第二章 冷厳な将軍

 目的地の戦場に着くまで、ちゆうきゆうけいはさみながら丸二日はかかった。

 馬車から降りたソフィーは、うすあおい空を見上げる。ここはソフィーの住んでいた村よりずっと南にあるはずだが、ちっとも暖かくなかった。レンマールは、てつく寒さにおおわれた国だ。ましてや、今は晩秋。真冬ほどではないが、冷え込む季節ではあった。

 前を行くニルスに続き、ソフィーはさくさくと雪をんで歩く。

 レンマール軍の野営地には、どこかすさんだ空気がただよっていた。

 しようすいしきった表情の兵士たちが、ソフィーをちらりと見ていく。

 ほかのワルキューレはどこにいるのだろう、と考えながらソフィーは天幕の間をって歩く。

「──ここだ、ソフィー」

 ニルスは、ひときわ大きな天幕の前で足を止めた。天幕の入り口である布を引っ張り、中をのぞいている。

「将軍。連れてきました」

 一声かけてから、彼はソフィーをり返る。

「どうぞ、先に入って」

「はい……」

 ソフィーは天幕の中に入った。中は、さすがに暖かい。温められた空気を吸ってホッとしながら、ソフィーは目の前でに座る人物を認めた。

 彼は、厳しい視線でソフィーをねめつける。

 かたまでのばされた、青みを帯びた黒いかみ。深い、青の目。高い鼻に、意志の強さを感じさせる引き結ばれた薄紅色のくちびるたんれいな顔立ちだが、女性的な印象はない。

 彼が──レンマール王国軍将軍、イェンス・ベルンハルド。

 平民が兵士になることもできるが、将校になるには貴族の血統が必要だ。将軍まで上りめた彼はもちろん、貴族だろう。眼光がするどいのに反して、どこか品を漂わせているのは、育ちによるものだろうか。村や町で見かける若者よりずっと、洗練されて見えた。彼のまとう空気は戦士らしくりんぜんとしていたが、さは全くない。

「……新しい、ワルキューレか」

 将軍はゆっくりと立ち上がった。ソフィーは、目を見開く。思っていた以上に背が高い。せてはいるものの、上背だけはあるソフィーでも、見上げないといけないほど背の高い男性だった。

「はい。将軍付きのワルキューレを、一刻も早く連れてくるために急ぎました。しかも、彼女は今までのワルキューレとは違います。魔術師が、彼女はおどろくほど死の魔術に馴染みやすかったと証言していました。こんなことは初めてなので未知数ですが、強いワルキューレになる可能性をめています。あなたのワルキューレに、ぴったりでしょう?」

 ニルスの言葉に、イェンスはまゆをひそめる。

「私に専属ワルキューレはらないと言っただろう。臨機応変に、どこかの小隊に交じるさ」

「あのね、イェンス様。これまではたまたま、あなたは死神の攻撃をかわしていましたが、危険すぎます。あなたはレンマール軍の頭なのだから、専属ワルキューレを付けるのは当たり前です。死んでもらっては困るんですよ」

 ニルスは、堂々とイェンスにまくしたてている。

「たまたま、ではない。私は死神の気配を感知できるんだ」

「はいはい。でも、見えるわけではないでしょう。とにかく、新しいワルキューレと親交を深めてください。それでは、しきのための魔術師を呼んできますから」

 ニルスは再びまくしたてると、さっさと天幕から出ていってしまった。後には、途方にくれたソフィーと、難しい表情のイェンスが残される。

「私、頑張ります。よろしくお願いします」

 無難なあいさつをして頭を下げ、そのままの姿勢で待っていると「名は?」と声が降ってきた。

 顔を上げ、「ソフィー・ヤンセンです」と名乗ると、イェンスは手を差し出した。

すでに聞いているかもしれないが、私からも名乗っておこう。私はイェンス・ベルンハルド。君と組むのは気が進まないが、とりあえず──よろしく」

 ソフィーはどう答えていいものやら、と思案しながら彼の手をにぎった。

 初対面なのに、ずいぶんきらわれてしまっているようだ──と考え、ソフィーは不安を覚えたのだった。

「失礼します、将軍。じゆつを連れてきました」

 ニルスは、魔術師をともなって帰ってきた。

 まどうソフィーに構わず、魔術師はイェンスとソフィーに向き合うようにと指示を出し、近くに立つ。

「あの……一体、何をするのですか……?」

「戦士とワルキューレは、守り守られの関係になる。戦士は敵の戦士からワルキューレを守り、ワルキューレは死神から戦士を守る。たがいに命を預け合う、と言ってもいい。そのため、きずなが重要視される。今から行う儀式は、その絆を構築するための……形式的なものだ」

 イェンスから説明を受けて、ソフィーは眉をひそめた。

「彼女はソフィーだ」

りようかいしました」

 魔術師はイェンスにソフィーの名前を聞いてから、ソフィーにき手をたずねた。右手だと答えると、その手を取ってじゆもんを唱えながら、指で手のこうに角張った黒い文字をえがいていく。

「互いの名前のかしらを、刻む決まりになっています。これが、将軍の名前の頭文字に当たるルーン文字です」

 ソフィーの手を放し、次いで魔術師はイェンスの右手を取って。先ほどと同様にルーン文字を刻んでいく。

 そして魔術師は、ソフィーの耳にせいやくの言葉をささやいた。

 ソフィーがうなずくと同時に、イェンスは手の甲をかかげて凜とした声で告げた。

「私はけんをもって、私のワルキューレを守る」

 その様に見とれていると、ニルスに「ソフィーさんも」とうながされてしまったので、ソフィーもあわてて右の手の甲をイェンスに見せる。

「わ、私は光の矢をもって、私の戦士を守る!」

 言葉がつかえてしまった上に大声になったのがずかしくて、ほおが熱くなる。だがイェンスは気にした様子もなく手を下ろしたので、ソフィーも慌てて彼にならった。

「新しい戦士とワルキューレのついに、主神オーデインをはじめとする、神々のご加護がありますように」

 魔術師の宣言と共に、儀式は終わった。次いで、彼はソフィーに向かって説明を始めた。

「互いの手の甲に、頭文字のルーン文字を刻む。これを、戦士とワルキューレの絆の儀式と呼びます。この文字は互いのたましいに刻まれます。どちらかが死すと魔術が発動し、燃えきる命をばいかいとし、もう片方の身体能力を一時的に──十分程度、およそ三倍向上させます」


◆◆◆◆◆◆◆


 説明を聞き、ソフィーは眉をひそめた。片方が死ぬと発動する魔術。聞いても、実感がかなかった。

「一日一回、この文字同士をこすり合わせてください。何日も接していないと、文字は消えますので。……それでは、私はこれで」

 魔術師は一礼し、ニルスと共に天幕から出ていった。

 ソフィーは右手の甲に刻まれたばかりの文字をまじまじと見下ろした後、イェンスを見たが、彼は既に机に広げてある地図をながめていた。

上手うまく、やっていけるのかしら)

 不安でたまらなくなって、ソフィーは左手でルーン文字を覆った。


 そのままソフィーが所在なくたたずんでいると、イェンスは部下に呼ばれ、天幕を出ていってしまった。ソフィーに「そこでしばらく休んでおけ」と言い残して。

 おずおずとイェンスの座っていた椅子に座り、天幕の中をわたす。さすが将軍の仮住まいと言うべきか。天幕の中は広い。調度品も一通りそろえられており、ゆかにはじゆうたんかれていた。

 絨毯をくつで踏んでもよごれないのは、魔術がかけられているからだろう。こごえた大地から人を守るため、天幕内には魔術をかけてあるとニルスは言っていた。

 ふとソフィーは、ベッドが二つあることに気付く。一方は大きなベッド。その反対側にあるのが、小さめのベッドだった。

(将軍以外にも、だれかここでまりしているのかしら)

 そう考えた時、天幕の中に誰かが入ってきた。イェンスではなく、ニルスだ。

「やあ、ソフィー。将軍はしばらくもどらないようだ。先に、君の住まいに案内するよ」

「は、はい!」

 ソフィーは勢いよく立ち上がり、ニルスと共に天幕を出た。

 ニルスが案内してくれたのは、大きな天幕だった。

「ここが、ワルキューレの住まいだ。中に、ローネという女性がいる。彼女はワルキューレになって長いから、指導役にぴったりだ。彼女に、色々教えてもらって」

「はい、ありがとうございます」

「いえいえ。では、私も用事があるからまたね」

 ニルスはソフィーに笑いかけ、立ち去った。

 彼の背を見送ってから、ソフィーは「失礼します」と断って入り口の布を退け、天幕の中に入る。

「……おや。あんたが、新入りかい」

 中で、床の上にしどけなく座っていた女性が、立ち上がる。天幕の中にはベッドがたくさんあったが、ここにいるのは彼女ひとりだけのようだった。

「はじめまして、ソフィーです」

「ソフィーね。あたしはローネだ。よろしくね」

 ふたりは名乗り合い、あくしゆわした。

 ソフィーはまじまじと、目の前の女性を見やった。

 いまいちねんれいがわからないが、二十代半ばといったところだろうか。黒いくせっ毛をい上げて、青いリボンで結んでいる。目は緑だった。がおはどこか気だるげだ。

「ワルキューレの力の使い方を教えるよ。外に出ようか」

 はい、と頷いてローネの背を追う。ふたりは野営地の中の広場に向かった。剣のりをしている兵士がいるだけで、女性の姿はない。

ほかのワルキューレは、どこに?」

 気になって尋ねると、ローネはかたをすくめた。

「さあ。いちゃついてるんじゃない?」

 いちゃついてる? と反復したが、ローネはそれを聞き流して、ソフィーに向き直る。

「ワルキューレはね、弓矢で戦うんだ」

「ワルキューレなのに、弓矢で?」

「ん? ああ、そうそう。神話や伝説に出てくるワルキューレは、やり持ってるもんね。あたしもよく知らないんだけど、魔術的に武器を槍にするのは難しかったとか」

「そうなんですか……」

「うん。それに、槍より弓のがねらいつけやすいだろ? 槍も投げられるけど……」

 ローネはそれ以上は知らない、とばかりに肩をすくめていた。

「ま、あたしたちは神話のワルキューレじゃない。言い方は悪いけど、人造のワルキューレだからね」

 人造、と言いながらもローネの言葉に皮肉はにじんでいなかった。

「弓と矢の出し方は──ええと、手首に力を入れて願うんだ。この、あたしたちの手首にさった光の針が、ワルキューレの力の源だからね。いくさの力をわれに、と唱えて。慣れたら、唱えなくても弓矢が現れるようになるよ」

「……戦の力を、我に」

 ソフィーは両手を掲げ、唱えた。ぐっと両手に力をこめる。すると──おどろいたことに、右手に矢が、左手に弓が現れていた。光でできたような、その不思議な弓矢に見とれて気付くのがおくれたが、手首の針がなくなっている。どうやら、光の針が変形して光の弓矢となるようだ。

「お、さつそくできたね。それで、戦場で死神を見つけたら、射るんだよ。つうの弓とちがって重くないし、光の矢は呼べば返ってくる」

 説明を聞いて、ソフィーは何度も頷く。通常の弓矢と違うようだが、ソフィーは今まで弓矢などさわったこともなかった。

「でも、コントロールが必要だからね。あそこに練習場があるから、練習するといい。その弓矢は使えば使うほど、気力をしようもうするから、練習しすぎないように気を付けてね」

 ローネが示した先には、立てられた丸太がいくつも並んでいた。ソフィーは歩き、丸太に近付く。

「そんな近付いたら、練習にならないよ。もっと遠くから」

「……は、はい」

 恥ずかしさに頬を赤らめながら、ソフィーはきよを取る。そして、矢をつがえる。ぱん、と小気味いい音と共に矢は、狙っていた丸太──のとなりの丸太に刺さった。

「……外しました」

「最初は仕方ないよ! まあまあ、何度か射てみな。今日はここに来たばかりでつかれたろうから、まずは十回ぐらいにしときな。そのうち、当たるようになっていくさ。数をこなしていけばね」

 ローネになぐさめられ、ソフィーは頷く。矢よ戻ってこい、と思っただけで矢は手の中に返ってきた。持ち主に刺さる、ということはないようだ。

 まじまじと矢を見つめるソフィーに気付いたのか、ローネはからからと笑う。

だいじよう。光の矢は、人間には刺さらないからね。というか、普通の物質には刺さらないんだ。その丸太にはじゆつをかけてあるから、刺さるだけ」

 なるほど、と頷いてソフィーはまた矢をつがえた。

 ローネの助言通り、十回矢を射た。しかし、当たったのは一回だけ。しかもギリギリ刺さった、ぐらいのきわどいものだった。

 最初でそれなら上出来、とローネは慰めてくれたが、ソフィーの気は晴れなかった。

「そろそろ帰ろうか」

 ローネにうながされ、ソフィーは歩き出す。もう日が暮れ始めている。ゆうが、雪を金色に染めていく。

 歩いている最中、兵士とすれ違った。みな、一様に暗い顔をしている。せんきようが、よくないのだろうか。

 彼らは皆、うすあおいロングコートをまとっていた。昔は重いよろいを着て戦っていたらしいが、現代ではロングコートに魔術をかけてせんとう服とするそうだ。魔術を帯びたコートは何度かのけんげきを防ぎ、寒さからも戦士を守ってくれる。頭は一見無防備に見えるが、コートにかけられた魔術は全身をあまねくおおっている。

 この魔術技術は当初、レンマールが他国をせつけんしていた。身軽で防備もかんぺきな戦闘服は、他国の戦士をおそれさせたらしい。だが、段々と他国もこの技術を取り入れ始めた。レンマールと今現在交戦中のシュオム王国は、真っ先にほうをしたという。

 ニルスは馬車の中で、「死神のこうげきは、魔術でも防げない」と語っていた。死神が戦士を狙えば、確実に命を取られてしまう。──ワルキューレが、死神をたおさなければ。

 つらつら考え、ソフィーはぶるいした。

(まさか私が、将軍付きになるなんて)

 レンマール軍を預かる、総司令官。彼を守る役割──それは、すさまじい重責だった。

「ソフィー。夕飯が始まったようだよ。食事もらってから、天幕に戻ろう」

 ローネの声で我に返り、ソフィーは小さくうなずいた。


 ソフィーとローネが天幕に戻ると、すでに中ではたくさんの女性が食事を始めていた。

「おや、みんな戻ったかい。この子が新入りのソフィーだよ。みんな、よろしくね」

 ローネにしようかいされて、ソフィーは「よろしくお願いします」と大きな声であいさつする。

 どうも、よろしく、と口々に言うのが聞こえる。

 ソフィーとローネは入り口付近のはしの方に座り、食べ始めた。

 他のワルキューレたちは、時々話して笑っていた。女所帯にしては静かな方なのだろう。

「あんたも、輪に入りたいなら入るといいよ」

 ローネにあっけらかんと言われ、ソフィーはまどう。

「ローネさんは?」

「あたしは……あんまり、よく思われてないからね」

 ローネが声をひそめたので、ソフィーは首をかしげた。

「──まあ、先に話しとくか。どうせ他の子が言うだろうからね。あたしは、元しようだったんだ。そういうわけで、けいべつされがちなんだ」

 ローネはたんたんと言って、うつわを持ち上げ、スープをすする。

 驚いて、ソフィーは目をまたたかせる。どう答えれば彼女を傷つけないかと言葉をさぐっていると、ローネはしようした。

「あーごめんね。困らせちゃったか。……いいんだよ、別に。あたしはひとりでも平気な性質たちだからさ」

「いえ、私は──ここが、いいです」

 ソフィーは小さく、だが、はっきりと主張した。

「そうかい……。ありがとね」

「いえ──。あの、どうしてワルキューレに? 志願ですか?」

「ん? うん。仕事に疲れてた時に、しゆうを見てね。十割死ぬってうわさに、じ気づきもしたけど」

 ローネは器を置いて、ふうっと息をつく。

「死んでもえいゆうあつかいされるなら上等じゃん、って思ってね。娼婦なんか、死んでもあざわらわれるだけさ。適当に山に捨てられるのがオチ。ああ娼婦の死体か、って笑われるのもいやでさ。……ワルキューレのほうしゆうで借金も返せたし、悪くないと思ってるよ」

 どう答えていいかわからず、ソフィーはそっと温かいスープを口にふくむ。

「あんたは、どうしてワルキューレに?」

 ローネに問われ、ソフィーは弟の薬のために金が必要だったのだと語った。

「みんな、色々事情があるようだねえ。最初の方は、えいあるお仕事だって言われて、応募も多かったらしいが──死亡率の高さに、しりみする子が多くて、今は半ば集めてきてる状況みたいだね」

 そういえば、と町の広場で声をからしてワルキューレを集めていた人たちを思い出す。

「ニルス様も、大変そうでした」

「ああ、ニルス様か。招集係は、大変だ。あんた連れてきたから、また町に行くんだろうね」

 ローネは心底気の毒そうに、まゆをひそめた。

 ソフィーがゆっくりパンを千切って口に運んでいると、ローネの背後をワルキューレたちが通り過ぎて天幕の外に出ていった。気が付けば、ローネとソフィー以外だれもいなくなってしまった。

 少してば帰ってくるかと思ったが、一向に帰ってこない。そうこうしている内に、ソフィーも食べ終わってしまう。

「みんな、どこに行ったんです?」

 ソフィーの質問に、ローネはかたをすくめる。

「将校のところだろう」

「え、どうして」

「いいかい、将校はワルキューレと組んで戦う。死ととなり合わせの戦場で、力を合わせるんだ。そういう状況になったら、人間ってのはこいに落ちやすいのさ」

 思わず、「……恋」と反復してしまう。きょとんとしたソフィーの顔がおかしかったのか、ローネは声を立てて笑った。

「まあ、元々はワルキューレは将校が守ってやるべき、って理論で同じ天幕でまりしてたんだ。そういう状況なら、なおさら恋は生まれやすいよね? しばらく経ってから、将軍が風紀の乱れはまずいと思ったのか、別々の天幕で寝るように、って通達出したけど誰も聞きやしない」

 なつとくしながら、ソフィーはイェンスの天幕にあった小さめのベッドの存在を思い出した。あれにきっと、ワルキューレがねむっていたのだ。

 ソフィーの前任者。ソフィーに代わったということは、彼女はくなったのだろう。

(イェンス様は、その子と恋に落ちたのかしら)

 だから、代役のように現れたソフィーが気に入らないのだろうか。

 考え始めると止められなくなって、ソフィーは軽く首をって思考を打ち消した。

「食器を返しにいこうか」

 ローネにさそわれ、ソフィーは彼女と共に天幕を出る。もう、とっぷりと暗い。空をあおぐと、銀色の弓張月がかんでいた。

「あの、ローネさんは将校のところに行かないんですか?」

「ん? あたしは……あたしは、行かないことにしてる」

 横を歩くローネは、少し困った様子で微笑ほほえむ。何か事情があるのだろうか。

 ソフィーが首を傾げた時、「ローネさん!」と声が飛んできた。

 振り向くと、少年がこちらに走ってくる。まだ、十五、六ぐらいだろうか。丸い顔もあいまって、ずいぶんと幼く見える。

「ああ、ヨアン様。どうしたんです、息を切らして」

「え、えーと。明日の作戦会議をしたいと思いまして。僕の天幕に、来てください。僕の部下も、待機してますので」

 ヨアン、というらしい少年の話を聞きながら、ソフィーはおどろいてしまった。

 この口ぶりからすると、彼は将校のようだ。こんなに幼くても将校になれるものなのか、と感心してしまう。

 それに、とほおを紅潮させるヨアンを冷静に観察する。彼はローネに、気があるようだ。とてもわかりやすく、態度にも表情にも表れていた。


◆◆◆◆◆◆◆


「わかりました。食器置いたら、行きますんでね」

「はい、よろしく! ──あ、あなたが新しいワルキューレのソフィーさんですね」

 くるりと、ヨアンはソフィーの方を向く。

「よろしく。僕、ヨアンです。イェンス様は気難しいけどやさしい人なので、安心してください。──それでは!」

 返事もしない内に、ヨアンは急いでいるのか走っていってしまった。戦場にふさわしくないぐらい、明るく快活な少年だ。

 ソフィーは、ちらりとローネを見やる。

「……わかるだろ? あたしが天幕に行かない理由。噂になっても、あの子がかわいそうかな、と思って。気を持たせるのも嫌だし」

「でも、ヨアン様はローネさんのこと、好きみたいですね」

「──さつかくってやつだよ。いつしよに戦ってるから、情が移っただけさ」

 ローネが歩き出したので、ソフィーも彼女に続いた。

「あの子は、王族につらなる大貴族──ライネセン家の三男ぼうでね。いえがらがよすぎるせいで、あんなに幼いのに将校になったわけさ。やっかみにも負けず、がんってるよ」

 ローネの表情が、優しさを帯びた。ソフィーもつられて、微笑む。

「それに、あたしはくぎされてるんだよ」

「釘?」

「そう。ちゆうから参戦したあの子は、組んでいた将校が死んでしまったあたしと、新しく組まされたわけ。そして、ワルキューレと将校の風紀の乱れは既に噂になってたらしい。あの子は、家臣をともなってきたんだが、そのひとりに言われたよ。ゆうわくしたら承知しないぞ、ってね」

「そんな──」

「仕方ないさ。あの子は三男坊とはいえ、ライネセンの子だ。変な女と付き合われたら、困るのさ」

 ローネのついたため息はすぐに白くなり、しばしただよった後に消えていった。


    ◆◆◆◆◆◆◆


「もう将軍も帰ってるだろうし、もう一度天幕に行っておきな。明日の打ち合わせとかも、しとくといい」というローネの助言を受け、ソフィーは再びイェンスの天幕をおとずれた。

「す、すみませーん」

 呼びかけると、イェンスではなくニルスがひょっこり中から顔を出した。

「おや、ソフィーさん。ああ、将軍と話が途中でしたっけね。私ももう少し話があるのですが、外は冷えますから、中で待ってください」

 はい、と答えてからソフィーはニルスに続いて天幕の中に入り、に座ったイェンスに向かってあいさつをする。

「こんばんは、イェンス様。お話しできたら、と思いまして──ニルス様とのお話が済むまで、こちらで待っていてもよろしいでしょうか」

 おずおずと申し出ると、イェンスは「では、そこに座っているといい」と小さめのベッドを指さした。有りがたくそこに座り、イェンスとニルスが会話をわす光景をぼんやりと見守る。

 暖かさのせいか、ろうのせいか、ソフィーはいつしか、うつらうつらしていた。

「おい」

 イェンスの声でかくせいし、顔を上げる。もうニルスは天幕内にいなかった。

 間近にたたずむイェンスの存在にきんちようし、ソフィーは立ち上がる。

「す、すみません。眠って、しまって……」

「気にしなくていい。話があるのだろう。どういう用件だ?」

 イェンスは、ソフィーのとなりこしかけた。

「ええと……昼間は、お話が途中になったので──明日のことなど、色々話を聞いておくといい、とローネさんが」

 なるほど、とうなずいてイェンスはソフィーに顔を近付ける。

「ローネに戦い方は教わったか」

「はい」

「明日もいくさだろうが、初戦ということもあって、無理はしないように。私は見えるわけではないが、死神の気配を感じ取れるから心配しなくていい。無理に前に出ず、矢を死神に当てることだけ考えろ」

「感じ取れる、のですか……。それは、れいかんがあるということですか?」

「……まあ、そのようなものだ」

ゆうれいとか、見えるのですか?」

「まあな──。祖先に巫女みこがいたらしい。私は、その性質を受けいだようだ」

 あまり、れたくない話題らしい。イェンスはため息をついて、ソフィーから目をらした。

「幽霊が見えるほどかんするどいといっても、死神は見えない。死神を確実に見ることができるのは、ワルキューレだけだ」

 そうなんですか、とあいづちを打ってソフィーは改めてゾッとする。そのような、とくしゆな存在が敵なのだと思うと、体がわずかにふるえる。

 ふと、ソフィーはイェンスの横顔をまじまじと見る。

 薬をくれた『将軍』はもしかして──彼、なのだろうか。見たところ、二十代半ばぐらいだろう。後半でもおかしくない。彼が今二十代後半で、若くして将軍になったというのなら──十分に有り得る。

 どくどくと、心臓がはやがねを打つ。

 いつか、お礼を言いたいと思っていた。しかしソフィーに、将軍までのなどあるわけもなく。いつか会えたら、とずっと願っていた。

 こうして目が見えるのも、彼のおかげなのかもしれない。

 不思議なえんに胸をときめかせた時、イェンスはソフィーの方に顔を向けた。

「どうした?」

「あの──私のこと、覚えていますか? モルク病で苦しんでいた時、お薬をいただいて……」

「……何の話だ」

 イェンスはまゆをひそめている。

 え、とソフィーは口をつぐんだ。覚えて、いないのだろうか。貴族階級である彼にとっては、気まぐれにほどこしをしただけ、という感覚なのかもしれない。

 とつじよずかしくなってソフィーはうつむいてしまう。

「すみません。何でもないです」

「……よくわからないが、ひとちがいでもしてるんじゃないか?」

 イェンスの発言に、深く傷ついてしまう。人違いなはずはない。将軍と呼ばれていた人なのだから。声も、今聞いている声と違わないように思う。

 あの時、顔が見えていたら確信できたのに。

 ともあれ、彼は八年前の出来事を覚えていないのだろう。傷つく必要はないのに、とてもかなしかった。

「あの、イェンス様」

 話題を変えようと、ソフィーは口を開く。

「私の前にも、あなた付きのワルキューレはいらっしゃったんですよ……ね?」

 しやべっている間に、彼の目がけんのんな光を帯びたことに気付く。

「もちろんだ。しかし、君が彼女のことを知る必要はない」

 どうして、とソフィーは声にならないさけびをあげる。冷たい態度に、胸がまる。

ほかに質問は?」

「……あり、ません」

「そうか。では、ワルキューレの天幕まで送ろう」

 素っ気なく言って、イェンスは立ち上がってしまった。その背は、相変わらずソフィーをこばんでいるようだった。


 どうして、彼にきらわれることばかりしてしまうのだろう。先代のワルキューレの話題はきっと、禁句だったのだ。

 すん、と鼻をすすってソフィーは毛布にくるまる。

 隣でねむるローネのいきが聞こえるだけで、天幕内は静かだった。他のワルキューレは、将校の天幕で眠っているのだろう。

 ワルキューレの天幕にはじゆつがかけてあって、男性が入れないようになっているらしい。これも風紀を守るためなのだろうか。

 座った、小さめのベッドを思い出す。前任のワルキューレは、あそこで眠っていたのだ。うらやましい気持ちが、全くないとは言えない。

 イェンスはきっと、ソフィーの恩人だ。彼は、覚えていなかったけれど──。

 ずっとあこがれをいだいていた将軍。せめて彼のげんそこねないように、ワルキューレとしてがんろうとちかい、ソフィーはくらやみを見つめ続けた。

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