忌語りの茶会

弟子の事情

「先生、アディが大変です」

 クラン・クラウンの部屋に飛び込んで来たのは、王女付きの二人の従騎士、マリエルとコルベットだった。よほど慌てていたのだろう、官舎の扉を開けようとして、力任せに逆手に押した。

 蝶番が捻れて弾け飛ぶ。気づいて引いた動作も虚しく、扉は部屋に倒れ込んだ。外れた把手を所在なく握るマリエルと、いつになく神妙な顔のコルベットが立ち尽くしている。

 窓際に佇むクランは、手にしたカップに視線を落とした。中身は零れてなくなっていた。空のカップを放り出し、髪をくしゃくしゃと掻き回すと、クランは呻くような溜め息を洩らした。

「大方、パルディオがご注進に及んだのだろ?」

 二人は揃ってかくかくと頷いた。

 幽霊騒動の夜が開けて以降、キャスロードは軟禁されていた。予定の遅れた講義や式典、拝謁、会食などの国事行為。積み重なった職務と講義を、これでもかと課せられている。エレインの懲罰だ。

 そんな折、女官の一人がそっと教えてくれた。

 パルディオ宮廷学士長の強い要請により、アディ・ファランドが再喚問されたという。モルダス失踪の参考人として。宮廷魔術師長代行、ベリアーノ・キリク・アーデルトもそれを承諾したらしい。

 尋問官を引き連れたアーデルトは、昨夜、アディを魔術塔に収監したという。

 キャスロードは激怒した。懲罰の随従を強いられていたマリエルとコルベットも、それを聞いて愕然とした。だが、教えてくれた女官の立場もあって、怒りに身を任せる訳にもいかない。

 何より、懲罰の監視はいつもに増して厳しかった。

 だが、従騎士ならば各個の修練もあり、言い訳が立つ。キャスロードは、マリエルとコルベットにアディの一件を託した。かくして、エレインの隙を見て、二人は宮殿を抜け出したのだ。

 事情を聴いて、頷いて、二人を眺めてクランは言った。

「だからって、何で俺の部屋を壊した」

「いえ、これは勢い余って、その、申し訳ありません」

 マリエルが首を垂れた。


 外れた扉が戸口に立て掛けられている。手前に置かれた折れた把手が、供え物ようで間抜けだった。官舎の修繕費が何処に付けられているのかと思うと、クランは気が気ではない。

「だって、あたしらじゃ門前払いだもの」

 コルベットが口を尖らせた。いつもの捻くれたお調子者が愁然としている。

「だからって、俺の顔が利くとでも?」

 むしろ、敬遠されているだろう。宮廷魔術師会にとって、クランは傍迷惑な火種だ。モルダスの意思とはいえ、王女の講師に忌語りを就けるなど、王位継承の政争は大荒れに違いない。

「尋問はラースさまもご一緒だそうです、ご友人なのでは?」

 告げるマリエルの顔、縋るコルベットの顔を一瞥して、クランは嘆息した。一〇年前の知人を友人と呼ぶなら、そうなのかも知れない。自分でそれを決めるのは、昔から苦手だった。

「今の状況は?」

 嫌々ながらそう問うと、二人は顔を見合わせた。

「あの魔術師塔に呼び出されて」

「アーデルト師があいつを尋問して」

 二人同時に喋り出し、同時に気づいて口籠る。クランは手を振って二人を止めた。

「今のところ、絡んでいるのはラエルとアーデルトだけか」

 二人は揃って、また、かくかくと頷いた。

 パルディオひとりの騒動だ。陛下はアーデルトに一任するだろう。魔術師会と政務局が腰を上げる前なら、まだ状況は二人の制御下にある。埒が明かぬ、ともうひと騒ぎする前ならば。

「しかたない、アディには借りがあるからな」

 クランはそう呟いて、何度目かの溜め息を吐いた。おお、と小さく声を上げ、マリエルとコルベットが背筋を伸ばした。乗り込む気で満々だ。それを眺めて、クランは壊れた扉を指さした。

「君らはそれを直してろ」


 馬車を呼ぼうか思案する内に辿り着いたものの、同じ第一市環オーデンとはいえ、西翼端まで歩いた上に、魔術師塔の歪な螺旋階段を再び一〇階まで上がるのは重労働だった。しかも、ついこの間も来たばかりだ。

 ただ、前に訪れた時とは打って変わって、警備と使用人が駐留していた。アーデルトが宮廷から借り出して来たのだろう。いつもの事務作業とは異なっている。形式と体面は重要だ。

 ただ、尋問官を引き連れて、とは誇張のようだ。むしろ、面会手続きを胡乱にするための人員だ。しかも、どうやらクランの来訪は想定内だったらしい。呆気ないほど簡単に通された。

「こちらへ、先にお進みください」

 機密の札を幾枚も翳して、クランを控えに案内した事務官は、急須の具合を確認しただけで、さっさと部屋を出て行った。目の前にはもう一枚の扉がある。どうやら聴き耳には神経質なようだ。

 扉を開けると案の定、室内にはアーデルトとラエル、そしてアディの三人しかいなかった。什器は長机と一〇脚の椅子のみ、飾り気のない会議室だ。最奥にアーデルト、右奥にラエル、手前に見える背中がアディだ。束の間、思案したものの、結局、クランはそのまま立っていることにした。

 こんな場所に長居はしたくない。

「やあ、アーデルト、彼とは多少の縁があってね、呼ばれはしないが馳せ参じた」

 振り返ったアディが、救われたような、呆れたような顔をしている。

 机上には紙の束、手元には筆記具。ご丁寧に誓約印の類まで用意されている。資料と思しき紙の束は、汚れを整え直した跡がある。モルダスの執務室から拾い集めた物だろう。

「君の意見を聴きたいと思っていたところだ」

 背に定規でも当てたのかと思うほど真っ直ぐな姿勢を保ったまま、アーデルトはクランに切り出した。師弟や上下の明確な魔術師には甚だ非常識だが、気安く呼ばれたことは穏便に聞き流した。

「正直、幽霊の証言は重視していない、それは別の課題だ、私はアディ・ファランドが注目される事を好まない、君にこの意味がわかるだろうか?」

 実にアーデルトらしい正直さと迂遠さのある質問だ。クランは片方の眉を上げて見せたが、前髪の下ではよく見えなかった。どうにも思い違いをしていた。これは今ではなく、過去の話だ。

「アディがコルベットの尻に敷かれていることか?」

 前を向いて机上を見つめるアディの椅子の背に手を置いて、クランは答えた。思わずアディが振り返る。クランは口を開こうとするアーデルトを遮った。アディの黄色味のある赤い瞳を眺める。

「それとも、カーディフの子だってことか?」

 ラエルが小さく肩を竦めた。アーデルトやアディ本人とは異なり、ラエルにとってクランの答えは予想の範囲内だった。そもそも彼は、モルダスに招聘されたのだから。

「モルダス師が君に明かしたのか」

 暫しの間を置いたアーデルトの問いに、クランは鼻を鳴らした。実は逆だが、黙っておいた。説明が面倒だからだ。こうした下世話な話が得意だと思われては、忌語りの矜持に関わる。

「何だ、やっぱりそうなのか」

 クランはそう言ってそう嘯いた。四角四面の気難しい顔が、呆気に取られて凍りついた。

 そのままアディの髪をくしゃくしゃと掻き回して、クランは傍の椅子を引く。ラエルの斜交いに腰掛けて、急須と茶器を勝手に取った。黒い癖毛を逆立てたまま、アディは呆然と見つめている。

「この顔を見ればわかるだろう、若い頃のカーディフにそっくりだ、あの騒動で城の肖像画を隠しておいてよかったな」

 ラエルに目を遣る。

「いや、見えない方がもっとわかるか?」

「僕は先生に聴かされていた、確かに、素養はそっくりだと思う」

 視線を感じてラエルが答えた。クランは椅子に背中を預け、天井を眺めた。

「てっきり、あのときは道ならぬ愛人とよろしくやっているだけかと思ったんだが、いや、アディの歳を考えれば二〇年前か、身を引いたのは母親の方だったな」

 クランが振り向いてアディの顔を覗き込む。

「おまえ、知らずにいたんだろう」

 アディの呆然と見開いた目に、惚けた顔が映っている。

「あれは魔術しか頭にない男だったからな、父親なんて器用なこと、できるはずがないんだ、母上に感謝しろ」

 アーデルトは机上に拡げた書類を指し、執務室にあったモルダスとアディの母と間で交わされた書簡について明かした。資質が開花したならば、素性を秘して魔術を学ばせるとの約定らしい。

 モルダスの失踪の後、これらは早々の調査で発見されていた。内容が内容だけに、アーデルトが伏せていたらしい。幽霊騒動でアディに注目されるのを危惧してのことだった。

 今のこの状況で火種を増やす訳にはいかない。

「パルディオ殿に他意はなかったと思われるが、今は不問としたい」

 アーデルトが言った。

 クランの件で政争は波乱の最中にある。姉姫派閥がアディの存在を知れば、余計な混乱を招くだけだ。パルディオの勘違いであれ何であれ、アディの名が挙がる事態は避けたかった。

「サルカンの幽霊はどうする」

 クランが指摘する。

「あれがアディを呼んだかはともかく、目撃者は大勢いるぞ」

 アーデルトにしては珍しく、口許を歪めた。

「幽霊などいない」

 クランが驚いて問うような目を向けると、アーデルトは微かに身動いだ。

「そんなものは、理屈に合わない」

 クランが笑い出す前に、ラエルは慌てて口を挟んだ。

「あの件は私が預かりましょう、恐らく魔術の類です」

 アーデルトが仕切り直しの咳払いをした。

「先に言った通り、この情報を封殺することが第一義だ、この意味は理解できるか、クライン」

 クランはアーデルトに向かって身を乗り出すと、嘲るように目を眇めた。

「俺の仕事を忘れたのかアーデルト、たかが王弟の隠し子なぞ、世界が揺らぐほどの話か?」

 政争の火種であろうと、忌語りには俗世の些事だ。扱う価値さえない。口調の軽さにも関わらず、アーデルトは押し負けた。吐息を洩らし、ふと、机上の書簡を挟んでアディに目を遣る。

「アディ・ファランドに問う」

 まるで空の上で進む事態に呆けていたアディは、びくり、と背筋を震わせた。

「権力と英知のどちらを選ぶ」

「私は」

 枯れて上擦った声を切り、唾を呑む。ラエルやクランに縋りそうな視線を、無理やり抑え込んだ。二人が見るなと言っているような、そんな気配を感じ取った。切れ切れに、アディは答えた。

「私は、血ではなく、自分の手で得るもののみを欲します」

 ラエルが微かに身動いだ。まるで、無意識に目を開けようと足掻くようだった。クランはただ、天井を眺めている。アーデルトが静かに息を吐いて、筆を取って公用紙の上に滑らせた。

「アディ・ファランドは宮廷魔術師会に属する魔術師である、いつ如何なる時も、我らの庇護と裁定の、義務と権利の二つを有する」

 アーデルトは紙から視線を上げて言った。

「退出してよろしい」


「父、父上のことをご存知ですか?」

 呼び方を知らない言葉に迷いながら、アディはクランに訊ねた。二人、塔を出て木立の通りを抜けるまで、会話らしい会話はなかった。時折、クランの腹が間抜けな音を立てる以外は。

「君は?」

 クランが問い返した。背中を丸めて気怠げに前を歩いて行く。

「母は何も」

 クランは髪を掻きながら、うーん、と唸った。

「偉そうに語るほど会ってもいないな、陛下に謀叛を起こした時と、その少し前、あと、あいつが殿下を拐かして逃げた時か」

 クランはふと振り向いて、呆けたように凍りついているアディを見た。

「知らなかったのか、まあ、カーディフのしたことなんて、おまえには関係ないから気にするな」

 あっけらかんと、そう言って笑う。アディもつられて引き攣った笑みで応えた。

「でも、僕が宮廷に呼ばれたのは、大公の血を引いていたからでしょう?」

「そりゃあ、そうさ」

 いっそ清々しいほど無神経だった。

「二流止まりの魔術師ならいいが、君にはたまたま才能があった、いずれ目立てば血筋を洗う奴も出る、そうなると利用されるのは目に見えているからな」

 クランの言葉に気遣いが微塵もない。

「サルカンは魔術師を政争に取られるのが我慢ならないのさ、そうなる前に派閥のない宮廷に引き取ったんだ、まあ、若い使い走りも欲しかったんだろう、せいぜい、あれが往生するのを見届けるんだな」

 なのに、どうしてだろう。クランの言葉がアディの淀みを吹き払って行く。

「変な人ですね」

 アディは苦笑して呟いた。

「サルカンはただの悪戯好きだ」

 あなたのことです。アディは口に出さずにそう言った。

 不意にクランが立ち止まった。まるで逃げ道を探すように左右を見回し、後退る。目の前に、エレイン・オーダーが立っていた。腰に手を当て、氷のような目でクランを見つめている。

「支度をなさいクライン、陛下がお会いになられます」

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