中学三年生

 中学二年の頃、適応指導教室に通うことが日常となっていた。

 今思えば学校に通っていれば普通に食べていたであろう給食も、わざわざ適応指導教室に行く為にお弁当を作ってくれていた母には感謝しかない。



 その日見慣れない人が来ていて、私は新しい指導員かボランティアの大学生だと思っていた。

「道場さん、サルちゃん! 今日から来た同い年の大林さんだよ」


 私と道場さんは目を合わせる。

 心の中の声が透けて聞こえるようだ。

(同い年? 噓でしょ?)


 大林さんと紹介された彼女は、身長が高い方である私よりもさらに大きく、目は長い前髪と分厚い眼鏡で遮られていた。全体的に重たい髪の毛と、年頃の子が着るには少し老け過ぎた印象の服を着ていたため、同い年には思えなかったのだ。


「ょ…く…す」

 体格に見合わない程、か細い声で挨拶した彼女の声はほとんど聞き取れなかった。



 大林さんはいじめによって結構ヘビーな体験を繰り返してきたようだった。

 その体格の良さが目についていじめられたのか、大林さんは話しかけても目が合ってもすぐに「ごめん」「ごめんね」となぜか謝った。


 そうやって今まで謝ることで、相手の怒りの矛先を回避しようとしてきたのかと思うと、なぜか無性に腹が立った。

「あ! ごめんね」

「サルちゃん、ごめん」

 イライライライラ


「大林さん!」

「!?」

「大林さんは別に何も悪いことしてないんだから、そんなに謝らなくていいから!」

「え…」

「逆にそんなに謝られると私が悪いことしてる気分になっちゃうからやめて欲しい! 私怒ってないし」

 あまりに耐えられなくなって、思わず正直に大林さんに気持ちを伝えてしまった。


 きっと今までそんなことを言われたことがなかったのかもしれない。

 少しキョトンと驚いた様子だった大林さん。

「ご…ごめんね」

「ほらー! またーーー!!」

「あっ!」

 そう言いながらも、大林さんはクスクス笑っていた。



 私と道場さんは幼馴染ということもあって、他を寄せ付けないくらい二人の絆が強固だっため、その他の関係が逆に広がりにくい一面もあった。

 このパっと見おばさんの大林さんは、この後大人になっても続く友人の一人になる。




 適応指導教室free2。

 理由は様々でも、みんな人に恐怖心や疑念を抱き心を閉ざして辿り着いた子が多く「どうせどこに行っても同じ」と一切の期待をせずに、親や学校のすすめで渋々やって来る子が大半だった。


 当事者の子どももそうだが、親の方が藁にもすがる思いで相談に来ていた。

「うちの子が引きこもりで…」

「うちの子がいじめで、初めはそれでも保健室登校してたんですけど…」


 学校の先生で大人に不信感を持っていたけれど、ここにいる澤田さん、田口さん、桑原先生はそんな不信感を拭ってくれる大らかさと優しさがあった。


「大丈夫! 大丈夫」

「みんなしっかりしてる! すごいよ!」


 と、子どもたち個々のいいところをきちんと見つけて、ズタボロになっている自己肯定感のようなものを育んでくれる場所だった。



 自分たちにとってはこの場所が人生の分岐点になったことは間違いない。

 もちろん誰にとってもこの場所が分岐点になり得たかというと、それは違うと思う。

 嫌な気持ちを乗り越えて行動した結果が、いい出会いや自分を変えるきっかけになったと思っている。




 中学三年生に入り、回りは本格的に受験の時期に差し掛かる。

 不登校の自分たちも高校はどうするんだという話が出始め、教室の机と椅子が整然と並ぶ光景を思い出すだけで、あんなところには二度と行きたくないと思っていた。

 正直なところ、せっかく平穏な日々を取り戻した自分にとってはとても面倒な問題だった。


「私、高校行こうと思ってるんだよね」

「えっ?」


 唐突に道場さんが高校に行く宣言をした。

 小学生から不登校の道場さんが、高校に行く宣言をしたことは私の中で衝撃だった。


「学校だよ? 嫌な先生とかいるかもしれないよ? 行くの?」

「うん…無理なら辞めるし」


 

 更に、同じく小学生から不登校だった大林さんも進学を決意。


(みんなどうしちゃったのーーーー!?)


 と内心思った私だが、結局適応指導教室に通っていた中学三年生全員が進学を希望するに至った。

 誰に強制されたわけではなく、自発的に受験だけはしてみようとそれぞれが思ったというわけだ。


 私自身も親には「無理して行かなくてもいいけど、高校は出ておいた方がいいよ」と言われ、周りに流されるように受験だけはしてみようと思った。


 …とは言っても、中学の成績がほとんどない自分に選べる学校というのはほとんどなく、専門科のある私立学校、夜間の定時制、昼間の定時制のみだった。

 定時制は面接と作文が受験のところが多く、試験の科目はあっても少しだけだという話だった。



 受験をしに高校という名の学校に行った時は、久しぶりの雰囲気を体感しすぎて気分が悪くなりそうなのを必死で抑えた。

(受験でこんななのに、本当に通えるんだろうか…)

 高校生活を送る自分が想像できな過ぎて、合否も分からないのにいろいろなことが頭を過る。



 こうして中学生活最大の肝である、受験を終わらせた。

 てんやわんやの受験だったが、全員仲良く同じ高校に通うことになった。


 中学校の卒業式にはもちろん参加出来なかった。

 修学旅行にも行けなかったから、中学の思い出は本当に少ない。

 同じ中学の者同士で最後に卒業証書を受け取りに学校に行くことになった。私にとっては約二年半ぶりくらいとなる中学校へ足を踏み入れることになった。


 憂鬱で行けば気分が悪くなっていた校舎、嫌な思い出が蘇るけれど不思議とどこか堂々としていられる自分がいた。

 それは、隣に道場さんがいたからだろう。


 校長室に挨拶をして入り、直々に卒業証書を頂いた。

 不登校になった当時は、留年したり卒業も出来ないんじゃないかと考えていた時期もあったけど、同級生と一緒にきちんと卒業することが出来た。

 自分の人生の終わりを感じたあの苦しかった日々を思い出して、これで大嫌いな中学が終わったと思うとそれだけで心が軽くなった。

 


 中学も卒業だが、適応指導教室に通う日々も終わりを迎えたということだった。

「いつでも遊びにいらっしゃい」

 そう言ってくれる澤田さんにもちろん甘えようと思っている。

「何かなくても近況報告にきますね」


 けれど、高校生には高校生の新しい世界が待っている。

 初めはたまに顔を出していた適応指導教室にも、だんだん足が向かわなくなっていく。






 高校生活は「学校」というイメージを丸ごと覆すような場所になった。

 

『みんなで行けばこわくない!』


 中学校という自分の中では最悪だった学校生活のイメージを取り返すように、私たちは高校生活を謳歌していく。

 昼間の定時制だったので、四年間通った。

 苦しくてやめたバレーにももう一度挑戦することを決め、この部活のおかげでまた新たな友だちがたくさん出来た。

 アルバイトも認められていた学校だったから、アルバイトまでするようになった。不登校で人目を避けてきた自分が、接客までするようになるのだから不思議だ。

 そこからもっと勉強したい熱が出てきて、私と道場さん、大林さんは大学進学まですることになるのはもう少し先の話。

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