お前は何がしたいんだ

 放送室には誰もいないものだと思ったのだが、益岡先輩が椅子に座って本を読んでいた。さすがに、昼に少し顔を合わせただけで、丸投げということはしないか。


「ちわす」

 俺が、戸をあけて、挨拶をしたところ、蚊の鳴くような声で、

「……こんにちゎ」

 といった。

 なんだか、人と話すのが苦手というより、俺が怖がられている感じだ。おかしい。女子に無視されることはあっても、怖がられるということは、一度もなかったのに。何がいけないのだろう。俺の甘いマスクがどんぴしゃでタイプだったので、自分の幸運が信じられないとか、そういう感じだろうか。違うな。


 ぼーっと、間抜けみたいに突っ立っていても仕方がないので、彼女の正面の椅子に座った。益岡先輩は本に目を落として、決してこちらを見ようとはしない。


 下校時刻まで、放送をかけることはないだろう。俺もしょうがないので、鞄から文庫を取り出して読み始めた。


 放送室に入ってから、十分ほど経った頃だろうか。コンコンと戸が叩かれた。

 益岡先輩は、ビクゥっと戸の方を見るばかりで何も言わない。だから俺が、どうぞ、と代わりに戸の外の人物に声をかける。


「花丸か。ちゃんと来ているようだな。益岡にはもう挨拶したみたいだな」

 そういって入ってきたのは、俺の担任である。


「ああ、先生でしたか。聞きそびれていたんですけど、放送部の顧問って誰なんですか?」

「言ってなかったか? 俺なんだが」

「ああ、そうでしたか」

 考えてみれば、それが自然だな。縁のない部活の部員の勧誘をするはずもないのだから。


「それで、どうかなさいましたか」

「ああ、実は、花丸のほかにもう一人、放送部に入りたいという奴がいたんでな。連れてきた」

 先生が、入れと言って、部室の中に通したのは、


「あら、花丸君じゃないの。どうしてあなたがここにいるのかしら」


 橘美幸だった。


 先生が退室した後で、俺は橘を睨むようにして、


「……お前、何しに来た」

「先生の話を聞いていなかったのかしら。放送部に入部したのよ。花丸君がいると知っていたのなら、入りはしなかったでしょうけど、もう入部届も出してしまったし、すぐに辞めてしまうというのも、体裁が悪いので、後の祭りね」

 乗り気だったのに、今、退部したい欲が、すごく出てきた。猛烈に辞めたい。なんか動悸がするし。


「花丸君。女子二人と密室にいるからと言って、あからさまに鼻息を荒くするのは、止めてもらえるかしら。身の危険を感じるのだけれど」

 俺が案じているのは、俺の身の安全なんだが。

「なあ、橘考え直さないか。今謝れば、入部届の受理もなかったことになるだろう」

「何を言っているのかしら。あなたに指図されて、部を追われるようなことになれば、子々孫々、末代まで、橘の名折れとして、語り継がれることになるわ」

「お前のその高すぎるプライド、一周回って、逆に面白いぞ」

「ああ、なんてこと。花丸君に笑われたわ。こんな恥、……わたしもうお嫁にいけません」

 こんな、暴言ナルシシスト女の旦那になってくれる奴なんて、端からいないと思う。


「そんなことより、先輩に挨拶しなくていいのか」

「そうね。あなたみたいな人と話して、時間を無駄にしてしまったわ」

 だから、一言余分なんだよ。


 橘は咳払いをして、先輩の方に向き直って、

「一年の橘美幸です。よろしくお願いします」

「三年部長の、益岡です」

 あれ、今度は普通に話しているぞ。


 先輩は、同性の気安さからか、幾分か安心したようで、

「橘さん、怖くないんですか? その、……花丸君のことが」

 と橘に話しかけた。待て、俺が怖いだと。……何で?


「花丸君が?」

「はい。なんだか変な目で見られている気がするんですけど」

 いや、だからなんで?


「ああ。そうですね。花丸君は女の人に飢えているので、女性に対しては等しくいやらしい目つきを向けるんです。でも安心してください。私も、入学してから一か月、彼に目を付けられて、欲情した目で見られていますが、彼には犯罪をする勇気がないので、問題は起こっていません」


「お前、何、ありもしない風評流してんの?」


「よかったあ。犯されるんじゃないかと心配だったんです」


 いや、何で今の法螺話で安心しちゃってんの? てか、俺の第一印象、おそらく、人類史上、一、二を争うくらいに最悪じゃないか?


  *


 益岡先輩は、俺たちに勝手を説明しようとしたのだが、橘は中学の頃、放送委員をやっていたそうで、基本的な操作方法はすぐに覚えてしまったようだ。

 話をするうちに、先輩も大分打ち解けたようで、すっかり流暢に話せるようになった。


「では、私は、とりあえず引退という形になりますが、ちょくちょく顔も出しますし、わからないことがあったら、何でも聞いてください」

 そういって、彼女は、橘に連絡先を教えた。


 そして、俺と目があったのだが、


「……教えておいた方がいいですか?」

 と心底怖がるような目で俺を見てきた。おかしいな。俺怖くないよな。


「怖がるのも無理はないわね。あなたのアドレスを入れたら携帯が壊れそうだもの」

「どういうことだよ。俺ウイルスかなんかなの?」

「……花丸菌」

 そういって、橘はふっと笑った。

「むしろ、お腹に良さそうな菌の名前じゃないか」

「どちらかというと日和見菌ね。影の薄いあなたにはぴったりだわ。先輩安心してください。日和見菌なので、積極的に悪さすることはないと思います」

 どういう説得の仕方だよ。

「そうね。それなら安心です」

 なんで、納得するんだよ。


 益岡先輩の去った、放送室で、俺は橘と二人きりになってしまった。

 どうせ口を開けば、ろくなことがないと思ったので、だんまりを決め込もうと思ったのだが、

「ねえ、花丸君。どうして放送部になんて入ろうと思ったのかしら」

 と橘が話を振ってくる。俺の事嫌いなら話しかけてくんなよ。


「先生に頼まれたからだよ。先生が他のやつに頼んだら……」

 俺はそこまで言って、はたと思うところがあったので、口をつぐんだ。

 ……どうしてこうなった。


「どうかしたのかしら。私はあなたの間抜けな顔を眺める趣味はないのだけれど。あなたみたいなのと、これからずっと一緒だと思うと、ため息が出るわ」


「お前、うざいよ」

 

 俺の放った言葉に、橘はすっと、体を強張らせた。


「まじでなんなの? 先に先生が放送部に入るように打診したの、お前だろ」

 橘は能面をするが、それこそ彼女が動揺している証拠でもある。

「……何を言っているのか良く分からないのだけれど」


「先生が言ってたんだよ。俺以外に無所属なのは、一人しかいないって。そいつには、俺に頼む前に断られたって言ってた。それお前だろ。断っといて、放送部に入るとか、まじで何がしたいの?」

 このタイミングで、ここに入部したということは、俺が先生と話をしたときには、まだ橘も無所属だったはずだ。


「……私は」

「朝だって、昇降口で待ち伏せしてたろ。妙だと思ったんだよ。なんでお前が伝言なんかしているんだって。俺が職員室に来るように黒板に書かれていたんじゃないか」

 だから、先生は、俺に黒板を消すように言ったんだ。教室に戻る際に、橘が手を洗っていたのを見かけたが、こいつは黒板を消して、チョークで汚れた手を洗っていたんだろう。


「お前ほんとに何がしたいの? 俺に絡んで。正直言って、鬱陶しいんだけど」

 橘は口をつぐんでしまった。入学してから二か月弱、ようやくこの高慢女の鼻を明かしてやれたと思うと、最高に気分がいい。


 と思ったのも、つかの間。彼女が見せた表情を見て、俺は居心地の悪い思いをすることになる。言い負かされて、悔しいとか、そういう表情ではない。まるで今にも泣きだしそうな顔をしている。

 さすがに言い過ぎたのかもしれない。いくら、強気で、暴言ばかり吐くとはいっても、彼女も一人の少女には違いないのだから。

 

 気まずくなった俺は、逃げるようにして、文庫本に目を落とした。


  *


 下校時刻だ。益岡先輩に教えてもらったように、下校の知らせを放送しなくてはならない。

 橘がわかるもんだと思った俺は、いまいち真剣に話を聞いていなかった。機器の近くに近づいて、おろおろしていたところ、

「どいて」

 と手荒く、橘に押しのけられた。

 

 橘はいくつかスイッチをいじって、

「間もなく下校時刻です。生徒の皆さんは帰る用意をしてください」

 とだけ、アナウンスをして、まとめた荷物を肩にかけて、足早に放送室を後にしてしまった。


 残された俺は、ひとりごつ。


「なに、切れてんだよあいつ」


 自分に多少の非があるとわかっていた俺は、そのセリフを吐いて、ただひたすら気分が悪くなった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る