帰投開始

 日暮れが近づいている。装備は最低限しか持ってきていない。じっとしているわけにはいかない私達は、一つの穴を一か八か選んで、廃坑からの脱出を試みた。


 穴を抜けている最中は、その屈んだ姿勢や、膝を打つ感覚に「間違いない。来た時もこうだった」と確信があったのに、抜けた先の景色には見覚えがなかった。ふーこに聞いても、心当たりがないという。不安になった私たちは、一旦先程の採掘場に戻ろうと話し合った。しかし、話し合って戻ると決めたのに、その穴が見つからないのだ。つい、さっき、通ったばかりの道が、消えている。


(嘘でしょ……)


 私は唾を飲み下した。かなり強い幻覚作用を受けている実感があった。

「ここに穴、あったよね」

「……あったよね〜……」


 おそらく、現実にその穴はあるのだろう。あるのだろうけれど、自分には岩の壁にしか認識できない。確かにここから出てきたのだ。穴が空いていなければ、辻褄が合わない。穴があると思しき箇所に恐る恐る手を伸ばしてみた。軍手の手には、しっかりと岩の硬い感触がある。強く叩くように触れば、手のひらが痛む程に、幻覚は強い。きっと第三者がこの姿を見れば、精度の高いパントマイムをしているように見えるだろう。私は、ヘルメットの頭を認識できない穴に突っ込んでみた。ゴンと鈍い音がして、ヘルメットのプラスチックがゴリゴリと削れる感触がした。……これを強引に力で押し通るのは不可能なようだった。


(“保持者の方向感覚を狂わせ阻害する”……)


 依頼人のレジュメの一文を、頭の中で復唱した。“阻害”の二文字に含まれる圧倒的な悪意を、全身に浴びている実感がある。

(五感を操作して、道を認識させない効果……)

 道が有るのに見えない、感覚を騙されて通れないのでは、攻略のしようがないではないか。

「なんだこの無理ゲーは! 新手のスタンド使いか!」

「メイジちゃん、落ち着いて」

 ふーこは短気を起こす私を諌めた。

「いざとなれば、石を捨てればいいじゃない。そしたら、感覚は戻ると思うの」

「そ、そうだよね……」

 そうだ。ふーこの指摘の通り、《星曇ほしぐもりの石》を捨てて、石から距離をとれば効果は薄れ、磁力も感覚も正常化して、《砂地図すなちず》も使えるようになるだろう。そうしたら私も記憶をたどって入り口を目指すことが出来るようになる。


「でも……」

 でも、それでは肝心の《石》は回収できない。何かこの石を無効化する策がなければ、何度チャレンジしても、依頼は失敗だろう。依頼が失敗になれば、メルオクに開いている自分の店の評価は下がる。今回低評価がつけば、前回のダメージの比ではない。前のレビュアーは素人さんだったから軽傷ですんだけれど、今回は、魔法関係者だ。

(山梨大学・生命環境学部、だったけか)

 同業は、同業や関係者のレビューを信用する。なんせ、品質の良し悪しを判断する目は確かだし、用途が明確な分、ごまかしが効かない。

 自分の店は(ものぐさな性格の割に)実直で、適正価格で、最速のお取引を心がけてきた。ネット界の闇市だと揶揄されるメルオク界の最後の良心、隠れた名店だと自負している。今回の依頼は難易度の高い依頼だと分かったけれど、同時に「頑張りどころ」でもあると、私は思う。


(失敗したら、フギンなら『身分相応の評価で良かったじゃないか』って笑うだろうけどさ)


 確かに、脳内のフギンの言う通り、「身分相応」の低評価を貰ったとして、それはもう甘んじて受けねばならない。因果報応、それで終わるのは私だけのストーリーだ。でも、依頼人はそれでは終わらない。依頼人は、メルオク界の隠れすぎた名店である私の小さい店に頼らざるを得ない程、追い詰められていた。あのストーカーの恐怖に怯える依頼人は、誰がどうやって救うのだ。


「……でも……」


 しかしそんな胸の内を、洗いざらい親友に告げるのはなんだか気恥ずかしい。私は決して、熱血漢キャラじゃない。もっとこう、「やれやれ」とか「まいったぜ」とか訳知り顔でため息をついて、災難から逃れるタイプの人間だったはずだ。言い淀んだ私は、ごまかすようにトレッキングシューズの靴紐を眺めた。


「うん、分かってるよ。メイジちゃんは、お金もだけど、依頼人さんを救ってあげたいんだよね」

 ふーこはお見通しと言わんばかりにニッコリ微笑んだ。

「わたしは、そういうメイジちゃんが好きだし、お手伝いしたい。……諦めるのはいつでもできるから、制限時間いっぱい、もうちょっとだけ足掻かない?」

「ふーこ……」

「メイジちゃん、ペンとノート、持ってるって言ってたよね」

「……うん。今更だけど、手動でマッピングするか」

「アナログと人力はなんだかんだで強いんだぞってとこ、見せつけちゃお〜!」

 私はずっしりと重いバックパックを下ろして、脇の小ポケットから、ペンとノートを取り出した。


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