2.はじめての授業
「さて、では授業を始めましょうか、小町嬢!」
「は、はぁ……」
小町の眼前には、禿頭の筋肉ダルマ――原田館長が満面の笑みを浮かべて座っていた。その巨体は生徒用の椅子には大きく重すぎるのか、先ほどからギィギィと椅子が悲鳴を上げている。
(よりにもよって、こいつかよ……)
心の中で小さく嘆息しつつ、小町は先ほど説明された育成館での授業の仕組みを思い返していた。
育成館には、日本全国から姫巫女やサムライの才能――即ち「霊力」を持つ子女が集められるという。けれども、霊力の才能が発芽するのには年齢差があり、必然的に育成館へ編入する時期もバラバラになりがちなのだとか。小町のように、中途編入する生徒は珍しくないのだ。
その為、年齢もバラバラ、教育習熟度もバラバラといった事態が起こりやすい。
そこで育成館は、「個別指導」あるいは「少人数指導」による授業を採用していた。
一人ないし何人かのグループにつき、一人の教師が担当し勉強を教える、という訳だ。実際、教室では何組かのグループに分かれて机を寄せ合い、そのそれぞれに教師が付き授業を行っていた。流石にこの教室だけでは手狭なのか、何人かは他の教室へ移動して授業を行っているようだ。
小町の隣では、彩乃がやけに背丈の低い男子生徒と机を並べ、教師の話に真剣な表情で耳を傾けていた。
当然、このようなシステムでは教師の人員も相当数が必要になる。何せ、中学以上は各教科ごとに教師が必要なのだ。普段は文部省を経由して、都内の各地から教師が出向してきているらしい。非常勤も含めれば、かなりの人数になる。
それでも教師の数が足りない場合は、自らも様々な教員免許を持つ原田館長が教鞭をとっているのだという。彼が今、小町と向かい合っているのは、つまりはそういう事情だった。
「さて、小町嬢! まずは貴女の学力を測らねばなりません。今日はペーパーテストを用意したので、そちらをやっていただけますかな」
「ぺーぱーてすと?」
「紙の試験、ということです。分からない部分は飛ばしてくれて結構ですよ。安琉斗くんからは、小学校卒業程度までなら大丈夫、と聞き及んでいますが、無理に解かなくても大丈夫です。――今の貴女の学力を見せてください」
言いながら、数枚のわら半紙の束を小町の目の前へ差し出す原田。結構な量だったので、小町は猫を被るのも忘れて思わず苦い表情を浮かべてしまった。
(しゃーない。勉強教えてくれた安琉斗の為にも、いっちょ気合い入れてやるか!)
心の中で自分に活を入れながら、小町はテストの束へと向き合った――。
***
「う~ん……」
「こ、小町嬢? あまり無理をしなくてもよろしいのですぞ?」
「いや、もうちょっと……もうちょっと頑張らせてくれよ、館長先生……」
既に時刻は昼近く。休憩時間を挟みながらも小町のテストは続いていた。
テストの内容は、各教科の中学一年生までに習う範囲の抜粋だったが、驚くべきことに小町はその殆どの解答欄を埋めていた。
安琉斗によって数日の間に詰め込まれた内容が、きちんと頭の中に入っていたらしいのだが――それは「内容を理解している」というよりも「何となく覚えている」と言った方が正しい塩梅だった。
その為、小町自身も「これで正解のはずだけど、意味は理解出来ていない」という状態に陥り、なんともしっくりこない。そんな違和感を抱えながら解答欄を埋めるという作業になってしまっていた。
言ってみれば、意味の分からない言葉の羅列が、自分の頭の中からすらすらと出てくる状態なのだ。あまり良い気持ちではなかった。
それでも律義に全ての問題を解こうと踏ん張るのは、小町が生来持つ負けん気の強さのせいか。それとも――。
「で、できたー! 館長先生! 全部終わったぞ」
「……ふむ。確かに解答欄は全て埋まってますな。それに、ざっと見たところ大きな間違いもなさそうです。これはこれは」
「へへっ、毎晩安琉斗にみっちりしごかれた甲斐があったってもんだ!」
すっかり猫を被るのを忘れ、いつもの口調でえっへんと胸を張る小町。先ほどまでの居心地の悪さはどこへやら、すっかり調子を取り戻していた。
――が、その時。小町の隣の席から「カランッ」と乾いた音が響いてきた。
何事かと思いそちらを見やると、どうやら彩乃が鉛筆を床に落としてしまったようだった。鉛筆はそのままコロコロと小町の方まで転がってくる。
「っと。二階堂さん、落ちたぜ?」
それをひょいっと拾って彩乃に手渡そうとする小町。けれども何故か、彩乃はそれを不思議そうに眺めて――。
「……あら、わざわざありがとうございます。お手を煩わせました、柏崎さん」
すぐにいつものたおやかな笑みに戻ると、恭しい手つきで鉛筆を小町から受け取った。
「か、『柏崎さん』なんて……いいよ、小町で」
「あら、これは失礼いたしました。では、今度から小町さん、とお呼びいたしますね? では、どうかあたくしのことも彩乃、とお呼びください」
「えっ!? い、いいのか? じゃ、じゃあ……改めてよろしくな、彩乃!」
にっこりと、花のほころぶような笑顔を浮かべる彩乃と、太陽のように眩しい満面の笑みを浮かべる小町。
傍から見ればなんとも微笑ましい、新しい友情が芽生えた瞬間の光景のはずなのだが――傍でその様子を見守っていた原田の顔には、何故か苦笑いが浮かんでいた。
***
「小町さん。よろしかったらあたくし達と一緒に食べませんか?」
――昼休み。
小町がばあやから持たされた弁当箱を広げようとしていると、隣の席から彩乃がそんな誘いをかけて来た。
見れば彼女は、先ほど一緒に授業を受けていた男子生徒と机をくっつけてお弁当を広げるところだった。
「えっ? いいのか……?」
「編入初日でまだ慣れていないことも多いでしょう? どうぞ、遠慮せずに。
「はい、お嬢様!」
彩乃に言われ、キビキビと小町の机を動かし始めたのは、例のやけに背丈の低い男子生徒だった。どうやら「はじめ」という名前らしいが、彩乃に付き従うその姿は「同級生」というよりも「主従」もしくは「姉と弟」といった風情だ。
「はて、この二人は一体どんな関係なんだろう?」と、小町が不思議そうな顔をしていると、すかさず彩乃が口を開いた。
「あら、まだ紹介していませんでしたね。小町さん、この子は
「あっ! これは失礼しました柏崎様! ボクは月舘肇と言います! 彩乃お嬢様にお仕えしております! 以後、どうぞお見知りおきを!」
彩乃に促され、肇が元気よく小町に挨拶する。
ビシッとした動きをしているが、いかんせん背丈が小さいので、小町は「なんだか子犬みたいなやつだな」等と、少しほんわかとした気持ちになった。
「おう、よろしくなハジメ! オレ……じゃなかった、ワタシのことは小町でいいぞ」
「では、小町様と」
「いや、サマってのも何だかむず痒いから……」
「なるほど、分かりました。では、小町さん! どうぞよろしくお願いいたします!」
言いながらペコリとお辞儀する肇。その姿は、やはり子犬のようであった。
***
育成館には、給食や学食といった制度がない。殆どの生徒は弁当持参だ。地方から出て来た生徒達は、その多くが寮に入っているので、寮母お手製の弁当を持参している。それ以外の生徒は、母親や女中が作った弁当持参、ということになる。
小町と彩乃、そして肇は言うまでもなく後者だった。
「お、サンドイッチだ」
小町がばあやに持たされた弁当箱の中身は、サンドイッチだった。
小町が美味しそうに食べていたので好物だと思ったのか、はたまた手掴みで食べても違和感ないものを選んでくれたのか。そのどちらかなのかは不明だが、どちらであっても小町にとっては助かる思いだ。
チラリ、と彩乃達の方を見やると、肇が立派なお重を広げ、別に用意した小皿へと器用におかずを移している最中だった。かなり量がありそうなので、どう見ても二人分だ。
「おお……なんか凄いな、二人の弁当」
「ふふ、肇のお母様のお手製なの。あたくしの乳母だったからか、今でも『お嬢様、育ち盛りなのですから沢山召し上がらねば!』と言って、こんなに作ってくれるんですよ」
「へぇ、乳母ねぇ。ということは、彩乃とハジメは
「ふふ、そう見えたのなら嬉しいですわ」
「……生まれたのはボクの方が早いんですけどね」
小町の言葉に喜ぶ彩乃だったが、肇は実に複雑そうな表情を見せていた。
二人は同い年らしいが、背丈は肇の方が圧倒的に小さい。なにせ、小柄な小町よりも更に小さいのだ。正直、小学生にしか見えない。誰が見ても、彩乃が姉で肇が弟だろう。
肇本人は、そのことをとても気にしているようだった。
「大丈夫ですよ、肇。男の子の身長が伸びるのはこれからですから。きっとすぐに、あたくしの背も追い越しますよ。さあさ、お昼を済ませてしまいましょう?」
「っといけねぇ、もうこんな時間か。……じゃあ、いただきます!」
『いただきます』
小町に続けて彩乃と肇も「いただきます」を言い、ようやく昼食が始まった。
ばあやお手製のハムや卵が挟まれたサンドイッチは、やはり美味しかった――。
***
――そして、早くも放課後になった。
傾いてオレンジ色に染まりつつある陽光が差し込む教室で、小町は椅子に腰かけたまま、すっかり弛緩してしまっていた。
「こ、小町さん。大丈夫ですか……?」
「あ~、うん。だいじょ~ぶ?」
心配そうな様子の彩乃に何とかそれだけ返すが、小町は殆ど上の空だ。
育成館では、午前中は通常の教育課程を、午後は姫巫女やサムライの専門教育を行う。姫巫女とサムライの教育も、通常の課程と同じく基本的には個別指導だ。
小町の担当教師は、午前中と同じく原田館長。小町が苦手とする、あの筋肉ダルマだ。それと差し向かいで未知の知識を概略レベルとはいえ詰め込まれたのだから、たまったものではない。
小町が安琉斗から手ほどきを受けたのは、通常の教育課程についてだけだ。姫巫女やサムライの知識は、まだゼロに等しい。
原田もその点は弁えていて、「初歩の初歩の初歩から始めますぞ」と言ってくれたのだが――その物量は凄まじいものだった。午後の数時間だけで、辞書のように分厚い教科書一冊分の内容を詰め込まれた。
普通に考えれば、とても頭に入るものではない。だが、原田は一体どんな魔法を使ったのやら、小町は詰め込まれた概ねの知識を、きちんと覚えていた。
しかし――。
「う~ん……頭の中で訳の分からねぇ言葉が暴れてる……気持ちわりぃ……」
安琉斗から教えられた勉強内容と同じく、それらの知識は「覚えているが意味は理解してない」状態だった。自らの血肉になってはいないのだ。
結果、小町の頭の中では意味不明な言葉たちが躍り、とてつもない違和感となっていた。頭の中はそのことばかりがグルグルと回っていて、体に全く力が入らなかった。
(そもそもオレ、こんなに物覚え良かったっけ?)
小町は物覚えの悪い方ではなかったが、流石に他人から教えられた内容を一言一句間違えずに覚えられるほどの記憶力は無かった。
それがどうしたことか、安琉斗に教えられた内容も、原田に教えられた内容も、どちらもかなりクリアな状態で頭の中に入っている。意味は分からずとも、問われれば答えられる程度に。
当初は二人の教え方が良かったのだと思っていたのだが、これはもしかすると――。
「あの……先生を呼んでまいりましょうか? それとも、お医者様かしら? どうしましょう、肇」
「やはりここはお医者様ではないでしょうか? ボク、医務室に行って呼んできます!」
オロオロする彩乃を落ち着かせてから、肇が医務室へ向かうべく教室を出ようとした、その時。
「――いや、どちらも必要ない。小町は僕が連れて帰るよ」
安琉斗が小町達の教室に姿を現した。
「あ、安琉斗さま!?」
「わっ、安琉斗先輩! こんにちは!」
「姫君にも肇にも、心配をかけたようだな。大丈夫、小町は霊力に目覚めたばかりで、まだ体が馴染んでないだけなんだ。僕も少し油断していた。まさか、ここまで急激に影響が出るなんて――ほら、立てるか? 小町」
安琉斗が肩を貸すようにして、小町を椅子から立ち上がらせる。なんとか立てたものの、小町の体は蛸かイカのようにフニャフニャになっており、殆ど安琉斗が支えてやっている状態だ。
「ふむ、これではまともに歩けはしないな。やむを得ん。小町、ちょっと失礼するぞ」
言うや否や、安琉斗は両手で小町をひょいと抱きかかえる――後年で言う「お姫様だっこ」をすると、すたすたと歩きだした。
「あ、安琉斗さま、小町さんをどちらへ?」
「どちらへって……ああ、君には話してなかったか。実は、小町とその御母堂は五ツ木家で預かっているんだ。だから、このままうちの車で運んで、連れて帰るのさ。安心してくれ」
「……なるほど、そういうことでしたか。それならば安心でございますね」
「ああ、心配はいらん。では、僕らはこれで。二人とも、明日からも小町と仲良くしてやってくれ」
「はい、是非とも。ごきげんよう、安琉斗さま」
「お疲れ様です、安琉斗先輩!」
彩乃と肇に見送られながら、小町を抱きかかえた安琉斗が教室を後にする。
残されたのは二人のみ。その二人の口から、ほぼ同時にため息が漏れた。
「うわぁ、やっぱり安琉斗先輩カッコイイなぁ……憧れるなぁ……」
「ええ。あの立ち振る舞い、正に日本男児の鑑ですわね……」
安琉斗の残り香を楽しむように、うっとりとした表情を浮かべる二人。
しかし――。
「でも、そうですか。小町さんは、安琉斗さまのお屋敷でお世話になっておりますのね。……一つ屋根の下で、若い男女が……由々しきことですわ」
うっとりとした表情のまま――しかし氷のように冷たい声音で呟いた彩乃の姿に、肇の顔色がサッと青ざめる。
「ええ、ええ。クラス代表として、小町さんの面倒をしっかりとみて差し上げなくてはね。ねぇ、肇?」
「そ、そうですね」
曖昧に頷きながら、肇の心は暗澹たるものに覆われ始めていた。
彩乃も自分も、安琉斗に強い憧れを抱いている。けれども、彩乃のそれは肇のそれとは全く異なる意味を持つ。異性として、安琉斗に憧れているのだ。
それとなく安琉斗へアプローチをかけたことも、一度や二度ではない。
そこに来て、小町という新参者が安琉斗と同居しているというのだから、心穏やかではいられないのだろう。
(面倒なことにならなければいいけど)
たおやかな笑顔のまま昏い感情を抱く主を前に、肇は小さくため息をついた。
その肇の心情を表すように、太陽はいつしか隠れ、空からは細かな雨粒が降り始めていた――。
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