山麓の魔女はネットで楽して儲けたい

@chimomomo

依頼1「水トカゲの涎」

プロローグ

 窓の外の蝉が、いつまでも飽きずに鳴いている。


 今年の夏はいつもより堪えるのは、電気代節約のためにクーラーの設定温度を28度にしているからではない。エルニーニョだか何だかのせいで、全国的に記録的な猛暑のせいらしい。国内有名避暑地を擁するここ山梨県のド田舎も例外ではなかった。茹ゆだる。茹だって死んでしまう。


「何もする気がおきな〜い……」


 汗で額に張り付く伸びた赤毛を手の甲で拭ったが、汗もじっとりとした湿気も払う事は出来なかった。長くゆるい赤毛のおさげをシーツに放り出し、小柄な手足を大の字にして寝転び随分経つが、お腹が空いていくだけで気力が満ちていく気配はない。


 寝室の三角屋根から降ってくる熱気に、クーラーが完全に押し負けている。締め切ったカーテンの隙間から差し込む日差しは強く、コントラストに目が焼かれそうだ。既に下着も肌着も脱ぎ去り、素肌にTシャツ短パン一丁というエアリズムもびっくりの通気性を実現した装備であるのに、この暑さだ。かくなる上は、全裸になるしか策がない。でも多分、同居人がギャーギャーと小煩く、「淑女の嗜み」だか「人としての最低限のモラル」だかを説き始めるのが目に見えている。うら若き乙女の柔肌を晒しているのだから、お金を取りたいくらいだ。


「メイジ」


 ベッドの柵にとまったその同居人のワタリガラスが、名前を呼んだ。このカラス、人語を話す。呼ばれた少女は、ゆっくりと濃い赤毛のまつげを持ち上げると、ターコイズブルーの大きな瞳が現れた。まるっきり日本人離れした外見だが、立派に日本人だ。


「もう昼だ。せめて着替えたらどうだ」

「んー……」


 返事の代わりに寝返りをうち、黒々と光る羽毛を携えた鴉に背を向ければ、ぴょんぴょんと器用に跳ねて強引に視界にフレームインしてきた。この鴉の名前はフギンという。昔、自らそう名乗った。


 フギンは、私のじーちゃんがまだ若い魔法使いだった頃から、じーちゃんに仕えている使い魔だ。私が今よりずっと子供の頃、夏休みなどの長期休暇があるたび、親は兄と私をここに連れてきて、私達兄妹を放し飼いにした。その時に、このぶっきらぼうで朴訥な鴉に、遊んでもらった記憶がある。じーちゃんが不在の現在は、代わりに自分がこの鴉の主人となった。自分こと四方山よもやまメイジは、魔法使いである。


 主従関係というものは、大抵の場合、主の方が尊重されるものだと思っていたけれど、この鴉に限ってはそうではないらしい。頼んでもいないのに、じーちゃんに代わって保護者役をやっている。


「依頼がないか確認したらどうだ。その“すまほ”とかいうやつで」

「……うーん……」


 何のやる気も湧いてこないけど、依頼のメールを無視するのは確かにまずかった。メールの放置は作業時間のロスだ。作業時間が足りなくて、締め切りを破りでもしたら、自分の信頼は容赦なく地に落ち、二度目の依頼は望めない。それ即ち、明日のおかずの品数に直結し大打撃を与える由々しき問題だった。スマホの充電ケーブルを引っこ抜き、画面に現れた手紙のピクトグラムをタップした。


「DM、DM、出会い系、気象情報、DM……」


 新着順に件名だけ読み上げる。メルマガ配信を許可した覚えはないのに、どこから情報を入手してメールを送りつけてくるのだろう。いつ覗いてもろくなメールボックスではない。


「あっちはどうだ、郵便受け」

「今どき、ご丁寧に切手張って、手紙で依頼してくる人なんていないって」


 じーちゃんの時代はそうだったかも知れないけど、と付け加えると、鴉は小さい鼻の穴からフンと息を漏らした。私は飯の種を求めて、もうひとつのアイコンをタップする。ダンボールとオークションの木槌を模したアイコンに「メルオク」の文字が添えてある。国内最大シェアを誇るネットオークション兼フリーマーケットサービスのアプリだ。


「どうだった」

「売れた……けど、『月写つきうつしの清水せいすい(小)』だから、一点八百円」

「雀の涙だな……」

「鴉が言うな」

 由々しき事態にようやくベッドから起き上がると、すかさず肩にフギンが乗ってきた。こいつの定位置はいつもここだ。お蔭で左肩の部分だけ服の痛みが早い。

「明日は肉を食いたかったんだが」

「フギンは私の魔力を食べてるからいいでしょ」

「魔力と腹は別問題」

 フギンは私の魔力を食べて、その能力を維持している。私は魔力を消費してか、最近はいつも空腹だ。

「こちとら成長期なんですけど。前途ある若者に譲ってくれない?」

「こちとら肉食獣なんだが」

「鴉は雑食でしょ。野菜食べろ野菜」


 モソモソとベッドから降りて、裸足のままペタペタと一階のリビングに移動する。むわっと蒸し暑い室内を素早くクーラーのエアコンで黙らせた後、一人暮しには不相応に大きなキッチンへ向かった。カウンターに置いた食パンの袋を見つけ、何か乗せて食べようと冷蔵庫をダメ元で開けてみたが、食材はものの見事に入っていなかった。なんて見通しのいい広々とした冷蔵庫なのだろう。実家時代は扉を締めるのが困難な程、手作りの美味しいオカズや新発売のアレコレが詰まっていたのに。


 仕方なく、喉に引っかかるそれを水で飲み下す。テレビをつけると、どうでもいい芸能人の不倫謝罪会見をやっている。CMの後は人気魔女デネブによる占い天気予報だそうだ。あくびが出て、すぐ消した。


「今日はどうする」

「んー、とりあえず《月写しの清水》(小)を納品する作業かな」

「またアレか……」

 《月写しの清水》はとても安いけれど、馬鹿にならない貴重な収入源だ。なにせ作るのがすごぶる簡単である。ログハウスの裏口に並べた大きな水瓶みずがめに、井戸水を満杯貯めて、月の光を一晩写しこむだけで出来上がりだ。それに、豊かな森がすぐ裏手という魔素の多いロケーションと、きれいな井戸の湧水が原材なため、かなり高品質なものが勝手に仕上がるのだ。

 《月写しの清水》はそれ自体の魔力は弱いけれど、この後加工される製品ーー化粧水や目薬や栄養ドリンクなど多岐にわたるーーの効果を高める基礎的な魔法素材なため、需要も高い。つまり、買い手も付きやすい。他の魔女の出品する都会産の同品に比べて、メイジの出品する《清水》は品質の差でよく売れた。しかし、やはり、手がかからず大量生産が容易な商品というものは、どうしてもお値段が安くなってしまう。


「またあのプチプチしたものを巻いて、箱に詰めて、をやるのか」

 フギンは面倒くさそうに言った。

「そうだよ。ガラス製品だから『割れ物注意』って書いて」

「で、郵便局に行くんだな」

「……そうだよ」

わしは行かんぞ。重いし」

 そう、薄利多売に加えて、水物は重いのだ。郵便局は、ここ「わき水の森」から10kmは離れた市街にある。

「たまにはほうきで飛んで行くのも、良い“だいえっと”になるんじゃないのか?」

「この炎天下の中を?」


 熱中症でぶっ倒れるのがオチだ。それに、そんな長距離を飛んだら、もれなく脇腹が痛くなって、帰りは徒歩決定である。現代のインドア系魔女を舐めないでほしい。

「御冗談を。それに、使い魔ってのは、お使いをするもんでしょーよ」

「ぶらっく企業だ。労基とか言うところに電話せにゃいかん」

「い〜え、ちゃんと対価は支払ってますぅ〜ホワイト企業ですぅ〜」

 メイジはちぎったパンを鴉に投げた。器用にくちばしでキャッチしたその頭をうりうりと親指で撫でてやると、フギンはまんざらでもなさそうに目をつぶった。


 その時、メイジの短パンのポケットから、鈴を転がしたような着信音が鳴った。

「おい、メイジ。“めーる”か?」

「! やった、フギン、依頼だ!!」

 眼前が、ぱっと開けたような気持ちになった。暑さの事は忘れていた。依頼のものを見つけられれば、明日はオカズにお肉が食べられる。デザートに、ハーゲンダッツだって食べられるかもしれない。もう食パン生活は終わりである。


 自分ことメイジは、じーちゃんから譲り受けた山奥のログハウスと、同じくじーちゃんから譲り受けた使い魔フギンと一緒に、一人暮らしをしている。いや、厳密には二人暮しだ。まだ学生の身分ではあるけれど、魔法のアイテムを売って、生計を立てている魔女である。


 この物語は、魔女と鴉が、したたかに、されどのんびり根を張って生きる物語である。




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