第13話 可愛い

ハッと目覚めると、布団の中にいた。

カーテンも閉められていてすっかり暗いその部屋は、自分のよく知る場所ではない。徐々に思い出していく。…相馬くんの部屋だ。


やっちゃった…!

欲求不満に付随する体調不良や眠気のせいで、たまにとはいえプレイの後にそのまま教室で眠ってしまうことはあった。けれどまさか相馬くんの部屋で寝入ってしまうなんて。


バッと跳ね起きる部屋を出て、相馬くんを探しに階段を降りていった。眠る前よりも身体は軽くて調子が良い。

リビングのドアを開けると、ソファに座ってテレビを観ていた相馬くんは私の方を見た。


「おはよ、二見さん」


「ほんっとにごめん…!」


「なんで謝るの」


相馬くんはおかしそうに笑ってリモコンでテレビを消すと、「それより」と壁の時計を見た。ちょうど六時を回ったところだった。


「時間平気?」


「うん、大丈夫。でもそろそろ帰る」


「駅まで送るよ」


それは、相馬くんが立ち上がるのと同時だった。


「おにーちゃーん!」


「ただいまぁ!」


廊下とリビングを仕切るドアが勢いよく開き、小さな男の子二人が相馬くん目掛けて突進してきた。その勢いに相馬くんは再びソファに押し戻され、二人を両腕に抱える形になる。その弾みで端っこに座っていた小さなぬいぐるみが一匹、床に転げ落ちる。

小さな男の子は色違いの服装を揃いで着ていて、顔が瓜二つの双子だった。


「お、おかえり…君たち早くない?帰ってくるの」


相馬くんは苦笑いで双子に話しかける。私はその場で固まったまま、目を瞬く。

その直後、小学生くらいの女の子と男の子が続けて入って来た。


「兄さんただいま…ってあれ、お客さんですか」


その少しませた雰囲気の女の子は、相馬くんと私を交互に見てそんなことを言う。


「初めまして、二見菫です」


「どうも、妹のあいです。小五です。後ろに隠れてるのは小二の弟で、兄さんに引っ付いてる双子は四歳です」


小五にしてはしっかりしている子だ。相馬くんは双子を引き離しながら言った。


「ごめん二見さん、すぐ送ってくよ。…愛ちゃん、真由子さんは?」


「お爺ちゃんのところへ、芽衣めいを迎えに行ってます」


「わかった、すぐ戻るから留守番お願いね」


相馬くんはまだ抱きついてこようとする双子をたしなめながら、「行こう」と先導して玄関へ向かった。





「本当にごめんね、突然うるさくなって。もう少し帰ってくるの遅いはずだったんだけど…」


暗い夜の住宅街を、冷たい北風が吹き抜けていく。上着を着ていない相馬くんは首をすくめた。ここから駅へは近いとはいえ、往復10分弱だ。寒くないのだろうか。


「そんなのこっちこそ。兄弟たくさんいるんだね、賑やかでいいなぁ」


「二見さんは一人っ子?」


「そう。まぁノアが弟みたいなもんだったけど」


「ノアくんは二見さんのこと、妹って言ってた」


「こっちの方が誕生日早いし…」


あはは、と相馬くんが笑ったその時、後ろからタッタッタッと軽快な足音が近づいてきた。振り向けば、相馬くんの妹の愛ちゃんが何かを抱えて走ってくる。


「兄さん!寒いんだからコートちゃんと着てくださいよ〜!」


「愛ちゃん。わざわざごめん」


相馬くんが立ち止まって、愛ちゃんから受け取ったネイビーのコートを羽織る。


「いえいえ、風邪を引かれては困りますもん。…あの、お母さん帰ってきたし、私も一緒に駅までついて行ってもいいですか…?」


愛ちゃんは遠慮がちに私の方を見上げて、そう尋ねた。


「もちろん」


「やった!…あの、二見さんって…兄さんの彼女さん、ですか。今日ってイブだし、二人きりだったし」


「あーいーちゃん。やめなさい、二見さんは友達だから。他の友達が少し先に帰っただけ」


興味津々といった愛ちゃんを、相馬くんは苦い顔で制止する。友達は複数人で遊びに来るという体で話が通っているのは、私も事前に聞いていた。


「私は家が近いからね、ちょっと長居させてもらっちゃった」


「なんだぁ…。でも兄さんの友達って怖い人ばかりだと思ってたから、二見さんはまともで良かったです。髪も染めてないし、ピアスもしてない」


大真面目な顔で愛ちゃんがそんなことを言ったので、私と相馬くんは苦笑いで顔を見合わせる。

相馬くんの周りは何かと派手な人が多いし、そう思うのも頷ける。つい先日「舌ピ開けたの、見る〜?」なんて言ってきた中村くんがいい例だと思うけど。


「相馬くんは…お兄さんは髪染めてるし、ピアスもしてるけど怖くないの?」


「怖くないですよ!見た目からして優しいもん。二見さんは怖いんですか?」


相馬くんは、思えば最初から怖い印象なんてなかった。話が上手くて人当たりが良くて、丁寧な仕草の一つ一つに親切な人柄が滲み出ていた。

両耳をさりげなく飾る小ぶりのピアスの、深い赤色が彼にはよく似合う。ミルクティー色の髪も、柔らかいその笑顔にぴったり調和する。


「ううん、全然。かっこいいよ」


「もー…やめて、二見さん」


相馬くんは両手で顔を覆ってくぐもった声を上げた。

照れてるのか、と咄嗟にその指に隠された横顔を見つめてしまう。いつも余裕たっぷりで、爽やかな笑顔でなんでも受け流しているのに。今は私の言葉を正面から食らっているように思えた。

そして私は、そんな様子の相馬くんを揶揄って笑い飛ばすこともできずに黙って見上げていた。


「…やっぱ私、先帰ってますね!」


愛ちゃんは突然そう言い放つと、ペコリと会釈をして来た道を引き返して行った。


「…あーあ、妹に気を遣われるとは」


「…ん」


数秒の沈黙。遠くの道路で聞こえる車の音、それから二人の足音と木枯らしが枝葉を揺する音だけだった。


「二見さんは可愛い」


「…唐突だね」


クスリと笑ってそう返す。「かっこいい」のお返しだろうか。


「唐突じゃないよ。ずっと思ってた」


落ち着いたトーンで言われると、なんか変な気分になる。こうやって恥ずかしいと思うのは、今日だけで一体何度目だろう。


「なっ…いいよ、分かったから。ありがとう」


「ねぇ二見さん」


私の手を、するりと相馬くんの手が包み込んだ。こんなにも寒い夜だ。私の指先はかじかみ始めているというのに、相馬くんの手は不思議と熱を帯びていた。

何が起こったのかすぐには理解が追いつかず、目をまん丸にして相馬くんを見上げる。


「僕はただの親切心で、プレイに付き合ってあげてる訳じゃない」


「……じゃあ何の為」


相馬くんは問いには答えず、微笑んで見つめてくるだけだった。繋いでいるというよりかはただ覆い被さるように握られた手の中で、抵抗するように指を動かしてみたが離してくれる気配はまるでなく、結局駅に着くまでそうしているしかなかった。

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