謎の魔術装置
宝物庫を出たのはしばらく後だった。講義の余韻の中、皆はラルクの用意した昼食を済ませた。結局、クランの目的地はもう近い。危惧した危険との邂逅さえなければ、冒険ももうすぐ折り返しのはずだ。
武器を手に入れ、腹もくちくなった三人は、上機嫌で回廊を下って行く。キャスロードは銀の斧槍を、マリエルは王印の不要な片刃の剣を、コルベットは魔術書を一冊手に入れた。
皆、気づけば戦果の感触を確かめて、頬を緩めている。肝心のラルクは宝物庫の武具に目もくれず、資材置き場から鉄柵を拾った。
そもそも、ラルクは得物に拘りがない。例えそれが木の枝でも、マリエルは一本も取れた例がなかった。
「いいか、ここから持ち出すなよ、見つかったら厳罰をくらうからな」
クランが口煩く繰り返す。
「わかった、わかった、そういったであろ」
キャスロードがおざなりに言い返す。そのにやけた口許を見て、クランは顔を顰めた。
「絶対に、」
「クラン」
言葉を遮って、ラルクが声を掛けた。ランタンを傾け、歪な凹凸のある壁を照らす。クランは皆の足を止めた。壁を調べ、縦孔の縁から階層を数える。クランとラルクは互いの記憶を探った。
キャスロードが壁に近づいた。寄せ集めの当て木を塗り固め、両脇に打った鉄鉤に鎖をきつく巻き締めてある。精緻に仕上げられた大空洞の造作とは、明らかに作り手が違う。
枝道を塞いだ跡のようだが、余りにも乱暴で乱雑な造りの封だ。よほど慌てていたのか、それとも、一刻も早く立ち去りたかったのか。何れにせよ、どうやらここがクランの目的地らしい。クランとラルクの表情がそう言っている。
クランは何も教えてくれなかったが、そこにはきっと、モルダスの失踪や幽霊の手掛かりがあるに違いない。キャスロードはそう踏んでいた。
「開けてくれ」
クランが気安くラルクに声を掛けた。
「力仕事は俺か」
諦めたようにラルクが応える。
封を眺めて徐に、ラルクは拾った鉄柵で壁を突いた。さほど力を入れたようにも見えなかったが、封は突然、膝を突く人のように、前のめりの埃と瓦礫になって砕け落ちた。
「すごいです、師匠」
鼻血を噴きそうなマリエルを、面倒くさそうに押し遣って、ラルクは弟子に諭した。
「無闇に叩いても力の無駄だ、壊す場所を見極めるのは、人も物も同じことだ」
何気に怖いことを言う。
「んんん」
コルベットが鼻をひくつかせ、辺りを怪訝に見渡している。マリエルが視線で問うと、コルベットは困ったようにかぶりを振った。埃に鼻を擽られたのか、自分でも何が気になったのかよくらからない。
「さて、中はどうかな」
埃を手で追いながら、クランが瓦礫を踏み越えて行った。
ふと、キャスロードが我に返った。意識のないまま、指が白くなるほど柄を握りしめていた。
自分でもよくわからない。まるで大空洞の淵に足を踏み外した気分だ。斧槍がなければ、形振り構わずクランにしがみついていたかも知れない。
何が不安なのだろう。どうしてクランに縋れば安心だと思えるのだろう。細く続く廊下の奥に、開いたままの扉が見えた。あれを、どこかで見た気がする。
腰に吊るした燈と別に、クランの手に渡ったランタンの灯りが、気まぐれに壁を走って行く。クランは何の躊躇いもなく、部屋の中に入って行った。皆がついて来るのも確かめない。
キャスロードは慌てて追い掛けた。皆も気づいてついて行く。
部屋を覗き込んだ瞬間、クランが人の姿をした黒い影に弾き飛ばされた、ような気がした。キャスロードは悲鳴を飲み込んで、部屋の中に佇むクランに焦点を合わせた。
「勝手に行くな、クラン」
動揺を誤魔化すように大声で言って、戸口を潜る。什器の類が隅に押し遣られ、部屋の中央がぽっかりと空いている。きっと今の幻は、ランタンの光が忙しなく動いたせいに違いない。
クランは壁の機材を調べているようだった。ランタンを掲げて遠目に眺め、間近に持って鼻面を寄せる。顔を顰めて埃を払った。壁を埋める真鍮と硝子が、鈍く灯りを弾いている。
クランは落ちた紙片拾い上げ、ランタンに翳して目を走らせた。
「成る程」
クランがキャスロードを振り返って真面目な顔をする。
「さっぱり解らん」
蹴飛ばしてやろうかと近づくと、クランは奥の壁を指した。
「殿下、開けてくれ」
扉がある。王印の紋が刻まれた扉だ。クランは何気に手にした紙片を懐に押し込み、傍に立った。請われるままに手を翳そうとして、ふと背中に怖気が走った。
息苦しい。何故だか怖い。ラルクと部屋の様子を伺っていたマリエルとコルベットが、キャスロードに怪訝な目を向ける。
「どうした、手を握って欲しいのか?」
クランが悪戯っぽく笑う。不意に何もかも吹き飛んで、キャスロードは思い切りクランの脛を蹴り上げた。
悲鳴を上げるクランに、フン、と頬を逸らして、キャスロードは扉に手を翳した。戸板が重い音を立て、そのまま頭上に引き込まれて行く。埃を孕んだ風を巻き上げた。
淡い灯が点った。最後に残った燃えさしのような、頼りない光だった。
部屋の四方は魔術装置に囲まれている。真鍮と硝子でできた、大小の機材が雑然と並んでいる。割れた硝子が辺りに散らばり、壊れた機械や紙片の類が、隅の方に吹き溜まっている。
正面にあるのは、入り組んだ真鍮の板に、無数の割れた硝子管。踏むのもためらう床の上には、黒い結晶が散らばっている。魔晶石だ。またぞろコルベットが大騒ぎしそうなほどの量がある。
「そのままだな」
クランの肩越しに部屋を覗き込んで、ラルクが呟いた。
「とにかく隠すのに必死だったからな、ろくに調べもしなかったんだろう」
クランが応える。
「まあ、調べたって解りはしないだろうが」
「おまえは何だか解るのか」
部屋を埋める機械を指して、ラルクはクランに首を傾げた。
「自動詠唱機だ、古魔術にはよくある仕掛けだよ、使い方が拙くて壊れたようだ」
クランの口調はどこか呆れたような響きがある。不意にラルクが身を乗り出した。
「もしや、これは王印を移し替えるような、」
不意に言葉を途切れさせ、ラルクは辺りを意識して、少し声を落とした。
「装置ならば、攫った理由も得心が行く」
「そうだな」
一瞬、褒めるような一瞥を投げたくせに、クランは小さく首を振った。
「そんなのは王笏で十分だ、ここにあるのはずっと、」
クランの声が小さくなる。
「馬鹿げた魔術装置だ」
消えそうな声で呟いた。
ふとクランの顔を見上げたキャスロードは、胸が跳ねた。見たことのない、頼りなげな表情だった。キャスロードは自分の動悸を誤魔化すように、声を張って割り込んだ。
「これは、サルカンの失踪や幽霊に関係があるのではないのか?」
クランがきょとんとした目を向ける。
「鋭いな、殿下」
クランがにんまりと笑った。いつもの顔に戻ったと、内心、キャスロードが安堵した刹那、クランは無造作にキャスロードの頭を掴んで、首が揺れるくらいにワシワシと撫で回した。
「無礼者、やめろ、やーめーろー」
斧槍を放り出してクランの手を掴み、真っ赤になって引き剥がした。
床に落ちた斧槍を拾おうとしたマリエルが、持ち上げようとして悲鳴を上げた。うっかり本当の重さを失念していた。柄を掴んだ格好のまま固まり、膝を使ってゆっくりと立ち上がる。
「変な音したよ、あんたの腰」
コルベットが半笑いで相方を気遣う。マリエルは涙目で睨み返した。
「さて、出よう、ここはもう十分だ」
キャスロードにガシガシ殴られながら、クランは探索の終了を宣言した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます