第14話 きっと、誰もが何かを抱えて生きている。

 ――――バシンッ、と小気味よい音が体育館に響く。


 響くと言っても、広い体育館ではそれに注目していた人間なら気づくかな程度の音。


「やった……っ!?」


 それでも、思わずガッツポーズをしていた。まるで雲を引き裂いたかのように、ボールに宿った僕の心が跳ねたように感じた。


 少し遅れて、まばらな拍手が鳴り始める。休憩中のバレーボール部員から送られたものだ。それに気づくと、恥ずかしくなって僕は身を縮めた。


「良いへなちょこスパイクだったわ」


「それ、褒めてるの? 貶してるの?」


「褒めてるわよ」


「そ、そっか」


「それで、どうだったかしら。スカッとしたでしょう?」


「え? う、うん。たしかに。なんかすごく興奮した!」


 さっきの感覚を思い出して、自然と声のトーンが上がってしまう。


「え、なに。盛ってるの? やめて。ワタシ、そういうのは好きじゃないの」


「いきなり何言ってるの!? 文脈考えて!?」


「だ、だってあなたがいきなり顔を寄せるから……」


 頬を赤らめながらススス……っと離れてしまう桜庭さん。彼女の珍しい表情を見た気がして、胸が鳴った。


「え、えっと……ごめん。なんていうか、ほんとに打てたのが嬉しかったからさ」


「そ、そう? それなら、まだ……打つ?」


「うん! ぜひ!」


 ふたりで再びネットの前に立つ。桜庭さんの表情は先ほどまでよりもいくらか柔らかく見えた。


 しかし……


「打てない……っ!」


「まぐれだったのね……」


 桜庭さんがため息を吐く。


「い、いや! まだ本気出してないだけだから! 次は打てるよ! 絶対!」


 なぜか桜庭さんが元気をなくしたようで、僕は慌ててやる気を示してみる。僕としても、打ちたかった。さっきの感覚が胸の内に煌めていた。


「あはは。なかなか打てないね~」


 背後から声がかかる。部長さんだ。


「もう休憩はおわり? それならどくわ」


「いやいや、まだもうちょい大丈夫だよ」


「そう?」


「それよりさ、見本を見せてあげたらどうかな? 彼に」


「見本ならさっきまで練習を見てたでしょう」


「そうじゃなくてさ。唯香が打つのを見せてあげたらどうかなって」


「それこそ意味が分からない。べつに見せる必要を感じないわ」


「え~? でも、そっちの彼はどうかな。こんな偉そうに君をしごいてる唯香がどんなスパイクを打つのか、見たくない? さぞ参考になるんだろうなって思わない?」


「ええ……? いや、その……べつに偉そうとかそんなこと思ってないですけど……。でも……桜庭さんのスパイクはたしかに見てみたい……かも」


「でしょ~? ほらほら。彼もこう言ってることだし。たまには見せてよ」


「はぁ……分かったわ。でも、一回だけよ」


 煩わしそうにため息を吐くと、桜庭さんはボールを部長さんに渡した。僕に背を向け、ネットと向き合う。


「な、なんかごめん。余計なことしたかな……」


「べつに良いわ。相変わらずおバカね。とにかく、やるからにはちゃんと見てなさい」


 横顔だけでこちらを振り向いた桜庭さんはまた緩く微笑んだ。


 そして、跳ぶ。いや、翔んだ。


 まさに、羽が生えているかのようだった。大きな白い羽だ。白い羽に、藍色がかった長い黒髪。白と黒。天使と悪魔の狭間。決して混ざり合わない二色。


 しかしそれが、どうしようもなく美しかった。


 それこそが、映画のワンシーン。この体育館から欠落していた、物語のピース。この舞台の主役は彼女だったんだ。

 一生見ていても飽きないと思った。それほどに、その光景に。飛翔した彼女に見惚れていた。


 しかしその煌めきは一瞬だ。僕の打ったスパイクよりも数段鋭い音が体育館に響き渡る。今度は正しく、響き渡った。


 最後まで美しく、地に降りる彼女。


 訪れたのは静寂だった。僕のときのようなお情けの拍手もなく、沈黙。彼女のったひとつのスパイクによって、この空間は支配されていた。


 そんな中、一瞬遅れて響く拍手。


「ブラボー! さすがだね。まだまだ現役じゃない」


 部長さんのその言葉に続いて、体育館が音を取り戻す。とくに興奮を隠せていないようなのはバレーボール部員たちだろうか。初心者の僕には分からない何かがあったのかもしれない。そう思えるほどに、彼女は美しかったのだ。


 遅れて、彼女に駆け寄る。そして衝動のままにその手を取った。


「すごかった! それしか分からないけど、とにかくすごかったよ! こう……ビリっときた。興奮した!」


「え? え? ちょ、ちょっとなに!? また盛ってるの!?」


「ち、ちがうよ!? そうじゃなくて、なんかほんとに、すごい綺麗で! 感動したって言うかさ!」


「き、きれいなんて……」


 呟いて、顔を逸らす。恥ずかしがっているようだけど、嫌がってはいない。そう思えた。


 その直後、新たな人影が僕たちの前に現れる。


「――――意味わかんない」


「え……?」


 それは明らかに、反感を滲ませた声音だった。彼女には見覚えがあった。先ほど見ていた練習風景。その中で、素人目にも上手いように見えた少女だ。


「なによ。なんなのよ。勝手に辞めて。勝手にいなくなって。今更ふらっと戻っ来ないでよ。それでそんなスパイク……。ほんとに、何なわけ。あたしへの当てつけなの!?」


「ちが……香澄、これは……」


「……ふざけるな。ふざけないで! やる気がないなら消えてよ! 邪魔なの! 目障りなの! もうここにあんたの居場所はない! あたしたちに、もう桜庭唯香はいらないのよ……っ!」


「……ごめんなさい」


 小さく、桜庭さんは呟いて香澄と呼んだ少女に背を向ける。


「あなたはもう少しやりたければやっていくといいわ。きっといい気分転換になると思うから」


「え、ちょ、桜庭さんは……っ!?」


 僕の問いかけには応じず、桜庭さんは早足で体育館を後にした。それを見届けるともうひとりの少女もまた、この場を去る。


 残されたのは呆然として何もできなかった僕と、難しそうに笑う部長さんだけ。


「まぁ、上手くいかないね。なんもかんも」


 やりきれないふうに、部長さんは呟いた。

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