第18話 目覚めの時(前編)

 (ユーリ視点)

 

 目を覚ました俺が最初に思ったのは、よく寝た、ということだった。


 そのせいか身体の節々が痛くって、身を起こして少し体を動かそうとしたところで強烈な眩暈がした。


 ……血の巡りが悪いのか? と思った俺は直後に驚き、そして混乱した。むしろ何で血が巡っているんだと。


 あのスコりんとかいう狼に腹を切り裂かれた記憶を鮮明に思い出した俺は自分の身体を確認する。


 怪我はおろか傷らしい傷もなかった。痛みもない。最後の記憶と今の状況がうまく繋がらなくて首をかしげる。


 「……あ、ユーリさん。目が覚めたのですね?」


 姫様の声がして俺は振り向いた。白髪の姫様がそこにいた。そして思ったことがそのまま口を突いて出た。


 「……死ぬほど魔力使ったのか?」


 「そうですね。でもユーリさんの怪我が治ったんです。その甲斐はありました」

 「そっか、ありがとな」


 気丈にほほ笑む姫様は、さりげなく家具に手を添えて身体を支えていた。


 魔力を使いすぎると体調が崩れる。俺の場合は数日の間全く魔法が使えなくなる。

 姫様は体力が失われるのかもしれない。立っているのも苦しそうだった。


 「身体辛いなら座れば?」


 姫様は少しだけ躊躇った後、おずおずと歩み出る。


 「そうですね、それでは失礼しますね」


 そして姫様はベッドにゆっくりと腰を下ろした。品のある淑やかな所作に、確かにこの子は本当の姫様なのだと思い知らされる。


 「ところで俺どの位寝てたんだ?」


 「丁度丸一日でしょうか……ですが、なるほど……ユーリさんに感謝されるのは悪くない気分ですね。いつも私がするばかりなので気づきませんでした」


 「いや、それは俺が何度も……」


 ……死にそうな目に遭わされてるからだろう、と口走りそうになるのを慌てて止めた俺に姫様が、何故か申し訳なさそうな視線を向けた。


 「……何度も死にそうになったのですよね。知らなかったこととは言え、申し訳ありませんでした」


 自分の耳を疑った。まるで俺の能力を知っているような口ぶりだった。


 「……ラスボスから聞いたのか?」


 「ラスボスさんにも同じようなことを言われました。気づいたんです。ユーリさんは過去の自分に意識を戻せる、過去に遡行する少年だったのですね」


 「遡行の……ああ、そういう意味か……にしてもマジかよ。ラスボス以外で俺の力に気づいた奴は姫様が初めてだ」


 「それは……光栄です。本当に、悪くない気分です」


 穏やかな姫様の口ぶりが、あの戦いがひと段落したのだということを実感させてくれる。


 そして次の戦いがまた来るのだとどうしようもなく意識させる。真に全力のイアルが俺を殺しに来るのだと。


 思考が止まるのが分かる。魔力が枯れたからではなかった。単に打つ手がない。その事実だけが俺の頭を支配していく。


 姫様は本当に気分がいいのだろうか、放っておけば口笛でも吹きかねないくらいにふわふわとした笑みを浮かべて斜め上の空を見ていた。


 ……あるいは、と考えた俺は姫様に尋ねることにした。


 機嫌の話ではなく、イアルについての話を。姫様なら俺の思いもよらない何かを思いつくかもしれないと考えたのだ。


 「……なあ、質問してもいいか?」


 「構いませんが……何の話ですか?」


 「人の話。この世界を作ったとか何とかってアレ」


 「はあ……ヒゲの話ですか……」


 姫様はげんなりしたようにため息を漏らした。人とヒゲがどう結びつくのか分からない。嫌な思い出でもあるのだろうか。


 けれど、構わないといったのは姫様だった。何ら憚ることなく俺は話を続けた。


 「俺たちは聞かされてる。この世界の仕組みは人の手によって作られたって。その仕組みのせいなんだろうな、訳が分からないくらいに戦士たちは頑丈で馬鹿力だし、きっと今日も誰かの魔法が魔物を焼き木々を薙ぎ払ってる」


 「そうですね」


 「こうも聞かされてるよな。生けとし生ける全てのものは人の手によって作られた。その結果リッチだのサキュバスだのドラゴンだのベヒモスだのが世界のどこかでうろついたりふんぞり返ったりしてるんだろ?」


 「ええ」


 「そして最後に聞かされる。この世界を作ったのは人である、なればこそ人を信じよ、だっけか。作物を育てる奴が偉い。道具を作れる奴が偉い。金を稼げる知恵者が偉い。領地とやらをよろしく経営できる奴らが偉い。国を導くオッサンが偉い。魔王を殺せる奴らが偉い。偉いヤツばっかだな」


 姫様は、『姫ですみません』とでも言いたげに恐縮する。別に姫様は悪くないので俺は気にせずに言葉を続ける。


 「そう俺たちは聞かされている、誰だってそうだ、でもさあ違うだろって俺はずっと思ってる。だってそうだろう? そのお偉い『人』とやらが平気で見捨てる、そんな人間がここにいる。じゃあそいつは一体どうすればいいかって考えたこと、あるか?」


 思いのほか熱くなってしまった俺の言葉に、姫様はすぐには答えなかった。


 言葉や声音に現れない俺の考えを推し量ろうとするように暗い表情で俺の変化を探っているように見えた。


 その様子から何となく勘づく。


 俺の能力――ラスボスが言う所の時間魔法――だけではない……姫様は俺の過去も知っている,と。


 「……ありません」


 悲しい表情をさせるつもりではなかった。だから俺は何でもない声音で問いかけた。


 「獣人がいただろ? アイツは、普通の魔王軍とはちょっと違うんだ」


 「それはそうですね、獣人とは言え子供でしたし」


 「……それもそうなんだが、アイツは獣人でも人族そのものへの恨みを持ってない。他の魔王軍の奴らは様子見なんてしなかった。村から何から全部滅ぼそうとしてたんだ。まあ、そいつらは逆に滅ぼしたけど」


 「逆に滅ぼす? 魔王の所業では?」


 呆れたような姫様の視線には気づかないふりをする。


 「アイツは多分、獣人だけど奴隷を経験してないんだ。親とはぐれてすぐ魔王に拾われたんだろうな。親元を離れて寂しい経験をしただけの、ただの子供だ」


 「……ただの子供ですか」


 「でも、獣人と言うだけで人から蔑まれるんだってことには気づいてる。だから直接人前には現れないし、魔王に与して生きる以外の運命しか選べない。似ているんだよ、俺と」


 姫様は微かに頷くだけだった。どこが似ているのかを問いたださない姫様は、やはり俺の過去を知っているんだなと確信が持てた。そして俺の過去はラスボスしか知らないはずだった。


 俺が寝ている間にきっと二人は話をしたんだろう。余計なこと話してないだろうな、と俺は部屋の外でゴロゴロしているはずのラスボスがいる方を横目で睨んだ。


 「人はアイツを信じない。アイツも人を信じてない。でもせめて俺はアイツを信じたい。見捨てることに苦しむ人間でありたい。せめて、今よりマシなやり方があるんじゃないかって、アイツに伝えたい」


 「……そうですか」


 姫様は否定も肯定もせずに頷くだけだった。それがありがたいことのように思えた俺は、少し話題を変えることにした。


 「ところで、普通魔王軍って誰が退治してるんだ?」


 「勝手に自滅することもありますが、大抵は勇者やその仲間たちが片っ端から倒すと言われていますね」


 「ならそいつらがやればいいんだよな、実際。姫様もそっちを探した方がいいんじゃないか?」


 「……そうもいかないのです。勇者すら無力かもしれません」


 「え、何で?」


 「今の魔王は歴代最強で十年前には国を一晩で滅ぼしたと……」


 「……北の大陸のか?」


 「知っているのですか?」


 「あぁ……そういうことか」


 「そういうこととは?」


 「誤解してるんだよ。魔王はいつもと同じ普通の魔王のはずだ。ただ、ラスボスが……」


 「ラスボスさん、何かしたんですか……?」


 「俺と会う前にさ、魔王に宣戦布告されていた国をタイミングよく滅ぼしたらしいんだよ、一晩で。魔王を滅ぼす為に子供たちを神への生贄に捧げるとか何とか、国民みんなが大賛成してたんだとさ。ラスボスってそういうのちょー嫌いなんだよ。出来心でやった、反省はしてないって」


 「ああ……」


 姫様は奇妙なほどにあっさりと納得する。魔法に詳しい姫様なら性格だけに留まらないラスボスのヤバさに気づいているのかもしれない。話が早くて助かった。


 「ラスボスの力を知っていればそう思う。でも事情を知らない人間からしたら魔王がやったようにしか見えないだろ? だから誤解してる。国を滅ぼしたのが自分ではないと知っている魔王だけがラスボスの存在に気づいたんだ。そんでその居場所を突き止めた魔王が数年前からちょっかいを出してきて、その戦いに俺が駆り出されてるって訳だ」


 困った話だよな、と言葉を付け足しながら、俺はこれから伝える言葉について考えていた。


 俺も姫様もラスボスが引き起こした騒動に巻き込まれただけの村人であり王女、けれど俺には戦う理由があった。


 イアルのこともそうだし、ラスボスのことだってそうだ。戦わなければ変えられないことや守れないことがある。だから戦う。これは自分の意志だった。


 けれど姫様はそうではなかった。世界を救うために村にやって来た、それだけなのだ。だとするのなら、ラスボスと魔王の私闘に加わる理由も巻き込まれる必要もない。


 つまり、俺は姫様に別れを告げなければならなかった。

 

 そして俺はあまり難しいことを考えるのは得意じゃなかった。気の利いた言葉を探したり選んだりするのが苦手なのだ。


 だからそのまま言いたいことを言った。


 「……つまり魔王は多分いつもと同じような魔王で、だったらこれまで通りのやり方でどうにかできる。勇者だか何だかが片付けるんだろうから、ただの村人である俺が同行する必要はないだろ」


 「話を信じるなら、その通りですね」


 「そんでもって、この村の戦いに巻き込まれた姫様が俺たちに付き合う必要もないよな」


 「……え?」


 「怪我を治してくれたことには感謝してる。村に馴染んできたことも知ってるし、ここにいて欲しくないとも思ってない。でも次はきっと姫様を守れない、そもそも自分の身すら怪しいんだ」


 「……待ってください……」


 「それに俺はラスボスに力を使わせたくもない。アイツの全力を他人に見せたが最後、この世界からラスボスの居場所はなくなる。そしてまた一週間たてば、全力の魔王軍がやって来る。だから……」


 本当は一息に最後まで言うつもりだった。だから言葉につっかえたことに俺自身が驚いていた。


 一週間だけだった。二人は一国の姫様とただの村人。本来ならどうしたって出会うことのない関係で、用が済めば二度と会わない関係だと最初から分かっていて、その認識は今も変わらない。


 なら何で俺は言葉の続きを伝えることに躊躇しているんだろう、と考えていた。俺は最初に腕を爆破されたあの日から始まった一週間のことを思い出していた。


 一言で言うなら、物騒な生き物だろうかと考えた。


 腕を吹き飛ばし、爆発実験の巻き添えに遭った。狼から俺を庇おうとするものだから身を挺して攻撃を受け止める羽目になった。俺じゃなければ死んでいる。命の危険を振りまくような女だった。


 でもそれだけではないということも知っていた。


 苦し紛れに出した猪料理に目を輝かせていた。

 村人たちの夫婦仲に危機をもたらしそうだったけれど意外とそうでもなかった。

 子供たちと魔法で張り合って得意げになっていた。

 頭を叩くと機嫌を損ねて俺を睨んできた。

 無軌道にいろんなことに興味を示しているだけかと思ったら、いつの間にか俺の秘密まで見抜いてしまう。

 今まで出会ったことのない類の女だった。


 つまり一言では言い表せない存在だったのか、と俺は気づく。なら何なんだ、と思いながら姫様を見てみた。


 淡く優しい色合いの金髪はその多くを白髪に変えていた。

 俺が意識を失っている間、何があったのかは分からなかった。知っているのは姫様が俺の命を繋ぎとめたこと、そしてそのために少なくない魔力を使わせたのだということ。


 姫様が俺の目をまっすぐに見ていた。その美しく澄んだ青い瞳の中に俺が映っている。いつも通りにやり過ぎて白髪になった自分の姿だった。


 その大きな瞳を縁取る瞼が震えていた。閉じたくなるのをこらえて、決して目を離さないと訴えているように見えた。姫様は察しがいい。だから言葉にしなくとも俺の言いたいことは分かっているに違いない。不意に胸が苦しくなる。


 ……ああ、なるほどなと納得するしかなかった。


 俺は姫様に死んでほしくないけれど、別れを告げるのも本当は嫌だったんだ、と。


 これ以上考えると決心が鈍ると思った。言うべきことを言えなくなる。


 だから俺は息を吸い直して、微かな瞬きと共に覚悟を固めた。


 「……だから、生きていたいならここを離れろ。俺たちとはサヨナラだ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る