第3話

「い、いくぞ……!」


「は、はい!」


 アイマスクをして、さらにその上からタオルを巻いて、完全に視界はゼロ。俺は上下ジャージで濡れても肌が透けることはない。よって俺が千代ケ崎さんの裸を見ることも、その逆も相当な事故がなければない……はずだ。


「一応確認だけど、本気なんだな?」


「本気じゃなかったらこんな事言わないですぅ……。『そちらの方が将来の旦那様に喜ばれますよ』とか、あんなこと鵜呑みにするんじゃなかったです……」


 ため息をつく千代ケ崎さんに、少し前の出来事を思い出す。


 虚空を見つめながら、


『嫁入り前に裸見られたら終わりじゃないですか何してくれるんですかできないふりならいくらでもできますけどほんとにできなかったらどうしようもないんですよもし家に帰れても貰い手がぁぁぁぁぁ』


 とぶつぶつ呟いていた千代ケ崎さんは、とても怖かった。


「大変だったな……」


「……はい」


 話が途切れると、大きく息を吸って吐く音が聞こえた。


 ……俺も、ここまで来たんだから、覚悟は決めなければいけない。


 肌に触れても、その姿を妄想をすることは許されない。


 そして、どんな声を聞いても、興奮してはならない。


 そして万が一にも、事故を起こさない。


 いざ尋常に、


 勝負!!



 ──────────



 かぽーん


 端的に言おう。勝った。


 頭を洗った時に聞いた「ふぁぁぁぁぁぁ……」というめちゃくちゃかわいい声にも耐え、体を洗った時に聞いた「あっ、んんっ!」というエr──艶かしい声にも耐えた。


 もちろん風呂から出てすぐトイレに直行したけどな!


「あー、疲れた」


 一日にイベントを凝縮しすぎだって……。


 朝から走って、バイト終わりに美少女を拾い、家に帰ればお風呂と……。


「まぁ、喜んでたしいいか」


 生姜焼きを食べていた時の幸せそうな顔が浮かぶ。


「毎日あんな笑顔で飯食べてくれたら幸せだろうなぁ」


 まぁ住む世界が違うし、夢のまた夢、と言ったところか。好きになったら損しそうな相手に絡んじゃったかもしれない……。


「……てかそういえばいつまでウチにいるんだろうな?」


 一番重要なのに聞くの忘れてたじゃん……なにしてんの俺……。



 ──────────



 風呂から上がった俺を待っていたのは、ソファーに座って頭を揺らしながら懸命に睡魔と戦っている千代ケ崎さんだった。


「あ……髪、乾かして貰えますか」


 ゆっくりとした動作で移動して、俺が座っているソファーの前の床にペタンと座る。こうやって見るとめちゃくちゃ小さいし、長袖でもTシャツ一枚の女の子はめちゃくちゃかわいいな、って違う。


「分かった。んで、えーと……」


 我ながら歯切れが悪いな!ドライヤーのスイッチ入れるぐらい簡単に聞けよ!いつまでいるのか聞くだけだろ!?髪乾かし終わったらっていうか乾かしてる間に千代ケ崎さん絶対寝るだろうし、今しか聞くタイミングないだろ!


「……なにか?」


 首を傾げる動作もかわいい……じゃなくて!


「その、千代ケ崎さんはいつまでここにいるんだ?」


「……ん〜、図々しいのは承知ですけど、可能な限り、ここにいたいです」


 詩乃さんは優しいからすきです、と千代ケ崎さんが笑う。勘違いしちゃうんでやめてください。

 でも、愚問だったかもしれない。今の千代ケ崎さんには家がない。しかも生活力もない。帰ってきてすぐに、俺の制服を見て「やっぱり」と言っていたので、俺の事を知っていて声をかけてくれたようでもあった。


 ……まぁこんな御託を並べてるけど、こっちが住まわせる気満々なんだけどな。そうじゃなきゃ家の設備とか教えないし。


「こちらこそ、出ていきますけど、なんて言われなくてよかったよ」


「ふふっ、そうですか♪」


 千代ケ崎さんがふにゃぁっと頬を緩ませる。やっぱかわいいな……髪サラッサラだし、もっと触りたいけど、もう乾いてるし……!


「……終わったぞ」


 声をかけると、千代ケ崎さんは立ち上がってクルクル回る。


「久しぶりに髪がサラサラしてる……!ありがとうございます!」


 下の方に緩くウェーブのかかったショートボブが、動きに合わせて揺れる。


 女子特有の甘い匂いが振り撒かれ、こちらを向いて、千代ケ崎さんがピタっと止まる。


「どうした?」


「……眠いんですが、寝室はどこでしょう?」


 テンション振り切れてるから目が覚めたのかと思ったらただの深夜テンションだったか……さっきまで眠たがってたしな。


「一番窓際の扉を開けたらすぐベッドがある。勝手に寝ててくれ」


「詩乃さんは一緒に寝ないんですか?」


 一緒がいいです、と千代ケ崎さんが手を握る。


 でも、それは流石に申し訳が立たない。元々ソファーで寝るつもりだったし、明日は土曜日、家具店に行って新しい布団を買えばいい。


「…………洗濯もあるしな。学校、来週からは行きたいだろ?」


「わかりました、おやすみなさい」


 少し寂しそうな顔で、千代ケ崎さんは寝室へ入っていった。


 少し、胸が痛かった。

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