判決後

 人生なんて人それぞれ辛いことがあるもんだ。


 自分よりも辛い目にあっている人なんて、いっぱいいる。難病の人、貧困に苦しむ人、事件の被害者、加害者のその後……ネットニュースを開けば、足の踏み場もない程苦しみが転がっている。


 片田舎の中学の、狭い教室の中で起きた口喧嘩を取りあげる記者なんていない。それが何より「自分の傷が小さい」証拠だ。事件性も共感性もないから、興味がないから。だれも取り上げないし、だれも拾い上げない。痛みを他人と比較して、世界中の痛みと比べてランキングにしたら、下から数えたほうが早いレベルの、どうでもいい、些末なものなのだろう。長い人生から見れば、ありふれていたものに違いない。時間が経てば忘れてしまうような、石を投げれば当たるような、退屈な出来事なのだろうと、分かっていた。


 それでも、リアルタイムに傷つき、生傷から血を流している当事者にとっては、痛みは痛みだ。他人の痛みとは比べようもない。自分の痛みとは世界で一番鋭利に突き刺さり、心は脆く破れてしまう。


 扉を開ければ、世界の終わりのような、毎日。視線が自分に集まり、静寂が訪れ、嘲笑が広がる。信じがたいことに、「目が合うと呪われる」だの「会話すれば呪われる」だの、幼稚な遊びが流行した。それを諌める知性も品性も良心も、クラスの連中は持ち合わせていなかった。


 誰かを正義で打ち倒すのは快感だ。それは子供の時、正義の味方を気取っていた自分には、よく分かっていた。彼らは入院して不在の高見さんに代わって、正義の剣で私を罰しているのだ。


 私は無関心を装って、鈍感を演じて、学校に通っていた。

(何にも間違っていない。何も悪いことはしていない。私は誰も呪っていないのだから)

 自分自身に何度も言い聞かせた。朝、玄関でローファーに足を通すたび、胃や腸がずしりと重くなり、自分の代わりに悲鳴を挙げた。でも学校を休んだら、取駒に、偏見に負ける気がした。子供じみた意地だけど、自分を支える唯一の矜持だった。

 胸をはったその胸中で、ひそかに無理解に怒った。世界の不条理を呪った。それでもいつか、分かってくれる人が……この不幸な誤解を見つけて、拾い上げ、解いてくれる人が現れるのを待っていた。


 担任の教師には幾度も生徒指導室に呼び出された。

 どんなに丁寧に説明しても、自分が他人を「呪えない」という事実は、教師は納得できないようだった。クラスメイトからの証言も不利に働いていたらしい。「四方山の体の輪郭が不気味に光っていた」、「赤髪が逆だって、蛇みたいにうねっていた」、……、取駒に煽られ怒った時に、魔力が体から漏れていたらしい。教師は、自分を「呪いかねない」と判断したのだ。


 担任は対話の度に何度も自分に言った。「お前にも悪い所があるんじゃないか」と。「誤解されるような事をするな」と。


(誤解されるような事とは何だろう)

 言葉を、いくつも重ねた。そのどれもが届かず、足元に散っていった。

(誤解をするのは、いつもそっちじゃないか)


 自分だけの手には負えず、情けないことに、最後は親に助けを求めた。長い長い親子同伴の事情聴取の末に、「今後とも行動に気をつけるように」という、薬にも毒にもならない説教に着地した。



 事故に巻き込まれた高見さんは、腕を骨折しただけだった。事故直後の緊急手術というのは間違いで、実際には脳に異常がないか調べるCTスキャンだったらしい。後日、腕にボルトを埋め込む手術をしたらしいけれど、利き腕とは逆だから、受験も問題なく受けれるそうだった。私は心底ホッとした。


 彼女が学校に復帰した日、彼女はクラスメイトに歓声で迎え入れられた。私はそれを横目で見ていた。もしこの世に誤解を解いてくれる誰かがいるならば、彼女以外いない……そんな邪な想いを抱いてしまったのは事実だ。けれど、期待はあっさりと打ち砕かれた。スマホが一度震えた。彼女からメッセージが一件。


「あのおまじない、呪いだったんだってね。

 もう二度と、関わらないで」


 私は思い上がっていた。彼女は自分と仲良しとまではいかないまでも、自分のやったことの真意を理解してくれるだろうと、思い上がっていた。私との日々のやり取りよりも、取駒の作り上げた「人望のある高見さんに嫉妬して呪った」というストーリーを選んだのだ。


 考えれば当たり前だ。彼女たちはもともと部活動で築いた強固な信頼関係で結ばれている。時々LIMEでやり取りする程度の友情なんて、勘定されない。しかも、彼女は話題の被害者としてチヤホヤされる。告白に失敗した体裁の悪さも、呪いのせいに出来る特典付きだ。彼女はそれに飛びついた。


 彼女がクラスに戻ってから、居心地の悪さは更に増したように感じた。明るい彼女の笑い声が戻って、それが甲高くクラスに響くたび、私は加害者の罪を押し付けられた気持ちになった。


 子供の頃の世界は、公平で出来ていた。良いことと悪いことで出来ていた。そしてこの考えが、地球上のどこにいっても続くと信じていたのだ。外見は変えられないから、せめて中身は、ダイアモンドみたいにピカピカになろうと思った。正義のヒーローみたいに頼りになる、憧れの魔法少女みたいに清い心を持った、そんな存在に。

(私が、間違っていた)

 どんなに中身がきれいでも、善意の行動で他人を助けても、この世界はそんなものを評価しない。自分の都合で他人の好意を踏みつけ、レッテルを貼って差別し、優越感に浸れる厚かましいがだけがのさばるのだ。


 私は、すっかり学校に行くのが馬鹿らしくなった。





 学校に行かなくなった後のことはあまり知らない。自分はさっさと中学という檻に見切りをつけた。両親も、あんなことがあった後だったので、黙って見守っていてくれた。


 ふーこは激怒した。私がふーこに相談しなかった事と、私を追い詰めたクラスの連中に激怒した。

 「今度はわたしがメイジちゃんを助ける番だね」とだけ残して、鼻息荒くひとりで学校に通った。後から聞いた話しだと、ふーことふーこの父親は、クラス中の当時の出来事を調査をし、不当な扱いを受けた証拠をあつめ、人権問題に仕立て上げ、学校相手に大立ち回りをしたらしい。

 彼女の父親は、医療と魔法を融合させた介護サービスを立ち上げ、一代にして大企業にのし上がった裕福な魔力持ちだ。彼の雇った弁護士は優秀で、書面にしっかりと不当な扱いをまとめ、校長を交えて学校運営体制について話あったらしい。事件当事者は赤の他人で自宅に引きこもっているといるというのに、大したものだ。


 それから暫く経ったある冬の日、家で勉強をしていると、LIMEが同時に2件の着信を知らせてきた。HOME画面には、高見さんと取駒の名前が表示されていた。読まずとも分かった。タイミング的に、どうせ立場の悪くなった彼女らの、形だけの謝罪文なのだろう。指先の小さな動きひとつでそれらブロックをして、スマホを机に伏せた。


 これが、自分にとっては二度と行かない学校の、二度と関わり合いのない人たちの、顛末だった。


 記事にならない、ありふれた心の傷の結末。尻すぼみで、逆転劇もなく、スカッともしない。誰にも共感されず、求められない。共有したいと思わない。

 当然だ。ストーリーとして起承転結が成立する物語しか、人は拾い上げない。感情移入のし損だからだ。得るものもなく、教訓もなければ、時間の無駄だからだ。生傷と感傷だらけの現実はエンタメには昇華されない。悲痛な叫びなんて耳障りなだけだから、みんな耳を塞ぐ。そんなものだ。


 それでも、自分の中では、自分を変えうる大きな出来事だった。

 私は、県外の魔法学校の願書を取り寄せた。


「魔力を制御する方法が知りたくて」ということもあるけれど、本音を言えば、誰も自分を知らない所で、一からやり直したかった。

 親は一人暮らしを大いに心配して反対したけれど、「あなたの人生にとって魔力の制御や知識はとても大事」とも言ってくれた。幼馴染のふーこも同じ高校へ進路を選んだことも、後押しになってくれた。大伝じーちゃんの家から通う事を条件に、両親は私を送り出す決心を固めた。

 私は、無事に受験に合格して、山梨の魔法学校に通うことになった。魔法学校なら、魔力持ちへの偏見もない。嫌な出来事は全部実家に捨て置いて、もう一度だけ、前向きになろうとしたのだ。





 山梨で始まった高校生活は、期待通りだった。黒髪の中では赤毛は目立ったけれど、色とりどりの髪色の中では、誰も赤毛を取り上げて注目する人はいない。 

 やっと息ができるような気がした。新しい環境に、新しい制服、新しい顔ぶれ……。皆が魔力持ちならば通じ合える。眼前が明るかった。


 淡い期待は、いつでも挫かれる。自己紹介も終わったばかりの四月の終わりだったように思う。クラスの女の子が、スマホをこちらに見せつけてきた。


 「ねえ、この書き込みってさ……、四方山よもやまさんのこと?」


 そこには、ある匿名掲示板の書き込みが写っていた。


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「【犯罪集団】ヤバい魔力持ちを晒すスレ 18」

 

183名無しさん 20XX/04/XX() 22:35:24.86ID:M1GcNoNE3


>>184

ウチにいたヤツのほうがヤバかった

海あり県

リア充を呪って事故に合わせた

速攻バレて、クラスで吊し上げ食らって学校に来なくなった

でもその後弁護士立ててきて人権団体と手を組んだとかで

名誉毀損ガ-侮辱罪ガ-裁判するする詐欺

結局示談になったらしいけど幾ら搾り取ったのか


四方山メイジとかいうのに合ったら注意

逆恨みのヤバイヤツ

多分どっかで高校生やってる

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 私は反射的に「違う」と言った。同時に、またしても眼前が暗くなるを感じた。

 県境を超えても、自分の中で白紙にしても、次に向かって歩き出しても。

 偽りの過去が影のように背中にのっぺりと付いてきて、自分の行く手を遮るのだ。


 魔力持ちのクラスメイトには《呪い》の意味合いが、違ってくる。《呪い》というものがどんなに危険なものかを分かっている人たちが、眉をひそめて私を見た。「悪い魔法使いもいる」ことを、彼らはよく知っていた。


 入学したての私は「悪くない」と信じてもらえる証拠も手立ても信頼も無かった。一度芽生えた猜疑心の芽というのは、そう簡単には摘み取れない。

 クラスメイトが、怯えたような、疑うような、悪意をにじませた瞳で自分を見つめ、半歩下がった。


(同じ魔力持ちなら、分かってもらえると思っていた……)


 なんて浅はかな。なんて子供っぽい事を信じていたのだ。

 嫌というほど思い知ったじゃないか。

 人間は他人を区別する。レッテルを貼る。自分に都合の悪いもとを悪として正義で叩いて、優越感に浸れる図々しいものがだけがのさばるのだ。それは、魔力のない人たちだけに限った話ではない。魔力持ちだって、同じ人間た。


(ここでもか……)


 これ以上の茶番に付き合うのは御免だった。

 小屋にこもるようになるのに、そう時間はかからなかった。


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