海鳥と終末のメッセンジャー

梅雨乃うた

第一部

第一章 水上飛行機とワンピース ~A Girl with the Lost Past~

第01話 いるはずのない少女


 蒼い海と、緑色の大地。その境界線で海鳥が舞うその更に上を、ゆっくりと動く小さな点があった。

 機首にプロペラの付いた胴体に、端に行くほど細くなる丸い翼端の主翼。

 胴体の下にはそれと同じくらい大きなフロートがあり、一回り小さなものが左右の主翼の下にも吊り下がっている。

 海鳥とその点の他には、空を舞うものは何もなく、雲のほとんどない真っ青な大空に太陽がひとり燦燦と輝いている。

 キャノピーで陽光を反射しながら悠々と空を舞う、淡い灰色に塗られた水上機は、翼の端のエルロンを少し動かすとゆっくりとロールして旋回し、海岸線と並行に高度を下げていった。

 近づくにつれ、その陸地は雄大な森林というには違和感のある、緑の合間から灰色の構造物の残骸がいくつも突き出したものであるのが分かる。場所によっては、まだ緑色より灰色の方が多い所もある。

 水上機が海鳥のいる高度に差し掛かると、エンジンの音を聞いた海鳥がさっと場所を開ける。

 少しずつエンジンの回転数を落としながら降下した水上機は次第に海面に近づき、しばらく海面すれすれを這うように飛んでから、フラップを下げて静かに海面に降りたつ。

 凪いだ海に小さな白波と細い航跡を残しながらタキシングし、海面で90度方向を変えて白い砂浜にフロートを突き刺すようにして停止する。

 しばらくしてエンジンの音が静かになり、プロペラの回転が止まると、キャノピーが後ろにスライドし、中から一人の少年が出てきた。

 その後ろには機銃の付いた後部席もあるが、そこが開くことはない。

 少年は大きなほぼ空に見えるザックを背負うと、主翼の上に立ち、そこから柔らかい砂の上に飛び降りる。

 手をつかずに着地を決め、靴と服についた砂をはらう。

「流されても困るし、上げとくか」

 呟くようにそう言うと、フロートの横に回り込み、胴体とフロートを繋ぐ部分をつかみ、全身で押すようにして水上機を動かす。

 一トン以上はある機体のはずだが、フロートが濡れているせいもあって、なだらかな上り坂である砂浜でも、少しずつ動いた。

 時折休憩をはさみながら、十五分ほどかけて波打ち際から機体を離した少年は、フロートの上に腰掛ける。

 ほぼ空に見えたザックの底から無骨な水筒を取り出し、一口だけ口に含むとすぐに戻し、そのままと腰から拳銃を取り出して弾倉を取り出し、弾が入っていることを確認した。

 そして再び拳銃を腰に戻すと立ち上がり、水上機に背を向けて緑の生い茂る方へ歩いていく。



 上空からではわかりにくいが、地上からだと、この森が今まさに放置された構造物を飲み込もうとしているのが分かった。

 もうすっかり植物に覆われて森林と化した海沿いの区域を抜け、まだ建物などが原形をとどめているところに出る。

 どうやら元は小さな町だったようで、一戸建ての住宅や小さな店、商店街などの間から、ところどころ草や低木がのぞいていた。

「いい加減、誰かと組まないとかな」

 独りでいることが多い者の性で、独り言には少し大きい位の声で誰にというわけでもなく喋りながら、少年は近くにあった商店の後に足を踏み入れる。

 頭上を明らかに動物ではない何かが飛んでいたが、少年は一瞥しただけで気にもかけない。

「そろそろもうちょっと遠くまで行きたいしな」

 同乗者がいれば、できる事の幅が今と比べて一気に広がる。単純に人手が増える以外にも、交代で眠れば陸でも眠れるだろうし、飛行機の操縦ができれば疲労を考えずに飛べるので行動範囲も一気に広がる。そんなことを考えながら、すっかり生活感が感じられなくなった商店の中を探索する。

 店の棚自体は完全に空だったが、もともと少年の探しているものはそれではない。もとより、あったところで食べれる可能性はゼロといってもいいはずだ。

 冷凍庫だったと思しき箱のようなものを見つけて、少年はザックからバールのような工具を取り出す。足でけり倒すようにして背面を上に向けて、隙間にそれをねじ込んで外すと、目当ての物がそこにあった。あたりだ、と心の中でガッツポーズをしながら、それを取り外しにかかる。

 冷凍庫の中に残っていたのは水素を使う燃料電池。現在でも作っているところはあるらしいが、大半はこうして廃墟の中からとってきたものが供給源になるので、拾い物としてはあたりの部類。

 更にザックの中から取り出したドライバーを使って燃料電池を取り外してザックにしまうと、少年はさらに奥に進む。その途中でもいくつかの電化製品の残骸を漁ったが、中身の部品はほとんど残っていない。

「まあ、この辺だとあらかた取られつくしてるか」

 そう呟く少年に、落胆しているような様子はない。

 そのあとも、一時間ほどかけて住宅、商店、倉庫などの廃墟を回るが、使えるものはほとんど取りつくされていた。

 最後に少年は、まだ調べてない最後の建物、おそらく学校か何かだったと思われる建物へと向かう。

 正面玄関のようなところで下駄箱、だったと思しき箱の前に立った少年は、軽く首をかしげる。

「なんだ、これ」

 下駄箱の上に転がっていたのは、空のペットボトル。中には茶色く透明な雫が付いており、その中身がお茶であっただろうことは容易にわかった。

 ここがまだ生徒で賑わっていた頃なら、当たり前のようにあったものだろう。けれど、人気のないこの廃墟の中にあるには、余りにも不釣り合いな物だった。

 この廃墟に人が入っているということ自体珍しいが、それだけなら特に驚くようなことではない。現に少年だったここにいる。捨てられてからあまり時間がたっていないのだって、ありえないことではない。

 けれど。ここに来るような人間がペットボトルなんて持っているわけがないのだ。今やプラスチックなどの石油加工製品の数自体が少ないのもあるが、何よりここまで「探索」しに来るような人間なら、もっと頑丈な金属製の水筒を持ち歩いているはず。言うなれば、熱帯雨林のど真ん中にテントではなくビーチパラソルが立っているような違和感。

 腰の拳銃に意識が向くものの、拳銃を構えるのではなく身をかがめて足音を殺すようにするのは、少年が軍人ではなく、こういう廃墟からの拾い物で生計を立てる「探索者」ゆえか。

 そして、根っからの「探索者」である少年は、少し躊躇したものの引き返すことはなく、足音を殺したまま校舎の中に入っていく。

 結論から言えば、目立った収穫はなかった。少年は後者の中をほぼ虱潰しに探していったが、使えそうなものはきれいさっぱり持ち去られていた。街で一番大きな建物なので既に探索されつくしたのだろう、とあっさり結論付ける。

 しかし、だ。使えるものはなかったが、「使えないもの」は妙にあった。最初のペットボトルから始まり、食べ物の欠片が付いたビニール袋や紙袋、ちゃちなつくりのライターに見たこともない道具のような何かまで。

 そして、少年からするとやっぱりそれらは妙な違和感を与えるものだった。

 人の痕跡を見つけた心強さより、違和感による掴みどころのない不安に背中を押され、少年はその建物を後にする。

 薄暗い建物から出ると、昼前の太陽の光が少年の目に突き刺さり、思わず目を細めた。

 強い日の光で先程の不安が洗い流されていくのを感じながら、校庭を横切って大通りだったったと思しき道路に出る。

 燃料電池一つだけとはいえ、収穫があったのでラッキーだった、少年はそんなことを思いながら、ところどころがひび割れて草の生えたアスファルトの車道の真ん中を歩いていた。

 今度は、少年はどこにもよらずにまっすぐに海岸へ向かっていた。

 さっきの違和感や不安はすっかり忘れていた。

 そして、大通りを抜け、廃墟をすっかり包み込んだ森を抜けた少年の目に飛び込んできたのは、先ほどの数倍はこの世界に不釣り合いな光景だった。

 白い砂浜と、淡い灰色の水上機。

 砂浜沿いに伸びる緑色の森。

 真上から照り付ける太陽。

 そして、水上機のフロートの端に腰掛けて足を泳がせる、少年の方を向いた白いワンピースの少女。

「これ、あなたの飛行機だよね」

 十代後半といったところだろうか。おそらくは、大体少年と同じくらいの年齢。

 フロートの上から半ば飛び降りるようにして砂浜に降り立った少女は、肩に軽くかかる茶色がかった髪を海風に揺らしながら、立ちすくむ少年の前に歩いてゆく。

「そうだけど」

「あなたにお願いがあるの。私をこれに乗せてくれない?」

 少年には、その白い肌が陽の光で眩いくらいに輝いて見えた。

「君は?」

「うーん、人に名前を聞くならまず自分から名乗らなきゃだよ」

「俺は葉ノ月澪。で、君はどこのだれ?」

「それは答えにくい質問だね」

「どういうこと?」

「それも含めて今から説明するよ」

 少女はそういって、くるり、と回ると再びフロートの上に飛び乗った。


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