七、王子と姫とサーカスと・3

 緑深い森の小路に、折り重なるようにふたりの子供が倒れています。茂る梢で辺りは仄暗く、鳴き交わす鳥の姿もありません。

 そこへ、がやがやと賑やかな一団が通りかかりました。

「君、君たち」

 先頭を行っていた青年がまず驚き、声をかけました。後の者たちもそれに続きます。揺さぶられて目を覚ました少年は、自身を取り囲む人々に面食らいました。

 まず目に飛び込んできたのは鮮やかな色、色、色。十人余りの人々の誰もがちぐはぐに色とりどりな奇天烈な格好をしています。ある者は右半分が赤色で左半分が黄色のモーニング風のジャケットに黄緑と黒の縞々のパンツをはいており、ある者は白と青の大きな水玉柄をしたサテンの山高帽を被ってリボン付きの寸足らずなステッキを持ち、ある者は虹の順番に重ねたフリルが段々になった派手過ぎるチュチュに下着のような上半身姿で紫色の長手袋をはめており、またある者は異様に背が低く全身オレンジ色と紺色のマーブル模様に覆われています。

 とりわけ目を惹いたのは、一番近くに居た青年で――彼が少年を揺り起こしたのです――なんと髪の毛がピンク色でした。それもただのピンクではありません。目がチカチカするようなパッションピンクです。そのうえ、グリーンや水色のメッシュも混ざっており、衣装は紫のオーバーコートで黄色や白の柄入りでした。中には桃色のベストを着込んでドレスシャツのフリルが覗いています。手には黒革の手袋。腰に宝石付きのステッキを剣のように挿しています。足元はつま先の尖った魔女のようなブーツ。なんとも奇態な青年です。

 ギョッとした少年は、思わず後退りしようとして、自身がひとりでないことに気づきました。少年の両腿に覆いかぶさるようにして少女が倒れています。よく見知った少女でした。

 いったい何が起こったのか、或いは起ころうとしているのか、少年の瞳に怯えが走ります。けれども彼はキュッと唇を引き結んでそれを堪えると、毅然と顔を上げました。

「あなたたちは何者なの。ぼくたちをどうしようと言うわけ」

 凛と言い放った声は、しかし少しばかり震えていました。何より酷く喉が渇いており、本来ならよく通るソプラノの声が掠れてしまっています。

 少年は自身の体がやけに重いことにも気づきました。少女が横たわっているためばかりではありません。それなら、膝の上が重たいだけでしょう。そうではなく、錆びついた歯車を無理やり回そうとでもするかのように、全身が軋んで重いのです。例えるならそう、一晩中踊り明かした翌朝みたいに。もちろん少年にそんな経験はありませんでしたが、例えて言えばそうなのです。

 少年は急速に少女のことが心配になりました。彼女もどこか具合が悪いに違いない。倒れ込んでいるくらいなのですから、元気であるはずもありません。その原因はなんでしょう? 目の前の者たちが悪事を働いたのでしょうか。一体どんな?

「それはこちらが聞きたいくらいだよ。君たち一体全体どうしたんだい。こんな町はずれの森で、とても捨て子のようには見えないけれど」

 どうやら幸いなことに、彼らは悪者ではなかったようです。たまたま通りかかった奇天烈な身なりの集団なのでした。

 ですが、どこか見覚えがあるように少年には思えます。特に一番手前に居て、話をしている青年です。しかしこんな派手な人物、一度会ったらそうそう忘れるはずがありません。奇妙なことです。少年は記憶を探り出そうとウンウン唸りました。そして不意に思い出したのです。

「あ!」

 と声が出ました。次いで彼はぎゅっと膝の上の少女を庇うように引き寄せました。

「サーカスの団長!」

 そうです。目の前の派手な青年は、確かに昨夜訪れたサーカスで場を取り仕切っていた人物に違いありません。

「おやおや、お見知りおきとは鼻が高い。……けど、僕は君を知らないよ?」

 おどけて見せた青年は、すぐにキョトンとして言いました。人の好さそうな顔立ちに、嘘を吐いている気配はありません。

「それに、僕は団長じゃなくて、正しくは座長だね。ファンタスティック・ファンシー・フュージョン一座。通称――」

「ファン・ファン・フュー!」

「――じゃなくて。スリーエフ一座だよ。以後お見知りおきを」

 突然、割り込んで奇声を発した女の子のお団子頭を押しやって、青年座長は挨拶しました。

「ふぁん、ふぁん、ふゅう……」

「いや、そっちじゃなくて。まあ、いいか」

 力なく繰り返した少年に、座長は頭を掻いて苦笑い。ともあれ、どうしたわけかと再び少年に問いかけました。少年は首を振る他ありません。自身でも何がどうして倒れていたのか、ちっともわからないのです。それでも座長に促され、記憶の中をまさぐりながらとつとつと語りだします。

「サーカスを観に行くつもりだったんだ。素敵なパレードがやって来て、大きなテントが張られて、ぼくらは早く中を見てみたくてしょうがなかった。ほんとは決まった刻限に迎えが来てから出掛ける約束をしてたけど、待ちきれなくて、ひ――」

 そこで少年はハッとしたように言葉を呑み込み、青い瞳を一瞬彷徨わせてから言い直しました。

「この子と先にし――家を出たんだ。おかげでパレードに同行することができた」

 まるで夢の中に紛れ込んだようだったと、ひととき今の状況を忘れて少年はうっとりと表情を緩ませました。

 七色の紙吹雪。星型や音符の形にくりぬかれたものあり、不規則に飛び回りながら舞い散る様は、粉雪とも桜の花びらとも違って、不可思議な美しさと高揚感に満ちていました。月はまん丸く、星を消すほどに眩しく輝き、その銀光を浴びて無数のシャボン玉がゆらゆら、ふわふわ、あちらこちらを漂い流れ、時折パチンと弾けます。鼓笛隊の鳴りやまない音楽。通りを埋め尽くす人々の期待に溢れた歓声。あまりの賑やかさに耳鳴りがして、一瞬気が遠のくようでした。

 ふたりの少年と少女とは、固く手を繋ぎ合いながら、夢見心地でパレードに加わりました。お忍びですから、わざと粗末なフード付きマントに全身を包んでいます。とは言え、それは金の縁取りのついた純白の絹製でしたが。彼らにとってはそれが最も地味で粗末な装いだったのです。

 セイタカノッポの股の間を潜り抜け、妖精風の羽を――もちろん作り物でしょう――生やした少女たちの乱舞に混じり、お腹の大きな男のお腹よりもっと大きな太鼓をひと撫でし、シャボンの泡を浴びながら、ふたりはどんどんと音と光の洪水の中を進みました。

 やがて、いつの間に潜り込んだのでしょう、彼らはテントの中に居ました。ですが舞台のある大きなそれとは違っています。演者が控えるもののようです。そこで、サーカス団長に会いました。

「あなたとそっくりだった。とんでもない頭の色で、変わった服を着て、歳もあなたと同じくらい、目の色もそんなふうで、嗅いだことのない匂いの香水をつけていて、……ああ、でも今はその匂いはしないね」

 森の中の少年は鼻をすんすん言わせて小首を傾げました。

「幻惑のサーカス団だね」

 得心がいったとばかりに座長の青年が断言します。少年はさらに首を傾げねばなりませんでした。

「君が見たのは僕じゃない。僕の真似をした偽物のサーカス団さ。ああいや、サーカスなのは事実か」

「ともかく、物真似の上手い連中だ」

 横から口を挟んだのはごわごわした髭面の年配そうな巨漢でした。いえ、実際にはそう大きくはなく、むしろ小男ですが、筋骨隆々として岩の塊みたいなので不思議と大きく見えるのです。

 ちょうど表現に困っていた座長は、男に合わせてうんうんと頷きます。

「いつも誰かの真似をして町から町へと渡り歩くサーカス団さ。色んな顔でやってくるから神出鬼没のようにも見える。本当の顔は誰も知らない。実は機械仕掛けのロボットなんじゃないかって噂もある。そんな技術があればの話だけどな」

「もしくは魔法とも言われているね」

「ファンタスティック!」

 またも突然叫んだお団子娘が、今度は岩男に押しやられました。

「そんないいもんじゃねぇや。奴ら、行く先々で人浚いをするって話だからな。誰かしらの顔を借りて、甘い言葉で誘い出して、そんで遠くへ連れ去っちまう。団員はみんなそうして連れて来られた人間だって話もある。他に頼る相手もなくなったところで無理やり使役するのさ」

 エゲツネェ。と、岩の男は嫌悪を露わにひげ面を歪めました。その後ろでは「怖い、怖い」と別な男が左右色違いのモーニングの腕をさすっています。

「サーカス自体は素晴らしいショーと聞いているけれどね。まるで夢か幻か。そうして人々の目を眩ませながら、裏では人浚い。それも偽物の顔を使ってね。惑わされた人は忽然と姿を消してしまうことになる。だから通称、幻惑のサーカス団」

 青年座長が話を取りまとめ、ふたりはその被害に遭ったのだろうと告げました。

「でもよかったね。どうしてだかしらないけれど、君たちは置いてけぼりを喰らったみたいだ。お陰で一生、サーカス団でこき使われずに済んだわけだ」

「座長が人浚い!」

「心外だな。僕じゃないってば」

「ま、座長にそんな度量があればこんな小さな一座で終わってないわな」

「いや、別にまだ終わってないでしょうが。成長途中だよ? この一座は」

 何やら話が脱線しだし、周囲ががやがやと喧しくなりはじめましたので、少年は彼らの様子を眺めつつ、言われたことを吟味してみました。本当でしょうか? 青年座長は記憶の中のサーカス団長と瓜ふたつです。こんなによく似た偽物なんて居るのでしょうか。

 ですが真相は藪の中。団長と会ってのちのことが少しも思い出せません。ですから、彼の言うことが本当だとも嘘だとも判断がつかないのでした。もしも嘘だとするならば、よけいに話がややこしくなるように思われます。だって、わざわざ浚っておいて森の中に捨てた上、さらに偶然通りかかった風を装ってまた会うなんて、随分と手が込んでいるわりに目的がわかりません。

「しかし参ったねぇ。連中が来た後なのだったら、僕らの見せ物なんて人を集められないよ。商売あがったりだ」

 ベロアのようなシルクのような、でもそのどちらとも違ったテロンとした紫色の生地のオーバーコートの肩を落とし、青年座長が嘆きます。一座の者たちも口々に、あるいは仕草や態度で、彼に同意しました。

「面倒だが引き返した方がまだましだろう」

「せっかく王都が見れると思ったのにー」

「でも昨日の町じゃサーカスの噂は聞いてない。王都の方であったんだろう。無駄足するより戻って別のルートを探ろう」

「そうだねぇ。仕方がないか」

 どうやら彼らの一座は幻惑のサーカス団ほどの立派な演目を持たないようです。確かに、火の輪くぐりや玉乗りをする大きな獣も連れていません。せいぜい楽器を乗せた荷馬車を曳いているくらいです。彼らにできるのはパントマイムやトランプを使ったマジックショー、歌やダンスや短い演劇といった、ごく小規模な見せ物だけなのでした。華やかなサーカスの後に披露しても、地味な印象しか与えないでしょう。興行収入は見込めません。

「君は向こうの都から来たんだろう? 僕らはあっちへ引き返すけど、放って行って大丈夫かい」

 そこまで事情がはっきりしていて、ダメだと言えるはずもありません。まさか、彼らにとっては用のなくなった森の向こうの城下町まで、荷馬車に乗せて送って行って欲しいだなんて、少年は内心で言いたい気持ちはありましたが口にはしませんでした。どちらにせよ、城まで届けて貰うわけにはいきません。どうやら異国の民である一座の人々は、まだふたりの正体に気づいていないのですから。

 代わりにコクンと頷いて、少年は力ない笑みを浮かべます。

「大丈夫。ひ――彼女の目が覚めたら一緒に帰るよ。森を抜けたら馬車を拾えるだろうし、どこかに人の家があるかも。きっとそう遠くには来ていないはずだから。……多分」

 一晩でそう遠くへ行けるはずはありません。ですが自信はありませんでした。彼らを頼れたらどんなに心強いことか。そう思いはしても少年は微笑むよりありませんでした。少女はまだ目覚めません。自身の体が酷く重くて怠いことを思えば、きっと彼女も疲弊しきって深く眠っているのでしょう。どうしてそんなに疲れているのか、理由はわかりませんでした。

 少し心配そうにしながらも一座が去ってしまいますと、少年は大粒の青い両の瞳を静かに潤ませ始めました。心細くてなりません。

 ぱたり、とひとしずくの涙が華奢に尖った顎の先から、横たわる少女の白い頬へと落ちました。

 金婁のような濃い睫毛が震えます。ゆっくりと、彼女は薄目を開きました。苦しそうな息をひとつ。眉根を寄せて吐き出します。その頬に、また、ぱたりぱたりと滴が零れ落ちてきました。

 驚いた少女はぱちぱちと瞬きをして、今度こそはっきりと覚醒します。そして起き上がろうとして、誰かの膝の上に体を預けていたことに気づきました。酷く疲れ切ったように重い体です。なんだか頭痛もする気がします。上手く起き上がれないまま頭だけをもたげると、彼女の視界によくよく見知った少年の、あまり見たことのない悲壮な泣き顔が飛び込んできました。

「……!」

 どうしたの。

 悲鳴のようにそう叫んだつもりの声は、咄嗟に声にならず、ただ短い息を呑み込んで、彼女は両腕を伸ばしました。さっきは上手く起き上がれなかったのに、どうしたことか彼女は瞬時に飛び起きて、少年の薄い肩に両腕を巻きつけます。強く抱きしめました。

「…………!」

 途端に少年は、やはりこちらも声を失くして、彼女を強く抱き留めました。ああ、なんて温かい体。甘くやわらかなよく知る匂い。肌になじむサラサラとした金髪の感触。安堵の余りに涙が滂沱となりそうなのを、少年はグッと堪えて彼女の頭を優しく何度も撫でました。少女は彼の躰に回した手で、背中を優しく撫で摩ります。

 もう大丈夫。そう思ったのも束の間でした。

 互いに落ち着くのを待って、近く額をくっつけ合いながら瞳を交わし、無言のうちに意思を通じ合わせて、覚束ない家路を辿る決意をした時、新たな問題に気づいたのでした。

 少女が立ち上がれなかったのです。ふと気づけば、互いに見知らぬ衣を纏っているのでした。いいえ、服そのものは見たことのあるものです。公式な場に出る時の、王家の紅色の衣装なのです。ですが昨夜はそんな服装をしていなかったはずでした。白のフード付きマントもありません。それに靴が違います。少年が履いているのは、靴底に鋲の打たれた重い鉄入りの黒革のブーツでした。少女は爪先立つのもやっとなくらいに踵の高いエナメル製です。まるでバレリーナの履くトゥシューズに無理矢理ヒールをくっつけたような代物でした。とても森を歩ける靴ではありません。まだ裸足の方がいくらかましです。

 すぐに少女は靴を脱ごうとしましたが、悲鳴をあげて止めてしまいました。

「どうしたの」

 驚いて尋ねる少年に、少女はただ大きく見開いた目で見つめ返すだけでした。青い瞳が涙で濡れています。言葉にならない程の痛みが彼女を襲っているのでした。焼けつくようなつま先の痛み。痛いのか熱いのかわからない程です。

 少年は彼女の同意を得てから、できるかぎりに丁寧に、そうっとそうっと彼女の靴を脱がせました。思わず少年の口からも悲鳴が漏れます。少女のつま先は脱がせたばかりの靴と同じくらい、真っ赤に染まってました。血でした。乾いた血がこびりつき、少女の足を深く濃い紅色に染めているのです。靴を脱がせたことで血湖の剥がれた指先からは、新たな血が滲み出してもいました。彼女の小さく無垢な白い両足が、無残な有様に変わり果てています。貝殻みたいな可愛らしい爪も、あるのかないのか見えすらしません。あまりの痛々しさに、少年は思わず顔を背けました。

 鬱蒼とした森の中、しくしくと少女のすすり泣く声だけが響きます。少年はなんと声をかけていいのか、見つからない言葉を探して、ただ彼女の肩を抱いてやるしかできませんでした。

 どのくらいそうしていたのでしょう。生い茂った梢の隙間から、僅かに光が差し込んで、惨たらしい少女の足元を照らしだしました。太陽の位置が徐々に変わっていきます。

「きっとバチが当たったのだわ」

 泣き疲れておとなしくなった少女がぽつりと言いました。

「約束を破って勝手に出掛けたりなんかしたから。彼を置き去りにして、先に楽しもうなんて欲張ったから。きっと天罰が下ったのだわ」

「そんなこと……」

 ないと少年は言い切れませんでした。

 彼らはどうしてふたりきり、幼馴染の青年を置いてパレードに出かけてしまったのでしょう? ただ待ちきれなかったから。わくわくと期待に膨らむ胸を抑えきれなくて?

 いいえ。いいえ。答えはノーです。その直前、ふたりはまたしても喧嘩をしたのでした。そうして互いに罵り合い、酷い言葉をぶつけ合ううちに、どちらも傷ついてしまいました。それで慰め合ううちに、ふたりは思い立ったのです。

 もういっそ、何処か遠くへ行ってしまおう――

 だってふたりとも、いずれ不幸せになってしまうのです。少年は生まれ育った城を離れて、遠隔地でさまざまを学ばねばなりません。帰って来られる保証のない巣立ちです。少女はやがて、望むのとは違った相手の妻となり、幼馴染の青年とは、恋しい想いがあればこそ、もう二度と会うべきではないのでしょう。それはまだどちらももうしばらく先のこと。いますぐ不幸になると決まっているわけではありません。ですが幼い彼らにとり、いずれそうした未来が待ち受けていることは、今の幸福を塗り替えてしまうくらいに悲しいことなのです。

 だから、そんな将来は捨て去って、ふたりきり、幸せな気持ちのままで何処か遠い所へ行こう――

 双子の姫と王子のきょうだいは、愚かな企てを思いついてしまったのでした。

 燦々と煌めくパレードの夜に、サーカスを見物しに行くふりをして、歓声を浴びながらの逃避行。それは夢のように美しく、素晴らしい計画のように思われました。

 もしかして幻惑のサーカス団は、そうした人の心の弱い部分に付け込んで、現実から逃れたい人を夢幻の世界へと連れ去るのかもしれません。気づけば彼らは団長を騙る男と出会い……。

 ですが、幸か不幸か、どのような思惑があってのことか、彼らはサーカス団とははぐれ、森の中で目を覚ましました。奇妙な一座と一瞬の邂逅を経て、彼らは再びふたりきりです。

「帰ろう」

 王子が言いました。

「でも……」

 自身の愚かしさを悔やむ少女は、痛む足を見下ろして首を左右します。

「大丈夫。ぼくが負ぶってあげるから」

 少年もまた、己が愚かな行いを悔いていました。だからこそ、贖わなければなりません。鉄のブーツを脱ぎ捨てて裸足になった少年は、鮮やかな真紅をした恐らくよく出来た偽物の公式衣装のジャケットを脱ぎ、少女の華奢な肩を覆ってやりました。それから彼女に背を向けて屈み、

「お姫様抱っこじゃなくてごめんね」

 そう言って、はにかむように笑いました。

「いいの。あたしの白馬の王子さまは彼だけだもの」

「彼は王子じゃないよ」

「いいのよ、誰かの決めた身分なんて。そういうことじゃないわ」

 言って姫も笑います。激痛を堪えて少しだけ立ち上がり、少年の背中に胸を預けました。深い紅色のスカートに包まれた彼女の腿を両腕でしっかりと抱えこみ、王子は姫を負ぶって立ち上がります。裸足の裏に森の土はやわらかく、草は湿り気を帯びています。ですが、それも長くは続かないでしょう。いずれは小石や枝切れが彼の足を傷つけます。ただでさえ重く感じる体に、軽いとは言っても殆ど同じ体格の少女を背負って歩くのです。ぬくぬくと育った王子にとって、それはどれ程の重圧でしょう。その重みと同じくらい、姫の胸には重い罪の意識が圧し掛かっていました。

 それでも、彼らは瞳を交わすと、可愛らしい口元にきゅっと笑みを刻みます。青い瞳は明るい光を宿し、輝く金髪に木漏れ日を絡ませながら、ふたりは城へと帰るのです。王子の背には、姫の確かな鼓動と温もりが感じられます。姫の耳には王子の息づかいが届き、鼻腔を甘くやわらかな匂いがくすぐります。

 後には深い緑の森と、微かな鳥のさえずりが残されました。

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