非常食ホットサンド

 私とふーこは、飽きるまでヒカリゴケで描かれた水竜の天井画を眺めた。そして次第に「つくられた時代はいつだろう?」とか「案外、昔の人の創作じゃないか」とか「塗料は魔法のアイテムじゃないか」とか「水害があった歴史は知らないか」とか、思いつくまま議論し始めた。議論は白熱し、盛り上がりの頂点に達したあと、強烈に「資料がほしい」と思った。スマホは《石》の阻害をもろに受けて、圏外だ。ググることすら禁じられれば、すぐに知識は枯渇した。私達は義務教育に毛が生えた程度しか知識を持っていないのだ。圧倒的に知識の量が足りない。だから、歯が立たない。何を話しても推論の域を出なかった。私達は議論の末に喉の乾きを覚え、ふと我に帰る。薄暗い大洞穴では外界の様子が分からないけれど、スマホのデジタル時計を見れば、日没のタイムリミットが刻一刻と迫っていた。



「こりゃ、今日中の下山は無理かもだな……」

 私はあえて声に出してはっきりと言った。まず、《星曇ほしぐもりの石》を攻略できていない。先程と同じように無策で進めば、どうやっても長期戦になるだろう。仮に運良く外に出られたとしても、おそらく夜になってしまうし、夜の山道を帰るのは危険だ。いくらヘッドライト装備があって光源が確保できてるとはいえ、すでに私達はヘトヘトに疲れているし、夜露で滑る山道では、転んで怪我をしてしまう未来しか見えない。


「メイジちゃん、どうしよう」

「んー……」

 外泊が不可抗力的に決定しそうなお嬢様は、不安げだ。なんとかしてあげたいけれど、私に出来ることは限られている。

 ドサリとバックパックを地面に下ろした。ごそごそと組み立て式の椅子が入った袋を二つ、取り出す。ふーこが慌てた。


「こ、ここで休憩するの!?」

「だって、煮詰まってるでしょ?」

「そうだけど……」

「馬鹿の考え休むに似たりって言うじゃん。それに、この壁画の発見が公に出たら、廃坑がもっと厳重に立入禁止になるかも」

「う、うん…分かるけど……。きっと、重要文化財だ〜とか、保全だ〜とか、いっぱい理由をつけて、立ち入り禁止になりそう」

「だったらやることはひとつでしょ」

「なに?」

「煮炊きだよ!」

「キリッじゃないよメイジちゃん!」


 椅子を組み立て、うるさいお姫様を座らせた。アウトドアチェアの座面は、座った人物を優しく包み込み、沈め込む。疲れた体を一度あずけたら、二度と立てなくなるものだ。お姫様は「うあ〜」と間の抜けた声をあげた。そう、疲れているから、思考が煮詰まるのだ。私達に必要なのは、急いで《石》を攻略することじゃない。休憩だ。

 大洞穴中央に流れる川を、手持ちの小さなステンレス鍋ですくった。飲水が枯渇しかけているのだ。小鍋の中の水は驚くほど透明で、不純物はない。触ると雪解け水のように冷たかった。クンクンと匂いをかいでみたが、変な匂いは少しもしない。見れば見るほど山の恵みの天然水だ。とはいえ、見えない大腸菌も怖いので、一応沸かしてから使うことにした。

 椅子の近くにできるだけ平らな地面を探して、バーナーに火を付けた。小鍋をクツクツと煮立てて、少し冷ます。ティーバッグを投げ入れればあら不思議。鍋の中は紅茶で満たされた。水筒のコップに淹れてふーこに渡してやる。ふーこはおそるおそるそれを口に運ぶと、胸の最奥からありったけ、安堵のため息を吐き出した。


「んはあ〜……。私、今飲んだ紅茶が人生の中で一番美味しいかもしれない」

「推定・重要文化財にかこまれて飲むお茶は格別だろ? リプトンのイエローラベル、是非お買い求め下さい」

「ご紹介頂いてありがとう〜、覚えておきますう〜」

「庶民価格にびっくりするぞ、きっと」

 ずぶずぶにリラックスモードになったふーこを尻目に、私のコップにも紅茶を注いだ。座って飲みたいところだけど、座ったら立つのが億劫になるので、一口だけすする。いつも飲んでいる馴染みの味だったけれど、ふーこの言うように異様に美味しく感じるのは何故だろう? まろやかな口当たりは、地下水のおかげだろうか。それとも、単純に疲れがそう思わせてくれたのかもしれなかった。腹の底がぎゅ〜と鳴った。私は食事の準備にとりかかる。


「メイジちゃん、ごめんなさい。わたし、食べ物を持ってきてないの」

「いいよ、お土産、沢山頂いてるし。実はこういうこともあろうかと、軽く持ってきた。ただ、美味しいモノが出来るかはちょっと保証しない……」

 なにせ、『最低限』で『軽さ』を重視した装備で来ている。バックパックの中から、なじみのホットサンドメーカーを取り出した。温めれば大抵の物はうまい。そして、軽量という理由で持ってきた食パン。パンがあれば一応腹は膨らむだろう。あとは、ふーこのお土産の中にあった、キャンディ包のチーズケーキバーだ。


「……」

パンとチーズケーキバー。

(なんだろう。この荒唐無稽なラインナップは……)

 急いで準備していたとはいえ、短慮を反省した。一番カロリーが高そうで、一番嵩張らない、あと久しぶりにふーこと一緒に食べたいという理由でチーズケーキバーをひっつかんで来たけれど、食事らしい食事にするつもりならば、ドイツ語ラベルのソーセージの方がよかった気がする。

「あ、メイジちゃん〜。こんなの出てきたよ」

荷物をごそごそやっていたふーこが、ズタ袋の底の方から黒いかたまりをズルリと出した。

「なにそれ……うぇっ!? これって……」

「羊羹みたい」

「大伝じーちゃんか……」

 大伝じーちゃんのズタ袋の底に、非常食が入れっぱなしだったようだ。羊羹は砂糖の量が多く含まれているので、賞味期限が一年、期限が切れた後も一年、保存が効くという。さらにハイカロリーなので、じーちゃんが「非常食兼保存食にはうってつけだ」と笑っていたのを思い出した。それを聞いた私は「空腹時に羊羹を貪る奴なんかいるか」と思ったものだが……。


「今、まさにその時じゃんね……」

「え?何なに?」

「なんでもない」

 パッケージ裏面の賞味期限を確認すれば、まだまだ期限内のようだった。大伝の忘れ物に多少感謝しながら、封を開けた。


「メイジちゃん、それをどうするの?」

「一か八か、賭けだけど、思いついた。やってみる?」

「よ、よくわからないけれど……、わたしはメイジちゃんを信じてるよ」

「よく言った」

 私は羊羹を薄くスライスした。それをチーズケーキバーと一緒に食パンに乗せた。

「え?! まさかそれ」

「もちろん挟んで焼く!」

「えーーー……」


 私は有無を言わさず食パンを重ね、ホットサンドで挟んで火にかけた。ジリジリとバーナーで両面を数分炙る。ふーこがゲテモノを見るような眼で見ている。頃合いを見計らってホットサンドメーカーを開いた。ほかっと湯気が上がり、中からこんがりきつね色に仕上がった美味しそうなパンが現れた。


「ほら、美味しそう」

「〜〜〜パンは焼けば美味しそうだけど〜」

「ささ。一口、ささ」

「えええ〜っ、私から食べるのぉ〜」

 はんぶんこに割ったホットサンドを皿に乗せ、ふーこに強引に押し付ける。ふーこは、少し迷って、おそるおそる口をつける。ザクッといい音がした。


「……ん? あれ?」

「どう?」

「もっと酷いと思ってた。ちゃんと甘くて美味しい……」

「でっしょ!」

 私もアツアツのうちにかじりつく。パンはカリカリで小麦の香りが香ばしい。中から甘さ控えめのチーズケーキとしっかり甘い羊羹が、熱で溶け絡み合って飛び出した。半分とろけた羊羹はあんこみたいで、いい意味で今川焼きのニュアンスも漂っている。その甘さにチーズケーキバーの酸味とほのかな塩気が混ざり合い、複雑な味の奥行き感が生まれている。バーのタルト部分に入ったナッツが、サクサクこりこりと口の中が楽しい。


「うん、ちゃんとうまい。羊羹がちょっと甘すぎるかもだけど、甘いだけじゃないの、結構すき。次は分量減らしてみよう」

「あんぱんの変わり種? 大判焼きの亜種……? あんこがちゃんと甘いから、ブラックの紅茶とも案外合っちゃってる……」

「ふふーん、長年貧しい食材で工夫して、生き永らえてきただけあるでしょ」

「その言い方だと『うん』っていいにくいよ〜。でもでも、今あるものだけで、ちゃんと美味しいものが作れるの、すごいねえ」


 ふーこはお皿とコップをわざわざ地面に置いて、パチパチと拍手をしてくれた。ふーこはなんでもすぐ褒める。大抵は合いの手か見え透いたおべっかだけど、これはちゃんと褒められた感触がして、臓腑がむずむずと浮き上がる感覚がした。私はあわててごまかすように言った。


「これ、チーズケーキバーが甘さ控えめだから、成立してるんだよね。ふーこのチーズケーキ、甘くなくて好きなんだ」

「んふふ」

 ふーこはパンを咥えた姿勢のまま笑う。

「どした?」

「ううん。違うの。初めはね、レシピ本の通りに作って持っていったんだよ〜。それなのにメイジちゃん『甘ッ』て言ったの、覚えてない?」

「え、そうだっけ」

「うん」

 言われてチーズケーキに紐づく記憶をほじくり返したけれど、どの思い出も「ウマいウマい」と低IQな語彙で喜んでいた気がする。


「一番初め、メイジちゃんね、一口かじって、『甘すぎるのは得意じゃない』ってつっかえしたの。それから、『よ〜し、絶対メイジちゃんが美味しいって言うようなの作るぞ!』って、何度も改良したんだよ〜」

「そう、だったっけ…?」

「意見をもらって、レシピを改変していったら、砂糖がどんどん減ってって。味が単調にならないようにナッツとかチーズも数種混ぜたり色々工夫して……。そしたら、最終的に、チーズケーキバーっていうか、ただの『チーズのバー』になっちゃった」

 私は笑った。ふーこが「チーズケーキバーだ」と持ってくるから、チーズケーキバーとはこういうものかと思っていたけれど、これはただの、チーズのバーなのか。道理で「市販のチーズケーキバーよりも甘さ控えめで好き」なんて思っていた訳だ。ふーこが自分の好みを反映させて作った自分用だと種明かしされて、顔に熱が集まってきた。


「メイジちゃんの好みを反映したら、しょっぱいチーズの分量が増えるし、腹持ちがどうとかで、グラノーラも増えるし……。これじゃスイーツというより、携帯用非常食だよね〜。メイジちゃんが喜んでくれるなら、それでいいけれど」

 私は恥ずかしくなって、斜め上の天井を見上げた。ヒカリゴケが生い茂る天井はまるで満点の星空だ。そういえば、二人でキャンプに来たのは何年ぶりだろう。のんびりした夜空には水竜が泳ぎ、鱗を輝かせている。

「……じゃあ、このホットサンドは、甘いあんこの非常食と、しょっぱいチーズの非常食で出来た『非常食ホットサンド』な訳だな」

「非常食にしては、すっごい美味しいかも〜。紅茶も進むし〜」


 私達は笑いあった。笑い合って、ふと気がついた。

 そうだ、私達は気を張っていた。慣れない廃坑という環境で、閉塞感と暗闇と湿気とで、前向きな気持ちを維持するだけでも、かなり消耗していた。座って、火を炊いて、時々天井の銀河や竜を眺め、温かい食べ物と飲み物をお腹に入れると、はりつめていたものがゆるゆると解けていくのを感じた。


「……ねえ、ふーこ。考えたんだけど、《石》を持って帰るのは、今回はあきらめようかなと思うんだ」

「……メイジちゃん」

「せっかくふーこが一緒に来てくれたし、依頼人の事を考えたらいい結果で終わらせたいけれど。やっぱり準備不足だった。《石》は一旦、ここに置いていって、日没に間に合ううちに、引き返そう」

「メイジちゃんは、それでいいの?」

「……うん。悔しいけど。でもきっと、攻略法はあるんだよ。今は、それは分からないだけで。もう一度出直して、しっかり時間をかけて調べ直す。その代わり、納品は遅れちゃうかもけど……。うん、依頼主も心配だけど、私達の安全も、大事。帰れるうちに、帰ろう」

「……うん」


 もしこのまま一泊して、ふーこの無題外泊がお屋敷が知るところになれば、きっと日本が持ちうる全精力を傾けて捜索が始まってしまうだろう。八面山上空にヘリが飛ぶ所は見たくない。

(それに)

 それに、胸の端っこでフギンのことも気がかりだった。使い魔のフギンは、私から魔力を供給されて命をつないでいる。契約を結んだあの日から、こんなに長い時間離れ離れになったことは初めてだ。私は自分の魔力供給の有効範囲を知らない。

(フギンがピンチなら、自力でここまで飛んでくる気もするけど……)

 駆けつけてこないということは、大丈夫ということだろうか? それとも小屋で魔力切れを起こして倒れていたらどうしよう、と不安がよぎる。長時間家をあけて、帰ってきたら使い魔がミイラになっていましたでは、夢見が悪すぎる。やはり今が潮時だ。


「《石》はまた採りに来ればいいし。それに今日は、大収穫じゃん?」

「……そうだね」

 私達は天井を見上げた。帰ったら調べたいことがたくさんある。リュックの中の宝は持って帰れないけれど、得るものはたくさんあった。

 「廃坑」というロケーションひとつ取っても、知らない石だらけだ。水竜と水害の歴史も、魔石の効果も、地図の書き方も、何もしらない。自分の無知や、無知への焦りは、自分にとっては不名誉な勲章だけれど、持ち帰れるものはリュックに詰めて、しっかり持って帰ろう。


「水竜の壁画もそうだけど、わたし的には、美味しいホットサンドと紅茶をご馳走になったの、嬉しかったな〜」

「そうそう。甘いのとしょっぱいのは、相性がいいのよ」

「本当だよねえ〜。スイカに塩、アンパンに塩漬けの桜みたいに、正反対だからこそ相性がいいって事あるよね〜。わたしとメイジちゃんみたいに。きゃっ♡」

「ん……?」

 いま、一瞬、何か引っかかった。


「今なんて言った?」

「え? わたしと、メイジちゃんの相性は天元突破……?」

「違う違う」

「え〜」

「……そうだ。甘いのとしょっぱいの。正反対だからこそ相性がいい……」

 私はバックパックから、《星曇りの石》を取り出した。

「ふーこ、《星晴ほしばれの石》貸して」

「……?」

「ずっと気になってたんだ。二つの石の名前。紛らわしいくらい似すぎてる」


 私は曇った石と透明の石の二つを、ジワジワと近づけてみた。磁石同士を近づけた時に感じる、見えないけれど確かにある、“何かの力”が、石の間に粘るように丸く存在したのを感じた。

「《曇り》の方は位置感覚を狂わせる。じゃあ、対の名前がついた《晴れ》の方は、位置感覚を整える力があるんじゃないかな」

「え、え?」


 カチンと硬い音がして触れ合う。すると、石と石の間から「ジジジジジ……」と小さく金属が引き合いぶつかるような音がし始めた。石同士が引き合うと同時に反発して、振動している。


「《晴れ》は磁力を整えるんだよ。迷わなくなる。だからきっとスマホの電波が良くなったりするんだ。ふーこ言ってたじゃん。『人工衛星からの位置情報を狂わせることから《星曇り》って名前がついた』って。《星晴れ》はきっとそれの逆だよ。正反対の双子の石なんだ。方向感覚を狂わせる石と、方向感覚を整える石だったんだよ」

「わ、わかるような、わかんないような〜」


 そう、分かるような分からないようなことが、魔法の分野なのだ。科学のレンズで覗き込めば、磁力と電波は同じではないだろう。位置情報と方向感覚は、人工衛星と星は、同じではないだろう。でもそれが「結果として」伴ってくるのが、魔法の領域だ。対の名前が付けられたということが、魔法使いたちの結論であり総意であり、自然現象の結果なのだ。


「なんでここへの道が急に拓けたのか、気になっていたんだ。壁だった場所に、いきなり道が現れたでしょ? 《星曇りの石》で狂わされた感覚が、一瞬だけ解けたってことだよ」

「もしかして、これのおかげ?」

 ふーこはスマホを持ち上げた。スマホには小さい《星晴れの石》がキラリと輝いている。ふーこがスマホで時間を確認しようと取り出したとき、その一瞬だけ、感覚が整い、《星曇り》の幻覚効果が解けたのだとしたら――。


「ふーこ、良かったな」


私は立ち上がり、椅子を片付け始めた。


「それ、お土産に持って帰れそうだぞ」


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