0-2 少女の指輪

「義眼を落としただって? そりゃまずい、イヴァン」


 それから一週間後の通院日。診察室に軍医の声が木霊する。


「そうはいっても、事故だったんだ。仕方ないだろう」


 俺は眼帯をまき直しながらそう答えたが、軍医はそう簡単に納得しなかった。彼は声を落としつつも、俺を睨みつつこう続けた。


「あのな、あの義眼は我が国、ことに、軍の科学技術の最たるものなんだ。要するにそれは、軍事機密も同じってことだ。に落としておいて良いものじゃないんだよ」

「そんな大層なものなのか?」

「そうだ。どこに落としたか、アテはないのか?」


 俺の脳裏に、あの少女の顔が過ぎった。

 が、俺は咄嗟に嘘を付いてしまった。なぜか。なぜだか、そうしてしまった。


「分からん。翌日、転んだ場所を探したが、それらしいものはなかった」


 だが軍医は追及の手を緩めない。


「どこで転んだんだ」

「ウィリアム街。サウス・ストリートとイースト・ストリートが交差する辺りだ」

「あの戦災孤児がうろうろしている場所か。奴らが見つけたら厄介だな」


 俺はドキリとした。


「奴らは食べ物にしか興味はないさ」

「どうかな。珍しがってジャンク屋に高く売りつけたら、どうする。あの界隈のジャンク屋は相応の目利きだからな。価値に気づくかもしれん。破片だけでも見つけ出さねば。一応、憲兵に捜索させるよう手配するからな」


 俺は黙って頷くしかなかった。



 俺はそれから、あの少女が気になって仕方なくなった。名前も知らない、黒髪の少女。鉄くず拾いの娘。それ位しか面識はないが、あの子の指には、間違いなく今も俺の義眼がはまっている。そうとも知らずに。


 すでに憲兵に、しょっぴかれていたら、どうしようか。そう思えば思うほどに気が気でない。憲兵は、軍事機密が絡んでいると知れば、女子どもにも容赦しないだろう。まさかとは思うが、指を切り取ってでも無理矢理「指輪」を「回収」していたら……いや、それよりも、もっと悪く、命を奪ってでも、ということもありうる。考えれば考えるほど、俺の気は滅入る。


 一時は忘れようとして、やたらと酒に手を伸ばしもした。だが、あの少女の輝く瞳が忘れられなかった。


 あの子には何の罪もない。それに、義眼でもただの石でも、あの子にはどうでも良いはずだ。ただ美しいと思ったものを美しいと、信じ、自分の掌に包んで欲しい。それすら叶わないような時代を長く作ってしまったのは、他でもない、俺ら大人たちの責任なのだから。


 三日後、俺は酒瓶から手を離し、顔に眼帯を付け直すと、杖を片手に外に出た。足は自然とウィリアム街に向かっていた。


 が、ふとあることを思い付き、俺はアパートメントにいったん戻ると、ありったけの札束をポケットに突っ込み、足の方角を、商業地であるエドワード街に変えた。

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