第30話 優しく甘々な彼女たちこそが、この世界のメインヒロインである。

 人生には、大きな選択を迫られることがある。


 進路、就職、その他にも色々。人生の岐路には数々の選択が待ち構えているのだろう。


 今まさに、選択を迫られようとしていた。


 残酷で、理不尽で、クソッタレすぎる選択が襲い掛かってくる。


 ここが、人生の岐路。もっとも大きな、二度と交わることのない分かれ道だ。


 優月を助けたいのなら、他の誰かを差し出さなければならない。それはアイナ? 桜庭さん? 会長? それとも……黒木さん?


 彼女たちを巻き込みたくないのならば、このまま優月を見捨てなければならない。


 そのうちどちらであっても、僕は救われる。僕は、助かってしまう。


 なんてひどい提案だろう。


 僕は、自分のことなんてもはやどうでも良くて。彼女たちのためなら、消えてしまってもいいのに。ただ、この世界への憤りを叫んだだけだったのに。


 目の前の狡猾で残忍な男はすべてを見透かしたうえで、僕に最悪の選択を迫っている。


 僕はどうすればいい? 


「もし……どちらも嫌だと言ったら?」


「もしキミがそんなことを言う大馬鹿野郎だというのなら、オレたちはきっとキミが本当にすべてを失うまで。キミという存在を弄び続けるだろうさ。今ここで、野中優月を奪った上で、ゆっくり、ゆっくりとな」


 そうだろうな。知っていた。そんな選択肢は用意されていない。


 二つの選択に、向き合わなければならない。


 まず、僕が今、助けたい人は誰だ。


 優月だ。それは間違いない。間違いないけれど。


 もし優月が一番大切だとして。次は誰だ? その次は? 誰なら彼らに差し出せる? いや、それともここは従ったフリをしてすぐに警察へ駆け込む? ダメだ。さっきも念を押されたじゃないか。僕は人質を取られるも同じなんだ。何より、急いで駆け込んだとしても間に合わない。その間に、差し出した誰かが汚されてしまう。


 やっぱり、ダメだ。この分かれ道自体が、詰んでいる。


 誰かを差し出すなんて、選ぶなんて。そこに優先順位をつけることさえ烏滸がましい。みんなみんな、大切だ。


 こんな問いを持ってしまうこと自体が、彼女たちの優しさに対する冒涜だ。


 それでも、もしもどちらかの道に進んだとして。僕はきっと一生僕を許せない。その先にあるのは決して、救いなどではない。僕はその選択を一生悔いて、悔いて、悔いて、悔いて悔いて悔いて悔いて悔いて…………いつかその身を亡ぼすのだ。


 結局のところ、答えなんてどこにもありはしない。だってすべてが間違いだから。親切な正解など、どこにも用意されていないから。


 これはそうやって仕組まれた、残酷な世界の道筋だ。


 それでも世の中の人間は間違いだらけの人生を、大切なモノを一つ一つ切り崩しながら、選択しながら生きていくんだって? 大切なモノを捨てる勇気が、強くなることだって? オトナになることだって?


 そんなの、ウソだ。


 違う。違うんだよ。


 僕らの世界は苦しくて、残酷で。悲しいことばかりで。いつか死ぬことばかりを考えている。それでも。そんな世界で。そんな世界だからこそ。


 この世界で見つけた数少ない、大切を。彩りを。かき集めて。大事に抱えて。この両手で囲んで。これだけはぜったいに離すものかと、決意して。そうやって生きていくんだよ。


 だって、そうでないと。僕らには生きる理由がない。それはまるで優月と再会する前の、いつ消えてしまってもいいと願っていた僕のように。色を失った世界に僕らの居場所などないんだよ。


 ここで彼らの前に屈服すれば、僕はもう二度とこの世界に色を付けられない。


 だから。だから僕は。俺は――――。


「さあ、どうする? ああ、安心しろよ? どちらにしても、差し出された女はオレたちが責任を持って、可愛がってやる。日常生活にも影響はない。ただただ、オレたちが愛でてやる。それだけだ。何の問題もないだろう?」


 悪魔が囁く。


「さあ、答えを言え。おまえの道を、人生をその手で掴んで見せろ……っ!」


 ああ、楽しそうだな。こいつら。自分の勝利を疑っていない。自分の思い通りになることを疑っていない。結局のところ誠二もリサも同じだ。自分のシナリオ通りに、人間を動かしたいのだ。選択に自由などあるはずもなく。救いはなく。すべてを手のひらの上で操ろうとする。神さま気取りの醜いバケモノだ。


 そんなバケモノにはこの言葉を送ろう。


「……クソ喰らえだ」


「あ?」


「クソ喰らえだっつってんだよ! おまえらも! この世界も! 俺は誰も差し出さない! おまえらに従って掴める未来なんて、どこにも存在しない!」


 声を張り上げて、叫んだ。この心が示すままに。僕という小さな存在を守るために。


「ほーう? それはさぁ、こういうことでいいんだよな? おい?」


 男が不機嫌そうに優月を投げ捨てる。そして再び僕を足蹴にした。


「ガッ……っ!?」


「今ならまだ、聞かなかったことにしてやるぞ?」


 頭が揺れる。意識が飛びそうになる。


 それでも僕は、その問いかけに……


「ぺっ」


 唾を吐き捨てた。


「……そうか」


 誠二は瞳を伏せると、他二人に指示を出す。


 その瞬間、再びリンチが始まった。


 でも、今度は違う。もう諦めなど存在しない。諦めの先にあるのは誰も幸せになれないバッドエンドだけだ。だから足掻く。さっき以上に。さっきよりも。足掻く。足掻く。足掻く。どれだけ殴られようと、蹴られようと。地べたを這いずろうと。爪がめくれるほどに地を掴んだ。


 もう何も見えない。何がどうなっているのか分からない。それでも、足掻くんだ。足掻き続けた者のために、諦めなかった者のために、奇跡という言葉はある。そうやって自ら起こした奇跡は必然となり、この世界を満たすのだ。


 だから、自分の道は自分で切り開く。それ以外に手段がない。


「ゆづき……優月! 起きてくれ! 頼む! 頼むよ! 一緒に逃げるんだ! 優月!」


 声をかけ続ける。何度も呼んだその名前を。必死に。心を、魂を、この命さえも燃やし尽くすつもりで、呼ぶ。


 しかし彼女は反応を示さない。深く深く、眠ってしまっている。


 唇を噛みしめた。血を吐くほどに叫びながら。願いながら。祈りながら。ずっと。ずっと。


 戦った。戦い続けた。


 そして、


「————そこまでよ!」


 終わりの時はきた。


 路地裏に鋭く響いた声、凛と透き通っていて、何よりも美しい。世界にひとつの色がつく。


 視線を向けた先に、彼女はいた。


「かい、ちょお……」


「甘党君……」


 会長が悲痛に顔を歪める。やめてよ。いいんだよ。僕のことは。僕の身体なんて。


「頑張ったわね」


 優しく、会長は言う。


「遅れてごめんなさい。でもキミのおかげでなんとか、間に合ったわ。あとのことは私に、夜桜中等教育学校生徒会長・音羽佑璃おとわゆうりに任せてください」


 なんだ……ちゃんと噛まずに言えるんじゃないか。その姿はこの上なく頼もしい。涙が、溢れた。


「なんだぁてめえ! 生徒会長だぁ!? それがどうしたってんだ! 女ひとり来たからって何が――――」


「聞こえませんか?」


「はあ?」


 耳を澄ますと、たしかにそれは聞こえた。


 警察の到着を示すサイレン。


「警察だと!? てめえ女ぁ!」


「あら。まだ何かする気ですか? 早く逃げないと捕まってしまいますよ? まあ、逃げ切れるとも思いませんが」


 会長は不敵に微笑む。


「おいどうすんだよセイジくん! セイジくんがあんな遊びしてっからこうなったんだぞ!?」


「知るか! とにかくずらかるぞ! さっさとしろ!」


「女は連れて行かないのかよ!?」


「そんなもんほっとけバカ野郎! 女は他にいくらでもいるっつの!」


 男たちが会長に背を向け走り出す。しかしそのうち一人は会長の方へ向かっていた。


「この……一発くらいかましてやらぁ!」


「……せっかく見逃してあげると言っているのに」


「ゴパァ……っ!? な、なんだ……こいつ……」


「愚かですね。女だからと、甘く見ましたか?」


 男の拳をいともたやすく避けた会長はカウンターの一撃を食らわせた。男がその場に倒れ込む。


 それから今度は、僕の背後。男二人が走り出した方から声が。


「はーあー、あたしらやることないねーゆいにゃ~」


「そうね。会長だけで十分だわ。でも……」


「な、なんだこいつらぁ!? 猫耳!?」


「無視しろ! 今は逃げんだよ! ――――フゲェ……っ!?」


 セイジが突如、倒れる。


「ごめんなさい。足が引っかかってしまったわ」


 猫耳店員姿の桜庭さんが背筋が凍りそうなほど冷たい笑みを見せる。男たちとすれ違う直前、その足をさりげなくひっかけたのだ。


「うわゆいにゃテクニカ―ル! テクニだよテクニ! ……テクニカルゆいにゃ! テクゆい!」


「テクニテクニ言わない! なんかいやらしいじゃない!」


「……? いやらし……なんじゃらほい?」


「わ、わからないならいいわよっ。おバカ!」


 この場の緊張感などないかのようにふたりは口論を始めた。場の空気が一気に弛緩していくかのようだった。


 しかしその背後に最後の一人が迫った。


「この……よくもセイジくんを……っ」


「まだやるのね」


 桜庭さんは殴りかかってきた最後の男の拳を撫でるように受け流す。そしてすれ違いざまにその腰をおもいきり蹴り飛ばした。


「自分の身くらいは自分で守れるつもりよ。元バレー部舐めないで」


「すげー! 猫耳バレー部やべー! てかアイナマジのいらない子で草!」


「猫耳言うな。……あなたも護身術くらいは身につけたらどうなの?」


「いやーあたしはこの口がありますしお寿司食べたい」


「どこからお寿司の話になったのよ…」


 その直後、警察が到着して本当にすべてが終わった。



「なはは。あまっち、ボロボロだね。ボロたんだね」


 アイナが笑う。アイナに、桜庭さんに、会長。三人が僕を取り囲んでいた。


「まぁ、ね……」


「でも、カッコよかったぞ? さっき少しだけ、あまっちが戦ってるの見えた」


「そうかな……」


「うむ! 弱かったけど!」


「はは……それは、そうだね」


 弱い。僕は弱すぎた。会長も、桜庭さんも、自分を守れるだけの強さを持っているのに。僕は自分さえ守れない。


 アイナとの会話を聞いていた桜庭さんも、「まったく、おバカね」と鼻を鳴らす。そのいつも通りさに、少しだけ安心した。


 それと同時に一番大事なことを思い出す。


「あ、優月! 優月は……? 大丈夫なのかな……」


「大丈夫よ。気絶しているだけ。怪我もたいしたことないと思うわ。すぐに救急車も来るから。安心して?」


「そっか……よかった。本当に……良かった……」


 今度こそ本当に安心して、また涙が溢れた。アイナと会長はその涙を拭って、抱きしめてくれた。桜庭さんは少しだけ、頭を撫でてくれた。

 ひとしきり泣くと、意識が遠のいてくる。力も入らない。さすがにもう、動けなかった。


「いいのよ。もう立ち上がらなくても。キミはちゃんと、守るべきものを守ったわ。本当に、頑張りました」


「は……い……」


 ゆっくり、瞼が下がっていく。


 しかし意識が途切れる直前、誰かが路地裏へ飛び行ってきた。警察をかき分けて、彼女は僕の元までやってくる。


「甘党くん……っ! わたしです! 黒木です! ごめんなさい! ごめんなさい甘党くん……わたしは何も……何もかも……間に合わなくて……っ!」


 泣きながら、彼女は僕に謝り続ける。その涙はとても綺麗で、滲んだ視界を癒した。


 でも、そんなに泣かないでよ。せっかく、可愛い顔なのに。綺麗な顔なのに。泣いているところなんて、やっぱり見たくないよ。


 その涙を拭おうと手を伸ばす。


 ああ、そういえば……


「意外と早い……再会だったね……」


 呟いて、僕の意識は途切れた。

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