第一話 〜獣の街〜

 古ぼけた雑居ビルが立ち並ぶ路地裏。

 ゴミ屑の散らばる小路にしゃがみ込み、しけた煙草をくゆらせる柄の悪い連中。

 再開発が進んでいない旧市街は、どこもかしこも荒んでいる。


 これがサヴァナシティの秩序。

 法は獅子長の腹の中にのみ存在する。

 この地に満ちる不思議な力を求め、『外の世界』からゲートをくぐってやってくる欲深な者達は後を絶たない。


 大通りから一歩でも小路に入れば、そこは退廃の楽園。

 薬に酔って虚ろな目をしたケダモノが、ゴミ溜めに埋もれたしかばねにくだを巻く。

 道路は瓦礫を踏み固めただけの粗末なもので、脇に立つ建物も、その道と大して変わらぬ惨状だ。


 このように街の景色はどこまで汚れているが、不思議と腐臭は漂わない。

 ゴミにハエがたかることもない。

 汚物は自然と浄化され、天に輝く不死鳥の元へと、煙となって還っていくのだ。


 故にゴミは外に投げ捨てる。

 死骸は道の脇によけておく。

 直径15kmの円形の土地に築かれた窮屈な都市の、それが当たり前の風景だった。


「まてこらぁ!」


 そこに、けたたましい男の叫びが響く。


「この泥棒ネコがあああ!」


 その声から逃げるように、瓦礫の道をピ跳ねてくるのは一匹のネコ――。

 もとい、ネコの獣面マスクをかぶった少女。


「ひにゃーん! ひつこい!」


 薄汚れた街には不釣合いな純白のワンピース。

 口には一切れのステーキ肉。

 すらりと伸びた足に革のブーツを履き、手には肉球付きの指貫きグローブ。

 四本足で地面を蹴り、本物のネコのように走っている。


「今度ばかりは容赦しねえ! 徹底的に懲らしめてやる!」


 それを追うのは狼の獣面をかぶった男。

 デニムのジーンズにジャケットを着て、頭には萎びたウェスタンハット。

 こちらはきちんと二本足で、逃げ回る少女を追いかけている。


 二人は、名も知れぬ骸の埋まるゴミ山を蹴散らして、大通りへと抜けていく。


「うにゃにゃあー!」


 一気に増加する人口密度。

 面無(ゼブラ)の一人が、驚いて身をかがめる。

 少女はその頭上に手をついて、ひらりと舞い上がるように越えていく。


「ひゃあっ!?」

「んあ?」


 すると、ワンピースの裾がめくれ上がった。

 後を追うオオカミの目に、その中身が丸見えとなる。


 鏡のように磨き上げられた尻。

 その輪郭には未だ幼さが漂うも、穿いてるのは大胆にも革製Tバック――。

 と思いきや、それはヤマネコ印の貞操帯。


「みたにゃロン!? これでチャラだにゃ!」

「うるせえ! てめえのションベン臭えケツなんざ見たくもねえんだよ!」

「んにゃにゃ!? ウンコなんてついてないにゃ! ちゃんと拭いてるにゃあ!」

「知るかあああ! いいから肉かえせミーヤ!」

「諦めるにゃっ! もう半分食べちゃったにゃー!」


 ミーヤと呼ばれた少女は、そう言って食べかけの肉片をヒラヒラと振った。


「んんんんなぁ!? てっめぇぇぇええー!」


 ロンは目を血走らせて叫んだ。

 いよいよその怒りが、頂点に達しようとしていた。


「人の一月分の稼ぎを……! ぜってえ許さねえ! かっさばいてラーメンの具にしてやる!」


 するとその怒りに呼応するように、ロンの顔が本物のオオカミへと変貌していった。


「……ォォォオオオ!」


 やがて獣面と顔とが一体化し、その縁からザワザワと青灰色の毛が生え始める。


「ま、マジにゃ!?」


 驚愕する少女は、慌てて肉を咥え直した。

 そして男と同じように、その背筋から茶トラの毛を生やし始める。


――ウオオオオオォォォン!


 その姿を完全に狼へと変えたロンは、人型だった時とは比べ物にならない速度で追走を開始した。


「ギニャー!?」

「グルアアアアアア!!」


 完全な獣と化した二つの身体が、盛大な土煙を巻き上げて疾走する。

 面無(ゼブラ)の群れの跋扈する都市を、二筋の風が吹き抜けていく――。



    * * *



 獅子長の間は、部屋と呼ぶには余りにも広すぎた。

 天井までの高さは優に10mを越える。

 つややかな石材が荘厳な光を放つ、まさに聖堂のような場所だ。

 一面は完全ガラス張りで、天に輝く不死鳥の光を余すところなく取り込んでいる。


 その部屋の中央、大理石の台座に置かれているのは両手で抱えるほどの大水晶である。

 それはサヴァナ世界の天変地異、その全てを操る制御装置。

 大昔にゲートとともに発見され、今はここ、都庁舎の最上階に設置されている。


 その台座を取り囲むように張り巡らされた無数のセンサー。

 光学的な入出力装置。

 綺麗に束ねられた配線類が、一機のタワー型サーバー装置へと接続されている。


 カチリ――。


 『ライオン』をクリックする音が響く。

 それと同時に、200インチを越える超大型ディスプレイに映し出された都市の光景に、赤い輪が付け加えられた。

 現代風の広々としたシステムデスクに座るは、獅子長のジョー。

 今まさに、仕事の真っ最中だ。


「ふむ……」


 都市の一角、バラックの上にバラックを積み重ねたいびつな建築物が群れ成すスラム。

 ライオンのポインターは、まさにその区画に照準されている。


 カチリ――。


 しばし思案した後、再びライオンの左ボタンをクリック。

 ディスプレイ上に表示される警告メッセージ――『本当に取り壊しますか?』


 ゴキリ――。


 獅子はそのメッセージを眺めつつ、首を鳴らした。

 続いて天井を見上げ、背伸びをする。

 しばし丹念にたてがみを撫でて、やがて『うむ』と頷いた。


 『OK』と記されたボタンにカーソルをあわせ――――クリック。


――ズゴゴゴゴゴ……。


 窓から注ぐ日差しが薄れ、雷鳴が響く。

 ジョーはギシリと椅子を軋ませると、立ち上がって窓際へと向かった。


 高鳴る靴音。

 窓際に達する頃には、空はすっかり暗雲に覆われている。

 眼下に広がる街は、明らかに怯えていた。


「さあ諸君」


 獅子がささやく。


「パーティーの時間だ」



    * * *



「ぜえぜえ……はぁはぁ……やっと捕まえたぜ」

「ふ、ふにゃあ……。そんなにしたら濡れちゃうにゃ……」

「うるせえ! このマセ猫!」


 ミーヤを押し倒したロンは、その口から肉を引き剥がした。

 彼が一月分の貯金を叩いて買ったステーキは、その3分の2が蹂躙済みだった。


「あーあ……」


 肉片についた土ぼこりをぺっぺと払う。

 そうして、さてどんな折檻をくれてやろうと考えるが、少女はむしろそれを望んでいるような様子だ。


「にゃはああ……猫鍋にされてしまうにゃあああ……どきどき……はあはあ」

「…………」


 ロンは、気持ち悪い虫を見るように相手を見下ろす。

 途端に肩から力が抜け、先ほどまでの怒りがどこかへと飛んでいく。

 いつものパターン。


「まったく……」


 仕方なくロンは立ち上がる。

 そして取り返した肉を齧りつつ、すっかり悪夢のようになってしまった曇天を見上げた。


「またいつものやつか……モグモグ」


 咀嚼しつつ呟く。

 雷雲の狙いは、近くの高層スラムか。


「はにゃっ!」


 続いてミーヤが、軽い身のこなしで跳ね起きた。

 そして、ロンと同じ方角に目を向ける。


「今度はどこの貧民窟にゃ!?」

「あそこだな……」


 指差した先、危機を察知した住民達が、窓からありったけの荷物を放り投げていた。

 さらには自らの体までも躍らせている。

 50m四方もない窮屈な土地にそそり立つ巣窟に、一体何千人が潜んでいたのか。

 無尽蔵に人が飛び出てくる。


――カッ!


「……うおっ!」

「……ふにゃ!?」


 直後、強い閃光が天を貫いた。

 ロンとミーヤは目をつぶる。

 光はまっすぐに建物を貫き、その基底部分で炸裂する。


――ズゴオオオオオオオン!!


 大地を揺るがす轟音。

 内側から火球が上がり、その内容物が、握りつぶしたトマトの種のように噴出する。

 建物の自重で外壁が砕け、上から下へと崩落し、すぐに噴煙で見えなくなる。


――クソ野郎が!

――地獄に落ちろお!


 代わりに、あちらこちらから怒号が響いてきた。

 獅子長の独断による、情け容赦ない建物の取り壊し。

 サヴァナではよくあるその光景を、ロンは冷めた眼差しで眺めていた。


「あんなあばら屋……いままで壊されなかったのが不思議なくらいだろ」


 言いつつ、手についた肉汁を尻で拭く。

 壊されるのがわかってるのに、何でもっと早く逃げないのか。

 貧民窟の崩壊を前に、ロンはいつものようにそう思った。


「アレでも、住めば都だったりするにゃ」

「そうか?」

「にゃむ、どんなに場所でも、生まれた場所は特別にゃ」


 二人とも貧民窟の生まれであるが、ロンには良い思い出など一切ない。

 ミーヤにいたっては、もっと酷いものであったはずだ。

 しかし、二人の考え方はそれぞれ異なるらしい。


「あんな場所、さっさとなくなってしまえば良いと思うけどな」

「ロンは過去にはとらわれないタイプにゃ?」

「かもな」

「じゃあ、お肉のことも忘れてくれるにゃ!」

「……それとこれとは話が別だ」


 ロンはミーヤの襟首をつまんで、子猫のように持ち上げる。


「次やったらぜってーさばく! かっさばいて肉屋に売り飛ばしてやる!」

「にゃああー!? それは困るにゃ! ミーヤを食べて良いのは……ロンだけにゃ♡」

「う、うう、うるせえ! 売り飛ばすったら売り飛ばす……!」

「顔を赤くして言っても説得力ないにゃあ、にゅふふー」

「むぐぐ! そいつは勘違いだ……!」


 二人の間でなされるのは、決まってこのような痴話喧嘩。

 そうこうしている内に、噴煙が迫ってくる。


「おっと、こいつはマズいな」

「さっさとずらかるにゃ!」


 やがて二匹の獣は、そそくさとその場を立ち去る。

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