第10話 魁



「やはり、帰らんか」

掠れた声が小さな町道場を木霊する。

門下生は皆戦争に火縄を持って走っている。それを逃れた弟子も恐らく朽ちた。

残ったのは倅の嫁と老いぼれの自分。

火縄も妖(まほう)も超える槍を持っているつもりだ。

ならば『我ら』の記録の守人は大層強き者なのだろう。

南蛮の者が最後の武者などそんなことがあっては我らの誠に傷がつく。

「……隊長、この安貞行って参ります」



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森を翔ける。学校の正門の正反対に進むこと二十キロメートル。二千メートルを超える山々と樹海、それは魔導士学校の財力を目の当たりにできる私有地だった。

「一人でいたい」

「人間怖い」

「成果は出すから引きこもらせて」

気難しい生徒の為に四つのコテージと生活必需品、食料などを届ける無人輸送機など「ほんとに学校?」と何度も問われたであろう産物は今の代は誰も使っていなかった。

使用申請は簡単に受理され二ヶ月の研究期間を休学期間の途中から受け取り森を走っていた。

それから一月、毎日の食事は全て刀で獲ったもの。

狐と共に走り、鴉を追いかけ、山女魚を斬る。槍を相手取り、矢を裂き、大太刀を受け止める。

相手に囚われない自分の強さを探していた。

一日中駆け回り、刀を振って振って振って、食事を摂り眠る。

水を摂る度、食事を摂る度、吐き気がして食べては吐き出し、飲んでは吐き出しを繰り返した体はどんどん痩せていった。当然筋肉なんてつくわけがない。しかし毎朝起きることが出来る程度の栄養は摂れているのだろう。

セルリアと立ち合う。一月で彼女の全力と三十分斬り合えるようになった。

生傷は絶えず、手も足もマメだらけになりそれでもなお刀を握り続けた。


一つと半分の月が流れ、セルリアは今日も真っ二つになった燕の肉を食べていた。

『ずいぶん、熱心じゃないか。私が教えていた時よりも』

セルリアは肉を。僕は肝臓やら血合やらをよく食べていた。多分肉ばっかり食べてるから皮肉しか口から出てこないのだろう。

『なんか負けたくないんだよねあの人には』

『ほう、それは何故?』

『過去があるとはいえ僕から生まれた彼に先を越されるのはどうも受け入れ難いというか』

『君は勝負事にそこまでこだわらないと思っていたよ』

『なんでかなぁ』

勉強をしていないからか糖分が足りていないからか森に入ってから僕はバカになったのかもしれない。

『ああ、そうだ』

セルリアは何かを思い出したかのように食事の手を止めた。

『残りの二週間、君に稽古を付けさせてくれないか』

『ずいぶんへりくだった言い方だね。似合わないよ』

『あ?』

『……どうして?』


『あと少しで私が消えるからだ』



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刃を打ち合う。この二週間、セルリアは全てを伝えるように息が上がる程の全力を見せてくれた。神様が教えてくれた事、弟が教えてくれた事、それを自分の全てだと言うように教えてくれた。

『どうして消えることがわかるの?』

『さて、なんだろうな』

何故なのか、最後の最後まで教えてはくれなかった。

毎日、身を削り命を賭ける。それがどれほど歪であろうとこれが信頼と師弟の証のように思えた。

そうして迎えたセルリアの言う『最後の日』


『最後の日』自分でそう言ったのにいつもと何も変わることも無くテントから寝坊して現れた。

『それじゃあはじめふぁぁぁ…』

『締りがないよ。威厳もないよ』

まるで変わらないセルリアが大剣を手にするとこれもいつもと変わらない目をしていた。

アドネが本気で刀を振ってもセルリアが全力で鉄塊を振り下ろしてもお互いに傷を負うことは無かった。

首まであと二ミリという程刃が迫っても打ち払い、腹を両断するように大剣を奮っても体を浮かせるようにして回避した。

一進一退、その言葉が合うようにアドネは強くなっていた。

そうして決着の時が訪れる。

腹を蹴った足に掴まり体を浮かせる。そうして振り下ろした脇差、それを受け止める大剣。厚さも重さもまるで違う。しかしアドネの脇差は師の鉄塊を打ち砕いた。

折れることなく、刃こぼれもせず脇差は己より強大なものを確かに乗り越えた。

しかしセルリアは体に勢いを付け、残った二センチ程の刃でアドネの体ごと脇差を吹き飛ばした。

受け身も間に合わず後方すぐ近くの針葉樹に衝突すると立ち上がる前に首筋に刃を当てられた。

『参りました』



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勝者(セルリア)は何も言わず朝食を待っていた。

『はいどーぞごはんですよー』

『君は毎日飽きもせずよく飯をくれるものだ。いっそ主夫にでもなってはどうだ?』

『冗談かい?』

『当たり前だ』

朝食は長く続いた。…正確にはセルリアの朝食が長引いた。

『ふーもう食べられん。しかし調味料が塩のみだと味が単調になるな』

おのれ、僕があんたの文句聞いて毎日手間かけてきたのにまだ文句言うか。

『それで、一日三食間食付きを一日も絶たなかったんだから教えてよ』

『それは君が最後まで負け続けたからだろう?そんな恩も義理もない』

『ほら、冗談はいいからなんで消えるってわかってるの?』

セルリアはバツの悪そうな顔をして小瓶を取り出した。


『そりゃあ、自分で命を絶つからに決まっているだろう』


何を言っているか分からなかった。しかし怒りが心を埋めつくした。

『なんでこんなもの用意したの』

それは一リットル近い『血液』だった。

『毎日コツコツ貯め続けたものだ。大事に使えよ?』

セルリアは意地の悪い笑みを浮かべていた。

『なんでって聞いてんの』

『君の得物は血液で打った刀だと記憶している。それが魔法なのかなんなのか私にはわからん。しかし脇差一振で侍を騙るなど片腹痛いというものだ。故に準備しておいた』

『だからって…!』

セルリアは僕を睨み言葉を遮る。

『どうせいつかここは私を絶つ。ならば弟子に一つでも多く何かを残そうとするのは師として当然の行動だろう』

『セルリアは死なないんじゃないの?』

『さてどうだろう。今私はとても弱っている。目を閉じれば死に絶えそうな程にな』

『…そっか』

それが最高の選択なのか。最悪の結末なのかはわからない。けれどセルリアの決断を意志を僕が否定する権利は無いように思えてしまった。

『あぁ、そうだついでにもう一つ。これは私の経験から来るものだが、「あの日」から三ヶ月も経った。たとえあれが分隊の一つであっただろうとそろそろ親玉が出てくるかもな?』

『あの日』、それがいつを指しているのかはすぐに分かった。初めて刀を握った日、そして初めて人を斬った日。

『さて、報復に来るかもしれないな。至らぬ若人の血で学び舎が赤く染まるかもしれんな』

まるでその言葉に応えるように学校の方角から榴弾が砕けたような爆音がこちらまで届いた。



『私の最後を見届けるか。それとも明日を生きる同胞を救うか。どうするサムライ君』



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遠くから破砕音が聞こえる。体は重い、けれど過ぎ去っていく景色は二ヶ月で何倍も速くなっていた。

セルリアから受け取った血液の使い方。自分が意図せずしたそれがどういうものなのか。調べる方法も考える時間もなかった。しかしこの脇差が自分にとってどういうものなのかははっきりしていた。欲して調べて想像して刃に伝う血の一滴まで憧れた。


『彼』と僕を繋ぐもの。


どうせ打つなら『あんな刀』はどうだろう。

「最強の象り、残像を模す」

其れは呪詛であり鎖であり糸である。

「我は汝の未来であり、汝を超えるものである」

其れは誇りであり証であり原点である。

「虚構を此処に、幻想を此処に、墓標を此処に」

其れは人生であり、終わりを迎えた印である。

「彼の者の歩んだ道を此処に」




『これまで君と居られただけで私は満たされているよ』

『ただの人喰い鬼がこんな幸せな最後があってもいいのかというほどね』

『君はまた一人になるやもしれん。しかし同じ志を持つ者は必ずいる。そして後の続く者はきっと現れる』


『サムライの魁(さきがけ)、誉だ』





「我、同胞の安らかな眠りを望むもの」


「幻想顕現(リ・プロダクション)」



「刀銘、菊一文字則宗」





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