第3話 引きこもりはちっぽけな勇気を振り絞る。

 ――夜桜中等教育学校。


 通称、夜桜学園。


 ここ10年ほどにできた中高一貫校だ。文武両道を掲げており、市内ではそれなりの進学校として知られている。


 そんな学校の高等部校舎をひとりでおずおずと歩いていた。

 隣にいたはずの幼馴染も、今はいない。


 校舎に入るまでは一緒だったのだが、優月は自分が今日の日直であることを忘れていたらしい。休み明けなのだから無理もないが、どこか抜けているところがある幼馴染だ。


 優月は一度職員室へ寄らなければならないため、まっすぐ教室を目指す僕とは別行動というわけである。

 実際は、優月は一緒に職員室へ寄ることも、教室へ案内してから日誌を取りに行くことも提案してくれた。しかしそれは断らせてもらった。


 優月に頼ってばかりでは高校生活など送れない。


 隣にいて欲しいのは事実だ。しかしそれで優月に心配をかけてばかりではあまりにも情けない。それは要するに強がりで、こんな僕にも最後に残された意地のようなものだったのかもしれない。


 それでもゆっくりと震える足を踏みしめ、教室へ向かう。目指すのは二年の教室。年齢通りの学年だ。学校側の計らいもあり、一定の課題や補講をこなすことで留年は免れている。


 本当なら、転校という手もあったのだろう。それが最善だとも思う。しかし僕はここに残ることを選んだ。


 教室前へやってくると、閉じられた扉の内側からすでに登校している生徒たちの話声が聞こえた。どこどこへ旅行に行った。だれだれがだれだれと付き合うことになったらしい。駅前に新しいお店が出来た。商店街の店がまた潰れた。


 たわいもない、日常会話。何の益体もない雑談。


 ずっと目を逸らし続けた世界が扉一枚を隔てた先に広がっている。


 意を決して、その扉を開いた。


「……っ」


 開いた瞬間、教室の視線が一気に寄せられる。勢いよく開けすぎただろうか。最初は、音への驚き。そしてそれは次第に、その音を生み出した張本人へと注がれていく。


「なあ、あれ……誰?」


「うちのクラスにあんな奴いた?」


「もしかして転校生!? イケメン!? 美少女!? ただの人間には興味ないわよ!?」


「でも転校生って先生と一緒に来るのが普通じゃない?」


「あ、俺知ってる。あいつ、甘党だよ」


「甘党? だれ?」


甘党翡翠あまとうひすい。ずっと不登校だった」


「ああーいたな。そんなの。まったくこねえから完全に忘れてたわ。なに? いじめでもあったの? それともただのニート?」


「さあ、俺も詳しくは知らね。でも噂じゃあ――――」


 ざわざわと、悪意さえもない日常会話の延長ともいえるような憶測が飛び交う。


 それを聞いて、また心臓が鷲掴みにされたかのように痛んだ。足も、ガクガクと震えそうになる。


(クソ……優月がいなくなった途端これだ……)


 これは自分で選んだことなのに。弱い自分をぶん殴ってやりたくなる。いっそのこと逃げ出していしまいたくもなる。


 それでも一歩ずつ、教室へと足を踏み入れた。


 席の場所は優月から聞いている。窓側の最後列だ。まるで世界から取り残されたように、あるいは一定の意図を持って除外されているかのように、その席はあった。


 注目を無視して歩みを進める。こんな得体のしれない不登校生にすすんで話しかけてくるような人間はいないらしい。半分くらいのクラスメイトはもう興味を失ったようで雑談に戻っていた。


 所詮、そんなものだ。よく知っているわけでもないクラスメイトのことなど誰も気に留めない。空気のようなもの。


 自席に辿り着いた。ひとつ前の席は空席。まだ来ていないらしい。

 右の席には藍色がかった長い黒髪の女の子が座っていた。鋭い瞳からは、少々とっつきずらい雰囲気を感じる。しかしそれを差し引いても、彼女は綺麗だった。可愛いというよりは、美人というタイプ。彼女の周りだけ、まるで音が遮断されているかのように静かに感じた。


 中学校からの繰り上がりであるため、ほとんどの生徒は名前を知らずとも見たことくらいはあるはずだが、覚えはなかった。それくらいには時間が経っていた。


「えと、……おはよう」


 まずは、コミュニケーションだ。

 ボッチでは登校してきた意味がない。それでは家にいるのと変わらない。


 しかし、控えめな挨拶への返事はなかった。それどころか、少女はこちらへの興味を一切示さず、一瞥もくれず、ただ背筋を伸ばして精神統一でもするかのように瞳を閉じた。いや、一瞬だけかすかな反応を示したような……。しかしそれも勘違いだと思い直すくらいには、微動だにしない少女がそこにいた。


 絞り出した勇気の一方通行に愕然とする。嫌な汗が噴き出でくる。目の前が真っ暗になるような感覚に襲われるが逃げるわけにもいかず、そさくさと席に座った。


(なにか失礼なことしちゃったか……? と言っても挨拶しただけだし……例えば今じゃなくても、昔にとか……?)


 様々な憶測が頭の中を駆け巡るが、答えはでない。

 わかることと言えばただ一つ。登校再開後、最初の自発的な会話は無視によって締めくくられた。


 あまりの仕打ちに、やはり心臓が抉られるように痛む。


(さっそく挫けそうだよ……優月……)


 はやく教室へやってきてくれないだろうかと、机の木目を見つめながらすがる。


 その直後、ガラッと先ほどの僕と同じくらいに思い切りよく教室のドアが開かれた。優月だろうか。


「みんなおすおす~。元気してた~?」


 教室に入ってきたのは金髪が特徴的なギャル風の少女だった。


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