悪魔とトラブらなかった初の新人


 雪乃は書類を見た。

『私立聖カタリナータ小学校殺人事件』とタイトルにある。


 阿久道にサンプルと言われた書類を開くと、ワードを表組にしてあり、被害者、被疑者、重要参考人などを個別に整理するようになっている。つまり、この事件を情報管理してデータ化しておけという事なのだろう。


 扉が開いた。先ほどの板垣が扉越しに、こちらを見ている。


「あんた、めっちゃすごいな」

「はい?」

「アクドウと接して、一分以上、トラブらなかった、はじめてっすよ」


 雪乃は、きょとんとした表情で彼を眺めた。


「まあ、頑張れよな。隣の部屋では、みんな、あんたの味方だからさ」

「ありがとうございます」

「じゃね」と、言って板垣が扉を閉めた。


 扉の向こう側から、「花子2は、怒鳴られなかったぜ」という声が聞こえて、「おまえ、さぼってんじゃないぜ」という声が重なった。

 雪乃は頭の中を整理してから、阿久道が置いていった書類を繰った。


 被害者の正面からの写真があった。細身で美しい女性だと思った。よく手入れされた眉が切れ長の目を魅力的に見せている。鼻梁は高く細い。唇がぼってりし過ぎるのが難点と言えるかもしれない。ブランド物らしい黒のコートを品良く着こなしている。育ちの良さそうな女性だが、その顔には暗い影が張り付いている。深く長い憂鬱の末に身に付いた表情のような気がした。


 次に添付されていたのは、現場検証の写真であった。


 思わず目をおおった。顔面の半分が血まみれで、拷問されたかのようだ。衣服の乱れはレイプされた痕跡かもしれない。死亡推定時間は前日の午後二時頃から深夜にかけて、嵐で濡れたために推定が難しかったようだ。手書きで、現場に血痕なしと乱暴に書かれている。阿久道がメモしたのだろう。


 雪乃はパソコンに向かって入力を始めた。


 被害者の夫である向山雅仁は私立東府医科大学の准教授で、三日前から国際産婦人科学会のために渡米している。事件を知り急遽帰国の途についたが、飛行機の手配から日本に戻れるのは、明日遅くということだ。


 娘の麻衣子は母親がいないことも知らずに寝ていた。事件の連絡を受けた夫から被害者の実家に連絡がいった。現在、娘は祖父母の住む宜永家にいる。宜永栄一郎は被害者の父親で宜永病院という中堅病院を経営している。現在の院長は被害者の兄である栄介、五十三歳。随分と年齢が離れている。


 そこまで入力して、彼女はため息をついて肩を叩いた。長丁場になりそうだ。外は久しぶりの晴天で柔らかい風が楓の葉を揺らしていた。


(つづく)

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