30 芝居の顛末

「だから言ったじゃないか。記憶を追うなと」


 俺は目隠しを外されてみれば、仄暗い部屋の椅子に座らされていた。目はすぐに慣れない。だが、その声の主は即座に分かった。


「やはりお前か、キース。ターニャを殺したのもお前の仕業か」


 俺の詰問にキースは無言でいる。

 今日の彼は、なぜか軍服姿だ。そして、その顔つきは、野暮なことを聞くな、といった表情だ。俺は腹が立って仕方なく、さらに問い詰めようしたが、その前に彼が、ぽん、と、俺に紙の束を放ってきた。俺は息をのんでその紙を食い入るように見つめる。プリント・アウトされた電子新聞だった。どの紙面にも、ナターシャが乗っていたという学童疎開船のあの撃墜事件の記事が躍っている。


 そのとき、俺の脳の中で最後の何かが弾け飛んだ。


 靄が晴れるように、また浜辺の砂山が崩れるように、急激に、だが確かな感覚で、記憶が蘇っていく。

 あの発作もなく、今まで忘れていた事柄が、ものすごい早さで俺の脳の中に展開する。


「そういうことか……」


 俺は頭を抱えながら、呻いた。


 色鮮やかにあの日のことが頭の中で再現されつつあった。

 そう、俺がナターシャを「殺した」日のことが。



 終戦直前のことだ。俺は、学童疎開船団の護衛艦の艦長だった。


 あの頃、本星への空襲は激しさを増していた。そこで政府は、辺境星域のヒモナスへの学童の大規模な疎開を決定した。その対象には、俺の娘、九歳になるナターシャも含まれていた。


 疎開の準備を家で進めているとき、ナターシャは何度も俺に言った。


「パパが私たちの乗った船を守ってくれるなんて、これほど心強いことないわ。私、学校の友達に自慢して回っているんだから、パパ、よろしくね!」

「ああ、もちろんだよ、ナターシャ。パパは全力でお前たちを守る」


 ナターシャは嬉しげに俺に抱きつく。俺もナターシャを抱きしめキスする。愛しているよ、の言葉の代わりに。

 そしてキッチンに立っているターニャが、それを見て幸せそうに微笑んでくる。

 そのとき、あぁ、俺はこんな情景を守るために戦いに赴き、そして、これからも変わらずそうするのだ、としみじみ心に誓ったものだ。


 そうして出発した学童疎開船の護衛は順調だった。敵襲にも、厄介な小惑星帯にも脅かされることなく、ヒモナスへと向かっていた。


 そう、あのときまでは。



 事件が起こったとき、俺は休憩中で、私室にてテレフォンで家族と通話していた。


「ターニャ、旅は順調だよ。ナターシャ、そっちの船はどうだい?」

「パパ、私の船からパパの船が見えるよ。いつも窓から見ているの。そうすると始終、パパの顔見ているみたいで、私、寂しくないわ」

「良かったわね、ナターシャ。ママもそれなら安心よ」


 そのとき、耳元のブザーが鳴った。操縦士からだった。


「艦長、国籍不明の船をレーダーが捉えました。念のため、艦橋まで降りてきてくれませんか?」

「よし、分かった、すぐ行く」


 俺は即座にそう答えると、家族との会話を打ち切り、艦橋に向かった。どうせどこかの、食糧密輸船だろう、このご時世なら良くあることだ。そんなことを考えながら。


 俺が艦橋に到着したとき、その場の雰囲気はまだ平穏だった。俺は操縦士に、手元のモニターをのぞき込みながら尋ねた。


「どこの船だ?」

「分かりません。呼びかけても反応がないんです、ただ、この型の船は、おそらく友軍の船で、敵ではないかと」


 俺もモニターで、その国籍不明の船を確かめる。たしかに、操縦士の言うとおり味方の戦艦だ。俺は、ほっ、としながらも、首を傾げた。なぜ、応答しないのだろう。そして、どうしてこんなところにいるのか、と。


 そのときだ。


「反応がありました。電波を受信しました。ただ、内容が判読不明です」


 俺は嫌な予感がした。


「判読不明の電波? なんだ、それは」

「分かりません、何かの暗号らしいのですが」


 無線士が困惑気味に答える。

 ついで、艦橋に大きな物音が響いた。敵襲を知らせるサイレンだった。俺は突然のことに動転しそうな心を何とか堪え、叫んだ。


「敵? そんなもんがどこにいやがる! レーダーに映っている船が敵だというのか?」

「いえ、攻撃はありません、ただ、当艦のオペレーティングシステムが、何かを敵と捉えた模様! あっ!」


 オペレーターの叫び声は悲鳴に近かった。


「どうした?」

「当艦のシステムが、敵艦と捉えているのは、疎開船です! 攻撃対象として砲台がシステムの指令で自動作動し始めています!」

「何だと!」


 俺は青ざめて叫んだ。疎開船をこの艦が撃とうとしているという、本来、あり得ない事態が発生しているのである。艦橋がどよめく。俺もさすがに平静ではいられず、オペレーターの元に駆け寄った。


「どこのどいつだ! こんなふざけたフォーメーション・プログラムをシステムに仕込んだ奴は!」

「不明です! 艦長! 先ほど受信した正体不明の電波により、システムがハックされたとしか!」

「どけ! 俺がやる! 解除してやる!」

「間に合いません、ドヴォルグ艦長!」


 数秒後、白いひかりが無情にも虚空を裂いた。回転した砲台から閃光が炸裂する。

 その瞬間、俺は彼女の名前を絶叫した。


「……ナターシャ!」


 だがその俺の叫びも虚しく、俺の船が放った閃光は疎開船を直撃した。

 疎開船が燃えさかる様子がモニターに映し出される。俺は枯れかけた声で怒鳴った。


「救助艇を出せ!」

「艦長、無理です! あの燃え方では生存者がいても、今からでは間に合いません!」


 俺は呆然として、炎上する疎開船の模様を見つめるしかなかった。

 そのとき、俺のポケットが小刻みに震えた。軍服のポケットに入れっぱなしだった、私物のテレフォンのモニターが光っていた。あの燃えさかる船にいる、ナターシャからの着信だった。メッセージが忙しく点滅している。


「パパ、どうして私たちの船を撃ったの?」

「ママ、何が起こったのか分からない」

「パパ、私を殺さないで」

「パパ、ママ、熱い、助けて」

「パパ、どうして……」


 次の瞬間、疎開船は激しい閃光に包まれて爆発した。


 そして、それからは俺たちの番だった。オペレーターが絶叫した。


「正体不明の船が当艦に向けて撃ってきます! 避けられません!」


 あっという間に、俺たちの船も疎開船と同じく、白い閃光に包まれた。耐えがたい熱が、髪を、身体を、そして顔を焼き尽くしていく。


 そして俺が次に目覚めたときは、病院だった。


「よお、イヴァン、気が付いたか? 気分はどうだ?」



「……思い出したよ。キース。確かに俺はナターシャを殺している」


 どのくらいの沈黙の後か、それとも一瞬の間の後か、俺には分からなかったが、俺は蘇った記憶を反芻して、そう呟いた。そして顔を上げると、キースを睨み付けた。


「だが! あの正体不明の船は何なんだ? なぜ、俺に疎開船を攻撃させたんだ?」

「あの船を指揮していたのは俺だ。お前の船をハックする電波を送るように指示したのも、そして証拠隠滅のためにお前の船を撃つよう命令したのも、俺だ」

「……!」


 俺はあまりのことに言葉を失った。どうしてだ、と問う声も出せなかった。だが、問いかける必要はなかった。

 キースが言った。


「すべては、学童疎開船の撃墜という、敵による非人道的な攻撃、をでっち上げるための政府の芝居だ」

「政府の、芝居だと?」

「そうだ。そして、お前はあの事件の唯一の生き残りだ。本当は関係者全員死亡という筋書だったが、間抜けな巡視艇が、漂流していたお前の船から、イヴァン、お前を助け出しちまってな。だが、我が軍の医療チームは、幾多の外科的を繰り返すことによって、お前の脳から事件と家族の記憶を失わせることになんとか成功した。だから、今までに生かしておけたが、記憶を取り戻したからには、お前を消すしかない」


 キースのグレーの瞳には、それまで見たことのない黒い影が躍っていた。彼はその目で俺を見下したまま、語を継ぐ。


「今、両政府による講和会議の裏では、戦争において非人道的な行為がなかったかの軍事裁判も進んでいる。正直、我が政府は不利だ。だが、判決を有利に持っていくための大きな案件として、あの、疎開船への攻撃事件を上告している。だから、絶対に、あの事件が芝居だったことを知るものがいては、困るのだよ、イヴァン。分かるか」

「政府の奴らは、戦後の軍事裁判の成り行きまで見通して、芝居を打ったわけか。用意周到すぎて、反吐が出るな」


 俺はようやくそれだけ答えた。本当に、喉奥から反吐が出そうな気分だ。

 国のために、あの厳しく、血生臭い戦争を耐え忍んだつもりが、よりによってその国家に利用され、家族は謀殺され、自らの脳を、治療の名のもとに操られ、そして、命も今、再び消されようとしている。


 あまりの現実の非情さに、乾いた笑いすら出そうだった。

 そんな俺を見て、軍服姿のキースが低い声で、さらに冷たく言葉を重ねる。


「イヴァン、あとひとつ、余計なことを教えてやろう。お前が記憶を取り戻したのは我々も計算外だったわけだが、なぜお前は今になって記憶が蘇ったのか分かるか。それは、お前への麻薬過剰投与のおかげだ。どういう作用か詳細は不明だが、麻薬の脳への激しい刺激が、お前の記憶を蘇らしたと俺は踏んでいる。どうだ、皮肉だろう」


 俺は、唖然を通り越して、もう笑うしかなかった。


「皮肉だな、とんだブラックジョークだ」

「全くだよ。というわけでお前には死んでもらうしかないのだが、俺も人間だ、最後の慈悲として、お前の最愛の人ディアレスト、スノウに会わせてやる」

「やめろ、彼女を巻き込むな!」

「いや、念のため、彼女も消しておかないとな、俺の仕事が終わらないのだよ、イヴァン」


 キースは不敵な笑みを口に浮かべてそう言うと、俺の手が握りしめたままだった、くしゃくしゃになった電子新聞の束を素早く取り上げ、部屋を出て行った。


 暗い部屋にひとり残された俺は、荒れ狂う感情のまま、床を激しく蹴り上げる。

 そして知らぬ間に、生きている左目には涙が滲んでいた。全てを裏切られた悔しさ、愛するものをこの手で殺めさせられた無念さが、激しい渦となって胸を覆う。


 俺は何のために、戦ったんだ? 

 俺にとっての、戦争とは、いったい?


 言葉にならぬ、獣のような咆吼が、無人の部屋に木霊した。

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