第12話 白山菊理は夜見坂 凪の手のひらの中に

「――私は違うから」


 中水美衣奈と彼女を追い立てるようにして連れて行った校長先生たちの姿が消えてすぐ、崎代沙綾はそう言った。


「だから先生たち連れて来たでしょ?」


 崎代沙綾の目には、警察官という存在しか映っていない。


 私なんて見ていない。


 裏切り者というのは確かにその通りだろう。


「美衣奈が襲おうって言って、私もここまで連れて来られたんだけどぉ。さすがにヤバすぎだからさぁ」


「いい判断だったよ、ありがとう」


 暮井刑事の態度はそっけない。


 先ほど私が彼女からなにをされて来たか、聞かされ、知っているからだ。


 ただ、表面上は穏やかで、愛想のいい大人の仮面をかぶっていた。


「じゃあ、ちょうどいいし、君から話を聞かせてもらってもいいかな?」


「え?」


「取り調べだよ。事件当時のアリバイを含めて色々話を聞かせてもらうだけだよ」


「…………」


 ここで初めて彼女の視線が私に向けられた。


 なんの感情も込められていない、ガラス玉のような瞳。


 いや、そう見えるだけで、その下には恐らく負の側に傾いている感情が押し込められているのかもしれない。


菊理くくりちゃんのことが心配なので~、教室に送るまで待ってもらっていい?」


「え?」


 今度は私が崎代沙綾と同じような顔をする番だった。


 突然、いや、この学校に通い始めてから初めて、私は崎代沙綾に名前を呼ばれたのだ。


 唐突すぎて意味が分からない。


「ほら~ぁ、私たちって中学時代からのトモダチでしょぉ?」


 崎代沙綾はトコトコ歩いて私の隣にまで来ると「ね~」なんて言いながら、なれなれしく私の肩に抱きついてくる。


「…………」


 中学時代も邪険に扱われた記憶しか私は持っていない。


 いつの間に名前をちゃん付けで呼び合う仲になったのか。


 いつの間に友達になったのか。


 それはきっと、たった今、彼女の中で決まったのだろう。


 崎代沙綾が立場を変えたのは、中水美衣奈がやりすぎてしまったからだ。


 崎代沙綾の頭にあるのは自己保身だけ。


 もし反省したというのなら、こんなことはしない。


 そんな私の予想を肯定するかのように、崎代沙綾は私の耳元に桃色のくちびるを寄せ、


「……言え」


 小さな声で囁く。


 これは脅しだ。


 私がこの茶番に乗らなければどうなるのか、想像に難くない。


「はやく」


 別にガッカリなどしなかった。


 そもそも期待すらしていない。


 暮井刑事と海星さんがたまたま運よく親身になってくれただけ。


 私の居るべき場所はこっち。


 自分を殺して悪意に耐えるのが、本来の私の世界。


 今までとなにも変わることは無い。


 絶望一色に染まる世界だった。


「はい」


 驚くほどすんなりと、ためらいなく、私の口からは肯定の言葉が飛び出してくる。


 嘘だなんていう意識すらない。


 従うのが私の在り方。


 ただ、それだけ。


「じゃぁ行こぉ~」


 私の賛同に勢いづいたのか、崎代沙綾はいっそう私に体を密着させ、私たちの関係が良好であるかのように装う。


「……自分も教室まで同行します」


 ただ、海星さんは既に私の話を聞いて、崎代沙綾の正体を知っている。


 それでも納得したふりをしたのは、今ここで嘘を暴いたところでどうしようもないからだろう。


 問題の根は深い。


 私と崎代沙綾の関係は、これから先もずっと続いていく。


 それとくらべれば、警察の助けはまばたきするほどの時間でしかなかった。


「え~、子どもじゃないんだから大丈夫だょ」


「さっきのようなことが起こったら危険ですから」


「そっか~」


 崎代沙綾はそれほど固執することはなかった。


 海星さんはずっと私の警護をしてくれるわけではない。


 私になにか言いたいのならば、ほんの少し待てばいいのだ。


「それじゃあ――」


 グッと、強い力で私の二の腕が握りしめられ、少しだけ痛みが走る。


 なにか変なことは言ってないだろうな、という崎代沙綾からのメッセージだろう。


 私は相変わらず素知らぬふりを続け、声を介さない問いかけに態度で返答した。


言いません、と。


 従います、と。


「――教室までお願い、ね」


 それに気をよくしたのか、崎代沙綾はコロッと態度を変える。


 手早く取り調べを終えてしまった方がいいと思ったのもあるだろう。


 なんの執着もないとばかりに私を放し、音楽室中央の机に向けて歩き出した。


「刑事さ~ん、おねが~い。はやくして~」


「……分かったよ」


 暮井刑事は苦虫を嚙み潰したような顔をしてうなずくと、海星さんと意味ありげな視線を交わしてから音楽室の中へと入ってくる。


「気を付けて」


 すれ違いざまにぽんと軽く肩に手を置かれ、小声で私の身を案じてくれたのだった。








 海星さんとともに廊下を歩き、音楽室から十二分に距離を置いたところで、


「すみません、ありがとうございます」


 私の口からは謝罪とお礼の言葉が溢れ出してくる。


 それで海星さんは確信を覚えたのだろう。


 肩を落としてため息をつきながら、


「……もう、やっぱりそういうことだったんですね」


 ちょっとだけ困った感じでそう言った。


「何かあったら遠慮なく駆け込んできてくださいね。少なくともあと3日は聞き取り調査が続くので」


「……ありがとうございます」


 3日。


 たったの3日間しか居てくれない。


 その事実は、安心よりも不安を与えてくる。


 守ってもらえることが幸運なのは分かっているけれど、それが無くなってしまった時のことを考えると怖かった。


 だから私は……。


「すみません、このくらいでもう大丈夫です。ありがとうございました」


 歩みを止めて海星さんに頭を下げる。


「……遠慮はしなくてもいいのよ?」


 校舎は東西に長く、今ちょうど中央階段を過ぎたところだ。


 1年1組の全員が押し込められている教室までは、10メートルとちょっと。


 今のところ危険はない。


 それどころか、クラスメイトたちの居る教室の方が危険なまである。


 でも、断るべきだと私は思った。


「お手洗いも行きたいですから……」


 幸運に慣れすぎてはいけない。


 期待しすぎてはいけない。


 幸せになんてなれないのが普通。


 世界なんて辛いものだと諦めていた方が楽だ。


「そう」


 海星さんには供述調書を取るという仕事がある。


 今、音楽室では暮井刑事が代わりにやっているのか、それとも適当な雑談をして間を持たせているのか、私には分からない。


 でも、海星さんが自分の仕事を気にしていることは感じ取ることが出来た。


「じゃあ……くれぐれも無理だけはしないでね」


「はい」


 きっと海星さんはいい人だ。


 私なんかのことを、ここまで気にかけてくれるのだから。


「それじゃあね」


 海星さんはそう言うと、踵を返して今来た道を全速力で戻っていく。


 彼女の後ろ姿が音楽室に消えるまで、私はじっと彼女の背中を見つめていた。


 いや、消えてもしばらくの間立ち尽くしていたのだった。


「……もう、行こう」


 声に出して言わないと、私の足は前に進み出そうとはしなかった。


 重い足を引きずり、教室へと……向かわなかった。


 用事も無いのに私の足はトイレへと伸びる。


 ドアのない入り口から入って左側。


 赤い人間のプレートがかけられている方へと進み――。


「やあ、遅かったね」


 そこには、夜見坂くんが待ち構えていた。


 ピンク色の板で区切られた個室が並ぶ、女子トイレの一番奥に、男子である夜見坂くんは立っていた。


「…………ここ、女子トイレだけど……」


「うん、他の女の子が居なくて残念だね」


 私はむしろいない方がいい。


 ひとりの方が気が楽だから。


 夜見坂くんの言動は、相変わらずふざけていて、おちゃらけていて、それなのに私たちのことなんかどうでもいいとでも言わんばかりだった。


「それよりもさ、なに話したの? ずいぶん時間かかってたみたいだけど」


 ああ、夜見坂くんは私の共犯者だ。


 私は彼にとって不都合なことを知っている。


 それを警察に白状していないか気になるのだろう。


「夜見坂くんのことは何も言ってな――」


「違う違う」


 夜見坂くんは顔の前でパタパタと手を振る。


 そして、にちゃぁっという形容がぴったりな、粘着質な笑みを浮かべた。


「きちんといじめられたことを話した?」


「え?」


「同情を買って、あいつらの印象を最低最悪にまで落とした? 警察が思わず君の味方をしてしまうぐらい、君のことを可哀そうな存在として認識した? 事件にかかわる人たち全てを公平公正な目で見るべき警察が、偏見を持ってしまうぐらいの印象操作をした?」


 問いかけをするたびに、夜見坂くんは一歩、また一歩と私に近づいて来る。


 その問いかけに対する答えは、恐らく……『イエス』だろう。


 でも、近づいて来る夜見坂くんの事が怖くて、私の口は凍り付いてしまっていた。


「それが君の役目だよ。難しいことはなにもない、本当のことを言うだけの簡単なお仕事だよ」


 私の眼前にまで達した夜見坂くんは、額と額がぶつかりそうなほど近くにまで顔を寄せて、


「ねえ、あいつらをおとしいれるためには必要でしょ?」


 嗤った。

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