第3章 惑星シアン

5 白いワンピース

 窓越しに響く車の騒音、賑やかな人の声に、足音。 


 目覚めた私は、ウィリアム街のあの部屋に戻ったかと、一瞬錯覚した。だが、洒落たグリーンの壁と天井、そして、隣のベッドで眠るイヴァンの姿を見て、ここは緊急着陸した惑星シアンのホテルだったことを思い出し、安堵の溜息をついた。

 次に思い出したのは、昨日の宇宙船内での銃撃戦、そしてその後のイヴァンとの会話。


「俺が恐ろしくなったか」


 イヴァンはそう言った。

 いいえ、そんなことはない。元軍人とは、そういう境遇の中で生きていた人種だということは、私だって知っている。嫌いにも、恐ろしくもならない。実際、軍人の「客」のなかには、自分が如何に勇敢に、且つ、残虐に人を殺してきたかを自慢げにベッドの中で語る者も少なくなかった。それにくらべればイヴァンは人格者だと思う。

 ただ、何か、自分の理解を超えるものを内包した人間と感じてしまったのだ、イヴァンを。あのとき。


 私は枕元に置いてある、赤く艶やかなビロードの小さな箱に触れ、なかから指輪を取り出した。イヴァンの瞳の色と同じ、大粒のアクアマリンが窓からの光に煌めいてみせる。


「こんなに綺麗な目の人でも、人を殺すものなのね」


 私はちいさく囁いた。

 だが、考えれば自分も同じなのかも知れない。


「こんなに綺麗な顔をしていても、物欲しそうな声を出せるものなんだな」


 かつて自分も情事の途中、交わるごとにそう言われたものだった。自分が望んだわけでもない、無理矢理の愛撫によって導き出されたそれに。

 私は指輪をそっと箱に戻すと、深く溜息をついた。

 そこで、私は大事なことをイヴァンから聞いていなかったことに気付く。青い石の指輪のことだ。あれを持っていると、危険なんだ、とイヴァンは言った。


 なぜ、イヴァンはあれを自分から奪い、路地に投げ捨てたのか。

 そしてなぜ、このアクアマリンの指輪を、自分に与えたのだろう。なぜ。

 ちゃんと聞かねば。

 それとも、そのうちイヴァンのほうから話してくれるだろうか。


 そこまで考えたとき、イヴァンが目を覚まし、ゆっくりと起き上がった。


「おはよう」

「おはよう、スノウ」


 イヴァンは笑いこそしなかったが、一晩ぐっすり休んだことで、銃撃戦の疲れから回復したようで、その顔つきはだいぶん柔和であった。さっき見たアクアマリンと同じ色の左目が、眩しく光る。眼帯を外しているときは丸見えの右目の空洞にも、ようやく慣れた。


「朝食、ルームサービス、頼むね」

「ああ、ホテル代も船の奢りだっていうからな、豪勢なもの、頼んでおけ」


 欠伸をしながらのイヴァンのその台詞に、私は思わず笑った。



 その日、私たちはホテルの外に出て、買い物をすることにした。

 というのも、私たちは成り行きのまま、この旅に出てしまったものだから、宇宙港で買った最低限の荷物しか未だ手にしていなかったのだ。そこで船長の心遣いとやらで、ホテルのコンシェルジュにこの惑星一のデパートで買い物をする渡りを付けてもらった私は、イヴァンと勇んでそのデパートに足を運ぶことになった。


「一般の客はそうそう入れない、一等地にある一流の店ですよ。私どもがご紹介する確かな身分の方なら、喜んで迎えてくれます。何しろ戦後特需の成金は態度が横柄なものですからね、店としても辟易しているんですよ」


 コンシェルジュの女性は、やや恩着せがましい態度で私たちにそう言った。

 それにイヴァンは気に食わなそうに眉を顰めたものの、私は上級階級の娘よろしく優雅に微笑んで見せた。

 心の中では可笑しくてたまらなかったのだけれど、一流の店に好きな人と買い物に行けるなんて、これまでの私にはありえなかったことだから、それならそれらしく演じてみようと思ったのだ。


 果たして、紹介されたデパートは戦後と思えない華やかさに満ちていた。

 白と金の装飾が施された高い天井に輝くシャンデリア。店内の客も、富裕層と思われる身なりの人ばかり。私の心は高揚しっぱなしだった。それでも、いざ、好きな服を買うようイヴァンに言われても、価格を見ると気後れしてしまって、一番値段の安いものからしか選べなかったのだけれど。


 それでも、なにより嬉しかったのは、真っ白なワンピースを一着買えたこと。今までの鉄くず拾いの日々では、すぐに汚れてしまうそんな服装は、到底叶わなかったから。


 一方のイヴァンは、服装にはあまり興味はないらしく、手早く、深緑のカットソーに黒のスラックスとダウンコートという「無難な」服を数着選んでは、さっさと買い物を終えていた。

 それでも、私が買ったばかりの白いワンピースを着て目の前に現れたのを見たときは、はっ、とただひとつの薄いブルーの目を見開き、こう言ってくれた。


「綺麗だ。君の名前そのものの服だ、よく似合っている」


 私は、そのとき、こんなに幸せで良いものかと思ったものだ。



 一通りの買い物を済ませると、イヴァンは最後に杖のメンテナンスをしたいと私に言った。昨日の船内での銃撃戦で知ったのだけれど、彼の杖はいわゆる「仕込み杖」で、なかにはレーザー銃を忍ばせている一種の銃器である。


「それ専門の店に行かなきゃいけないな。色気のない場所だから、スノウ、君は街を見ているといい」


 私は邪魔になりたくなかったから、待ち合わせの場所と時間を決めて、少し街をウィンドウショッピングと洒落込むことにした。

 華やかなショウウィンドウを巡れば、帽子や靴のような服飾品から、ケーキにチョコレートといったお菓子まで、今までの私の世界には存在すらしなかった煌びやかな品が、これでもかと飾られている。

 私の心はいよいよときめいた。これもこれで、なんだか本当にデートみたい。そう心の中ではしゃぎながら。


 そのときのことだ。

 後ろから、突然私の名を呼ぶ者がいた。ここに私のことを知っている人など、いないはずなのに。訝しげに振り向き、そして次の瞬間、私は青ざめた。


「よう、スノウじゃないか。何でこんなところにいる? しかも、えらくめかし込んで」


 それは、私をウィリアム街で幾度も抱いた、常連客の男だった。

 私は隣にイヴァンがいないことを幸いに思いながら、慌てて足早にその場を去ろうとした。だが男は私に付いてくる。


「どうした、スノウ。綺麗な格好をして。見違えたよ。馬子にも衣装とはよく言ったもんだな」


 男はニヤニヤと卑しげに笑いながら私の後を離れない。そしてこともあろうに、街の雑踏のなかだというのに、私の手を掴むと、こう耳元で囁いた。


「俺とお前の仲じゃないか。何度も抱いてやったろ? あぁ?」

「離して」


 汗が額を濡らす。その様子を男は面白げに見やり、さらに私を辱めようとする。


「なあ、何だったら、今からやらせてくれよ。ここは見て通りのお高くとまった店ばかりだけど、この道の向こうまで行けば、格好の連れ込み宿があるんだ」

「はな、して!」


 道行く人が怪訝そうに振り返る。だが男は怯まない。この道の向こうとやらの方向に私の手を引き、無理矢理そちらに連れて行こうとする。抵抗する私に嘲りの声を上げながら。


「なんだ、お前、俺に逆らえるような身分か? それはこの身体が覚えているだろう?」


 男の指が、冷たい汗が滲む白いワンピースの上から私の胸を、すっ、と触った。


 ところが、次の瞬間、男は急に路上に崩れ落ちた。

 焦げ臭い匂いがする。見れば男の肩には血が滲んでいた。そして、その背後に立っていたのは、レーザー銃を構えたイヴァンだった。

 何事かとこちらを見やる人々、そして呻く男に一瞥もくれず、イヴァンは私の腕を掴むとただ一言、こう言った。


「行こう、スノウ」


 私はイヴァンにすがりつくようにその場を去ろうとした。しかし、男の罵声が私の背中を打つ。


「この売春婦! 偉ぶりやがって! 金を積まれれば誰とでもやるくせに!」


 イヴァンの背が、ぴくり、と動いた。

 聞かないで、イヴァン! と私は心の中で叫んだが、どうやらそれは叶わなかったようだ。イヴァンはゆっくり男の方を振り向いた。その左目は今まで見たことのない冷たいブルーの炎が躍っている。そして彼は再び銃を構え、表情ひとつ変えずに、もう一度、引金を引こうとした。


「イヴァン! 止めて!」


 私は声を限りに叫んだ。

 イヴァンの動きが一瞬止まる。その隙に男は何やら叫びながら、血の流れる肩を押さえつつ、人波をかき分けて逃げていった。

 膝から力が抜ける。私はへなへなとその場にへたり込んだ。


 白いワンピースを、路上の砂塵が黒く汚していった。

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