忍び寄ってきた。

 その牙は岩をも噛み砕き、爪は鉄板をも切り裂く。

 どちらかでもまともに食らえば、ひとたまりもない。


 ロンは腹を決めざるを得なかった。


「おい女! 逃げ切れなかったら、まずてめえを盾にするぞ!」


 そう女に告げて、さらに身を低くして四つん這いになる。


「……あっ」


 必然、女を背負い込む形になる。

 女は戸惑いの表情を浮かべるも、今は身を預けるしかない。


「うらあああー!」

「往生しろやー!」


 そこに、男たちが一斉に飛びかかってきた。

 ロンは地面を掴む四肢に力を込め、魂の雄叫びを上げた。


――ウオオオオオーン!


 直後、銀色の光が爆ぜた。


「うお!?」

「なにぃ!?」


 次の瞬間には、ロンは完全なる狼になっていた。

 ハイエナ達は思わず足を止める。


 サヴァナ広しと言えども、これほど瞬時に獣化できる者はいない。

 少しでも戦闘経験のある者ならば、反射的に身構えてしまうレベルだ。


 ロンは動揺している男達の間をかいくぐると、その後方へと飛び出した。

 女のボロが風に巻かれ、闇の底へと消えていく。


「グルオオオオー!」


 そしてそのまま逃走を開始。

 銀色の閃光が、薄暗い街路を切り裂く――。

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