事件です!! 第三話

雛子ひなこさん、亜衣あい達から、お正月のおめでとうメールが届いているよ」

「あ、そうか。あっちはもうお正月なのよね」


 昼間、大使公邸の玄関にお正月用の花をいけていると、裕章ひろあきさんがスマホを見ながらやってきた。ここと日本は十二時間の時差がある。私達はまだ大晦日おおみそかのお昼をすごしているけれど、あちらはすでに新年なのだ。


「写真も添付されてきたよ」

「どれどれー?」


 写真には南山みなみやま家と北川きたがわ家の子ども達が勢ぞろいしている。これはかなり騒々しそう。どちらの家に集まったのか知らないけれど、御近所に迷惑をかけてなければ良いのだけれど。


「……見るからに、夜ふかししそうな雰囲気よね、これ」

「まあそうかもしれないけど、元旦ぐらいは大目にみてやったらどうかな」


 相変わらず、裕章さんは子供達には甘いんだから。


「問題なのは、元旦だけじゃなさそうってところなのよ。イトコのお兄ちゃん達と一緒に、浮かれ騒いでいるんじゃないかしら。あと一週間で学校が再開するのよ? これ、大丈夫?」


 〝これ〟とは写真から伝わってくる浮かれ具合だ。


「この様子だと唯一の我が家の良心、たける君は民主主義に屈したかな?」


 我が家の長男である健も、写真に混じっていた。だけど他の子達に比べると、どこか呆然ぼうぜんとした表情をしている。これは察するところ、娘達を含めたイトコ達の勢いに押されてしまったのだろう。


「なんだか健がかわいそう。逆にこっちに呼んであげれば良かったかしらね」


 久しぶりに妹達に会えて喜んでいるだろうけど、彼の平穏な生活はきっと、乱されまくっているはずだ。


「ま、両家の大人たちがなんとかしてくれると、信じておくことにしようか。……今年の花はまたあざやかだね」


 私がスマホの写真を見ている横で、裕章さんは玄関の正面に飾られた花をながめた。


「そんな感じで問題ないわよね?」

「大丈夫だと思うよ。明日こられるお客さん達にも喜んでもらえそうだね」


 大使館の玄関口の正面には、大きな花瓶が飾られていた。


 これはずいぶんと前、ここで大使を務めていた方に、地元の資産家から送られた贈り物だった。一度かなりひどく破損してしまったらしいんだけど、それを聞いた資産家さんが、再び新しいものを寄贈してくれたものなんだとか。それはそれでありがたいことなんだけど、正直言って私の趣味じゃない。それはどうやら、裕章さんも同意見らしかった。


 とにかく、そこまでして贈ってくれた一族がまだ健在なせいもあって、片づけることもできず、玄関口正面に鎮座し続けているのだ。


 そして季節の節目には、こうやって花をいけることにしている。大きいしけっこうな手間なんだけど、ここだけの話、少しでも花瓶を隠したいという気持ちから始めたことなのよね、これ。そのことは、私と裕章さんだけの秘密なんだけれど。


「でも、これ。そろそろなんとかならないのかしら?」

「なんとかって?」

「だからー……模様替えみたいな?」


 私がそう言うと、裕章さんは察してくれたらしく、ほほ笑んだ。


「公邸に置きたくないとなると、大使館に運ばなくちゃいけないんだけど、それでもかまわないかい?」

「大使館に?」

「それか僕達の自宅か」

「え、なんで我が家に来るの? これ、外務省の持ち物よね? 行くなら大使館でしょ?」


 本来、大使は公邸に住むのが通例だ。


 だけどここは、子供達が通う学校や、私が勤めている診療所から離れていた。それもあって、私達は子供達の学校に近い場所のマンションを借り、そこで暮らしている。他国の大使館職員が住んでいるマンションなので、セキュリティーの部分でも安心できる物件だ。


 ただ外務省的には、一国の大使が公邸ではなくこじんまりしたマンションに住むなんて、と難色を示したらしいけど。


「だったらやっぱり、ここに置いておくしかないと思う」

「せめて数ヶ月ごとに飾るものを変えて、少しでもこの花瓶の登場を減らせないものなの?」


 私の提案に、裕章さんは少しだけ考えこんだ。


「送り主の一族がいつ公邸を訪問するかわからないんだ。そのたびにこいつを物置から運んでくるのは、手がかかりすぎるよ。かなりの重量もあるし」


 そこで片づけたままにしておけないのが厄介だ。


「ここは大使公邸で、送り主さんが遊びに来る場所じゃないんだけど……」

「でも両国友好のためには、交流は大事なことだろう? あちらはこの国でも有数の資産家で、政治的な影響力も経済的な影響力も大きいんだ。友好的な関係を保つのは、日本企業にとっても大事なことだと思うよ」

「そうなの? 困ったわねえ……」


 友好が大事なのはわかる。だけど、どうしても私は、この花瓶が気に入らなかった。


「だったら公邸か自宅にって話になるんだけどな」

「それは絶対にイヤ。それにね、自宅のマンションにどうやって運ぶの? これだけ大きかったら、花瓶だけでエレベーターが定員オーバーになっちゃうわよ」


 エレベーターをクリアーしても、玄関に入らないんじゃないかしら、これ。


「だったらやっぱり、ここに置いておこう」

「……したかないわねえ。じゃあこれからも、せいぜいお花で飾り立てて、できるだけ人目につかないようにする」


 私がそう言うと、裕章さんが笑った。


「なんだかそれって、矛盾むじゅんしてるような気がするんだけどな」

「いいのよ。私の目から隠れてくれたら、それで良いんだから」

「やれやれ、雛子さんときたら」


 しかたないねと首をふる。


「あのね、医者の私がお花をいけるって、どんだけ大変かわかる? どっちかっていうと私、この花瓶がバラバラになった時に、破片を拾い集めて修復するほうが、得意だと思うの。そんなこと、したくないけど」

「気に入らないからって、かち割ったりしないようにしてくれよ?」

「わかってるわよ。これも大事な政府の財産だもの、気に入らなくても大事にあつかいます」


 お花で飾り立てて、できるだけ見えなくしちゃうけどね。



+++



「ご招待した皆さんは、全員が来るって返事だったんだよね? 欠席はなしかい?」


 その日の夜、自宅でくつろいでいた裕章さんが、私に最終確認をしてきた。


「ええ。神崎かんざきさんご夫妻は、明日の夜の便で帰国するんですって。昼食会にしてよかったわ」

「そうか。引き継ぎがうまくいったようで良かったよ。もう少し残らなきゃいけないんじゃないかって、言っていたからね」


 神崎ご夫妻の旦那さんが、この三月で、長年勤めていた大手商社を退職することになっていた。駐在員としてもベテランで、私達もずいぶんと、旦那さんの人脈に助けられたものだ。


「帰国したら別府べっぷの温泉でゆっくりするんですって。国内でまだやることが残っているのに、気が早くて困るって旦那さんがおっしゃってた」

「温泉かあ……それはうらやましいな」


 年末年始で企業がお休みに入っていても、世界は動き続けている。それは病院もだし、政治も経済も同じだ。


 実のところ大使館も、旅行者が増えるお休み中のほうが忙しくなることが多い。普段なら、長く滞在している在留邦人がほとんどだけど、お休みの間は旅行にやってくる日本人も多い。そういう人達が、予期せぬアクシデントに巻き込まれた時に頼ることになるのが、大使館なのだ。


 だから大使の裕章さんのお休みも、もう少し先の予定だった。


「そろそろ日本が恋しくなっちゃった?」


 裕章さんにしては珍しい言葉だったので、少しだけ気になった。


「ん? そうだなあ……別に今の仕事がイヤなわけじゃないんだ。だけどやっぱり、僕の祖国は日本だなって思うんだよ。それは雛子さんだって同じじゃ?」

「そうね」


 もちろん私も、大使館や公邸のスタッフ達のことは、日本人もこの国の人も変わらず大好きだ。娘達が通っている日本人学校の人達も、診療所のスタッフも、本当によくしてくれる。そして、診療所での仕事にはやりがいを感じていた。だけど時々、日本に帰りたいなと思うことも事実だった。


「ここの任期が終わったら、少し国内でゆっくりできたら良いわね」

「そうだね」

「でもそうなったら、裕章さん、本省での出世争いに、巻き込まれちゃうんじゃないかしら」

「出世レースに出るには、少し年をとりすぎたと思うけどね」

「本当にそう思ってる? 在米大使とか在英大使とかにつきたくないの?」


 どこの国も大使も同じとは言え、やはり花形の大使の座というものがある。裕章さんは初めての海外赴任が南米だったせいか、この国にとても愛着があるようだけど、出世コースという点では、他の同期さん達とは少しはずれた道を歩いていた。


「どの国の大使になって同じだよ。日本にとっては大切な友好国だ。それに、ここで働いている日本の人達のことも大事だろ?」

「そうだけどね」


 同期の下田しもださん達から、そろそろ本省に戻ってこないか?と、お声がかかっているのは私も知っている。だけど裕章さんは、いっこうにその気にならないらしい。


「さてと。明日の準備も早いんだろ? そろそろ寝るしたくをしたほうが良いんじゃないかな、奥様?」

「えー? 広場のカウントダウン、見に行きたかったのに。ねえ、睡眠時間が3時間ぐらいでも平気じゃない?」

「人外体力持ちのお医者さんと、一緒にしないでくれるかな? 僕はそんなに睡眠時間が削れたら、明日の食事会で居眠りをしてしまうよ」


 そう言った裕章さんの顔は、かなり本気の割合が占めていた。


+++


 そして元旦の早朝、昼食会の準備のために早朝から公邸にいた私達の元に、予期しない来訪者が訪れることになる。

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